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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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カテゴリ「感想」に属する投稿181件]

2025年10月26日 この範囲を時系列順で読む

『戦艦武蔵ノート』に"文学は人間を描くもの、でも武蔵は物だから主人公に据えるのには悩んでしまう""特定の人物を視点に据えることができない、計画から建艦、沈没まで様々な人間が武蔵に触れているが、一貫して触れ続けた人間はいない""だから武蔵を主人公にするしかない"(大意)と吉村が書いていて

これは擬人化で解決するのが良い(擬人化雑解決)

とはいえ、この「視点の問題」は歴史ものにはつきものである

感想艦船/〃擬人化

2025年10月23日 この範囲を時系列順で読む

只今『ハレム 女官と宦官たちの世界』を読んでいるけどあの地域の人びとの交わりぐあい、ほんとう極東の島国の人間にはわからない……

といいつつインドネシア文学『人間の大地』にはからゆきさん(日本人娼婦)が普通に出てくるし、戦後しばらく移民船はあったんだし、森崎和江はウィーンから妻の母はからゆきさんだったという日本語流暢な手紙を貰ったと書いているし、人びとの流動自体は日本にもある

植民はあえて外したけど、けれど、外地や「満州国」を失くしても100人が100人帰って来たわけでもない…のよね

感想

2025年10月19日 この範囲を時系列順で読む

『蛍火艶夜』下巻

#読了

感想

2025年10月15日 この範囲を時系列順で読む

じわじわ侵犯される感じ 耳元でささやかれるような感じ そわそわ ひそひそ…
みたいなものがあり愉快じゃないんだけど、これこそが宮地先生の主題である侵犯や身体性というものなんじゃなかろうか…!?これが語りか…

感想

語っている題材自体は面白いんだけどな…とはいえこれこそが題材を語る上での本来の「語り様」なのかも、とも感じる

感想

宮地尚子先生の「語り方」「語り様」があまり得意ではない

感想

2025年10月12日 この範囲を時系列順で読む

『現代詩手帖』の「パレスチナ詩アンソロジー」回、それはそれでいいものだけど、第62回現代詩手帖賞発表の中嶋中春氏の受賞コメントが面白すぎるので読んで欲しい

感想

2025年10月11日 この範囲を時系列順で読む

『振りまはした花のやうに』収録「顔をあげる」 問答無用に良い 平井弘先生はすごい

感想

『新版 きけわだつみのこえ』(から一部抜粋した手紙)が詞書になっている連歌が『振りまはした花のやうに』にある!!

感想

平井弘先生の短歌を読んでいるけど歴史的かなづかい×口語、あまり得意ではないかも むずむずする どちらか片方だけなら大丈夫だろうけど

とはいえものへの視点というか視線、とても良い

感想

2025年10月9日 この範囲を時系列順で読む

『進撃の巨人』地下室に行きたいエルヴィンが地下室に行きたい…と言った時に見せた横顔、おもちゃが欲しいと言ってる幼児みたいで、かなり好きだな

感想

2025年10月7日 この範囲を時系列順で読む

一切を省くが、李良枝「あにごぜ」の妹の「敵って何なの?」の一言良すぎる インターネットを見てるとよく思う 自省しても自身にこう思う時がある

感想

2025年10月5日 この範囲を時系列順で読む

#読了

漫画
『さすらいエマノン』
『續さすらいエマノン』
『續々さすらいエマノン』

感想読了・観了

2025年10月4日 この範囲を時系列順で読む

#読了 『カラオケ行こ!』

良すぎる

感想読了・観了

『沖縄県史』「沖縄戦記録」1と2(9巻と10巻)では

◎方法的には連続性がない
◎1は話者の口調を最大限に生かそうとした
 対して、2は録音された口述を、執筆者が特徴的と思える項目に分類して原稿化した
(『沖縄の戦後思想を考える』)

感想歴史・時代/〃もの

#読了 『沖縄の戦後思想を考える』

凄まじい。読めてよかった。

『沖縄県史』の9・10巻の「沖縄戦記録」1と2の作成方法の違いが書かれていて興味深い。

感想読了・観了

2025年10月2日 この範囲を時系列順で読む

『ゴールデンカムイ』で東京が霞むほど遠く、北海道の軍人の呼ぶ「中央」がほとんど他人事か幻想にでも聞こえるように、そもそもその地の人々はその地をこそ中央と呼び、認め、地理を把握していたのではないか、と感じていたのだが(教科書で使われる地図は「お上品」な認識すぎる)、「琉球弧」(ここではヤポネシア論におけるもの)という考えがあるのか…

那覇を中心に考えると、東京とマニラはほぼ同じ距離らしいです

(『沖縄の戦後思想を考える』)

感想思念・雑感

2025年9月30日 この範囲を時系列順で読む

「筆者のルサンチマンでこういう話になった」と「筆者が血液型A型だからこういう話になった」知りもしない他人が言うこととして両者はあまり変わらない気がする
#『ハリー・ポッター』

感想

『ハリー・ポッター』にある一種のルサンチマンが好きだけど、何かの作品に「筆者の個人的ルサンチマンを感じる」とか言うのは好きではない
が、明らかに筆者はこの××というテーマに対してなにかあったの?みたいなものはある
#『ハリー・ポッター』

感想

2025年9月22日 この範囲を時系列順で読む

#読んでる 『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』

感想

2025年9月20日 この範囲を時系列順で読む

「集団自決」と呼ばれる日本軍強制による沖縄住民の死に、皇民化の極限的暴力の発現を見出し、その出来事の基底に、「敵の捕虜になって辱めをうけるくらいなら家族の手にかかって殺されたほうが良い」という純潔(純血)主義的なジェンダー的強迫が働いていたことを明らかにするこの書が告するのは、現在の私たちの身体をも貫くレイプ暴力と皇民化とが組織化するジェンダー政治力学そのものであると言えるだろう。この問いかけにおいて、宮城の書は、沖縄という特殊性に閉じられることのない遍在性において、現在の私たちがまた「集団自決」を反復しそして性的支配の暴力に絡め取られていくかもしれぬ危機をこそ逆照射しているのである。求められているのは、「集団自決」という出来事のなかに今に繋がる国民国家主義の暴力の作動を感知していくことであり、同時に、そうした暴力に、性的支配という欲望が分離されることなく寄り添っていることを認識していくことであるに違いない。

/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』

たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。

/『(同)』

感想引用

これを「暴力」と呼ぶべきなのか、だとしたらそれは誰から誰への暴力行為だったのか、というのが沖縄の「集団自決」の焦点でもあり、『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』だったのかもしれないな…

感想

沖縄の「集団自決」について いわゆる「暴力的な描写」と呼ぶべきもの なので隠します

●F-家族壕。姻戚三家族一九人と死に場所を探しに来た母子二人。
「他人」である母子二人を除き農薬の猫いらず(殺鼠剤)を飲む。三十六歳の男性は、いやがる子どもたちに黒糖をまぜて強引に飲ませるが、のたうち回る子どもを見るにみかねて、壕の前の小屋に火をつけて中に放り入れ、また幼い子は腕をつかまえて防空壕の土壁にたたきつける。男性は苦しむ両親、妻を棍棒でたたいて死なせたあと、自分も猫いらずを飲むが致死量には至らず、一人だけ生き残る。実家と行動を共にした幼子三人を連れた女性は、飲んだ猫いらずで自らも苦しみながら、生後二か月の子を乳房で窒息死させ、死にたくないと泣いて逃げ回る男児は叔父が鎌で首を切りつけて死なせる。彼女の父親は忠魂陣に向かう人たちに「みんな自分の壕に帰って、各自で玉砕しなさい。ご飯を腹いっぱい食べて、きれいな着物を着てやりなさい」と泣きながら話していたという証言がある[宮城(2008)p.120]。この家族は全員死亡。

/宮城晴美「2 座間味島の「集団自決」」『友軍とガマ 沖縄戦の記録 沖縄・問いを立てる4』98p

※[宮城(2008)p.120]=宮城晴美『新版・母の遺したもの――沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』高文研、2008年。畳む

感想引用歴史・時代/〃もの

メモ だいぶ長い大著だが『沖縄県史』早めになるべくちゃんと目を通すこと

感想

『沖縄の戦後思想を考える』に沖縄の(あるいは被圧迫民族や少数民族の)思想は身体性を帯びており、一方、「帝国」をバックグラウンドとするひとのは、(よかれあしかれ)人類とか世界とかをこともなげに単位にする構想に親和性がある、とあり…

感想

2025年9月16日 この範囲を時系列順で読む

『沖縄の戦後思想を考える』 #読んでる

感想

2025年9月15日 この範囲を時系列順で読む

『あまりに野蛮な』のヒロインの叔母のミーチャ、ミーチャというのは自身を台湾風に呼んだ綽名で、つまり植民地との共振あるいは共感を得ている女性で、地元のお守りを嬉しそうに貼っては夫に恥ずかしいだろと激怒されていたり、「原住民」の死をぼんやりと自身のことに重ねて想ったりするタイプで
現代に生きていたら「正しい視点」と言われるのはむしろミーチャの"共感"なんだけど、当時は大日本帝国なので夫の激怒が正しい態度だし、外地で孤立していき万引きをして破滅する女性で、なんというか、ミーチャって現代に生きてたら一人で意地でも大学に行ってSNSで差別に抗い"連帯"してそうな女性だ

感想

森崎和江の両親の関係性って、『あまりに野蛮な』のヒロインの伯母の夫妻の関係と通じるところがあるのではないか?

感想

2025年9月11日 この範囲を時系列順で読む

「来いよ死喰い人!魔法なんて捨ててかかってこい!」みたいな物理っぽいハリポタが読みたい

#『ハリー・ポッター』

感想

ヴォルデモート卿、せっかくアナグラムを組んで考えたのに一括して「例のあの人」と呼ばれてるの悲しくなる 私だったらちゃんとHNで呼んで欲しいな…

#『ハリー・ポッター』

感想

トム・リドルに求めているものは「少年の半ズボン」以外にないが……
#『ハリー・ポッター』

感想

トム・リドルに求めているもの、俺様(※これは後年の一人称ではなく性格属性の「俺様」です)というよりは、得体の知れなさとそこにチラつく傲慢さかもしれん

トム・リドルに求めている性格、理不尽というよりダブルバインドなんだよ……(???)

登場人物にダブルバインドを求めたのは初めての経験

#『ハリー・ポッター』

感想

『ハリー・ポッター』シリーズ、ポッター夫妻が20歳前半のまま、美しい思い出のままでいて、生き残り(名実ともに「サバイバー」である)たちがみっともなく足を引っ張り合い、また容赦なく殺し合いしている話だと認識している 勝手に…

#『ハリー・ポッター』

感想

『奥のほそ道』好きだけど、「日本人が帝国主義者なのはわかるけどオーストラリア人も帝国主義者では?」という気持ちが捨てきれない 「ゴジラ-1.0」的な陥穽というか「明るさ」というか、一種の陥没した見方がある ゴジマイ日本人史観とおなじものを『奥のほそ道』の著者から感じます

『影の獄にて』みたいな繊細で複雑な小説よりも、『奥のほそ道』のヴィヴィッドでインパクト大な小説のほうがウケるんだろうな~とも…いや悪口やん、好きですよ『奥のほそ道』…

感想

2025年9月10日 この範囲を時系列順で読む

奇しくも私は「全員地獄行き」文学として、『奥のほそ道』と『ハリー・ポッター』を推している
#『ハリー・ポッター』

感想

人間一代ですべてが変わるのに三代では何も変わらない話がだ~~~~いすき

だからハリポタが好きなのかもしれん 魔法は知らん
#『ハリー・ポッター』

感想

スネイプとダンブルドアの共犯関係、共犯関係の手本のような共犯関係
殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの巧妙な姦計とする、これが最大の共犯関係じゃなくてなんだというのだろう
殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの巧妙な姦計とする共犯関係 ありそうでなかなか見ないかも 児童書にしては性癖を拗らせすぎなんだよな
スネイプはダンブルドアが天国に行ったら同じ天国で、地獄に行ったら同じ地獄で再び相見合う宿命だし、どちらかというとどちらも同じ煉獄で、永劫に天国にも地獄にも行けなく佇んでそう
あまりに多くのものを破滅させたのはヴォルデモート卿だけではないのだ
共犯関係というと「死体を埋める」しか知らなかったけど、「目的達成のためには殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの姦計とする」という視点は欠如していた
「ハリー・ポッター」シリーズを再履修してる。
「再」なので結末は知ってるんだけど、スネイプとダンブルドアの共犯関係の形式美がすごいよな~と思う。「目的達成のためには殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの姦計とする」関係、至上の共犯関係だ……。
まあダンブルドアは死ぬのが決まっていたし、その死をなるべく苦しまないように終えたいという、ある意味利己的であり目的達成のためだけの死ではなかったのだけど。でもあの殺人はスネイプを闇の陣営に振り戻すには好都合の演出だったわけで……。いやホントすごい。児童書じゃないだろこの拗らせ方……。
いやダンブルドアとスネイプの感情デッカ……… じゃなかった両者がデカい感情を向けているのはハリーに対してであって、両者の関係は彼の身の保全という姦計をめぐらす共犯関係なので

#『ハリー・ポッター』 昔のメモ

感想

ダンブルドアの好きなところは自分の死すら駒を進める手段の一つなところかな…

でもこれって同時に特定の人間からはめっぽう嫌われる理由にもなる はず

「それこそ何人の男や女が死ぬのを見てきたのじゃ?」とかオタク文脈で言えば「死体の上のワルツ」ですよね……………?

#『ハリー・ポッター』

感想

2025年8月31日 この範囲を時系列順で読む

死の役割を仏教へ押し付けた神道の、大口を開けたような生の豊穣、生の謳歌、揺蕩うような快楽のようなもの、限れば進水式や漁船へのお祝いに、多くはそこいらの町村の祭りに見られるけど、あの無為な性的享楽と豊穣の紙一重のところに近代日本の解れ、つまり特有の暴力や死があったのかなと時々感じる

この観念を考えるといつも植民地朝鮮から日本へ帰って来た森崎和江が、彼女たちに「まるで何事もなかったように」迎えてくれた日本人のことを「まるきり、くらしの股をひろげている感じで、自分の思惟様式をおしつけてくる」と形容していることを思いだしてしまう 何故だかわからないが…

とはいえ、そういうなんでもかんでもに「負の点」を見出す姿勢も正していきたい…

結局言いたいこと?「「渺渺録」で漁船のお祝いでも描けないかな~」ということですね

『ねじ曲げられた桜』のあの不思議な読み心地は「桜の枝を身体に飾って微笑んでいる特攻隊員」を語っている所にある、日本近代の果ての死の淵の果てまで来た日本人に飾られるのはやはり平安以来の桜であり、また軍が桜で祝い装うこと位でしか死を美しく包装できなかった日本近代の限界を解題している所に

#「渺渺録」(企業擬人化)

感想歴史・時代/〃もの

2025年8月25日 この範囲を時系列順で読む

今日マチ子先生の戦争漫画(というより戦争を「何か」の観念として落とし込んで描いた漫画三部作) 実際は少女が少女の人生なりに獲得したり喪失したり納得したりする話であり それを描く際、戦争という人間に降りかかる事象を、破瓜という少女に起こった事象と同一視しているきらいがある

今日マチ子先生の「戦争漫画」と、映画「花とアリス」は少し似ていませんか?あれも危うい破瓜というか羽化の話というか……

今日マチ子先生の戦争漫画はセカイ系とは少し違うけど、世界に起こる戦争と、少女に起こる破瓜=強制的に「成長」させられるという一種の暴力とその被害意識の共振の話だ

今日マチ子先生の戦争シリーズは戦争漫画というより戦争観念漫画というか、少女の破瓜を戦争の暴力とを二枚の硝子のように重ね合わせてだぶらせた甘苦しい青春喪失漫画ですよね?「沖縄決戦」というより「花とアリス」に近いというか…

感想

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