喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

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擬人化で歴史を描くことで、考証的な何かが決定的に違っていても「擬人化創作なので!!」で逃げることにしていて、それは最終手段であり逃げの姿勢であり、敗走のみっともない手段だが、この「逃げ道」の確保をしていることで自信を持って腹をくくって創作を世に送り出している節はある

「考証的な何か」は具体的に言えば、今は「知っている資料があまりに不足していて、当事者の感じていた空気が感じ取れない」所かな…
海運の人たちがどうしていて何を考えていたのか、軍隊と比べるといまいちわからない

お元気ですか。お手紙、丁寧に有難う。「創作の対象が背景に歴史の文脈を付帯させている時に、加害への直視と批判意識こそが重要である」とのお言葉を頂戴しました。「愛情とは直視であり瞠目でも眩しさにくらむ盲目でもない」ことを弁えるべきであり、時間という私達の特権が対象と距離を生んでいることを有難く享受するのが、いちばん誠実な方法かもしれません。

貨客船シャルンホルストの「異郷での客死」
ドイツではなく日本(というより済州島付近の沈没地点の海)で沈没したこと、の他に商船として海を航海するように生まれたのに軍艦としての戦火での死を迎えたことについても言っている気がする

人間
人間の絶望や悲劇や死で話を過激に着彩することはできるが、苦楽の間の揺れ様や悲喜の絶妙な差異や、なにより人間そのものへの信頼を描き得ず、物語が物語として必要とされる所以、人間が物語を必要とする理由たる人間の孤独、欠落、渇きを回復する優しさを持つ物語を設計することができない

公娼性と船はふかいところで結びついている、みたいな感覚はある