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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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2025年6月19日 この範囲を時系列順で読む

軍艦島=端島の近くに、これも島である高島炭鉱がある。のちの長崎造船所である長崎製鉄所がそこに造られた理由の一つが上質な高島炭が入手できたから、らしい
#「渺渺録」(企業擬人化)

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軍艦島の「軍艦」は戦艦土佐を指しているとのことです。
戦艦土佐も三菱の長崎造船所生まれだけど、軍艦島=端島炭坑も三菱下にあると思うと興味深い。

#「渺渺録」(企業擬人化)

waveboxぱちぱちありがとうございます

先ほどのものは理解の荒い小説ではあるため、これから深度を深めていきたい

「作品ログ」に小説を追加してみました。いつ書いたのかわからないものは、一括して「2025年1月1日」付になっています。現在では6頁あたり となります(現在での話です)。

「作品ログ」はキャラをタグで振り分けているため、小説もまとめたほうが読みやすいかなと思い実施してみました。

人間(ひと)の愛し子 抄

※この物語はフィクションです

 この混乱期に長崎に向かうことができたのは幸運だったに違いない。
 三菱重工業はそう己に言い聞かせていた。
 祖国の敗戦を受けてたった三日後、彼は故郷であったその地に赴くことができた。本社の面倒を打ち捨て、一心不乱にただ長崎へと向かった。あとで社員や重役に露呈すれば怒られるにちがいなかった。それに失望されるだろう。この非常時に己の会社を捨ててくるうつしみがいるだろうか。
 会社である義務を捨て矜持を捨て、まるで一人の人間のように、欲求のままその地へ赴いた。わが胎動の揺り籠。官営の長崎造船局を前身に戴き、三菱の長崎造船所として彼はその地で生まれた。彼は上海が間近なその地を恰好の稼ぎ場として愛し、八幡製鉄所の温かい膝元として愛し、端島炭坑と高島炭鉱の供給場所として愛していた。それ以上に、東京とはまた一味違う風情を愛していた。グラバー邸や中華街のような異国情緒を、長崎くんちの華やかさを、坂の多い街を、人びとを愛していた。まるで人間のように。人間のようにそれらを愛していることを実感する時に、自分が人間のようだと感じることを愛していた。彼は、長崎が好きだった。
 汽車の中で彼はその「幸運」を己に言い聞かせていたが、もしまわりの人びとがそれを聞いたのなら正気を疑ったに違いない。
 誰も故郷が爆心地となっているところを見たいとは思わないだろう、しかも自分のせいでそうなったのに、と。

 長崎への原爆投下はたった数日前のことであった。
 その状況の惨状は彼の耳にも入っていた。たくさんの人間が焼けただれ果てるとはどういうことなのか?東京の空襲とはどう違うのか?一面が更地になっているとはどんな情景なのか?すべてがすべて、空絵のように想像がつかなかった。だから直接見に行くしかなかった。
 どうにか運行していた列車を乗りついだ。軍隊から解放された兵士や労働者や、朝鮮人。早くも復員につけた幸福な内地人。もう空襲が来ないことで堂々と町へ帰ることができる疎開した人びと。
 泥と埃にまみれ、皆が皆疲れ果てた顔をしていた。敗戦に打ちひしがれているというよりも、ただ単純に、疲れているだけに見えた。そこにはお国や鬼畜米英や大東亜共栄圏などの栄えある大義がなかった。やつれた小さな人間たちがいるだけだった。
 窓際の席に押し込まれるように座っていた重工は、ぼんやりと外の風景を眺めていた。なにもなかった。彼が気づかないうちに、この国はなにもなくなっていた。
「土佐は、どう思うかな」
 ぽつりとつぶやいた自分の言葉に、重工は驚いた。ふいに大声で笑いそうになり、どうにか堪えた。
 なんだ、やはり自分はあの子の処遇を気にしていたのだ、と今更に彼は気づかされたのだった。
 ワシントン海軍軍縮条約下のもと、せっかく生んだにもかかわらず軍縮のためにそのまま沈めるしかなかった日本海軍発注の戦艦・土佐。三菱重工業にとっては第三三三番船たるふねの死を、とっくに乗り越えた――あるいはそもそもあまり気にしてもいなかった――と彼は思っていた。手渡しさえすればそれは発注相手の所有する製品なのだ。自分の物ではない。好きに自沈させればよい。それなのにいま思いだすのは未完のふねの容貌と、そのうつしみたるあの子の鮮明な眼差しだった。彼の脳裏の戦艦土佐は今、その視線で親の末路を問うていた。

 あの海が見えれば、長崎も近い。彼は気持ちに急かされて、長崎造船所を訪れた。
 長崎造船所だった場所を訪れた。
 彼は「幸運」の結末をその地で見た。
 瓦礫に埃、何が焼け焦げたのかわからない痕、死臭、死体、服の切れ端、そういったものすべてが、「かつてのもの」としてそこにあった。
 浦上駅を降りた先に、浦上天主堂がある。彼は異教徒ではなかったが、その建築と意匠に密かに感銘を受けていた。人間の造る構造物が好きなのだ。それにキリスト者の人間たちが熱心に祈るその姿を、長崎特有の美徳として彼は認めていた。浦上天主堂はがらくたのように崩れ落ち、原型を留めていなかった。
 そこには三菱長崎造船所幸町工場があった。三菱長崎製鋼所第一工場、三菱長崎製鋼所第二工場、三菱長崎製鋼所第三工場があった。三菱兵器茂里町工場が、三菱工業青年学校が三菱電機鋳造工場、三菱兵器半地下工場があった。多くの人間たちが居たはずだった。多くの人間たちが兵器を造り、それが飛び立ち駆り出され、戦地へと向かい、敵国人を殺戮していたはずだった。原爆の目的が自分の兵器工場であろうことを彼は理解していた。自分だったらそうするだろうからだ。
 
 一機のB-29が飛んでいた。
 その下には膨大な瓦礫があった。
 瓦礫の上に立っていたのは、自分の「子ども」たる戦艦土佐だった。彼は親切に教えてやった。
「あれはB-29と言ってね。いろいろなものを日本へ運んできた。まあ、黒船のようなものだよ。でも砲をぶっ放している黒船だ。ボクたちはいつもアメリカの乗り物に手が届かずに、ぼんやり見つめているだけだねえ……」
 土佐はにこりと笑って言った。悪戯に成功した子どものような笑みだった。
「もう少しで届いたかもしれませんよ」
「そうかもね。お前のようなふねをいっぱい生んで対抗したから」
「頼りなくて、ごめんなさい」
「そんなことはない。お前たちは上手くやったよ。ボクがそう造ったからね。悪いのは運用者だ」
「にんげん?」
「人間と、人間と同じような存在のボクだ。土佐」
 すぐ近くに赤ん坊の死体が残されていた。この子にもこの世に生まれた理由あったに違いなかった。三菱重工業の兵器工場を狙った原爆に巻き込まれずに、生きる価値があったに違いなかった。まっすぐな親の愛情が、この生を生み育んていたに違いなかった。
 だが重工はそれを無視して言った。今はただ自分の子どもである土佐に土佐だけに顔を向けた。土佐を見つめて、土佐の顔を懐かしく思い、それが狂おしいほど愛おしく思えた。彼は土佐の顔を覚えていた。記憶と寸分も違わぬあどけない顔だった。記憶が違わなかったことが嬉しく、また誇らしかった。彼は自分の製品の容貌と顔をひとつたりとも忘れたことがなかった。それが彼の誇りだった。
 重工は背筋を伸ばし、それから頭を深く下げて土佐に言った。
「お前には、ほんとうにすまなかったね」
「そうしたくなくても、そうしなければならなかったのでしょう?」
「ただ金儲けしか考えてなかったのかもしれないよ」
 その言葉を聞いて土佐は淡く笑った。すべてを知っている、わかっているというような笑みだった。受容、寛容、侮蔑、拒否、愛情、憎悪、離別、そのようなものをすべて含んだ横顔だった。土佐は殺すために自分を生んだ親を理解していた。⁠その表情を見た瞬間、重工は灼熱の業火の中にいた。溶接の炎の中にいた。砲火の炎の中にいた。空襲の炎の中にいた。B-29が放った炎の中にいた。この炎が蜃気楼なのか夏の灼熱の幻影なのかも重工にはわからなかった。それでもその熱さを甘受するしかなかった。辛くはなかった。なぜなら空襲の戦火も、長崎の原爆も、艦砲射撃の砲火も、八幡製鉄所の鉄も、その熱さは重工とつねに共にあったからだ。この熱さをわが親とし、伴侶と決め、産屋と思い、揺り籠であると知っていた。⁠だからこの熱さでボクはまだやっていける、まだ生きていけると重工は思った。すなわち此処こそが重工にさだめられた生業であり常態の地獄であるに違いなかった。
 B-29が飛んでいく。
 蜘蛛の糸のような白い飛行機雲をえがき飛んでいく。
 自分の生んだ航空機と同じ音を立てて飛んでいく。
「綺麗ですね」
 と土佐が言う。空を仰ぎ見る彼の眦が無垢に染められ、きらきらと光っていた。
 戦艦土佐が笑う。
 重工も晴れ晴れと笑った。
「うん」
 八月十八日、三菱重工業は被爆した自分の誕生地で、戦禍と同じように自分が生んだふねであり沈ませたふねである戦艦土佐に、わが製品に、わがふねに、わが存在意義に、わが愛し子に、赦されたことを理解した。

#「渺渺録」(企業擬人化)

小説(&フィクション的文章)艦船/〃擬人化企業・組織/〃擬人化文章(全て)

2025年6月18日 この範囲を時系列順で読む

今後はおふねクラスタには当たり前の事実から解説していきたい。閲覧者全員がフネ好きではない(はずの)ため…

戦艦武蔵は戦艦大和の姉妹艦(大和型2番艦)で、三菱重工業長崎造船所で生まれました

#「渺渺録」(企業擬人化)

『長崎原爆戦災誌』、社史・組織史にある「皆に広く親しく読んでもらうことを目的にして平文で書いてある」タイプの史誌だ!!助かった…

長崎市役所 編『長崎原爆戦災誌』第1巻 (総説編),長崎国際文化会館,1977.3. 国立国会図書館デジタルコレクション h ttps://dl.ndl.go.jp/pid/12398127 (参照 2025-06-18)

『長崎原爆戦災誌』第一巻の第一部第二節は「戦艦武蔵」なんですね 是が非でも読まねば
#「渺渺録」(企業擬人化)

漫画 描かないと完成しないのおかしくない?錬金できないのか?

でも人間が区分したからこその土地でもあるんだよね 悩ましい

船で言えば企業、企業で言えば土地、土地で言えば国家…のように、包括されていくものが小大であり、結果として関係性が従主になってしまわないか繊細になる のが苦手で、「セルフクロスオーバーである」という建前に拘っている 実際は形骸化してるが…

艦船/〃擬人化企業・組織/〃擬人化土地/〃擬人化

土地 企業や船とは違ってモノではないので、行政区分で土地を語るか悩んでしまう時がある あくまで「私は」の話だけど…

企業擬と艦船擬を同じ世界線で描くことがあるんだけど、土地もいるのかなぁ…長崎さんとかみたいよ~

#読了 『長崎製鉄所: 日本近代工業の創始』デジコレ個人送信限定から入手したpdfにて

幕末あたりに長崎製鉄所ができる→明治になり官営の長崎造船所となる→三菱に払い下げられた後に三菱重工業長崎造船所へ…という感じ。大雑把に言えば……。
読み砕けなかったことも多いので、もう数度読みなおそう。
擬で言えば官営と三菱の長船は別人物かもしれない。官営は親というか先達ではあるが……。
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想

2025年6月17日 この範囲を時系列順で読む

かってはこの世界最大の土佐艦長を理想とした自分が水葬の曳航任務にあたるとは,あまりに悲痛な皮肉を感ずる。しかし土佐は橘姫の運命にも似て,世界平和の犠牲として水葬されるのだ。もし土佐に霊あらば瞑して呉れるだろう。兎に角華府条約による処分終了期は2月16日までだから、突発事故などでそれまでに廃棄されないとすれば重大な国際問題ともなり,自分が切腹したくらいでは済まないのだから責任がある

/『造艦回想』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

土佐=戦艦土佐です

そこから解説していくような姿勢を見せなければならぬ…

浅井利勇 編著『うずもれた大戦の犠牲者 : 国府台陸軍病院・精神科の貴重な病歴分析と資料』,国府台陸軍病院精神科病歴分析資料・文献論集記念刊行委員会,1993年

です

日本陸軍の兵士の精神障害を診ていたところですね

『うずもれた大戦の犠牲者』デジコレ個人送信限定で読めるようになっててバカでかい声を出しそうになった 

『三菱重工業株式会社史写真集』はだいたい1船1写真なんだけれど、浅間丸や土佐には数枚使われている。前者はともかく、早々に自沈させた後者は造船所にとって何であったのかを考えている
#「渺渺録」(企業擬人化)

擬人化でやっていいことと悪いことのスレスレを行く擬人化アカウントです

やっぱり黒船来航なんですよ、事の発端は…

‪「B-29を美しいと呼ぶ」ことの政治性というか…はあるけれど、それを伴ってなお美しいと呼んで欲しい

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三菱重工さんは何を込めてB-29を美しいというんだろう…といつも考えている
#「渺渺録」(企業擬人化)

あつ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!

いいねボタンポチポチありがとうございます。特定の方なのか、複数人の方が押してくださっているのかわかりませんが、「作品ログ」とこのてがろぐに定期的にポチ…がある。嬉しいです

2025年6月16日 この範囲を時系列順で読む

#読んでる 『長崎製鉄所 日本近代工業の創始』

今更ですが、このてがろぐを直接ブクマしていただいても構いません。
個人サイトでは時折トップページにブクマしてね、という注意書きがありますが…。
同じく作品ログもよろしくお願いします。
ホント今更ですが…(どっちみち皆さん好きにされているでしょうし…)

 ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。

/清田政信『情念の力学』「波打際の論理」
※沖縄について

感想引用

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防衛省御注文←すき

#御注文 韓水山『軍艦島』上下巻

2025年6月15日 この範囲を時系列順で読む

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2025年6月14日 この範囲を時系列順で読む

スーツの変遷わからん 興味も薄い なぜ…

森崎和江はからゆきさんを貧しいから売られた可哀そうな女性だけとして見ていなくて、貧しく売られて外国へ行き、そこで外貨を稼いで日本に送ったり、日本の進出の先鋒となった男たちの伴となったり、あるいは逆に他国の独立運動家の仲間になったりしていたと書き、日本国の威信=日の丸は政治家や偉い人のものだけでなく、私たちのものでもある、と言った女性へ言及している
彼女たちは日の丸だったがゆえに買売春業についていてもなお身分を保証され、あるいは日の丸だったからこそ時には外国で苛烈な虐待状態へと置かれることになった…とある
#「渺渺録」(企業擬人化)

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