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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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カテゴリ「思念・雑感」に属する投稿6件]

2025年9月29日 この範囲を時系列順で読む

ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。

/『情念の力学』「波打際の論理」

沖縄の自分たちが狂気に囚われた素封家の女のように膝まづきながら海の向こうに渇望したのが、夫であり、都市であり、本土であり、近代であり、国家であった、という認識(だけど、それが正しいのかはわからない)

近代と通ずることができない、という感覚、近代に貫通されない、近代と盃を交わさない、近代と交わらないという感覚、時代を描く時に理解が必要であるというか、

(べつに沖縄がどうとか言いたいのではなくて、)

『攪乱する島』を読めばあの島にちゃんと近代が来ていたことはご理解できると思いますが……軍の装いをした近代が…

近代………

思念・雑感土地/〃擬人化歴史・時代/〃もの

 日本の大衆が自分自身の日常的思惟様式の欠陥にめざめるためには、在日朝鮮人からの打撃が必要である。私が負ってきた母国との断絶よりも深い傷そのものから、かりものの朝鮮らしさを超えた思想を生みだしてくれることがその一つだ。そのための試行錯誤が、日本人大衆の日常的思惟の世界に対する直接性である時期はなおつづくことだろう。大衆は異相分離ののちの無関心を贖罪だと感じているのだから。また同化の原理以外の対応を知らないから、目の前に立ちあらわれたものとの対応法がわからないぶきみさに、日本はさらされる必要がある。自分のもっていた発想法そのものをゆさぶられるという体験を意識にとどめたものは、敗戦後にやっとかすかに生じたにすぎない。

/「二つのことば・二つのこころ」『精神史の旅 1産土 森崎和江コレクション』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

 いま一つは、国家の「壊疽」になろうとする主張です。この主張を新川さんは、「あたかも壊疽のように、〈国家としての日本〉を内側から腐蝕し」とも、「国家としての日本に対する決定的な「()としての沖縄の(、、、、、、、)存在を思想化(、、、、、、)するとも表現しています。同化の対極に立とうとする思想というべく、ここに至って反復帰論は、「反国家としての兇区」として完結します。

/『沖縄の戦後思想を考える』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

〈いっちゃん、また関東大震災のような大きな地震が起こったら、朝鮮人は虐殺されるかしら。一円五十銭、十円五十銭と言わされて竹槍で突つかれるかしら。でも今度はそんなこと起こらないと思うの、あの頃とは世の中の事情が違っているもの。それにほとんどが日本人と全く同じように発音できるもの。ね、いっちゃん、それでも殺されることになったら、私を恋人だってしっかり抱きしめて、私と、私と一緒にいてくれる?いえ、今度は絶対に虐殺なんてされません。でもそれでは困る、私を殺してくれなくちゃあ。私は逃げ惑うの、その後ろを狂った日本人が竹槍や日本刀を持って追いかけてくるわ、私は逃げきれなくて、背中をぐさっと刺されて、胸も刺されて血だらけになってのたうち廻るの。いっちゃん、あれは痛いのね、とっても――この間いっちゃんが研いだ包丁を掴んでみた。そしたら身体がびりびりとしびれて興奮してきて、まるでセックスをしている時のような気持ちになったわ。私、自分が何故お料理が嫌いなのか解ったような気がした。恐いのよ、あのびりびりした感じがたまらなかったのよ。それでね、その包丁で胸のところと手首を切りつけてみたの。痛かった。それに血が、本当にわっと出てくるんだもの。ぐさりとやってみたかったけれど、もっと血が出るのかと思うと恐くなって――今度は金槌で脚を叩いてみたわ、そしたらやっぱり痛かった。ねえ、いっちゃん、私は虐殺されるかしら、ねえ、どうなるの、もしも殺されなかったら、私は日本人なわけ?でもどうしよう、あれは痛いものね、血がいっぱい出るんだものね〉

/李良枝「かずきめ」『由煕 ナビ・タリョン』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

はい、「「ハッキング」から「今晩のおかず」までを手広くカバーする巨大ネット掲示板群」というキャッチコピーが好きです。好きなのはキャッチコピーだけですが……

思念・雑感

自分の自炊料理から国家の歴史までがごちゃ混ぜになって一つの文章を形成している、またそういう小説が好きで、その一つが李良枝なんだけど、実はそのごちゃ混ぜ=何かの実感を自炊料理を経過させて国家の歴史を順繰りに結びつけて体感することことが、身体性というものの本髄なんだろうか

思念・雑感

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