2023年9月 この範囲を時系列順で読む
三井三池鉱山ほどあからさまではないがじんわりと影がある富岡製糸場(一時期三井時代がある)だったら良いよね(業からは逃げられないのだ…)。
不思議なところに建っていると思ったけれど、それに対する言及もあったのが印象深かった。
不思議なところに建っていると思ったけれど、それに対する言及もあったのが印象深かった。
今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』
★生糸輸出で獲得した外貨によって軍需品や重工業製品を輸入する体制が出来、「生糸が軍艦をつくる」とまで言われた、製糸業が富国強兵に大きく貢献したという指摘(近代の企業・産業の業を感じる…)
★第二次大戦が近づき日本が世界から孤立するにつれて、日本の生糸は存在価値が下がっていった。戦時下では軍需工場としての一面もあった(落下傘の紐)。
★製糸業のお雇い外国人であるフランス人は「生き血をすする」という事実無根の風評被害(赤ワインの誤認?)があり、はじめは女工集めに苦労した。
★生糸輸出で獲得した外貨によって軍需品や重工業製品を輸入する体制が出来、「生糸が軍艦をつくる」とまで言われた、製糸業が富国強兵に大きく貢献したという指摘(近代の企業・産業の業を感じる…)
★第二次大戦が近づき日本が世界から孤立するにつれて、日本の生糸は存在価値が下がっていった。戦時下では軍需工場としての一面もあった(落下傘の紐)。
★製糸業のお雇い外国人であるフランス人は「生き血をすする」という事実無根の風評被害(赤ワインの誤認?)があり、はじめは女工集めに苦労した。
Twitterはfeather(非公式のアプリ)に一時期お世話になっていたのですが、マストドンにもfeatherができたと聞いて導入してみました。サイコーの再会だった。
ここの使い方がTwitterみたいになってきてとても嬉しいです
そもそも物語に救われるのも金や読書バリアフリーが必要だって考えた事がなかった 『ハンチバック』も詰んだままだ
私のことですね(救われたのは事実なので…)
物語や本や「それらに救われたこと」をまるで何かの神話、あるいは運命論みたいに語る人たちは、なにかの優越感と選民思想とを時折滲ませるときがある気がしていて、そこは現実を弁えていきたい。(先ほどの投稿の方たちのことではないが……)
ところで「いくつもの異なった物語を経過して」いる私は「フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができ」ているのだろうか?とは思う
オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューしたとき、僕は彼ら全員にひとつ共通の質問をした。「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」。答えはだいたい決まっていた。ノーだ。
彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存じのように、いくつもの異なった物語を経過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語だ」と判断することができる。
/村上春樹「東京の地下のブラック・マジック」『村上春樹雑文集』
彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存じのように、いくつもの異なった物語を経過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語だ」と判断することができる。
/村上春樹「東京の地下のブラック・マジック」『村上春樹雑文集』
村上春樹(ここではだいたい呼び捨て)といえば村上春樹アンチが有名
という印象しかない作家だったけど なぜか最近気になる エッセイや翻訳だけでなく彼自身の小説も読んでみよう 『ノルウェイの森』は読みました
という印象しかない作家だったけど なぜか最近気になる エッセイや翻訳だけでなく彼自身の小説も読んでみよう 『ノルウェイの森』は読みました
絵を描きたくなる欲求は絵を見たときに生まれるのだな…と改めて気づいた
神保町ブックフェスティバルの日程が決まりましたね!わくわく
いいねありがとうございます~
★アナイス・ニン『インセスト』関連で手に取った記憶ある。「タブー」なわりに文学には頻出する印象あった。
★フランス文学研究者の研究書。研究書というより、知っているインセスト文学や物語全般、フィクションとノンフィクションのタイトルを羅列してちょいちょい考察を差し込んでいくスタイルだった。
★印象に残ったのはトピックのタイトル「インセストは死の匂い」。
★森崎和江が長崎の列島の先のほうにあるとある島を訪れ、その島の人びとは島原の人から差別を受けていたので遠方での結婚が出来なかった、その現状を彼女が形容して曰く「”おくに”はここで極まっていた」だったことを思い出した。あるいはトム・リドルの母方の血とか。「(略)同じ血を分けた民族や国民に対する狂信的な熱愛のうちに、ヒトラーのインセスト的性格を認める」(p186)。また『私の男』のなかの台詞「身内しか愛せない人間は、結局、自分しか愛せないのと同じだ。 利己的で、反社会的なそれらは、豚みたいに生きていくしかないんだ。 食う物だって…豚の餌だ」。
→ある種のフランス文学的ともいえる個人-個人間での「幻想」だけではなく、上記方面でも掘ってみたら興味深かかったかもしれない。
★近親結婚の多かったエジプト王室に言及し、エジプト美術にある「一種空虚な永遠的な静寂感」(片岡啓治の言葉の引用)との因果関係を示していたが、「空虚」「永遠的」「静寂感」あるいは停滞、不変……的なもの、にっちもさっちも行かない「全く動かない」感じ
→それこそがいわゆる『あなたたちの天国』や『影の獄にて』で言及のある「地獄」概念では、というとりとめのない思念に捉われ、それらは散っていった
★「死とは、今の自我を更新できなくなることである。天国も地獄も、来世にあるのではない。地獄とは押しとどめられた時間。風と星の運動に加わるのを拒絶することである」『影の獄にて』
★「今日の現実は明日また選択し改善していくことのできるという可能性があってこそのもの、たとえ今日の現実がどんなに満足で幸福なものであっても、そこに明日のふたたびの選択が前提とされていないならば、その現実は誰にとっても天国ではありえないのです。選択と変化が前提とされていない生涯不変の天国など、むしろ耐えがたい地獄にすぎません」『あなたたちの天国』