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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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2024年10月11日 この範囲を時系列順で読む

艦船擬人化をもっと描くか、キャラをもっと、護国丸とかもっと描きたいぜ……。
背景っぽい何かばかりではなくて、キャラ絵でも魅せていきたい。
自創作、大阪商船さんと報国丸型の髪色が一緒なんだけど、よくよく描いていると顔だちも似ており、筆者なのにおや…?となる 他人事

2024年10月10日 この範囲を時系列順で読む

#感想『日本郵船戦時船史』

◎盛岡丸は、船のなかで密航者(炭坑夫)を捕まえたために引き返している途中で日本の敷設機雷に掛かって沈没、という船。密航者のその後も気になる。
◎甲谷陀丸はカルカッタまると読む。


2024年10月10日「甲谷陀丸」まで/コマ番号49/519まで

#「渺渺録」(企業擬人化)

感想

2024年10月9日 この範囲を時系列順で読む

2024年10月6日 この範囲を時系列順で読む

◎石牟礼道子の語り口という話 例えば岩波新書やNF文庫の「である」「であった」とか帝国主義とか資本主義とか蘭印作戦とか、後世の、現在の名詞や単語や標準語で語るには語り切れない風景、それこそ「人と人とが、殺し殺される関係性のなかに投げこまれる戦場という殺戮の現場」「巨大なキノコ雲の下で生起している数々の出来事」「夫や息子の死を「名誉の戦死」として受け入れさせてゆく時代と社会の巨大な力」「「敵の顔」の中に「人間の顔」を見出してゆくこと」(『アジア・太平洋戦争』)の出来事と、その風景が、そのような構成の正規の文章で形容されつつも、だからこそその実際が語りえない状態、はあるんだろうか
◎『日本軍兵士』の南方の作戦の概要たとえば飢餓に侵された戦線など、と、例えば『野火』のような兵士がぼんやりフィリピンの青空を見あげて放浪している風景、というものは同じものを語っている、にもかかわらずその情景は違うじゃないですか
◎「五月一二日には、アリューシャン列島のアッツ島に米軍の一個師団が上陸を開始した。約二五〇〇名の日本軍守備隊は、激しく抵抗したが、優勢な米軍に次第に圧倒されて、二九日には最後の突撃を行ない全滅する」(『アジア・太平洋戦争』)の行間と言い得る風景のようなものは、結局フィクションや詩歌で埋めるしかないのかな…と最近は考えはじめている
◎標準語というか現代語ですよね 現在の日本語 だって彼らは「マジ」とか言わないじゃん アッツ島マジヤバイとか 「マジ」とか「ヤバい」とかの地平線にいないんですよ
◎「マジ」とか「ヤバい」とかの地平線にいる私たちがいない彼らの話をする時に、言葉を変えていく、せめて工夫すべきかというはなしですよ

森崎和江は炭鉱の人間のよく言う「地獄」について言及しているけど、あの時代の半強制半奴隷じみた仕事につきもので、彼らが自らを言い表すワードとしての「地獄」があったのかーと興味深くなる あと遊女か
その意味で結核も炭鉱も遊郭もどんどん現在から去っていく中で、あの「地獄」という言葉をどうやって地続きにするのだろう
たぶん「蟹工船」の言う地獄は遊女や坑夫が自らの状況を指していう特定の共通の認識としてある「地獄」であって、天国や楽な状態や極楽の対義語としてのなんとなくの、現代の意味においての地獄ではない

ということを考えると、彼らが言う文脈での「地獄」を踏襲できないならいっそなくしてしまうのもアリかもしれない。今に言う「地獄」は天国や楽な状態や極楽の対義語でしかなくなっているのが現状なので。

感想

2024年10月5日 この範囲を時系列順で読む

おそらく人間にとって最も根本的な、究極の問いは「起源」と「終末」をめぐるものだろう。私は、私たちは、人類は、この宇宙はどこから来て、どこへ行くのか。古来、神話や宗教がこの二つの究極の点をめぐって想像を働かせてきたのも、当然のことではないか。しかし、人間はそのどちらの「究極」も自分の目で見ることはできない。「起源」までさかのぼってしまえば、自分はまだ(・・)存在していないわけだし、「終末」まで行き着いてしまえば、自分はもう(・・)存在しない。われわれの生はこの「まだ」と「もう」の間に、つまり起源と終末に間に広がる居心地の悪い時空間を漂い続ける宿命なのだ。そう、まるで亡命者のように。ここで亡命者の比喩が役に立つのは、他でもない、亡命者の存在様式こそは人間一般の生き方の原型を鮮やかに示しているからである。亡命者は故郷というユートピアを追われ、もう一つのユートピアを求めてさすらうのだが、決して究極の目的地に行きつくことはなく、「間」と漂い続ける。
/『亡命文学論』


村野は大学を卒業して一年後の、1919年(大正8)、『様式の上にあれ』と題した論文を建築雑誌に発表し、自分の将来の設計活動の根幹となる考えを表明した。彼はそのなかで、近代人は、「如何なるが創造的進化の落処かを知るに苦しむもの」であるとし、したがって人類の確実な到達点としての明確な「未来」を見いだせないのと同時に、逆に美しく回想してそこに逃げ込む事のできる「過去」もまた喪失しているとした。かくて近代人はいわば「現在」に閉じ込められ、そこからどこへも逃げ出せず、「現在」を生きていく以外にない、というきわめてニヒリスティックな世界観を、ベルグソンの学説などを借りて提示した。
[…]
ところで海上を旅する旅客船は、すでに出発港を一つの「過去」として置き去りにし、他方で目的としての港を「未来」として予定しながらも「現在」を洋上の《点》として航海している。したがって「現在」を共に生きる者の一つの疑似的な共同体もしくは社会を構成しながら航行している、とも考えることができる。その意味で一隻の船舶は、村野の目にとって、いわば近代社会のモデルであり、それが現在に共に生きる者たちの世界を発端に具象化するものに映ったとしても不思議ではなかった。
/長谷川尭「船――現在を生きる者たちの世界」『艤装の美 村野藤吾建築図面集 第8巻』

引用

そもそも人類は、アダムとイヴが楽園から追放されたその日から、失われたユートピアを懐かしむノスタルジーに苦しめられながら、自分が「本来属すべきではない」場所を転々と放浪してきたのではなかったか。失われたユートピアーー具体的にそれは、ある人には地理的な意味での祖国であったり、また他の人にとっては至福の幼少時代であったりする。しかし、いずれの場合でも、本来の居場所を失った人間の憧れと放浪の物語がそこから始まることに変わりはない。

/『亡命文学論』

#「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)

引用

架空文学論『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』



1ディアスポラの海
2人間たちの喧騒


1航海日誌から戦闘詳報へ
2特設艦艇の「故郷喪失」
3〈艦船一体〉の思想



特設艦艇の「故郷喪失」

 一九六七年に日本船霊戦没記念会が発行した『戦時船舶文学大系』は、太平洋戦争時の船舶らが書いた文学を論じた文学研究書です。この序文には、以下のような記述があります。
「本書では、日本海軍に徴用されのちに艦艇に改造された船舶、いわゆる特設艦艇の文学を扱うことは、日本海軍の一員として全く違う道を歩んだ艦艇の文学を扱うことになるとの意見が出た」(本書、十頁)。
どこまでが船舶文学で(・・・・・・・・・・)どこからが艦艇文学か(・・・・・・・・・・)という線引きを(・・・・・・・)はっきりさせるために(・・・・・・・・・・)も、特設艦艇らの文学――彼らの書いた手記や往復書簡、小説や自伝――は除くことにした」(本書、十二頁、傍点は筆者による)。
 あえてこのような書き方がなされているということは、日本船霊戦没記念会の会員の間では、『戦時船舶文学大系』で特設艦艇の文学を扱うことも検討されたのでしょう。結局、彼らにとって「特設艦艇文学は艦艇文学であった」ため、特設艦艇文学は『戦時船舶文学大系』から除かれることになったわけですが、はたしてそれが最良の選択だったと言いきれるでしょうか。
 船舶に属しながらも総動員の名分のもと艦艇として生きざるを得なかった特設艦艇らの文学は、戦時下に目指されていた「艦船一体」の思想を紐解くにあたって、非常に有益な研究対象となるはずです。「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学か」――この艦船の切り分けに近い思想は、海運が戦時中に被った膨大な被害ゆえに軍を忌避するものであり、同様の不信感が、海運業界の人間らで構成されていた日本船霊戦没記念会にも存在したのかもしれません。
 船舶として受け入れられない特設艦艇の艦霊は、時として艦艇の艦霊として受け入れられないこともありました。興味深いことに、商船から軍艦へと改造された特設艦艇らは、しばしば日本海軍内の艦艇たちに「成り上がり」として認識されていたのです(同時に船舶たちにしてみれば、特設艦艇らは再び船に戻ることのできない「成り下がり」でした)。生まれた時から菊の御紋を頂く軍艦たちにとって、特設艦艇らは急ごしらえの兵役のための船でしかなかったのです。

 航空母艦「冲鷹」乗組員手記会が戦後に編纂した『海浪録』は、貨客船「新田丸」が航空母艦「冲鷹」として戦没するまでを記録した乗員や関係者の証言集です。この証言集からは、貨客船が軍に徴用され輸送艦となり、またのちに軍艦になることの船霊の心情が読み取れます。また、この証言集を補完するのは冲鷹(新田丸)自身の書いていた手記であり、一隻の船、一人の船霊の船生を追うには貴重な資料です。
「貨客船でも輸送艦でも、物や人を運ぶのは変わらないわ。私は海軍でもうまくやっていける、海はいつも優しかった」(二十九頁)と新田丸は日記に書いています。徴用前夜の一九四一年九月初頭のことです。
「快活でいて上品、まさに日本郵船の船、日本郵船のイニシャルを冠するにふさわしい令嬢でした。彼女自身も『新田丸という名前の由来を御存知?』とよく周りに触れて回っていたようです。きっと誇らしかったのでしょう。『輸送艦になると船名は変わってしまうのか』、と彼女に尋ねられたことを覚えています」(一七六頁)という関係者の証言は、新田丸が自身のアイデンティティを貨客船に置いていたこと、またあくまで自身の未来が輸送艦どまりであると信じていたことを示しています。
 しかし御存知の通り、輸送艦「新田丸」は航空母艦「冲鷹」となります。航空母艦時代の冲鷹を示す一番端的な証言は、「冲鷹」乗組員が証言する「大鷹」の言葉でしょう。 

 姉妹艦が心配か、と私は大鷹に尋ねました。冲鷹のそばで大鷹の姿を見ることがしばしばあったからです。大鷹は「はい」と答えました。妹を心配する優しい兄なのだろうと思いました。しかし、ある日ふと私にこう漏らしたことがあります。「貨客船が海軍で貧弱な輸送艦として使役されていくうちに、艦であること、強くあること、強い権威と地位があることを願い、軍艦に改造され、段々と中身も艦になり、艦となって艦船を使役するようになる元船」。「『弱者の身振り』。冲鷹を見ていると、そんな考えが浮かんでならなかった」と。(二六四-二六五頁)

*****

 ここで私は、太平洋戦争時に徴用された船舶たち、あるいは海軍の艦艇となった特設艦艇たちの書いた私小説や手記などの文学を「後日譚文学」と定義しようと思います。本来船舶が持っていたはずの海運や船としての名前、運ぶはずだった一等乗客の存在は、いわば海の上で生きる彼らにとっては自分の船生そのものであり、その穏やかな海の上は船たちの「国」そのものでした。ところが御承知の通り、あの戦争で船舶らが得たものは、勇ましい鷹としての名前、石油や物資、航空機の輸送、あるいは火の中の海でのごく僅かな戦果と広大な一枚下の地獄だったのです。船舶らの「国」は亡国となり、あの平穏だったはずの海は、大破した艦から漏れ出す石油の燃える苛烈な海となりました。彼らはその新しい「国」に適応せざるを得ない状況へと追いやられ、人間でいうところのディアスポラ――移民や植民したもの――という立場に置かれたのです。
 そして私が彼らの残した手記や文学を通して知ったのは、彼らが戦場の海になる前の平和な世界の海を欲していたということです。興味深いことに、これは開戦後に生まれたはずの戦時標準船らの文学にも見受けられました。彼らは戦下の海しか知らないにもかかわらず、素敵だったはずの昨日の海を欲していたのです。「素敵だったはずの昨日の海」、あるいは「昔の海」「少し前の頃の海では」「海が凪いでいた時のこと」、これらはどの戦時下の船舶文学でも共通して見受けられる記述です。今は亡き「国」を郷愁する船舶らの文学、それが「後日譚文学」です。

#「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)

文章(全て)小説(&フィクション的文章)艦船/〃擬人化

『亡命文学論』を読み始めたけど、特設艦船に対するある種の「憧憬」に釘を刺される感じがあって良い

ペリヘリオン号、名前が発覚するの遅すぎるし(初回「人工的なあり方」で出てこない)そこが良い
「ペリヘリオン」は人間が与えた名前であってマーダーボットには関係が無いので
#『マーダーボット・ダイアリー』

感想

情報によるとマーダーボットの世界には木星があるらしく、つまり太陽系が存在しており、この現実世界と地続きで架空の世界線じゃないということだし、ペリヘリオンは確実に近日点の名を冠しており「異世界サンドイッチ」ではなくて、ARTとあの世界の人々にとって太陽はどのような価値があるのか気になる
あの世界に太陽が存在しなかったら、いわゆるペリヘリオンは異世界サンドイッチ問題のサンドイッチになってしまうな…とは悩んでいた 勝手に…
木星、は本邦未翻訳の短編に出てくる……らしい、Wikipediaに書いてあるらしいけどしっかり調べられていない
#『マーダーボット・ダイアリー』

感想

そういう言葉の意味で、現代の言葉で軽い口調でおんなコトバで海軍と歴史が語られていたらオモロイだろうなーと思って例の小説は書いた>「時代の横顔」

この種の「思念」、当たり前だけど挙げた本を全て読んでないと意味不明なので、思念を感じたらそれを自分の作品として落とし込んで周りに示していかないと意味不明のまま御託を並べている人間になってしまう 思念、毅然と示していく

『「民主」と「愛国」』も読まねば その種の言葉遣いの捻りの話でもあったので

『HHhH』に、歴史小説を書いていると、歴史上の人物はこんな口調でいろんな物事を考えているのか疑問に思う、とフローベルが書簡で書いている、的な記述があるけど、改めて啓発的ではある

感想

もしかしたら『終戦のローレライ』に感じる、日本海軍に詳しいだろうし当時の情勢にも詳しいのだろうがどこか「現代」が抜けない、というのは言葉があまりに格調高いからなのかも、現代の美的に鑑みて
もう少し文章に「土着」さがあったら良かったのかも、モダンなので……(あくまで私にとっては、の話です)

感想

『椿の海の記』を読んでるけど、石牟礼道子のえがく風景のようなものを表現するにはやはり石牟礼道子のような言葉を叩きつけて手繰り寄せるような言葉遣いしかないのではないか、いわゆる詩情の言葉といわれるような……と思わされる
淫売のなんのにゃ売られけん幸せぞ(娼家に売られないからお前は幸福だ)とか、精神を病んだ祖母との交わりとか、規定通りのですます調の標準語では……と思うけど、でもそれは「地方語」に対して地方性を与えてることになるか
ある世界というか風景を切り取る時に、使う言葉、言葉の使い方にも気を配る必要があるのかな……と今更
電灯がなくて電車が通ってなくて貧しかったら売られて……の時代を現代の言葉で、ですます調でカッチリ表現しても、そこに表現しきれない余白があるのかな、とか考えていた

感想



#おふねニュース

艦船/〃擬人化

過去に日報を書こうとしていて、1日だけ書いてあとは日報があったこと自体を忘れているの、少し笑ってしまった。
「×月のまとめ」記事は書いていきたい、と画策しています。9月も書けなかったけど……。今から書こうかな……。

2024年10月4日 この範囲を時系列順で読む

小説もそろそろ横見程度にして加筆しつつ、「渺渺録」構想と同時に『日本郵船戦時船史』を読み進めたい。

pixivを整理しておりました(まだ途中)。キャプションの文章がね…若いですね…「うぎゃー!あーあーあ!」みたいな感じで…ああ……。全削除しました。
2019年の投稿にサイトを作ったよ~!と書いてあって、感無量になりましたね……。

実はSNSに絵を投稿したら、毎回tumblrに投げています。最初はログ展示でしたが、最近はタイムスタンプに近いです。一ヶ月に何枚絵を描いたか知りたい時(「今月描いた絵を晒す~」みたいな時にも)、また日付をもとにTwilogから引っ張る時に便利です。
FC2ブログに移転したいと思っていますが、2016年からの過去ログを引っ張るのが大変面倒です。もういいかな。2024年9月まではtumblr、10月以降はFC2にしようかな……。

2024年10月3日 この範囲を時系列順で読む

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企業・組織/〃擬人化

2024年10月1日 この範囲を時系列順で読む

2024年9月30日 この範囲を時系列順で読む





2024年9月28日 この範囲を時系列順で読む

これは夢小説ではなくて(マジで)、右翼でもないけど海軍が好きという私の矛盾を投影した文章……です。モブ視点の話です。

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※彼が海軍さんです 私自身なかなか仲良くなれないので書きました

企業・組織/〃擬人化

実際は『現代詩手帖』に収録された月吠番外編(タイムトリップもの)を意識してます。

「あの丘」は未読・未観、かつ知識はありませんが、皆さんの感想をもとにあらゆる意味での逆張りを目指しました。

2024年9月26日 この範囲を時系列順で読む

◎戦時下の埼玉県、もちろん出征している人ばかりなのだけど、県・都市としてなにか象徴的なものはあったのか、といわれると熊谷空襲くらいで、もちろん行間には多くの暴力と御国奉公があったはずなんだけど、埼玉県は「近代」と共犯者になり得たんだろうか、帝国日本の都道府県として、と思う時がある
◎でも埼玉県には帝都たる東京があったから、根強く支えていたはずだから、それを…… クソッまた東京かよ

土地/〃擬人化

◎私も土地擬をしてみたいけど、艦船はともかく、土地や風土というものは実地調査が必要だと思っており、関東民なら関東の土地が良いのかもな~とは少々思っている
◎都市としての東京(あるいは関東一辺)が好きだけど、もういっそあまり好きでもない我が埼玉に視点を当てて、よく語られる「埼玉の地方性(東京のベッドタウンとして)」と、ダサイタマというワードに隠されがちな埼玉の密かな中央性に歴史的回顧を持って投影する感じの…
◎埼玉県は戦争の大きな被害は熊谷空襲くらいしかなかったようだけど、関東大震災では被災がありここにも虐殺はあったようす
◎熊谷空襲という唯一の経験を、 ←?
◎郷土愛がない、しかしこの愛の無さからすべてを始めるしかないようにも思える
◎埼玉鉄道文学(?)やはり池袋を含めるか含めないか問題が、序文では触れられるのだろう…
◎鬼電のような東武アプリの東武東上線の遅延通知と病んだ恋人の類似性を、埼京線の他人事のような明るさと美しさとそこに漂う殺気を、東武デパートと丸ノ内線改札前の空間の余白を、池袋に至るまでの路を文学として昇華することが我々埼玉県民には求められている。埼玉の地方性を主体へと回復すること。

◎東武東上線は埼玉の病んだ恋人だ。鬼電のように彼女の遅延通知がスマホアプリに入るし、それに埼玉は日々振り回されている。大雨が降ったから。車がボロいから。鹿が怖いから。まだホームドアをつける気はなかったから。安全の確認をしたいから。
そんな彼女を宥めすかして池袋という街へ向かうという行為に、地方人としての劣等感を感じるのかというとそんなことはなかった。東京という土地は、しょせん地方人の集まりだということを埼玉は知っていた。
その点、埼玉はむしろ池袋よりも新宿という場と相性がいいはずだった。いいところで東武東上線を捨てるべきかもしれない、と埼玉は思った。早々に副都心線へと乗り換えるのだ。

土地/〃擬人化

一九三〇年代に日中戦争が開始され、日本軍が中国の江南方面へ展開するようになると、物資補給のために長崎港から上海向けの輸出が増加し、対中国貿易は活発になった。中国東北地方に権益を確立した日本が、その維持とさらなる拡大をめざし、さらに中国大陸への進出を続けるなかで長崎は日本の大陸進出の拠点となっていったのである。
 そして、その長崎を支えたのは、やはり三菱だった。日清戦争後に政府が造船業の発達を促すなかで、長崎造船所は、一般の船舶とともに日本海軍の艦船も積極的に受注し、建造した。
/『見る・知る・考える  明治日本の産業革命遺産』「三菱と長崎の近現代史」
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

九州あたりで擬をしたいと思っているんだけど、住んだこともないし行ったのも多くはない。でもそれを言ったら海外の土地で創作されている方の一部も同様かもしれないし…
→というか、艦船擬人化がいて企業擬人化がいる世界に、土地擬人化もいるのだろうか。そしたら三菱が花婿(主人)で長崎が「蝶々夫人」になってしまうけど……
→そして……ふねが…子ども…?
→子どもたって海軍の子かもしれないし船会社の子どもかも知らん

…大陸への国内最前線が長崎であり、その母なる土地、母なる揺りかごに揺られて育って恩返しを願ったのが長船だったから、二人の子どもたるふねたちは元気な赤子として生まれよく肥えた。そののち、ふねぶねは海軍の子あるいは船会社の子として素直に海を生きて、やはり海外進出のためのよい先鋒となった。両親の愛を享けて生まれ、育て親の情を一身に受けた子、親たちにいっとう似た、聞きわけのよい可愛らしい子どもたちだった。

艦船/〃擬人化企業・組織/〃擬人化土地/〃擬人化

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2024年9月25日 この範囲を時系列順で読む

貨客船は多くの著名人を運んだし、かれらは素朴に日本船を愛していた、という基点にまず立ちつづけねば……(華やかな客船文化を憶えていて)

昨日の日記に、(ふねをふくむ)歴史で創作をする時に全ての主語を国家に集約させるのはやめろ、全てに「加害性」や負の意味ばかりを与えるな、現代から過去を批評する時に私自身への自虐・自罰意識を勝手に投影するな、裁きたがるのをやめろと書かれていて、ハイ……となった 寝ぼけながら書いていた

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