喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。

2024年2月 この範囲を時系列順で読む

常に「良い」と「美しい」の使うタイミングに悩んでいるので、時折フォロワーの作品に無邪気に「良い……」「うつくしい……」を押すか、面倒くさい感じに自我を出して「美術的に優れたイラストですね!」とか一歩踏み込んで「とても美しい!ところでこの絵を見るに"美術的に美しいこと"と、"倫理的にうつくしいこと"との関係性について、あなたはひどく洞察力があるようにお見受けしますが、その両者をどう考えていますか?」とか押したくなる(Misskeyにそんな絵文字は、ない)

2024/2/7 通勤中『ねじ曲げられた桜 上』少し読む。今は夜だけど朝読んだ内容が思い出せない。読む意味が謎。ページを見ればぱっと思い出すのであまり問題はないが……。
最近はあまり本を読めていない。夜、本タワーの整理をする。朝になれば机からベッドの上に、夜になればベッドから机の上に本を寄せる生活を送っている。

『短歌研究』に「作品ニ十首」という、1歌人の寄せた20首がいくつか掲載されているんだけど、千種創一先生の寄せた短歌集になると、とたんにぐっと温度が下がるというか、空気が澄むので流石だ、と思う
歌人の名前を確認しないで読み進めることも多いので、おや、これは?と思い歌人を確認すると千種創一先生だったりする 流石だ

「歴女」とか「腐女子」とかの単語の是非、話題になることも多いけど、「その単語やその使われている背景にまったく無知なので、耳に入った単語をなんとなく使っている層」がいることも認識したらもう少し話がすんなりいきそうだ、と思う時がある

艦これが流行って大きなジャンルになった理由は色々あるのだろうけど、とりわけ「開始時にはまだ絶妙にネット文化にアングラ感が残っていたこと(またその恩恵を受けていた世代がアクティブだったこと)」とか「二次創作をする時にSFらしくできること、また相性の良さ」とかの関係性の是非が気になる

SF文学と船の長い蜜月というか共犯関係についての考察とかないのかしら…

カクヨムかpixivかどこかでジャンル選択必須の時に、当たり前だけどジャンルに「擬人化」はないので、悩んだ挙句にファンタジーとかSFに振り分けた記憶がある

何かの本で韓国人留学生の寄稿があり、日本に初めて訪れた時初めて訪れた新宿を「こんな汚い都市は初めてだと思った」的な形容をしていたのを読んだことがあるけど、いろんな作家の「新宿論」を読んでいると東京は観光に行く(特に遠征して行く)場所ではなく、住んでこその場所なのかな…と感じる
→江戸以前からの古都としての東京、の文脈を持ってなにか東京の話を描きたいな~と思いつつ、そこまで東京に詳しくない 実地調査もしてない
→マイク・モラスキーの本は未読だけどそんな感じなんじゃないか(『呑めば、都 居酒屋の東京』『ジャズ喫茶論 戦後の日本文化を歩く』)
→「人の都市」っぽくて嫌いではない 東京…

(出生年や年齢的なものにより)90年代の精神的状況を自覚的に受容しなかったこと、を時々考える
たとえば岡崎京子を読む時とか、今からしてみればただの嘘でしかないノストラダムスの大予言について考える時とか…

何とも言い難い話ではあるのですが、大蔵出版『新宗教時代』シリーズを2冊ほど持っていて、30年前の情報ではあるのだけど、興味深い本でしたね
→とはいえ最近は「興味深いなぁとしげしげ覗き込むこと」についての一定の自制は行っている
戦争や歴史や宗教や因習じみた習俗諸々の「深さ」をしげしげと覗き込む時、むこうもこちらを覗いているので…
→ウィキペディア記事「帰ってきたヒトラー」に引用されて書かれている、「(読者は)ヒトラーを笑っているだけではない、彼と共に笑っているのだ」(laugh not merely at Hitler, but also with him.)という文を、時折警句として思い起こしている

日本郵船さんさぁ、微妙にX慣れしていない…というよりもXに染まっていないし染まる気もないし平常運転していくぜ!!感あるよね
→例えば他社だけどONEクッキングみたいなのとか、あるいはInstagram色に染まっているInstagramの投稿みたいなのもTLで見たい、いや今も十分可愛いけど……
→今のX運用、「業務連絡」感が強くてなおいっそ可愛い
→Instagramのことは「Instagram」「インスタ」と言うし書けるのに、Xのことは「ツィッター」だと思ってたら可愛いね、御社(擬の話)

企業・組織擬人化

物語を構成する時に「何を描かないか」は、何を描くかと同じくらい重要なんだな~と""理解り""(わかり)始めた