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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

👏 #感想 #小説など
#船擬 ##マダボ ##渺

良い…と思ったらぜひ押してやってください(連打大歓迎)

2024年10月4日 この範囲を時系列順で読む

実はSNSに絵を投稿したら、毎回tumblrに投げています。最初はログ展示でしたが、最近はタイムスタンプに近いです。一ヶ月に何枚絵を描いたか知りたい時(「今月描いた絵を晒す~」みたいな時にも)、また日付をもとにTwilogから引っ張る時に便利です。
FC2ブログに移転したいと思っていますが、2016年からの過去ログを引っ張るのが大変面倒です。もういいかな。2024年9月まではtumblr、10月以降はFC2にしようかな……。

2024年10月3日 この範囲を時系列順で読む

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企業・組織擬人化

2024年10月1日 この範囲を時系列順で読む

2024年9月30日 この範囲を時系列順で読む





2024年9月28日 この範囲を時系列順で読む

これは夢小説ではなくて(マジで)、右翼でもないけど海軍が好きという私の矛盾を投影した文章……です。モブ視点の話です。

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※彼が海軍さんです 私自身なかなか仲良くなれないので書きました

企業・組織擬人化

実際は『現代詩手帖』に収録された月吠番外編(タイムトリップもの)を意識してます。

「あの丘」は未読・未観、かつ知識はありませんが、皆さんの感想をもとにあらゆる意味での逆張りを目指しました。

2024年9月26日 この範囲を時系列順で読む

◎戦時下の埼玉県、もちろん出征している人ばかりなのだけど、県・都市としてなにか象徴的なものはあったのか、といわれると熊谷空襲くらいで、もちろん行間には多くの暴力と御国奉公があったはずなんだけど、埼玉県は「近代」と共犯者になり得たんだろうか、帝国日本の都道府県として、と思う時がある
◎でも埼玉県には帝都たる東京があったから、根強く支えていたはずだから、それを…… クソッまた東京かよ

土地擬人化

◎私も土地擬をしてみたいけど、艦船はともかく、土地や風土というものは実地調査が必要だと思っており、関東民なら関東の土地が良いのかもな~とは少々思っている
◎都市としての東京(あるいは関東一辺)が好きだけど、もういっそあまり好きでもない我が埼玉に視点を当てて、よく語られる「埼玉の地方性(東京のベッドタウンとして)」と、ダサイタマというワードに隠されがちな埼玉の密かな中央性に歴史的回顧を持って投影する感じの…
◎埼玉県は戦争の大きな被害は熊谷空襲くらいしかなかったようだけど、関東大震災では被災がありここにも虐殺はあったようす
◎熊谷空襲という唯一の経験を、 ←?
◎郷土愛がない、しかしこの愛の無さからすべてを始めるしかないようにも思える
◎埼玉鉄道文学(?)やはり池袋を含めるか含めないか問題が、序文では触れられるのだろう…
◎鬼電のような東武アプリの東武東上線の遅延通知と病んだ恋人の類似性を、埼京線の他人事のような明るさと美しさとそこに漂う殺気を、東武デパートと丸ノ内線改札前の空間の余白を、池袋に至るまでの路を文学として昇華することが我々埼玉県民には求められている。埼玉の地方性を主体へと回復すること。

◎東武東上線は埼玉の病んだ恋人だ。鬼電のように彼女の遅延通知がスマホアプリに入るし、それに埼玉は日々振り回されている。大雨が降ったから。車がボロいから。鹿が怖いから。まだホームドアをつける気はなかったから。安全の確認をしたいから。
そんな彼女を宥めすかして池袋という街へ向かうという行為に、地方人としての劣等感を感じるのかというとそんなことはなかった。東京という土地は、しょせん地方人の集まりだということを埼玉は知っていた。
その点、埼玉はむしろ池袋よりも新宿という場と相性がいいはずだった。いいところで東武東上線を捨てるべきかもしれない、と埼玉は思った。早々に副都心線へと乗り換えるのだ。

土地擬人化

一九三〇年代に日中戦争が開始され、日本軍が中国の江南方面へ展開するようになると、物資補給のために長崎港から上海向けの輸出が増加し、対中国貿易は活発になった。中国東北地方に権益を確立した日本が、その維持とさらなる拡大をめざし、さらに中国大陸への進出を続けるなかで長崎は日本の大陸進出の拠点となっていったのである。
 そして、その長崎を支えたのは、やはり三菱だった。日清戦争後に政府が造船業の発達を促すなかで、長崎造船所は、一般の船舶とともに日本海軍の艦船も積極的に受注し、建造した。
/『見る・知る・考える  明治日本の産業革命遺産』「三菱と長崎の近現代史」
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

九州あたりで擬をしたいと思っているんだけど、住んだこともないし行ったのも多くはない。でもそれを言ったら海外の土地で創作されている方の一部も同様かもしれないし…
→というか、艦船擬人化がいて企業擬人化がいる世界に、土地擬人化もいるのだろうか。そしたら三菱が花婿(主人)で長崎が「蝶々夫人」になってしまうけど……
→そして……ふねが…子ども…?
→子どもたって海軍の子かもしれないし船会社の子どもかも知らん

…大陸への国内最前線が長崎であり、その母なる土地、母なる揺りかごに揺られて育って恩返しを願ったのが長船だったから、二人の子どもたるふねたちは元気な赤子として生まれよく肥えた。そののち、ふねぶねは海軍の子あるいは船会社の子として素直に海を生きて、やはり海外進出のためのよい先鋒となった。両親の愛を享けて生まれ、育て親の情を一身に受けた子、親たちにいっとう似た、聞きわけのよい可愛らしい子どもたちだった。

艦船擬人化,企業・組織擬人化,土地擬人化

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2024年9月25日 この範囲を時系列順で読む

貨客船は多くの著名人を運んだし、かれらは素朴に日本船を愛していた、という基点にまず立ちつづけねば……(華やかな客船文化を憶えていて)

昨日の日記に、(ふねをふくむ)歴史で創作をする時に全ての主語を国家に集約させるのはやめろ、全てに「加害性」や負の意味ばかりを与えるな、現代から過去を批評する時に私自身への自虐・自罰意識を勝手に投影するな、裁きたがるのをやめろと書かれていて、ハイ……となった 寝ぼけながら書いていた

2024年9月24日 この範囲を時系列順で読む

#感想『日本郵船戦時船史』

◎第二船は香取丸。ここから太平洋戦争期となる。基本全ての船に「徴用種別」欄があるのでわかりやすく便利(香取丸は「陸軍期間傭船」)。また「護衛艦艇」「僚船」欄もある……(さいごがひとりなのはさみしい)
◎「暮れ近い夕日は瀬戸の海を美しい朱に染めて、この海の続く果てに香取丸が撃沈させられた血なまぐさい戦争が起こっているとは思えないような美しさであった。」(24/519)
◎救助してくれた駆逐艦吹雪や沈没後の司令部の乗組員への対応…緒戦当事にあった陸海軍と商船側との温かい交流を永く忘れることができない、戦争末期にあったようなとげとげしい対立はまったくなく、心から商船隊の苦労に感謝していたようだった、との機関長の証言。勝ち戦ゆえに軍部にも余裕があったのだろう、という指摘がある。

2024年9月24日「秋田丸」まで・コマ番号30/519
短め


#「渺渺録」(企業擬人化)

感想

FC2ブログにログ倉庫を作っているけれど、1つ1つ投稿するよりも、一気にまとめて掲載した方が見やすいし、今は倉庫などよりも「タイムラインに流す」のが主流なのかもしれない。再掲でもいい。

2024年9月23日 この範囲を時系列順で読む

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(Loading...)...

◎デジコレで『日本郵船戦時船史』読む。
圧倒的に読みやすい。紙の本は分厚く、稀少なので本に遠慮してしまう。

◎船を失ったが優秀な乗組員も失った、という記述。
◎発行時の社長は有吉義弥氏。
◎「三菱商事株式会社船舶部並びにその後身である三菱汽船株式会社の所有船も併せ記録されて居ります」。(コマ番号9/519)
◎三菱汽船株式会社も所有船の九割を喪失して乗組員も殉職したけど、船の大半が油槽船だったから遭難状況は一層壮絶だったと思うのよね、とさらっと書かれており……おり…(9/519)
◎「これ以上遅延することは資料散逸の恐れがある」ため、先に合併した三菱海運株式会社の前身である三菱汽船株式会社の所属船を含んで記録書の発行を計画、とある
◎「日本郵船二百三十七隻、三菱汽船四十八隻の他に日本郵船所属の小蒸汽船、機帆船などを加え、計二百八十二編に及び、戦没者は日本郵船四千百四十三人、三菱汽船四百八十七人、更に他社よりの派遣者、徴用による乗組員など、七十八人、計四千七百十七人」の記録(10/519)
◎第一船は照国丸。1930年の話。「日米開戦を前に欧州に勃発した第二次世界大戦の余禍を受けて沈没した」。
◎照国丸乗組員「遭難時殉職者なし」の記述、いまだ留めたる平時とその栄光、という感じ

2024年9月23日「照国丸」まで・コマ番号21/519
毎日必ず……と言わないが読み進めていきたいです。


#感想『日本郵船戦時船史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想

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「(仮称)横浜市中区海岸通計画(A-1地区)」新築着工
~歴史刻む横浜郵船ビルとも調和、 ウォーターフロントから発信する伝統と風格ある街並みへ~
(三菱地所)
h ttps://www.mec.co.jp/news/detail/2024/05/10_mec240510_yokohama-kaigandori

日本郵船歴史博物館再開館の軌跡

2024年9月22日 この範囲を時系列順で読む

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船の越境論

 船に感情というものがあったとしたらという観点に立って特設艦船の心情や悲喜を探ってみたいと思う時がある。特設艦船とは軍隊により接収され改造・改装された船のことで、貨客船・貨物船から小型漁船まで多くの船を網羅する。それら船の共通点は戦わないこと、戦うための船ではないことであり、軍の徴用や買収は戦争への参加を押しつけられた切符であった。多くの船にとっては片道切符となった。早々に戦没する宿命だったからである。
 戦わない船の戦争。
 兵士も民間人も平等の命、一人の人間である。艦が沈んで光栄の上等、船が沈んだら悲しみをもって悼む、という感情はただの感傷であると退けたい。しかしなぜ民間船が、民間船だった艦が戦没することに私は執着するのだろう、と考えた時に思うのは、世界文学への屈折した愛着と、その文学が永遠の命題とする異郷での客死である。あるいはその異郷で経験するさまざまな障害だろうか。自国の常識はそこでは非常識。彼女の話す母国語はそこでは異国語である。移民の彼女はその国に――その海に、その軍隊には容易に同化できなかったかもしれない。そんな二十世紀の人間たちの痛みを同じくアジア・太平洋戦争下の船たちは背負っていたかもしれなかった。馴染んだ横書きの航海日誌ではなく与えられた戦闘詳報で自らの栄光を語るということ。
 船は海を往くことが幸せ、とだけ考えれば、こんな甘い郷愁など抱かなかっただろう。道具は使われてこそ価値がある――それが多少違った使い方であろうとも。病院船はそれでもやはり、いやあるいは、だからこそ(・・・・・)美しかったはずだ。
 けれどそこに船の悲しみを見出してしまうのは、船ぶねの抱く文化の麗しさとそれを基調とする人びとの文化の麗しさにほかならない。それはもちろん貨客船の抱える一等社交室である。そこにあるグランドピアノである。あるいは漁船の上に翻る大漁旗の旗の金刺繍の輝きでも良い。海と共にあった船、と共にあった人びとの抱いてきた素朴な民衆文化は戦火で荼毘に付すにはあまりに惜しいものだった。
 あえてその喪失に美学を見出すこともできただろう。オフィーリアはさいごに水死するから美しいのだ。立ち上がって再び陸に上がることなど到底許されない。あの横たわる退廃的な死のにおい、微睡みにも似た死への緩やかな移行の情景は、憧憬を伴って生者である私たちの想像力を豊かに刺激する。貨客船香取丸はインドネシア海域で雷撃を受け海へと傾斜したとき、サロンにあった大型ピアノが大きな不協和音を奏でながら滑っていった、という……。太平洋戦争開戦すぐの出来事であった。船は陸軍に徴用されていて、陸軍部隊が乗船していた。が、未だ船内には乗組員や平時の物資が乗っていた。そのピアノはかつての栄光を留めているもののひとつだった。船と一緒に海へと転がり落ちてゆく陸軍兵士、乗組員、ピアノ、かつての栄光。沈没したその日はクリスマス・イブであった。
 二律背反たる船の生と船の死という命題は、戦場の船というものを仰ぎ見るときにいちばんの難題となって私たちの心を刺すのだろう。生の鮮やかさと死の沈黙。それは人間を見るときも同様である。人間とおなじようにふねを見るということ。人間のうつわとしてのふね。
 人間の様相を写すものとしてふねを見定めていきたい。

随筆・エッセイ

2024年9月20日 この範囲を時系列順で読む

2024年9月18日 この範囲を時系列順で読む

サイトのいいねボタンパチパチありがとうございます。確認できてています。

2024年9月15日 この範囲を時系列順で読む

森崎和江は、からゆきさんが自身の行いを「民間外交」と呼んでいたことを示し、その民間外交といえるからゆきさんの素朴な生ですら、巡りに巡ってアジアへの侵略行為になっていた、と記述しているのだけど
この直接の軍事武力的侵略とはまた別種である「民間外交」なるもの、に、海運の運んだという行為、我々は運んだだけだという思いと我々はただ運んだだけなのか?という問いが投影できるはず、類似性を私は見る
#「渺渺録」(企業擬人化)

2024年9月14日 この範囲を時系列順で読む

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拍手機能と言えば、昔は拍手数が可視化されることが苦手でした。今はまあいいや…と思えるくらいには成長しました。

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!!

サイトの「ログ」ページの移行作業が完全に滞ってしまっています。そもそも2016ってなんやねん。
とはいえ諦めて2024から始めると、後々後悔するだろうな……。

waveboxぱちぱちありがとうございます。
SNSには貼っていないので、サイトから飛んでいるのかな?有難いです。

ごっちゃりしていて分かりづらいかもしれませんが、大鷹、雲鷹、冲鷹は「大脱走」にもまあまあ出てきます。春日丸、八幡丸、新田丸です。

ほほえましい話を描いた方が、愛情を示すことになるのかなとは思うのだけれど、まああの船たちはそれだけではなかったから……という気持ちです。相済みません……。

全3話構成で、あと1話あります。
前2話は後ほど加筆します。
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)

2 孤独の極北
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)

「私はもう軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ軍属」
 軍艦冲鷹が、特設運送船あるぜんちな丸の隣の特設運送船某へ放ったこの言葉に、その場は北方海域より寒い空気が漂った。
 少々装いが貧相なれども濃紺色の織物で統一された会議室、その窓の外からは、眩しく白い陽が差し込んでいる。あるぜんちな丸はぼんやりと、その白々しい美しさを見つめていた。
「……冲鷹、」と冲鷹をたしなめたのは大鷹型航空母艦のネームシップ、”長兄”たる大鷹であった。
「下らない揶揄は止せ」
「揶揄ではない」
「なら尚更止めろ」
 冲鷹を呼ぶ大鷹が一瞬言葉を言い淀んだのは、長女だった元姉に本当は何と呼びかけるつもりだったからなのかな、とあるぜんちな丸はぼんやりと思った。
 苛立ちを隠そうともしない冲鷹の不興の理由は、隣の特設運送船が何気なく、しかし必死に縋るように護衛艦艇の有無を尋ねたからだ。またそれらの具体的な艦種や艦名や、任務の内容なども。あのう、あたしたちにはどのくらいの護衛がつくのでしょうか、強い艦ですか、船団の形はどんなでしょうか、遅い船はいっしょに居ますか、航路は島沿いですか、何ノットで走るんですか、あたし……。
 それが自身を救う祈りの言葉になるかのようにぶつぶつと言いつのった彼女に、大鷹は明快にまた冷淡に、
「海防艦が付くと聞く。貴船の監督官の説明を待て」
 と言い切り、一方的に話を打ち切った。
 でも、でも、それに……と、なおも彼女は話を続けようとし、救いを求めるように大鷹の隣の冲鷹を見遣った。
 そこで話は、冒頭へと戻るわけだ。
 あるぜんちな丸は一つの陳腐な演劇を見ているような白けた気持ちになっていた。下らないやり取りを続ける三者三様に気づかれないように机の下で、つまらない気持ちで爪先の汚れを擦り取って、演技の続きを待っている。
 誰もが次の台詞を忘れたような苦しい沈黙のなかで、この劇一番の花形であった軍艦冲鷹は、いらいらとした様子で押し黙っていた。白手袋をつけた両手の親指を、神経質に動かしている。彼女は異常潔癖のきらいがある。神経質に手口の洗浄を好むのだ。
 軍隊という場に潔癖を感じるのか、元々の性なのか。両方かも知れない。きっと軍属云々だって関係はないのだ。あるぜんちな丸は、冲鷹が貨客船時代の己を愛していたことを知っていた。というより、わかっていた。わかってしまうのだ。彼女のいらだちは今生の、軍艦としての生と理想との乖離から来ているのは見ているだけでわかった。この特設運送船の口調が民間船の、というより平民のそれだったことが、冲鷹の神経を逆なでしたことの一因かもしれない。
 私はもう、軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ、軍属。
 このあっさり放られた言葉に含まれる、戦時下の軍隊のふねたちの見事な政治性!元貨客船新田丸は無邪気で哀れ、愚かな軍艦役者だが、彼女のこの言葉の鮮やかさは手放しで褒めてやりたくなった。すなわち、未だ商船の名残を留めたる特設運送船に対し、すでに商船でない商船改造空母が軍艦であることで優越を誇る海軍という場の、露骨なまでの軍隊ざま、すさまじき地獄ぶりである。
 ここではそうあることでしか我々は生きれない、という今一度の確認を、あるぜんちな丸は冲鷹から賜ったのだ。そしておそらく、大鷹も。隣の特設運送船も。
「……隼鷹に引けを取ってはならない、戦闘に繰り出すだけが戦ではないんだ、我らは為すべきことを成さねばならない」
 隠し切れない屈辱と羨望とをその声に孕ませ航空母艦隼鷹の名を呼んだ冲鷹は、忸怩たる己の現状を直視できていないのだろう。あるいはあえて無視しているのか。
 護衛空母あるいは航空機の輸送という職務は、その貨客船の美しい身を捨てさせ、わざわざ航空母艦として改造させてまで必要だったのだろうか。航空母艦としてはまるで宝の持ち腐れだ。だがしかし、小型の商船改造空母として成しえる任務は、せいぜいそれくらいが限界だった。改造された結果の二流空母だ。正直、あるぜんちな丸はそう思っていたし、日本海軍の人間たちもそう思っているかもしれない。おそらく大鷹は思っているだろう。冲鷹だってほんとうはわかってるはずだ。
「だから……!」
 これも哀れなふねなのだ、とあるぜんちな丸は思った。あるぜんちな丸の妹同様、かつて受けた愛を忘れられないでいる。再びあの愛情を得られないからこそ積極的に捨て去ろうとしている。自ら進んで捨てることで主体性を確保しようとしている。足掻き、苦しみ、悶えている。今持ちえている(ので、あろう)軍艦の威容を誇ろうとする。わが妹とは違い、貨客船新田丸の姿を留めたまま沈没するという栄誉を得ることはなかった航空母艦、冲鷹。
 もし彼女に日本郵船の客船浅間丸を話をしたら、大日本帝国海軍お得意の木棒で打擲されるだろうか。それともむざむざと泣きはじめるかもしれないな。どちらにせよただの特設運送船に出すぎた真似は禁物だ。
 だから、という冲鷹の、続きの言葉は聞けずに終わった。
 彼女は数秒沈黙し、この場に耐えきれないように荒々しく椅子から立ちあがり、会議室から走り去ってしまった。
 時間切れかもな、とあるぜんちな丸はぼんやりと思った。あれはたぶん、手を洗いに行っただけだ。口かもしれないが。あるぜんちな丸は冲鷹の、あの種の奇行を数度目撃したことがある。そして興味本位で追いかけてみたことも一度だけある。何かに耐えられないように執拗に手口を洗っていた。あるぜんちな丸は、軍艦冲鷹が貨客船新田丸を愛していたことを知っていた。というより、わかってしまった。彼女のいらだちは今生の、軍艦としての生と理想との乖離から来ているのは見ているだけでわかった。だからなおさら追いかけてまで見に行ってしまう。確認してしまう。
 私のゆくすえは、あんななのか?
「……以上、明朝を待って任務に当たる。詳細は監督官の指示を仰ぐように、と艦長が仰っていた」
 気づいたら、大鷹の説明は終わったようだ。というか巻き上げて終わらせた。元姉であり今は妹の冲鷹を追いかけるために。
 情けない、士気に関わる、とあるぜんちな丸は鼻白んだ。隣の特設運送船もなおさら不安だろうに。まあ、仕方ないのだろうか。誰しも自分を一番大切に精一杯やっている。明日沈んでいるかもしれないのだ。大鷹が言うように、監督官、人間に話を聞いた方がよっぽどいい。生還の計画の具体性は増すだろう。
 だいたい、どうして私が彼女を責められよう、とあるぜんちな丸は思った。……この泣きそうな特設運送船の船名も、私は最後まで覚えられなかったのに。
 そのことにふと気づき、あるぜんちな丸は、他の特設運送船や一般徴用船に続いて呆然と椅子から立った。
 わたしたちのしろいたいよう、という意味のない言葉があるぜんちな丸の脳裏に浮かんだ。
 私たちの白い太陽。
 それははたして、いったいどこに?

小説・推敲文章,艦船擬人化

1 南洋の追想
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)

「ふねなんだから使ってナンボだ。貨客船も運送船も何も変わらん。そうだろう、あるぜんちな丸」
 そうです、と答えた特設運送船あるぜんちな丸の口調は柔らかかった。たおやかな乙女、それに近かった。
 それが海軍さんにとっておかしかったらしい。陸戦隊のお偉い人間の一人が小さく笑った。
「いつまでも貨客船意識を持つんじゃないぞ」
「こいつは箱入り娘でしたから、相すみません」
 貨客船時代からの乗組員が、腰を低く保ちながら言った。
 長年付き合ってきた経験から、その声に苦渋と反発が隠れていることがわかった。あるぜんちな丸はこれからの航海の行く先を思った。長く続く一引きの航跡を想った。



 祖国と南洋の間の海に、その船はあった。
 日本の国土で見あげる空よりも、ひろい青色の下に彼女はいた。一引きの航跡が、荒々しく碧い波を攪乱させる。
 特設運送船あるぜんちな丸は、船尾から呆けたようにその航跡を覗き込んでいた。
 湿度を含んだ生温い風がきもちわるい、と思った。
 ふねのえがく航跡は、艦種も船種も関係なくどれも同じ様相をしている。船尾にかき乱された海に立つ波は、どの艦船も同じだ。もっともそんな認識は、実際を詳しく知らない者が抱きがちな、自分勝手なこじつけか、ただの印象論なのかもしれない。
 特設航空母艦、そして航空母艦になっても、私はおなじ航跡をえがくのだろうか。あるぜんちな丸はなんとなく、そんな感傷にとらわれた。自分らしくないと思った。特設運送船としての任務で海を右往左往していて、すこし疲れているのかもしれなかった。
 ふう、と一つため息をつき、あるぜんちな丸は航跡に背を向け船尾にしゃがみこんだ。することがなかった。自分は船の依り代でしかなく、人間の女の身とまるでおなじで輸送任務の乗り込みの一つすら手伝うことができない。任務の目的、向かう場所、具体的な情報などは聞かされるが、それすら時折忘れられて聞かされないことがあった。
 人間たちは戦争で忙しく、船は物資を運べればそれでよく、われら依り代はそこにいればいいだけなのだ。
 あるぜんちな丸の頭上に翻るのは、大日本帝国海軍の軍用船旗だ。これもなんとなく気に食わなかった。彼女は、船客には絶対に向けなかった品のない目つきでその旗を見上げた。
 過去と未来に期待も失望もしないことが自分の美点であり優れた点だとあるぜんちな丸は知っていた。だからなおさらその感傷を人間みたいな情念だと感じた。あるいは人間みたいな、ではなく、この時代の海に浮かぶすべての貨客船たちのような恨み、というべきか。
 社旗と日章旗ではなく、日章旗と軍艦旗あるいは軍用船旗を掲げなければならなくなった世界を、その日章旗の位置の前後の逆転を示して「前と後ろが狂ったおかしな世界」と罵ったのは、彼女の妹だった。
「見よ東海󠄀の空󠄁明󠄁けて、旭日高く輝けば……」
 あるぜんちな丸は人間たちに愛されている一曲を呟く。
 人間たちはもう、あの世界を忘れてしまったのだろうか。
 うつくしく舞う五色のテープ。翻る日章旗。解纜のときの浮ついた幸福感。身の寄り辺である祖国との離別。たとえその船の行く先が、草も生えない開拓地だろうが未開の地だろうが、そのうつくしさは誰にも犯せない。それを一番近くで見てきたこと。一番近くで感じてきたこと。
 多くの貨客船たちは、そのことを忘れられずにいる。
 たとえば、大阪商船の貨客船ぶら志"る丸もその一隻だった。
 船であることというよりも貨客船であることにつよく誇りと自負があったわが妹、ぶら志"る丸は、航空母艦としての誉れを受ける前にその身を海深くへと没していた。あれは亜米利加軍の雷撃がなくとも、たとえ一隻でも自ら死を選んだに違いない、というのが彼女の姉たるあるぜんちな丸の見解である。わが身を帝国海軍の航空母艦何鷹云々に成すなんて、あの子は決して許さなかっただろう。
 実際、特設運送船ぶらじる丸になったあたりからあれは明らかに精神的不調を抱えていたし、その不調はその当時の軍隊での疲労や苦痛というよりもむしろ、それ以前に持ちえた過去が問題なのだった。
 貨客船として人間達に愛されすぎたのだ、と海鷹は思った。妹はその愛情溢れる過去を過去であると捨て去ることができなかったのだ。そうしてわが身いっぱいに重い思い出を抱えた彼女は米潜の雷撃で沈んでいった。過去と共に。船の身と共に。誇りと共に。愛しき船長と共に。
 人間全般にも特定の人間にも貨客船としての自分にも、あるいは海に浮くことにすらつよい愛着を持たなかったことが特設輸送船あるぜんちな丸を海へと沈めなかった要因なのかもしれない。
「あるぜんちな丸!ここに居たか」
 そう言いながら船尾に現れたのは特設運送船あるぜんちな丸の監督官である。
 海軍の中佐たる彼はいつも堂々としていて、これが軍隊の人間なのだな、とあるぜんちな丸はいつも思っていた。もちろん船乗りたちが堂々としていないわけではないのだが。戦争中の軍人たちはとりわけ威勢がいいものだ。
「やることがないのはわかるが無意味にうろつくな」
「申し訳ございません。船内に居ても邪魔になるだけかと思いました」
 ふう、と監督官は一つ小さなため息をついた。あるぜんちな丸を見据え、なおはっきりとした口調で言う。よくよく言い聞かせようとしたらしい。
「あるぜんちな丸。海軍はふねを悪いようには扱わない。特にお前は航空母艦になる船だ」
 目と目が合う。
 どちらも先に逸らした方が負けだと思っている、そのようにあるぜんちな丸は感じた。だからなおさら目線を逸らすわけにはいかなかった。
「今は耐え忍べ。沈まないことを考えろ。海軍はお前に価値があるうちは悪くしない」
「私の乗組員はどうなりますか」
「人間様だって一緒さ」
 肩を竦めて大日本帝国海軍中佐たる監督官は言った。
 ふねとしての価値。
 だいたい私たち元貨客船が戦闘詳報で自らの栄光を語れるかどうかが問題なのだ。航海日誌の横文字の英語の綴りなど捨て去れねばならないのだ。
 人間にほんとうにその気持ちがわかるのだろうか。
 元貨客船のなかには、艦梯を登る際に大きくだぼついた軍袴の横部をドレスを引くように掴んで笑われた者もいるというのだから、その身に宿すふねの(さが)は深いものだ。人間たちは、そのことを都合よく忘れている気がする。ふねは皆ふねでしかない、という幻想が人間たちの思惑の間いっぱいに漂っている。特設艦艇という身に貨客船たちが容易に適応できると思っている。もちろんそうある船はいる。そうじゃない船もいる。人間たちの国家や国籍や民族名を統合したり分割したりしても、容易にその心情までは追いついてこないのとおなじだ。もっとも本土に閉じこもっている偉い人間たちがそれに気づくとも思えない。あるぜんちな丸は外国が好きだった。外国や外国人、外国にいる、外国に行く日本人が好きだった。本土の人間は小さくて適わん、という言葉は船長から三等客までに、そして船底の唐行きたちにさえも聞かせられる囁きだった。
 航空母艦になるための船じゃないんだけどな、という思いと、生まれた時から航空母艦としての計画を備えた船だった、という事実が、あるぜんちな丸の身と心を縛った。この時代に生まれたという事実がいけなかったのかもしれなかった。
 あるいは、私が私自身として生まれたことが。
「航空母艦になれば、とりあえず私は船尾をうろつくことがなくなりますね」
「そうだな、どこでも引っ張りだこだ。海軍で航空母艦をやるというのはそういうことだ。忙しくなるぞ」
 船底がどれだけ奥深く薄暗くても白粉姿の貨客船はいつもうつくしかった。そのうつくしさで多くの人間を惹き寄せ、惑わせてきた。そのつけが自身にも回ってきたのかもしれなかった。連れて行くのではなく連れて行かれる側に回ったということ。ただそれだけのこと。
 航空母艦何鷹か、変な名前だったら嫌だなあ。
 あるぜんちな丸はそう思った。もっとも名前なんぞ、軍の一兵として忙しくなればすぐに忘れるものなのかもしれなかった。軍隊というのはそういう場所だというのは、特設運送船でもすでにわかりつつあったのだ。

小説・推敲文章

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