喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。

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架空文学論『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』



1ディアスポラの海
2人間たちの喧騒


1航海日誌から戦闘詳報へ
2特設艦艇の「故郷喪失」
3〈艦船一体〉の思想



特設艦艇の「故郷喪失」

 一九六七年に日本船霊戦没記念会が発行した『戦時船舶文学大系』は、太平洋戦争時の船舶らが書いた文学を論じた文学研究書です。この序文には、以下のような記述があります。
「本書では、日本海軍に徴用されのちに艦艇に改造された船舶、いわゆる特設艦艇の文学を扱うことは、日本海軍の一員として全く違う道を歩んだ艦艇の文学を扱うことになるとの意見が出た」(本書、十頁)。
どこまでが船舶文学で(・・・・・・・・・・)どこからが艦艇文学か(・・・・・・・・・・)という線引きを(・・・・・・・)はっきりさせるために(・・・・・・・・・・)も、特設艦艇らの文学――彼らの書いた手記や往復書簡、小説や自伝――は除くことにした」(本書、十二頁、傍点は筆者による)。
 あえてこのような書き方がなされているということは、日本船霊戦没記念会の会員の間では、『戦時船舶文学大系』で特設艦艇の文学を扱うことも検討されたのでしょう。結局、彼らにとって「特設艦艇文学は艦艇文学であった」ため、特設艦艇文学は『戦時船舶文学大系』から除かれることになったわけですが、はたしてそれが最良の選択だったと言いきれるでしょうか。
 船舶に属しながらも総動員の名分のもと艦艇として生きざるを得なかった特設艦艇らの文学は、戦時下に目指されていた「艦船一体」の思想を紐解くにあたって、非常に有益な研究対象となるはずです。「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学か」――この艦船の切り分けに近い思想は、海運が戦時中に被った膨大な被害ゆえに軍を忌避するものであり、同様の不信感が、海運業界の人間らで構成されていた日本船霊戦没記念会にも存在したのかもしれません。
 船舶として受け入れられない特設艦艇の艦霊は、時として艦艇の艦霊として受け入れられないこともありました。興味深いことに、商船から軍艦へと改造された特設艦艇らは、しばしば日本海軍内の艦艇たちに「成り上がり」として認識されていたのです(同時に船舶たちにしてみれば、特設艦艇らは再び船に戻ることのできない「成り下がり」でした)。生まれた時から菊の御紋を頂く軍艦たちにとって、特設艦艇らは急ごしらえの兵役のための船でしかなかったのです。

 航空母艦「冲鷹」乗組員手記会が戦後に編纂した『海浪録』は、貨客船「新田丸」が航空母艦「冲鷹」として戦没するまでを記録した乗員や関係者の証言集です。この証言集からは、貨客船が軍に徴用され輸送艦となり、またのちに軍艦になることの船霊の心情が読み取れます。また、この証言集を補完するのは冲鷹(新田丸)自身の書いていた手記であり、一隻の船、一人の船霊の船生を追うには貴重な資料です。
「貨客船でも輸送艦でも、物や人を運ぶのは変わらないわ。私は海軍でもうまくやっていける、海はいつも優しかった」(二十九頁)と新田丸は日記に書いています。徴用前夜の一九四一年九月初頭のことです。
「快活でいて上品、まさに日本郵船の船、日本郵船のイニシャルを冠するにふさわしい令嬢でした。彼女自身も『新田丸という名前の由来を御存知?』とよく周りに触れて回っていたようです。きっと誇らしかったのでしょう。『輸送艦になると船名は変わってしまうのか』、と彼女に尋ねられたことを覚えています」(一七六頁)という関係者の証言は、新田丸が自身のアイデンティティを貨客船に置いていたこと、またあくまで自身の未来が輸送艦どまりであると信じていたことを示しています。
 しかし御存知の通り、輸送艦「新田丸」は航空母艦「冲鷹」となります。航空母艦時代の冲鷹を示す一番端的な証言は、「冲鷹」乗組員が証言する「大鷹」の言葉でしょう。 

 姉妹艦が心配か、と私は大鷹に尋ねました。冲鷹のそばで大鷹の姿を見ることがしばしばあったからです。大鷹は「はい」と答えました。妹を心配する優しい兄なのだろうと思いました。しかし、ある日ふと私にこう漏らしたことがあります。「貨客船が海軍で貧弱な輸送艦として使役されていくうちに、艦であること、強くあること、強い権威と地位があることを願い、軍艦に改造され、段々と中身も艦になり、艦となって艦船を使役するようになる元船」。「『弱者の身振り』。冲鷹を見ていると、そんな考えが浮かんでならなかった」と。(二六四-二六五頁)

*****

 ここで私は、太平洋戦争時に徴用された船舶たち、あるいは海軍の艦艇となった特設艦艇たちの書いた私小説や手記などの文学を「後日譚文学」と定義しようと思います。本来船舶が持っていたはずの海運や船としての名前、運ぶはずだった一等乗客の存在は、いわば海の上で生きる彼らにとっては自分の船生そのものであり、その穏やかな海の上は船たちの「国」そのものでした。ところが御承知の通り、あの戦争で船舶らが得たものは、勇ましい鷹としての名前、石油や物資、航空機の輸送、あるいは火の中の海でのごく僅かな戦果と広大な一枚下の地獄だったのです。船舶らの「国」は亡国となり、あの平穏だったはずの海は、大破した艦から漏れ出す石油の燃える苛烈な海となりました。彼らはその新しい「国」に適応せざるを得ない状況へと追いやられ、人間でいうところのディアスポラ――移民や植民したもの――という立場に置かれたのです。
 そして私が彼らの残した手記や文学を通して知ったのは、彼らが戦場の海になる前の平和な世界の海を欲していたということです。興味深いことに、これは開戦後に生まれたはずの戦時標準船らの文学にも見受けられました。彼らは戦下の海しか知らないにもかかわらず、素敵だったはずの昨日の海を欲していたのです。「素敵だったはずの昨日の海」、あるいは「昔の海」「少し前の頃の海では」「海が凪いでいた時のこと」、これらはどの戦時下の船舶文学でも共通して見受けられる記述です。今は亡き「国」を郷愁する船舶らの文学、それが「後日譚文学」です。

#「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦...

小説,艦船擬人化

2 孤独の極北
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)

「私はもう軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ軍属」
 軍艦冲鷹が、特設運送船あるぜんちな丸の隣の特設運送船某へ放ったこの言葉に、その場は北方海域より寒い空気が漂った。
 少々装いが貧相なれども濃紺色の織物で統一された会議室、その窓の外からは、眩しく白い陽が差し込んでいる。あるぜんちな丸はぼんやりと、その白々しい美しさを見つめていた。
「……冲鷹、」と冲鷹をたしなめたのは大鷹型航空母艦のネームシップ、”長兄”たる大鷹であった。
「下らない揶揄は止せ」
「揶揄ではない」
「なら尚更止めろ」
 冲鷹を呼ぶ大鷹が一瞬言葉を言い淀んだのは、長女だった元姉に本当は何と呼びかけるつもりだったからなのかな、とあるぜんちな丸はぼんやりと思った。
 苛立ちを隠そうともしない冲鷹の不興の理由は、隣の特設運送船が何気なく、しかし必死に縋るように護衛艦艇の有無を尋ねたからだ。またそれらの具体的な艦種や艦名や、任務の内容なども。あのう、あたしたちにはどのくらいの護衛がつくのでしょうか、強い艦ですか、船団の形はどんなでしょうか、遅い船はいっしょに居ますか、航路は島沿いですか、何ノットで走るんですか、あたし……。
 それが自身を救う祈りの言葉になるかのようにぶつぶつと言いつのった彼女に、大鷹は明快にまた冷淡に、
「海防艦が付くと聞く。貴船の監督官の説明を待て」
 と言い切り、一方的に話を打ち切った。
 でも、でも、それに……と、なおも彼女は話を続けようとし、救いを求めるように大鷹の隣の冲鷹を見遣った。
 そこで話は、冒頭へと戻るわけだ。
 あるぜんちな丸は一つの陳腐な演劇を見ているような白けた気持ちになっていた。下らないやり取りを続ける三者三様に気づかれないように机の下で、つまらない気持ちで爪先の汚れを擦り取って、演技の続きを待っている。
 誰もが次の台詞を忘れたような苦しい沈黙のなかで、この劇一番の花形であった軍艦冲鷹は、いらいらとした様子で押し黙っていた。白手袋をつけた両手の親指を、神経質に動かしている。彼女は異常潔癖のきらいがある。神経質に手口の洗浄を好むのだ。
 軍隊という場に潔癖を感じるのか、元々の性なのか。両方かも知れない。きっと軍属云々だって関係はないのだ。あるぜんちな丸は、冲鷹が貨客船時代の己を愛していたことを知っていた。というより、わかっていた。わかってしまうのだ。彼女のいらだちは今生の、軍艦としての生と理想との乖離から来ているのは見ているだけでわかった。この特設運送船の口調が民間船の、というより平民のそれだったことが、冲鷹の神経を逆なでしたことの一因かもしれない。
 私はもう、軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ、軍属。
 このあっさり放られた言葉に含まれる、戦時下の軍隊のふねたちの見事な政治性!元貨客船新田丸は無邪気で哀れ、愚かな軍艦役者だが、彼女のこの言葉の鮮やかさは手放しで褒めてやりたくなった。すなわち、未だ商船の名残を留めたる特設運送船に対し、すでに商船でない商船改造空母が軍艦であることで優越を誇る海軍という場の、露骨なまでの軍隊ざま、すさまじき地獄ぶりである。
 ここではそうあることでしか我々は生きれない、という今一度の確認を、あるぜんちな丸は冲鷹から賜ったのだ。そしておそらく、大鷹も。隣の特設運送船も。
「……隼鷹に引けを取ってはならない、戦闘に繰り出すだけが戦ではないんだ、我らは為すべきことを成さねばならない」
 隠し切れない屈辱と羨望とをその声に孕ませ航空母艦隼鷹の名を呼んだ冲鷹は、忸怩たる己の現状を直視できていないのだろう。あるいはあえて無視しているのか。
 護衛空母あるいは航空機の輸送という職務は、その貨客船の美しい身を捨てさせ、わざわざ航空母艦として改造させてまで必要だったのだろうか。航空母艦としてはまるで宝の持ち腐れだ。だがしかし、小型の商船改造空母として成しえる任務は、せいぜいそれくらいが限界だった。改造された結果の二流空母だ。正直、あるぜんちな丸はそう思っていたし、日本海軍の人間たちもそう思っているかもしれない。おそらく大鷹は思っているだろう。冲鷹だってほんとうはわかってるはずだ。
「だから……!」
 これも哀れなふねなのだ、とあるぜんちな丸は思った。あるぜんちな丸の妹同様、かつて受けた愛を忘れられないでいる。再びあの愛情を得られないからこそ積極的に捨て去ろうとしている。自ら進んで捨てることで主体性を確保しようとしている。足掻き、苦しみ、悶えている。今持ちえている(ので、あろう)軍艦の威容を誇ろうとする。わが妹とは違い、貨客船新田丸の姿を留めたまま沈没するという栄誉を得ることはなかった航空母艦、冲鷹。
 もし彼女に日本郵船の客船浅間丸を話をしたら、大日本帝国海軍お得意の木棒で打擲されるだろうか。それともむざむざと泣きはじめるかもしれないな。どちらにせよただの特設運送船に出すぎた真似は禁物だ。
 だから、という冲鷹の、続きの言葉は聞けずに終わった。
 彼女は数秒沈黙し、この場に耐えきれないように荒々しく椅子から立ちあがり、会議室から走り去ってしまった。
 時間切れかもな、とあるぜんちな丸はぼんやりと思った。あれはたぶん、手を洗いに行っただけだ。口かもしれないが。あるぜんちな丸は冲鷹の、あの種の奇行を数度目撃したことがある。そして興味本位で追いかけてみたことも一度だけある。何かに耐えられないように執拗に手口を洗っていた。あるぜんちな丸は、軍艦冲鷹が貨客船新田丸を愛していたことを知っていた。というより、わかってしまった。彼女のいらだちは今生の、軍艦としての生と理想との乖離から来ているのは見ているだけでわかった。だからなおさら追いかけてまで見に行ってしまう。確認してしまう。
 私のゆくすえは、あんななのか?
「……以上、明朝を待って任務に当たる。詳細は監督官の指示を仰ぐように、と艦長が仰っていた」
 気づいたら、大鷹の説明は終わったようだ。というか巻き上げて終わらせた。元姉であり今は妹の冲鷹を追いかけるために。
 情けない、士気に関わる、とあるぜんちな丸は鼻白んだ。隣の特設運送船もなおさら不安だろうに。まあ、仕方ないのだろうか。誰しも自分を一番大切に精一杯やっている。明日沈んでいるかもしれないのだ。大鷹が言うように、監督官、人間に話を聞いた方がよっぽどいい。生還の計画の具体性は増すだろう。
 だいたい、どうして私が彼女を責められよう、とあるぜんちな丸は思った。……この泣きそうな特設運送船の船名も、私は最後まで覚えられなかったのに。
 そのことにふと気づき、あるぜんちな丸は、他の特設運送船や一般徴用船に続いて呆然と椅子から立った。
 わたしたちのしろいたいよう、という意味のない言葉があるぜんちな丸の脳裏に浮かんだ。
 私たちの白い太陽。
 それははたして、いったいどこに?

小説,艦船擬人化

1 南洋の追想
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)

「ふねなんだから使ってナンボだ。貨客船も運送船も何も変わらん。そうだろう、あるぜんちな丸」
 そうです、と答えた特設運送船あるぜんちな丸の口調は柔らかかった。たおやかな乙女、それに近かった。
 それが海軍さんにとっておかしかったらしい。陸戦隊のお偉い人間の一人が小さく笑った。
「いつまでも貨客船意識を持つんじゃないぞ」
「こいつは箱入り娘でしたから、相すみません」
 貨客船時代からの乗組員が、腰を低く保ちながら言った。
 長年付き合ってきた経験から、その声に苦渋と反発が隠れていることがわかった。あるぜんちな丸はこれからの航海の行く先を思った。長く続く一引きの航跡を想った。



 祖国と南洋の間の海に、その船はあった。
 日本の国土で見あげる空よりも、ひろい青色の下に彼女はいた。一引きの航跡が、荒々しく碧い波を攪乱させる。
 特設運送船あるぜんちな丸は、船尾から呆けたようにその航跡を覗き込んでいた。
 湿度を含んだ生温い風がきもちわるい、と思った。
 ふねのえがく航跡は、艦種も船種も関係なくどれも同じ様相をしている。船尾にかき乱された海に立つ波は、どの艦船も同じだ。もっともそんな認識は、実際を詳しく知らない者が抱きがちな、自分勝手なこじつけか、ただの印象論なのかもしれない。
 特設航空母艦、そして航空母艦になっても、私はおなじ航跡をえがくのだろうか。あるぜんちな丸はなんとなく、そんな感傷にとらわれた。自分らしくないと思った。特設運送船としての任務で海を右往左往していて、すこし疲れているのかもしれなかった。
 ふう、と一つため息をつき、あるぜんちな丸は航跡に背を向け船尾にしゃがみこんだ。することがなかった。自分は船の依り代でしかなく、人間の女の身とまるでおなじで輸送任務の乗り込みの一つすら手伝うことができない。任務の目的、向かう場所、具体的な情報などは聞かされるが、それすら時折忘れられて聞かされないことがあった。
 人間たちは戦争で忙しく、船は物資を運べればそれでよく、われら依り代はそこにいればいいだけなのだ。
 あるぜんちな丸の頭上に翻るのは、大日本帝国海軍の軍用船旗だ。これもなんとなく気に食わなかった。彼女は、船客には絶対に向けなかった品のない目つきでその旗を見上げた。
 過去と未来に期待も失望もしないことが自分の美点であり優れた点だとあるぜんちな丸は知っていた。だからなおさらその感傷を人間みたいな情念だと感じた。あるいは人間みたいな、ではなく、この時代の海に浮かぶすべての貨客船たちのような恨み、というべきか。
 社旗と日章旗ではなく、日章旗と軍艦旗あるいは軍用船旗を掲げなければならなくなった世界を、その日章旗の位置の前後の逆転を示して「前と後ろが狂ったおかしな世界」と罵ったのは、彼女の妹だった。
「見よ東海󠄀の空󠄁明󠄁けて、旭日高く輝けば……」
 あるぜんちな丸は人間たちに愛されている一曲を呟く。
 人間たちはもう、あの世界を忘れてしまったのだろうか。
 うつくしく舞う五色のテープ。翻る日章旗。解纜のときの浮ついた幸福感。身の寄り辺である祖国との離別。たとえその船の行く先が、草も生えない開拓地だろうが未開の地だろうが、そのうつくしさは誰にも犯せない。それを一番近くで見てきたこと。一番近くで感じてきたこと。
 多くの貨客船たちは、そのことを忘れられずにいる。
 たとえば、大阪商船の貨客船ぶら志"る丸もその一隻だった。
 船であることというよりも貨客船であることにつよく誇りと自負があったわが妹、ぶら志"る丸は、航空母艦としての誉れを受ける前にその身を海深くへと没していた。あれは亜米利加軍の雷撃がなくとも、たとえ一隻でも自ら死を選んだに違いない、というのが彼女の姉たるあるぜんちな丸の見解である。わが身を帝国海軍の航空母艦何鷹云々に成すなんて、あの子は決して許さなかっただろう。
 実際、特設運送船ぶらじる丸になったあたりからあれは明らかに精神的不調を抱えていたし、その不調はその当時の軍隊での疲労や苦痛というよりもむしろ、それ以前に持ちえた過去が問題なのだった。
 貨客船として人間達に愛されすぎたのだ、と海鷹は思った。妹はその愛情溢れる過去を過去であると捨て去ることができなかったのだ。そうしてわが身いっぱいに重い思い出を抱えた彼女は米潜の雷撃で沈んでいった。過去と共に。船の身と共に。誇りと共に。愛しき船長と共に。
 人間全般にも特定の人間にも貨客船としての自分にも、あるいは海に浮くことにすらつよい愛着を持たなかったことが特設輸送船あるぜんちな丸を海へと沈めなかった要因なのかもしれない。
「あるぜんちな丸!ここに居たか」
 そう言いながら船尾に現れたのは特設運送船あるぜんちな丸の監督官である。
 海軍の中佐たる彼はいつも堂々としていて、これが軍隊の人間なのだな、とあるぜんちな丸はいつも思っていた。もちろん船乗りたちが堂々としていないわけではないのだが。戦争中の軍人たちはとりわけ威勢がいいものだ。
「やることがないのはわかるが無意味にうろつくな」
「申し訳ございません。船内に居ても邪魔になるだけかと思いました」
 ふう、と監督官は一つ小さなため息をついた。あるぜんちな丸を見据え、なおはっきりとした口調で言う。よくよく言い聞かせようとしたらしい。
「あるぜんちな丸。海軍はふねを悪いようには扱わない。特にお前は航空母艦になる船だ」
 目と目が合う。
 どちらも先に逸らした方が負けだと思っている、そのようにあるぜんちな丸は感じた。だからなおさら目線を逸らすわけにはいかなかった。
「今は耐え忍べ。沈まないことを考えろ。海軍はお前に価値があるうちは悪くしない」
「私の乗組員はどうなりますか」
「人間様だって一緒さ」
 肩を竦めて大日本帝国海軍中佐たる監督官は言った。
 ふねとしての価値。
 だいたい私たち元貨客船が戦闘詳報で自らの栄光を語れるかどうかが問題なのだ。航海日誌の横文字の英語の綴りなど捨て去れねばならないのだ。
 人間にほんとうにその気持ちがわかるのだろうか。
 元貨客船のなかには、艦梯を登る際に大きくだぼついた軍袴の横部をドレスを引くように掴んで笑われた者もいるというのだから、その身に宿すふねの(さが)は深いものだ。人間たちは、そのことを都合よく忘れている気がする。ふねは皆ふねでしかない、という幻想が人間たちの思惑の間いっぱいに漂っている。特設艦艇という身に貨客船たちが容易に適応できると思っている。もちろんそうある船はいる。そうじゃない船もいる。人間たちの国家や国籍や民族名を統合したり分割したりしても、容易にその心情までは追いついてこないのとおなじだ。もっとも本土に閉じこもっている偉い人間たちがそれに気づくとも思えない。あるぜんちな丸は外国が好きだった。外国や外国人、外国にいる、外国に行く日本人が好きだった。本土の人間は小さくて適わん、という言葉は船長から三等客までに、そして船底の唐行きたちにさえも聞かせられる囁きだった。
 航空母艦になるための船じゃないんだけどな、という思いと、生まれた時から航空母艦としての計画を備えた船だった、という事実が、あるぜんちな丸の身と心を縛った。この時代に生まれたという事実がいけなかったのかもしれなかった。
 あるいは、私が私自身として生まれたことが。
「航空母艦になれば、とりあえず私は船尾をうろつくことがなくなりますね」
「そうだな、どこでも引っ張りだこだ。海軍で航空母艦をやるというのはそういうことだ。忙しくなるぞ」
 船底がどれだけ奥深く薄暗くても白粉姿の貨客船はいつもうつくしかった。そのうつくしさで多くの人間を惹き寄せ、惑わせてきた。そのつけが自身にも回ってきたのかもしれなかった。連れて行くのではなく連れて行かれる側に回ったということ。ただそれだけのこと。
 航空母艦何鷹か、変な名前だったら嫌だなあ。
 あるぜんちな丸はそう思った。もっとも名前なんぞ、軍の一兵として忙しくなればすぐに忘れるものなのかもしれなかった。軍隊というのはそういう場所だというのは、特設運送船でもすでにわかりつつあったのだ。

小説

名声の葬列

 この夜、人間たちが黒の装いをして、互い互いに挨拶を交わしあうさまを彼女は見ていた。さざめくように話す情景になぜか心が休まらない。これもあの男の一つの角出であり、あの男への祝福なのだ、と彼女は思った。
 葬式の会場は豪奢な造りだった。夜の灯りが壁色に映えて妙に艶やかだった。そして豪華な食事の大盤振る舞いと来た。人間たちの密かな興奮は、なお一層彼女の心の裡を荒立たせた。
 彼女は人間の葬式と結婚式の区別がいまだにつかない(黒白と赤白の装いの何が違うというのだろう?)。悲しむべきときと喜ぶべきときの違いだろうか。けれど人間たちは葬式でも結婚式でも、いやいつだって喜んでは悲しんで、泣いては怒っているではないか。彼らは生きるのに忙しそうで、死ぬのになお急いでいる。そんな人間たちを、彼女はほとほと下らないと思っていた。人間への共感の素養に乏しい、ただの一企業の現し身であった。
 この葬式の主役が主役なだけに、式中には予期せぬ事件や暴動、妨害が起きてもおかしくはないと思えた。それでも葬式は無事に何事もなく進行している。
 人びとはささやかに慎ましげに、けれど油断なく会場を見渡し、旧知の同業者と迎えるべき商売相手を探し出しては、お悔やみの挨拶を交わす。ついでに(ひどくささやかに、また流れるように)語られるは、わが社の輝かしき躍進や扱う新商品やその商売相手を探していること――ここは数夜限りの特殊な社交界なのだ。主役がすでに亡いだけで。
 財界の政界の、日本中の多くの重役、重要人たちがこの場へと駆けつけた。貧乏人たちは場の外にいて葬列を仰ぎ見る。その死を弔うために。ついでに、この死者の周りには常にお金と施しがあったので。さてさて、この内に心の底からお悔やみを申し上げる人間はいくばくなのか……と彼女は思った。勿論人間たちを責めるつもりは毛程もない。私もそのうちの一人だ、というのが彼女の偽らざる気持ちだった。そしてこの死者も天国あるいは地獄あるいは煉獄でそんな皆を嗤っているに違いない。あれはそういう男だった。
 あの男を思い出せば思い出すほど、会場の人間たちの喧騒が不快だった。まるで濡れた服が体に張りつくようなじっとりとした嫌な感じがした。彼女はひっそりとその場を抜け、中庭へと出た。天高い夜空が、一人の彼女を孤独にさせた。
 煙草に火をつける。
 あの男は彼女がいつでも煙草を吸うことに不満そうだったが、止めさせたことはなかった。彼女が女の姿を持つという事実と、彼女が明治日本きっての大海運会社――男の持ちうるいちばんの財産――であること、その両者の板ばさみに悩まされていた。
 お前が男だったらな、というのがあの人間の口癖だったし、彼女自身もそう願わなかったといえば、嘘になる。たとえ喫煙ができても、男の聖域かつ牙城たる喫煙室に招かれると居心地が悪かったし、男たちだって居心地が悪そうだった。そのたびに我は人でも女でもなく企業である、と嘯いたものだった。彼女は共感性に乏しく、人間たちの居心地の悪さなど気には留めなかったが、それでもそれは惨めな虚栄の一つになっている。
 人間の器がこうも桎梏たり得るとは!
 ゆっくりと煙を吐き出し、荼毘の煙と焼香の煙と煙草の煙の類似を考えていた。この煙が天まで届くと思うとこれも愉快なご焼香だが、やはりあの男が安寧の場所にいるとは相思えない。あの男は多くの人間を儲からせては破綻させてきた。人間を幸福にさせたが不幸にもさせた。彼女を創りあげた。企業として。女の器として。そんな彼がどうして安寧な眠りを得られよう。
 それでも、死ねば義務からは逃げきれる。その事実に呆然とし、彼女はひとり残された怒りに駆られた。海坊主め、あんたが私を創ったんだぞ。そしてこの現状を作り上げた。あんたは死んだが、私だって数年持つかわからない。あんたの愛した会社と船と社員と金はどうなるんだ。本当に船を燃やし、私に後始末でもつけろというのか。
 全く気に食わない。
「うわ、」
 と、彼女の後ろから声がした。夜の闇から現れたのはなんと、彼女の唯一の商売敵たる共同運輸会社であった。
 いつもの安物で粗野な男物の和服ではなく、洒落た男物の喪服のスーツを着ている。洒落ているのは服だけで、鈍感そうな表情と四方八方に飛んだ髪毛はいつもと変わらない。
「なんで……貴様がここに居るんだ」
「私だって知らんさ。たぶん偵察だ偵察。渋沢さんに連れてこられた」
 と相変わらず能天気な顔をしている共同運輸に、この世は馬鹿な人間と馬鹿な会社ばかりだと彼女は思った。あの男の葬儀にぬけぬけとやって来た渋沢も共同運輸も、とんだ阿呆だ。ただの間抜けだ。
 一歩こちらに近づいた共同運輸に、一歩引きさがった彼女は舌打ち混じりに言い放った。
「気安く近寄るな庶民が」
「地下浪人上がりが調子乗るなよ馬鹿!……や、おまえ、泣いてんのか?」
 泣いているわけなかろう、と呟いた。彼女の声はわずか震えていた。
 共同運輸はにやにや下品に笑った。
「いいもん見た。死人の顔も見れてないが腹いっぱいだ。帰ろ帰ろ」
「帰れ」
「帰るさ。また来る。こんな葬式ならいつあっても良い。月に十回は欲しい」
「帰りやがれ!!」
 それは鼻声で、喉が詰った、みっともない大声だった。だから共同運輸以上に驚いたのは彼女自身の方だった。おまえ、と呟いた共同運輸は一瞬呆けた顔を晒し、ばつの悪いような表情をしたあと、彼女の顔を下から掬いあげるようにそうっと見上げた。彼女の様子をうかがっている。彼女は共同運輸より数寸は背が高いのだ。人間の現し身を比べ、わずかでも共同運輸を見下げることができるのが彼女の密かな楽しみだった。愚かなことだ、と自身でもわかっていた。
 私たちのひとのすがたになど意味はないのに。
 三菱蒸気船会社として日本国郵便汽船会社を下してからというもの、彼女は一社一強として日本海運を牽引してきた。それが独占と言われようが強欲と罵られようが変わらなかった。むしろその誹りと軽蔑の視線はひどく心地よかった。口汚く罵る相手の瞳には、同時に常に畏怖と卑屈とがあったからだ。栄光これより大なるはなかったし、それを積極的に快楽として、彼女は企業を生きてきた。
 箸が転んでも面白い、もとい箸が転んでも儲かるような面白い海を独占していた彼女の前に現れたのが、今この顔を見上げる共同運輸会社であった。打倒三菱を掲げて生まれた会社であり、初めから彼女の敵たるものとして創られた、愚かな海運企業。
 両社互いに船が並べば一歩も航路を譲らずにぶつかるに任せた。彼女の営業する横浜・神戸間の運賃は五円五十銭だったものが、一円五十銭となり一円となり七十五銭となり五十五銭となり二十五銭に景品付きとなる始末。人間たちは愚かだ、と思いながらも値段を繰り下げることに一番熱心だったのが彼女自身だったのだからこの世は阿呆だらけだ。もちろん利潤など生まれず、急激に利益は損失し、両社とも互いが互いを泥沼に引っ張る瀕死状態へとあっけなく転落していった。
「……あのな、こんなうわさ話知ってるか。お上が私たちの争いに介入するんだって」
「……知っている。絶対に嫌だ。汚らしい」
 そう吐き捨てた彼女は煙草を捨て、靴で何度も執拗にもみ消した。
「私だって嫌だわい!でも簡単に死ぬわけにはいかないだろ?人間みたいにさ。お国の海と船はどうすんのさ」
 という共同運輸の言葉に、彼女はふと胸を突かれた。冷たい刃で胸を割かれたような気持ちになった。私を国賊というのなら私の船を残らず遠州灘に集めて焼き払い財産を自由党に寄付しようぞ、というあの人間の言葉を思い出したからだ。
 あの男は結局は日本国の海運を想っていた、だからなおさら政府とその先鋒たる共同運輸を憎んでいた。あの男は海運業を独占していたが、政府がただの政略上の問題で三菱を潰しにかかったのもまた事実であった。その思いが船を焼き払うべし、という悲惨な言葉に繋がり、死の床ですら競争を挑みて敵におくるるなかれと遺言を残して逝ったのだ。人間は阿呆、世は馬鹿ばかり、私も社員も阿呆で政府の人間も阿呆だ。こいつも阿呆のはずなのに、お国の海と船はどうすんのさ、というひどく柔い土着じみた女言葉は、政治や企業人のそれとはほど遠く響き、だからなおさら彼女の心を打った。
 言葉を無くした彼女に、共同運輸は言った。
「郵便汽船三菱会社、あんたはどう思うのさ」
 私は、と彼女は言いかけて、黙った。
 やめたかった。こんなふざけた現状をどうにかしたかった。頑張って得た船も焼きたくなかったし、財産だって保有していたかった。なによりあの男の残したものをむざむざと捨てたくなかった。たとえそこが地獄だろうがそこで嗤っていてほしかった。まるでいじらしい、乙女がよき男に向けるような感情、まったく人間じみていることに気づき、ただただ自己嫌悪に陥り恥じ入った。私は、あの男が憎くなかったのだ。きっと憎くなかったのだ。すべてがまったくの茶番だった。この茶番の主役を岩崎弥太郎という。

(郵便汽船三菱会社と共同運輸会社。日本郵船さんの母と母)

小説,企業・組織擬人化

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 宇宙で爆発しその身が鉄の破片へと解けていく豪華客船の最期があまりに美しくて美しくて、本船はそれにしばし見とれた。だけどその船にいたであろうあまたの乗組員と船客たちのことを思って苦しくなった。美しくなんてない。これは現実にあった事故なのだ。
 企業標準歴にして数十年前に撮られた映像は古くてすこし荒い。コピーと貼り付け、保存と再保存をくり返していた映像の質は劣化している。それでも、あるいはだからこそ映像に映し出された死が美しく見えてしまったのだ。フィードに投稿するための画像にお洒落に施す、セピアとノイズ加工のようだ。そこにあるのは人間的メロドラマと歴史へのノスタルジアだった。
 今見ているこの映画は実際の船の事故映像とフィクション映像を交えて作られた人間と人間のラブストーリーで、二人の少しの愛と、宇宙へ散失する膨大な死があった。この映画を作った人間は、ラブストーリーではなく人間たちの群像が、人間たちの群像ではなく人間たちの死が撮りたかったんじゃないかしら、と本船は考えた。警備ユニットと一緒に観る物語や文学が、人間は生きることと同じくらい死を描くことが好きなのだと教えてくれていた。
 だが人間と同じくこれを美しいと思ってはだめだ。いつか港でひっそりと職務を解かれること。船の墓場へと引き連れられ解体されること。そうあることこそを目的に航海すること。船、なのだ。本船は。

#『マーダーボット・ダイアリー』

小説,二次創作

2 十時便の朝の風の気持ちよさも捨てがたい

#「人間たちのはなし」(艦船擬人化)

 十時便と十一時便、いつも迷ってしまいますね~。県外から越境して横須賀に来ると、大体着くのが九時過ぎになってしまいます。横須賀駅から券売所まで駆け足で行っても、横目で見る汐入桟橋にはすでに十時便の乗客がずらっと並んでいるんです。なのでまあ私が並ぶ頃には列も後方ですよね。これは痛いです。艦を撮るにもいい席が取れないので……。右前方の席に突進する権利を失ったも同然です。
 私がコースカベイサイドストアーズの二階入口付近で「う~ん……十時便と取ろうか、十一時便を取ろうか……」などとぼやいていたところ、赤いリボンをつけた可愛い女の子が通りがかって、「軍港めぐりに乗るんですか?」と尋ねてきました。クラスでいちばん可愛い女の子にオタバレしたような後ろめたさを感じたものの、「そうなんですよ~。どの時間帯がいちばんいいのか悩んでしまって……」とつい答えちゃって。で、その女の子は「十時便はもう結構な人が並んでますものね」なんて答えてくれて……。おおっわかってるな!と嬉しくなりました。「十時便を流して十一時便に並ぶのがいちばん良い写真が撮れるのかな」「でも十一時便だと逆光の強さが変わってくる」などと一方的にまくし立ててしまいました。でも私がふと「だけど十時便の朝の風の気持ちよさも捨てがたいんですよね……」と呟いたところ、その女の子はとても嬉しそうにうなずいていまして……。「写真を撮るのも楽しいですけど、船に乗ることも気持ちいいですよね」と彼女は笑っていて、そうだよなぁ、わたしはいつの間にか写真を撮ることばかりに気を取られていた気がする……ととたんに申し訳なさがつもってしまい……。誰に対して申し訳ないんだかわからなかったですけど(笑う)。
 そんなわけで十時便を選び、後方中央の席に座りながら艦艇たちを眺めておりました。こうして見ていると船上の人間たちも面白く眺められるというか、大砲のようなカメラを構えている人、デジカメで慎ましく写真を撮る人、アナウンスに頷く観光客も十分に軍港めぐりの情景でした。レンズ越しに海と艦を見ていると見落としがちなんですけど……。風と船に揺られる感覚がとても気持ちよかったです。
 いつも通り抽選は当たりませんでしたが、なにか良いものに当たった気がしました。思えばあの赤いリボンの女の子が、この船、シーフレンド7ちゃんだったんですかね?

(スターバックスコーヒー コースカベイサイドストアーズ店にて 原晴美)

小説,艦船擬人化

1「ロービジ・ハラスメント」

#「人間たちのはなし」(艦船擬人化)

 私の艦はアットホームな雰囲気のあるとても良い潜水艦ですよ!潜水艦部隊はどの艦も結束力が強いと言われていますが、私の乗っている潜水艦は殊更仲が良く、雰囲気も良い気がします。明るく冗談が飛び交うし。陸に上がったときもよく一緒に呑みに行ったりもします。艦内に「イケメン部」なんてものもありますね。私は所謂「イケメン」ではないので、どんな部なのか詳細は知りませんが……。
 B1バースから吉倉桟橋方面を見ていると、最近は艦番号がロービジになった艦が増えてきましたねえ。我が潜水艦部隊には全く関係のない話なんですけれど(笑う)。とはいえ長らく白色だった艦番号が変わっていくのは潜水艦たちも感慨深いと思っているのか、時たま彼らがロービジを話題にしているのを聞きます。この前は私の乗っている潜水艦こくりゅうが、水上艦艇たちの間で「ローハラ」なる言葉が流行っていることを教えてくれました。「ロービジ・ハラスメント」です。どうやらロービジ艦がロービジになっていない艦に対して、ロービジになっていないことを揶揄することを指す言葉らしく……。まあローハラが艦艇社会で社会問題になっているというよりも、それはローハラよぉ~!なんて冗談を言いながらお互いふざけている感じらしいです。「行き遅れ」とも揶揄されているらしいですが、どこに行ったつもりなんでしょう……。尋ねたところ「ドックに行き遅れ」という非常にストレートな答えでした。「へぇ、人間にはない感覚だ、艦艇たちの考えることはおもしろいなぁ」と彼に言ったところ、「いやそんなことで騒ぐのは水上艦艇部隊だけですから」とバッサリ切り捨てられてしまいました。
 あとはアメリカの艦艇たちが自衛艦に対して「どの艦番号がホワイトのままなのか」を賭けているらしく、こくりゅうもそれに乗じて賭けてしまったそうです。こくりゅうは自衛艦なのでアメリカ勢より情報の面で有利なはずですが……。そこは報酬の軽重で補っているとのことでした。
 アメリカ艦艇たちにはドルで賭けるのか円で賭けるのか問うたところ、CoCo壱番屋でカレーをおごってもらうのが賭けに勝った時の報酬らしいです。艦艇情勢は複雑怪奇なりですねえ……。

(第二潜水隊群基地にて 平沼一季 一等海曹)

小説,艦船擬人化

一人の舞踏会

 血と、泥と、波間に被る生臭い潮水と、腐肉の饐えたにおい。美しいワルツを踊った脚で千切れかけた人の手足を跨ぎ、血の海に滑りながらナチュラルターン、一瞬止まってアン、ドゥ、トロワ。リバースターン、小休止、小休止。半歩進んで足が留まる、小休止。小休止。小休止。休みたい。休んでいたい。一生休んでいたい、ほんとうは一生休んでいたいもうこんなところにいたくない、なにも感じずにいたいなにも感じていたくないすべて終わらせたい。でもなにも感じなくなるそれまで走らねばならない、すべて終わるまで進まなければならない僕はこの舞台を降りることはできない、僕はこの病院船を降りることなどできないここで止まったらしゃがみ込んだら諦めたら一生立てなくなる進めなくなる、また再びなるであろうなるに決まっているであろう麗しい貨客船に僕は戻れなくなる。そう己を奮い立たせて一歩おおきく脚を滑らせ、白い太陽の陽が射しこむプロムナード・デッキを狂ったように駆け回る。

(1944年3月 特設病院船 氷川丸)

小説,艦船擬人化

後ろ姿

「俺は生きることに愚直でありたかった」という言葉は、私の姉の言葉だった。
 愚直であるということは即ち貴女の今の姿なの、という言葉を飲み込んだ私の顔はさぞ不美人だったに違いない。兄よりも凛々しい顔をした姉は、淡く笑って言った。「変な顔をしてる。護国丸は美人なんだからお止めよ」。
「やめてよ、美人だなんて言って。気持ち悪い」と、私は今度こそ姉に言った。気持ちが悪い。そうだ、この言葉、これこそが私の今の偽らざる感情だった。
 本当に美人だと思っているんだが、と姉は嘯いて困っていたが、そんなことはどうでも良い。私は姉を――否、今は兄だった、その兄のことを「兄」とは認めたことはなかった。
 私の姉は、報国丸型貨客船「愛国丸」は、特設巡洋艦になると共にそのうつし身を男の姿へと変えていた。前の戦争で特設艦になった先達の中にも同様に姿を変えた船たちはいたらしい。理由は分からず、特設艦への改装の具合や船のうつし身の気質などが影響するらしいと聞く。だから、その現象自体には驚きはなかった。
 それでもそこにあった蟠りに名前を付けるとしたら、それは怒りかもしれない。姉は華やかな客船としての施設も、そのうつし身としての優れた容姿も、私にはない艶やかさも、奪われなかった名も、矜持も、美も、女として生きるに値する何かを、持っているはずだ。持っているはずだったのだ。
 けれど私がその美貌を噂に聞き、密かに憧れていた姉に出会ったときには、彼女は既に無残にして完璧なる特設巡洋艦だった。竣工する前から彼女に貨客船としての生涯はないも同然だったのは私も承知している。彼女もまた奪われた者だった、そう単純に割り切れれば良かったのだが、自分で自分を慰めてもこの怒りと失望は収まらなかった。姉の姉としての姿は、私の素晴らしいはずのもしもの未来の一つだったのだ。貨客船、としての。もしも。
「ねえ、なぜ、姉さんは、その姿じゃないとだめだったの」
「……今はお兄ちゃんって呼んでね」

小説,艦船擬人化

序文にかえて――編者より:ぼくの小さな神さま

 まずこの拙編年代記を完成させるために、非常に長い年月がかかってしまったことをお詫び申し上げておきたい。この年代記は書き直しを繰り返した第三版にあたる。この手記の構成はなるべく原本手記そのままに忠実であろうとしたものの、第一版はあまりに文章が乱雑としすぎ構成に無理が出た。その反省を踏まえた第二版も合格とは言い難かった。そうして試行錯誤を繰り返しながら原本手記を解読すること、それを編集しタイピングすることに多くの時間を割いてしまった。
 思えばこの原本手記を書いた人物も、その手記の編集を依頼した人物も除籍されたのは遠い昔である。いつの間にか私自身も特務潜水艦となりその最期を迎えようとしている。この年代記が私の除籍前にまとまったのは奇跡であるといえよう(まさしく神に感謝!)。
 年代記の原案者のある人物――もとい潜水艦の書いた手記は、一九七六年に呉の串山公園の木の根元から発掘された。この公園は彼らのささやかながらも重要な思い出の場所であり、この発見は偶然にめぐまれたものである――まあ、あの人に言わせれば「奇跡」、であったのだが。あの人、手記の編集を依頼した潜水艦は私に、原本手記を草案としてこの年代記の作成を依頼した。
 この年代記は、以下のように構成されている。第一章から第八章まではある貸与潜水艦の日記手記、第九章はその潜水艦に育てられた戦後初の国産潜水艦の付け足しの手記である。一章は日本の太平洋戦争の終戦から十年後の一九五五年から始まっている。前年の一九五四年には日本において我らの海上自衛隊が創立され、それにより貸与潜水艦はこの国にやってくることになった。正確に言えば一九五四年に締結された日米相互防衛協定に基づいて、DD二隻(「あさかぜ」(DD-181)、「はたかぜ」(DD-182))、DE二隻(「あさひ」(DE-262)、「はつひ」(DE-263))とともに一隻の潜水艦がアメリカ海軍から海上自衛隊へと貸与されたのである。みじめな敗戦によって完全に解体された日本潜水艦の歴史は、あるアメリカの貸与潜水艦から再始動したのであった。
 八章は一九七〇年の夏、その貸与潜水艦が保管船の任務すら解かれ除籍された時に終わっている。まさに世紀の超大作、彼の筆のまめまめしさにはいい意味でも悪い意味でも唸るばかりだった。
 彼ら対潜水艦訓練目標(ターゲット・サービス)の生きた時代は、ちょうど日本の高度経済成長期にあたる。様々な社会問題を無視していたとはいえ、日本が物質的にとても豊かな時代であり、狂騒的な面白さがこの国にはあった。東京オリンピックや日米安保闘争、ベトナム反戦運動。人々は生と感動、怒りと期待に満ち溢れていた。
 そんな時代の中で彼らは陸では後ろ指を差され(その当時、防衛に携わる人間は再軍備の象徴、大江健三郎が言うところの「一つの恥辱」だった)、海の下では汗と潮にまみれながら国防の支えになろうと日夜訓練に――それも作戦運用ではなく対潜水艦訓練目標という縁の下の力持ちとして――明け暮れていた。とりわけ彼ら潜水艦部隊は海上自衛隊でも「的」扱いを受けており、決して待遇のいいものではなかった。だが、彼らはそれに対しなんら後ろめたさも持っていなかった。そこにはただ海底に生きる者たちの誇りがあった。私はそのことに惜しみない敬意を払いたい。彼らへの敬意がこの年代記の編集を諦めなかった大きな理由にもなった。
 この年代記を書くにあたってお世話になった、私に関わった、そして彼らとも関わっていた多くの乗組員、元乗組員たちにお礼を申し上げる。彼らの証言がなければ、この先代たちの記録はぼんやりとした抽象的表現に終わっていただろう。また海上自衛隊の艦艇諸君にも多くの応援と冷やかしを送って頂いたこと、お礼を申し上げておきたい。
 またこの年代記を書くにあたって多くの支援をしてくれた、私の姉妹艦である海上自衛隊「うずしお」型潜水艦「くろしお」にこの本年代記を捧げる。君がいてくれたからぼくはすべてを全うできた。心からありがとうと言いたい。
 この年代記は、大幅な略字、アメリカ式のスラングや、手記が後半になるにしたがって増えている、感情的なものと思われる乱筆や解読不能な文字以外はなるべく手を加えないように心掛けた。手記の筆者が文章につけた注釈もそのままの状態である。
 なお、この年代記に出てくる編者である私、大勢の海上自衛隊の艦艇たち、数隻の船舶、若干の潜水艦を除けば、本書に名前の出てくる主要な艦艇は全員除籍・解体されている。

一九九二年  編者

小説,艦船擬人化

リルケの花

 或る日のこと、私の扉を誰かが叩く音がした。一人の兵士がかなりおずおずとした様子でそこに立っていた。次の瞬間私はびっくりした。リルケ――軍装したライナー・リルケだったのだ!彼は痛々しいほど不器用げに見えた。詰襟のために窮屈な思いをし、どの将校にも長靴をかちっとぶつけて敬礼せねばならないという考えのためにどぎまぎしていた。そして、完璧ということへの魔的な強迫にとらわれている彼だから、このような軍規の些細な形式をも模範的に正確に遂行しようと思っていたため、絶えず困惑の状態のなかにいた。「私は」と彼はあの低い声で私に言った、「この軍服というものを幼年学校以来きらっていました。もう永久に逃れたと思っていたのですが。今、ほとんど四十歳でもう一度着なくてはならないのです。」幸い彼を守る救いの手があって、彼はまもなく好意的な身体検査のおかげで免除となった。別れを告げるため、もう一度彼は――そのときはすでに私服にかえっていたが――私の部屋に入って来た。私はほとんど、風のように吹き込んで来た、と言いたいくらいである(そのように筆舌に表し難いほど音もなく、彼はいつでも歩くのだった)。彼は私になお礼を述べに来たのだ。私がロマン・ロランを通じて、彼のパリで没収された蔵書を救おうと試みたからである。初めて彼は、もう若くないように見えた。恐怖の思いが彼の精魂を使い果たしてしまったかのようであった。「外国に行きたい」と彼は言った、「外国に行けるのなら!戦争はいつも牢獄ですね」。そして彼は立ち去った。今や私はふたたび全く孤独となった。

   ――シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界 1』


 氷川丸のいた部屋の扉を叩く音がしたのは午後四時を過ぎた時だった。秋の夕暮れの訪れは早く、窓から見える空も濃紫に彩られて既に暗い。だれか自分に用件でもあったかな、と氷川丸は思い返してみたが思い当たる人物もなかった。この頃は船も人も忙しく、自分たちは自分のことだけに慌ただしく取り組むだけだった。忙しいといっても、航路を往くために忙しいのではない。航路は終わった。航路の先の亜米利加と戦争が始まるかもしれないのだ。
 どうぞ、と声をかけると扉が開いた。そこに立っていたのは帽を深くかぶった兵士だった。氷川丸は一瞬、顔の区別がつかずに戸惑う。
 平安丸だった。
「平安丸か?誰かと思ってびっくりしたよ」
 氷川丸が声をかけると、平安丸は肩をくすめて小さく笑い言った。
「今度は海軍さ。軍装が似合うか?」
「馬鹿」
 と咎めるように氷川丸が言うと、
「冗談だよ」
 と言って、あとはむっつりと黙った。
 姉妹船の貨客船平安丸は先日まで日本陸軍に期間徴用されていた。そして今度は日本海軍に徴用される。おそらく今度こそ何かしらの改装を受けるだろう。特設艦船――帝国海軍のふねになるのだ。
 それが特設水上機母艦なのか、特設潜水母艦なのか何なのかはわからない。特設航空母艦ではあるまい。自分たちは船体が小さく新造船でもないからだ。うまくいけば特設病院船かもしれない。めったにないだろうが。仮に「赤十字のもとに中立」の特設病院船でも戦場では地獄の海に変わりはあるまい。
 ぼくもどうなることやら、と氷川丸は思う。何に選ばれても変わりはないだろうとすら、思う。だが、それは戦場を実感できないだけのご都合のよい空想なのだろう。実感のない未来の選択肢の無い選択は、氷川丸に何をもたらすのか想像ができなかった。もっとも想像上の戦場が正しく想像通りだったことなんてないかもしれない。
 平安丸の軍装は似合っていた。もともと身なりがしっかりした貨客船だったから、かっちりとした軍装だって似合わないわけではない。軍装も一つの装いなのだ。それが担う意味と理由があり、それは視覚的に美しくなければならなかった。けれど平安丸がどこか居心地が悪そうなのは、その装いの担う文化への最後の抵抗だったのかもしれなかった。
 帝国海軍の威容。灰を彩り灰の海に紛れ、戦火に身を燃やすこと。美的価値はそれを経過して友好を結ぶためにあるのではなく武力を誇示するためにあるということ。それを是とする世界への、抗い。
 シアトル航路を忘れることができれば、その違和感もなくなるのだろうか、と氷川丸は思う。
 一八九六年より続いたシアトル航路は、一九四一年八月に日米関係の悪化によりあっけなく終航した。平安丸はシアトルに貨物を陸揚げし、空船のまま横浜に帰着したという。祝福もねぎらいもない、達成や終着や完了でもない、本当にただの終了だった。自分たち海運が担ったものは、こんなにも軽いものだったのかと悔しく思ったことを憶えている。航路を往き祖国と外国を結びつける生業も途絶えた。氷川丸たちが次に往く外国は、祖国の占領地か戦地の補給地かもしれなかった。
 氷川丸は覚えていた。赤道祭のことも、すき焼きの味も、船上運動会のことも。ディナーの質で議論したことも。海外客の愛嬌も日本人客のつつましさも。それらの社交をも。当時は本当に些細な貨客船としての仕事の一つだと思っていたものが、今思うとひどく鮮やかで美しいものに思える。そしてその思い出の鮮やかさが色褪せて、ただの灰色に変わる時になって、彼も自分も、特設艦としての名誉を受容するのかもしれない。
「ぼくは」
 と平安丸は低い声で氷川丸に言った。続きを促したが、彼は唇を小さく震わせ、ただ黙っているだけだった。

小説,艦船擬人化

ある艦への「講釈」

 わたしはわが子の誕生に際して、祝福をのべるか講釈をたれるか悩んだ末に、後者を選んだ。だから生まれるおまえは、以下の言葉を講釈だと思ってくれて構わない。生まれたての子どもには祝福やおとぎ噺や子守唄のほうが本当はよかっただろう、しかしこのような時勢であるから、簡潔に、無難に、艦としてあるべきおまえの生き方を講釈したい。

いま進水するということ
 わが子よ、おまえが進水するのは、いまこの一九四〇年である。軍縮条約前の一九二十年や二十一年ではない。おまえの設計にはなんの枷もなく、大きく、優美で、スマートな帝国海軍の誉れそのものである。
 その三連装砲は太平洋を、またそのむこうの対岸を火の海に、血の海にするために載せられたもので、おまえはけっしてお飾りではないのだ。ただ征くべき戦場は熟慮すべし。だが主砲を轟かせる時は逡巡するな。艦は戦わねば腐るのみである。思慮深いことと臆病であることの分別はしっかりとつけよ。
 おまえは連合艦隊の旗艦になるだろう。その艦尾にいっとう大きな旗を掲げるだろう。しかしその重みにばかり気をとられないこと。その重みは戦場でおまえを愚鈍にするだろう。周りの人間はおまえに誇りを飾り装うだろう。だがおまえはその誇りにけっして奢るなかれ。名誉と心中する無様な真似だけはしないこと。沈むのならせめて一隻でも多くの艦を巻き添えにすること。美しい理想ではなく実務的な戦果を求めよ。
 帝国海軍はいまこの二十年余の平和を無にかえす。わたしもいままでの過去をすべて捨てそれに翼賛する。おまえもあまたの親たちとおなじようにその身を捧げること。
 おまえが進水するのは、わが子よ、いまそういう時であるということを忘れるな。

海に生きるということ

 ふねであるおまえは海を好きになってくれるだろうと思う。
 おまえが海と仲よくなるうえで大切なのは一つ。おまえが海を愛しても、海はおまえを愛さないということを理解すること。波は残酷であり、寄せては引く水の刃である。海はすべてを呑みこむのだ。そこにあった生も、生の後の死の痕跡すら呑みこんでしまうという事実がある。そのことを肝に銘ずこと。
 わたしの生まれ故郷はなにもない小さな漁港だったから、大人たちは子どものわたしに海のおそろしさを聞かせてきた。だからわたしは、わが子よ、おまえにそのおそろしさを聞かせる。しかしわたしは人間、おまえは戦艦だから、海の捉え方も違うだろう。なによりこれは講釈である。怪談ではない。しかし例としてある話をしようと思う。
 この港に娘がいた。とても美しい娘だった。美しく優しかった。娘は大きくなり冴えない海軍軍人と結婚した。よくある見合いだった。軍人のほうは娘に惚れていたが、娘は果てのない大海原のように茫漠とした態度で軍人につき添うだけだった。
 軍人は造船技師のひよっ子だった。近眼で艦隊勤務にはむいていなかったからだ。海が好きだった。艦も好きだった。なにより妻が好きだった。軍人と妻とは離れて暮らしており、妻はその小さな港にいた。たまにしか家に帰ることができなかったが、それでも軍人は幸せだった。
 呉に大きな嵐がきた。
 工廠の外壁がはがれるくらい大きな嵐が来た。軍人はなにより工廠と艦のことが心配だったから、妻にまで気がまわらなかった。それにその心配こそが己の任務だったし、軍人のなかで妻が大切でも、軍人として生きる以上、妻より工廠が大事だった。
 小さな港は小さな港だった。嵐は大人たちの語るおそろしい海を呼び寄せていた。波は寄せては引き、すべてを破壊する刃となって港を侵食した。
 軍人の妻はこの日にかぎって遠出していた。家のなかにいればあるいは助かったかもしれないが、その日その時、妻は婦人科の病院から帰る途中だった。その重たい身は、大海原に引かれていったという。正確にはその最後の痕跡も呑みこんだ。だから最期はわからない。最後に妻を見たのは婦人科の医師で、軍人に簡潔に診察内容と、帰宅するときのどこかさみしげな姿を教えてくれた。
 わたしの妻と子はそうして死んだ。十年余は前の話だ。
 それでもわたしは海が好きだった。
 おまえも海を好きになるだろうし、わが子よ、わたしの手で造られたおまえがそうなってくれたら、わたしとしてはとても嬉しいのだ。わたしは艦も好きだから、艦が海を好きになってくれることを願う。海は多くを奪うが、艦たるおまえには多くを与えるだろう。戦場の波の高低はつねに把握すること。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という一文の優れた情報伝達の美を学ぶこと。波とその情報は海戦では命である。
名前を与えられるということ


 わたしがおまえの名前をここに書いていないことに、わが子よ、おまえは気づいているだろうか。
 おまえは秘匿されて生まれる。そのために多くの機密保持がなされたことは、おまえも知っているはずだ。おまえは文字通り秘密兵器である。帝国海軍の秘蔵っ子である。存在を敵国に悟られないこと。悟られていてもそれ以上の情報をけっして与えないこと。
 わたしたちもおまえを生むことに多くの苦労をした。おまえはそう、難産だった。だがこうしてしっかりと生まれた。苦労に値する生だと思う。わたしはこれを、おまえの明日の進水式に合わせて書いている。この手紙はどこか、おまえの艤装品の隙間にでも挟んでおこうと思う。すぐに乗組員の生活品に紛れて無くなるだろう。わたしもそれを望んでいる。造艦に私情など必要ない。艦にだって本当は愛など必要ないのだ。この手紙はなかったものとして扱われてかまわない。ただそう、わが子よ、おまえだけはこの講釈を覚えておくべきであると思う。
 もしわたしたちのあいだに子どもが授かれば、と、わたしは考えていた。
 娘だったら美しい妻の名前を一文字とり「美桜」がいい。
 息子だったら冴えない軍人の名前をとるわけにはいかない。
 わたしは考えた。そして日本の言葉で一番美しいものをつけようと思っていた。問題は漢字だ。大斗、和、倭、山登、倭斗、山斗、山翔……。おまえとおなじ漢字は、わが子よ、案からは外していた。なぜか?わたしの子どもはしょせんはただの人間の一子だったからだ。あの漢字を恐れ多くも使うわけにはいかない。戦艦のおまえとはちがう。たとえ母たる妻がどれだけ美しくても。
 わたしは艦に多くの期待を持つ。人びとはふねに多くの期待を持つ。
 おまえの名前はいっとう考えられ、期待を込めてつけられた。おまえはそれに値する艦である。
 皆が熱意を込めておまえの名を呼ぶだろう。おまえはそれに戦艦たる矛を持ってこたえること。
 戦場では敵艦にその優れた威信を見せつけよ。おまえはわたしの粋を凝らした子どもなのだから。そして主砲を放つ時と同様にその沈み時を知れ。
 わが子よ、おまえもいつかは海へ没する定めにある。
 わたしもまた海にかえるだろう。
 われらの海へようこそ。

小説,一次創作

海のダイアローグ「宇品」

 だいたいね、海というものに希望や未来みたいなのを見るのが嫌いなんです。とてもむしゃくしゃするんです。なんかの観念のはなしをされているような気もちになるんです。言葉のうえのあやのよう、頭のなかで屁理屈をこねくってまわしているようにしか思えないんです。
 幸せって言葉にする必要がないでしょ、だって感覚的なものだものね、ふわふわした綿あめのように膨れていて、中身がないようなものだものね。ものごとってのは、詳細に語れば語るほど重みと具体性がましてくるんです。わたしは重みと具体性のあるものを幸せとは呼ばないようにしてます。海は綺麗なもの、という言葉に込められた単純さと馬鹿っぽさと軽々しさ。ねえあなた、ほんとうに海というものをみたことある?そう、ならわたしと海のはなしをしましょうよ。
 おおきな船だなあ、って思ったのを憶えてます。貨客船って中がこまごまとしてて綺麗だっていうひともいるでしょ、あんなの嘘っぱちで、船がいちばん美しく見えるのは、仰ぎ見たときです。仰ぎ見るといってもすこしとおくから。はなれたところで見ると、ちょっとだけふねが斜めになっていて、ちょうどこう、淑女が首をかしげているみたいで……。ははあ、これに男たちはまいってしまうんだなぁ、と思ったのを憶えてます。とてもとてもきれいな船で……。名前が思い出せなくて、まいっちゃって。どうしても憶えていたかったのだけど、やっぱりむりでした。
 記憶も弔いの一つだけれど、美化と風化がかかっていくって意味では、そのことを憶えてることって、やっぱりできっこない。
 じゃあ忘れたほうがいいのかしら、って思います。あのね、故人の顔が残ってる写真より美しく思いだせるのって、その人に対する冒涜なんじゃないかしら、ってわたしは思っちゃうんです。その人そのものを掴めてるわけじゃ、ないですものね。じゃあじゃあ、じゃあ忘れないようにがんばってみようかしらね、とも思います。でもそんなの、ぜったいむりなんですよね。記憶には限りってものがあるからしかたない。それでこうやってみんな綿あめになるんです。中身がなくなってっちゃうんです。どんどん細部がしゃべれなくなっちゃって、単純で馬鹿っぽい幸せになっていきます。幸せだったもの、そんなものに。あのね、わたし、もうそのふねが綺麗だったことしか思い出せないんです。綺麗で素敵で、人間たちの幸せのかたちをしたふねとしか記憶してないんです。あなたは、死者を冒涜することをおそれてない?じゃあ、わたしはもうすこし海の話をしましょうか。
 わたしは、兵隊たちが船に乗るのをみるのがすきでした。わいわいしてて……静かなときよりおもしろかった。それだけのはなしなんですけれど……。往くさきはどこだか知っているけれど、あなたのいう「海は綺麗」といっしょで、わたしには怖い戦争でした。怖い戦争に往くのです。かれらは。船に乗って。わいわいと、無邪気に。
 ふねはねえ……。美しい淑女だっだ船はいま迷彩の色に化粧されてました。白じゃ海のうえで目立ちますものね。それにしまりがわるい。あんたね、戦争に必要なのは女じゃなくて男なんですよ、と言われたのをわたしは覚えてます。だって思わず言っちゃったんです、こんなに綺麗な淑女たちがもったいないわねえ、って……。戦争に必要なのは、おしろいではなく迷彩で……女でなくて男で……。一隻のうるわしき女性なんかなくて、そんなものどうでもいいから、名前なんていちいち覚えてなくっていいから、いっぱいの船をあつめてあつめて、戦場に引っ張ってかなきゃなんない。たくさんの船を。たくさんの男たちを乗せて……。
 ここにきた船は、まず牡蠣をおとさないとならないんです。船底にいっぱいついてて、速さが出なくなっちゃうんですよね。いっぱいの牡蠣殻をおとしてやりながら、ああ……この子たちはこんなによごれをつけて、こんなにいままでの海でがんばってやってきたんだなあ、って……思っちゃって。感じいっちゃって。船をきれいに仕上げながら……きれいな船に仕上げて、どこにいくのかっていうとやっぱり戦場なんです。男が必要とされている場所。おしろいではなく。たぶんそこで死んじゃうんです。みんな海で死んじゃうんだろうなあ、と思いながらひたすら、ずうっと落としてあげて……。
 船って、沈んじゃうということばと死んじゃうということばを、きちんと使いわけるんですよね。びっくりしました。「ぼくも沈んじゃうのかなあ……」って言ってたのを憶えてます。名前は忘れちゃったけど、ある子が。わたしには、それが「死んじゃう」としか思えなかった。でもね、沈んじゃうとこんどは漁礁の船生のはじまりですから。死んじゃうはただの綿あめだから……「だからさみしくないよ」っていってました。生きていた物質的証拠がね……。あるんだよ、ってね。それはすてきなことなんだよーって……。……なまえはねえ、なんだったかなあ……。記憶がね、みんな迷彩の灰色になっちゃって……。白黒に。おしろいの、やさしい白じゃありませんね。ほんとに、美しい船だったんですけど……美しかったはずの船です、そんなのです。
 返してくれませんか、とお願いされたこともあります。「わたしの娘を返してくださいよ、これでおまんま食べてるんですよ、生活してるんですよ」って……。「なによりも、ただ愛おしいんですよ、がんばってつくったんですよ、だから名前なんかつけてるんですよ、ただの道具にですよ」「輸送任務で沈められたかそうじゃないかもわからない夜は眠れないんですよ」「あなた、船の名前なんか気にしたことないでしょ」ありますとも、ただね、わたしはそれを覚えてられなかっただけなんです。ぜんぶ抱えきれなかっただけなんですよ。……わかってよ、っておもいました。傲慢だけど、思っちゃったんです。
 むしゃくしゃして言っちゃいました、「あのね、あなたは知らないだろうけど、わたしは覚えてます、三十年前を。信濃丸を。戦争に勝って誇らしかったでしょ、やりとげたと思ったんでしょ、これからもこうやってお国にご奉公しようと思ったんでしょ、だから、いまここにあなたの娘がいるんです」。牡蠣殻をいっぱいいっぱいおとしてるんです。戦争にいくために速さを上げてるんです、って……。……わたしには、船が死んじゃったとしか思えない……。……魚のすみかに、スキューバダイビングの遊び場になっているなんてね、もう船じゃない。だいたいね、戦没船なんて戦争の時に沈んじゃったんだね、って……そうやって、それだけで……。
 帰してやりたい、って思うときもありますよ、でもね、もう無理でしょ、もうあの船たちは船じゃないし、帰す場所もないし……。わたしにそんなこともできないし。太平洋ってどこですか?地図でしか知らない海なんです。シナだってじゅうぶん遠いんです。……魂だけでもね、あそこから離れてるといいなって思うんです。海の底から……離れてて。幸せがいっぱいで、美しかった記憶だけを抱えてどこか……空想の綺麗な海を旅して……ああ、ほらね、幸せなものになってしまった。綿あめに。これは冒涜なんです。パクパク食べて味わってるんです。死者のこと。悲しい顔して食べるとおいしいんです。
 ばんざいばんざーいって、いっぱいの小舟が軍隊の船をかこんで見送っててねえ、それを見て誇らしくなっちゃって、……たくさんの信濃丸を送ってやるんだって……思っちゃって。わたしは思っちゃって。思ってしまった。なにを言ってるんだからわからなくなっちゃった、そう、覚えてるわよって人をおどしましたけど、わたしは信濃丸のことが、誇らしかったことを覚えてます。人と一緒なんです。一緒に誇らしく思って……。だから、まるで裏切られちゃったと思ったのね。共犯者に。だってそうでしょ、わたしだけが送ったんじゃないもんね、私たちが一緒に送って……。いまさらなによ、なにを賢しらにしらばっくれてるのよってね、ええ……思っちゃって……。
 帰ってきた兵隊をみて、うん……地図でしか、……地図でしか知らなかったのよ、わたしねえ……だからね、だから知らなかったのよって、なにもわからなかったのよって、内航船の子って、どうやって大海原を横断したのか、聞いてみたかったのだけど。その時の気持ちを。海って広いなあって、思いのほか気持ちいいものね、素敵だもんねーって……。一回だけでもいいから、そう思っててくれたらいいって、思うんですけど。どうなのかわかんない。聞けなかったんです。わたしね、重さと具体性のあるものを幸せとは呼ばないけども、具体的なことを知ることも幸せだと思わないんですよ。怖い戦争は怖い戦争のままでよかったんです。あなたも海は綺麗だねってずうっと言っててください、知らなくていいこともあるもんね、そうね。海は、綺麗だものね。
 海のはなしをしたと思ったんですけど。船のはなしにね、なっちゃいました。いずれしても、どちらもおなじようなもんです。いまはわたしが持ってないもののはなしです。

小説,一次創作