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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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No.2456

それぞれの地獄、彼女だけの地獄

 野蛮な時代の波の上に彼女たちは揺蕩う、といえばそれは少し違うかもしれない。二十世紀までの人間たちはいつ如何なる時も野蛮であったし、ふねはそれらと共にあっただけであった。何度も続いてきた野蛮のとりわけ野蛮な時代に彼女らは揺蕩う。そして彼女ら、多くは1930年から後半にかけて勢ぞろいした日本商船隊にとっての"とりわけ野蛮"は太平洋戦争であった。
 この試みは一つの仮定である。ふねたちに人間の似姿がいたとしたら、という突飛な仮定にすぎない。ただその仮定により滲み出てくる可能性を描いていきたい。戦場だった海に、いまはただ鉄屑として沈んでいる艦船たちを、つむぐ言葉と引く線でまるで生きていたかのように形容し、飾りたて、白黒の映像と写真の世界に色を添え、音があるように描写し、匂いを錯覚させ、彼女らの属していた海を描き、彼女らが自由だった海を描き、海を荒立たせは彼女らを溺れさせ波を荒立てせては小舟のように翻弄させ、あるいはその波間のうえでの誇りを描き、繁栄させては彼女らを微笑ませ衰退させては彼女らを沈黙させる、そのことにより、なにかしらの視点が生まれるのではないか。たとえば、そこにあったはずの数多の生への視点とか。
 この物語の多くは「海を荒立たせは彼女らを溺れさせ波を荒立てせては小舟のように翻弄させ」「衰退させては彼女らを沈黙させる」時代を描いたものになるだろう。だがその中にも幸福や栄光、ちょっとしたきらめき、うつくしいものがあった。その一欠片を一欠片ずつ拾い集める作業のような物語でありたい。また、うつくしかったものとうつくしかったもの、あったものとなくなってしまったもの、その落差を色彩、いわば黄金時代の極彩と戦時下の灰色で描いていく。もちろん"灰"とは戦争、軍属、特設の艦艇、軍艦である状態に置かれたことの隠喩である。
 彼女らはそれぞれの顔があるだろう。幸せな表情や、苦悩に満ちた顔をするだろう。うつくしい顔をするだろう。しかしそう考えたときに思い浮かんだのは、現実と追憶の急激な落差についていけず笑うしかなかった人間たち、そしてふねたちの引き攣った笑み、それのみであった。
#「病院船の顛狂室」(艦船擬人化)

文章(全て)随筆・エッセイ艦船/〃擬人化

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