2024年10月 この範囲を時系列順で読む
『亡命文学論』を読み始めたけど、特設艦船に対するある種の「憧憬」に釘を刺される感じがあって良い
情報によるとマーダーボットの世界には木星があるらしく、つまり太陽系が存在しており、この現実世界と地続きで架空の世界線じゃないということだし、ペリヘリオンは確実に近日点の名を冠しており「異世界サンドイッチ」ではなくて、ARTとあの世界の人々にとって太陽はどのような価値があるのか気になる
あの世界に太陽が存在しなかったら、いわゆるペリヘリオンは異世界サンドイッチ問題のサンドイッチになってしまうな…とは悩んでいた 勝手に…
木星、は本邦未翻訳の短編に出てくる……らしい、Wikipediaに書いてあるらしいけどしっかり調べられていない
#『マーダーボット・ダイアリー』
あの世界に太陽が存在しなかったら、いわゆるペリヘリオンは異世界サンドイッチ問題のサンドイッチになってしまうな…とは悩んでいた 勝手に…
木星、は本邦未翻訳の短編に出てくる……らしい、Wikipediaに書いてあるらしいけどしっかり調べられていない
#『マーダーボット・ダイアリー』
そういう言葉の意味で、現代の言葉で軽い口調でおんなコトバで海軍と歴史が語られていたらオモロイだろうなーと思って例の小説は書いた>「時代の横顔」
この種の「思念」、当たり前だけど挙げた本を全て読んでないと意味不明なので、思念を感じたらそれを自分の作品として落とし込んで周りに示していかないと意味不明のまま御託を並べている人間になってしまう 思念、毅然と示していく
『「民主」と「愛国」』も読まねば その種の言葉遣いの捻りの話でもあったので
『HHhH』に、歴史小説を書いていると、歴史上の人物はこんな口調でいろんな物事を考えているのか疑問に思う、とフローベルが書簡で書いている、的な記述があるけど、改めて啓発的ではある
もしかしたら『終戦のローレライ』に感じる、日本海軍に詳しいだろうし当時の情勢にも詳しいのだろうがどこか「現代」が抜けない、というのは言葉があまりに格調高いからなのかも、現代の美的に鑑みて
もう少し文章に「土着」さがあったら良かったのかも、モダンなので……(あくまで私にとっては、の話です)
もう少し文章に「土着」さがあったら良かったのかも、モダンなので……(あくまで私にとっては、の話です)
『椿の海の記』を読んでるけど、石牟礼道子のえがく風景のようなものを表現するにはやはり石牟礼道子のような言葉を叩きつけて手繰り寄せるような言葉遣いしかないのではないか、いわゆる詩情の言葉といわれるような……と思わされる
淫売のなんのにゃ売られけん幸せぞ(娼家に売られないからお前は幸福だ)とか、精神を病んだ祖母との交わりとか、規定通りのですます調の標準語では……と思うけど、でもそれは「地方語」に対して地方性を与えてることになるか
ある世界というか風景を切り取る時に、使う言葉、言葉の使い方にも気を配る必要があるのかな……と今更
電灯がなくて電車が通ってなくて貧しかったら売られて……の時代を現代の言葉で、ですます調でカッチリ表現しても、そこに表現しきれない余白があるのかな、とか考えていた
淫売のなんのにゃ売られけん幸せぞ(娼家に売られないからお前は幸福だ)とか、精神を病んだ祖母との交わりとか、規定通りのですます調の標準語では……と思うけど、でもそれは「地方語」に対して地方性を与えてることになるか
ある世界というか風景を切り取る時に、使う言葉、言葉の使い方にも気を配る必要があるのかな……と今更
電灯がなくて電車が通ってなくて貧しかったら売られて……の時代を現代の言葉で、ですます調でカッチリ表現しても、そこに表現しきれない余白があるのかな、とか考えていた
過去に日報を書こうとしていて、1日だけ書いてあとは日報があったこと自体を忘れているの、少し笑ってしまった。
「×月のまとめ」記事は書いていきたい、と画策しています。9月も書けなかったけど……。今から書こうかな……。
「×月のまとめ」記事は書いていきたい、と画策しています。9月も書けなかったけど……。今から書こうかな……。
小説もそろそろ横見程度にして加筆しつつ、「渺渺録」構想と同時に『日本郵船戦時船史』を読み進めたい。
Ⅰ
1ディアスポラの海
2人間たちの喧騒
Ⅱ
1航海日誌から戦闘詳報へ
2特設艦艇の「故郷喪失」
3〈艦船一体〉の思想
特設艦艇の「故郷喪失」
一九六七年に日本船霊戦没記念会が発行した『戦時船舶文学大系』は、太平洋戦争時の船舶らが書いた文学を論じた文学研究書です。この序文には、以下のような記述があります。
「本書では、日本海軍に徴用されのちに艦艇に改造された船舶、いわゆる特設艦艇の文学を扱うことは、日本海軍の一員として全く違う道を歩んだ艦艇の文学を扱うことになるとの意見が出た」(本書、十頁)。
「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学かという線引きをはっきりさせるためにも、特設艦艇らの文学――彼らの書いた手記や往復書簡、小説や自伝――は除くことにした」(本書、十二頁、傍点は筆者による)。
あえてこのような書き方がなされているということは、日本船霊戦没記念会の会員の間では、『戦時船舶文学大系』で特設艦艇の文学を扱うことも検討されたのでしょう。結局、彼らにとって「特設艦艇文学は艦艇文学であった」ため、特設艦艇文学は『戦時船舶文学大系』から除かれることになったわけですが、はたしてそれが最良の選択だったと言いきれるでしょうか。
船舶に属しながらも総動員の名分のもと艦艇として生きざるを得なかった特設艦艇らの文学は、戦時下に目指されていた「艦船一体」の思想を紐解くにあたって、非常に有益な研究対象となるはずです。「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学か」――この艦船の切り分けに近い思想は、海運が戦時中に被った膨大な被害ゆえに軍を忌避するものであり、同様の不信感が、海運業界の人間らで構成されていた日本船霊戦没記念会にも存在したのかもしれません。
船舶として受け入れられない特設艦艇の艦霊は、時として艦艇の艦霊として受け入れられないこともありました。興味深いことに、商船から軍艦へと改造された特設艦艇らは、しばしば日本海軍内の艦艇たちに「成り上がり」として認識されていたのです(同時に船舶たちにしてみれば、特設艦艇らは再び船に戻ることのできない「成り下がり」でした)。生まれた時から菊の御紋を頂く軍艦たちにとって、特設艦艇らは急ごしらえの兵役のための船でしかなかったのです。
航空母艦「冲鷹」乗組員手記会が戦後に編纂した『海浪録』は、貨客船「新田丸」が航空母艦「冲鷹」として戦没するまでを記録した乗員や関係者の証言集です。この証言集からは、貨客船が軍に徴用され輸送艦となり、またのちに軍艦になることの船霊の心情が読み取れます。また、この証言集を補完するのは冲鷹(新田丸)自身の書いていた手記であり、一隻の船、一人の船霊の船生を追うには貴重な資料です。
「貨客船でも輸送艦でも、物や人を運ぶのは変わらないわ。私は海軍でもうまくやっていける、海はいつも優しかった」(二十九頁)と新田丸は日記に書いています。徴用前夜の一九四一年九月初頭のことです。
「快活でいて上品、まさに日本郵船の船、日本郵船のイニシャルを冠するにふさわしい令嬢でした。彼女自身も『新田丸という名前の由来を御存知?』とよく周りに触れて回っていたようです。きっと誇らしかったのでしょう。『輸送艦になると船名は変わってしまうのか』、と彼女に尋ねられたことを覚えています」(一七六頁)という関係者の証言は、新田丸が自身のアイデンティティを貨客船に置いていたこと、またあくまで自身の未来が輸送艦どまりであると信じていたことを示しています。
しかし御存知の通り、輸送艦「新田丸」は航空母艦「冲鷹」となります。航空母艦時代の冲鷹を示す一番端的な証言は、「冲鷹」乗組員が証言する「大鷹」の言葉でしょう。
姉妹艦が心配か、と私は大鷹に尋ねました。冲鷹のそばで大鷹の姿を見ることがしばしばあったからです。大鷹は「はい」と答えました。妹を心配する優しい兄なのだろうと思いました。しかし、ある日ふと私にこう漏らしたことがあります。「貨客船が海軍で貧弱な輸送艦として使役されていくうちに、艦であること、強くあること、強い権威と地位があることを願い、軍艦に改造され、段々と中身も艦になり、艦となって艦船を使役するようになる元船」。「『弱者の身振り』。冲鷹を見ていると、そんな考えが浮かんでならなかった」と。(二六四-二六五頁)
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ここで私は、太平洋戦争時に徴用された船舶たち、あるいは海軍の艦艇となった特設艦艇たちの書いた私小説や手記などの文学を「後日譚文学」と定義しようと思います。本来船舶が持っていたはずの海運や船としての名前、運ぶはずだった一等乗客の存在は、いわば海の上で生きる彼らにとっては自分の船生そのものであり、その穏やかな海の上は船たちの「国」そのものでした。ところが御承知の通り、あの戦争で船舶らが得たものは、勇ましい鷹としての名前、石油や物資、航空機の輸送、あるいは火の中の海でのごく僅かな戦果と広大な一枚下の地獄だったのです。船舶らの「国」は亡国となり、あの平穏だったはずの海は、大破した艦から漏れ出す石油の燃える苛烈な海となりました。彼らはその新しい「国」に適応せざるを得ない状況へと追いやられ、人間でいうところのディアスポラ――移民や植民したもの――という立場に置かれたのです。
そして私が彼らの残した手記や文学を通して知ったのは、彼らが戦場の海になる前の平和な世界の海を欲していたということです。興味深いことに、これは開戦後に生まれたはずの戦時標準船らの文学にも見受けられました。彼らは戦下の海しか知らないにもかかわらず、素敵だったはずの昨日の海を欲していたのです。「素敵だったはずの昨日の海」、あるいは「昔の海」「少し前の頃の海では」「海が凪いでいた時のこと」、これらはどの戦時下の船舶文学でも共通して見受けられる記述です。今は亡き「国」を郷愁する船舶らの文学、それが「後日譚文学」です。
#「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦...