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2025年5月24日 この範囲を時系列順で読む
Une Barque sur L'Ocean
アナウンスは空でもいえます。すべてそらんじられるんです。ときどき寝言でも、ひとりでごにょごにょいっているらしいです。長旗がはためいている汐入桟橋をはなれる、スタッフさんたちが手を振りながらお客さまとわたしを見おくる、桟橋とそのうえの人影が小さくなってゆく――「みなさま、お待たせしました、本船はこれより桟橋を出港していきます」「本日は、YOKOSUKA軍港めぐりにご乗船いただき、まことにありがとうございます」。浅い海を蹴っていくんです、海はだんだんと深く、濃く、つめたく、美しくなってゆくのがわかる。その感覚がとてもきもちいい。
……あっ、ぼうっとしてる場合じゃないわ!案内人さんのアナウンスがすぐに右にみえる潜水艦の存在を知らせるのです、「普段は一隻もいない日もあるんですよ」。潜水艦さんたちはすぐにどこか、知らないところにいなくなってしまうから。「みなさま、めずらしい潜水艦を見れて、とてもとてもラッキーでしたね」。わたしたち遊覧船とはちがって、自分の名前を知られないことを誇らねばならないふねもいるのです。美しい小旗にも白い船体にも縁のないふね、風船や紙テープは生まれた瞬間のあとには縁のないふね、千四百円を払っても乗ることのできないふねたち……。
この港には、いろんな国のいろんな艦船がいます。軍艦、護衛艦、空母、えい船さん……除籍された、かつて艦だったものたち……ときどき抗議をしにくるふねたち。ひどく騒がしく、荒々しい港だと思います。最初は、彼らの大きなすがたに戸惑うことも多くありました。そんな彼らすべての名前と存在理由とを把握して、土壇場の、本番一発勝負でアナウンスをするのです。
気づいたらさっきいた艦がいないし、知らないあいだにどこかの艦艇があたりまえの顔をして入港してくる。前方から入港してきたのは……いま前方で停泊しているのは……。「85番『マッキャンベル』、そしてそのおとなりが52番の『バリー』」……「イージス艦の一隻の建造費用は約千五百億円、世界に百隻ほどしかいないイージス艦が、ここに十隻もいるんです」……「合計一兆五千億円の風景です」……「百万ドルの夜景なんて目じゃありませんね」(わらう)……「前方右に見えてきました、あれが原子力空母『ロナルド・レーガン』です」「あそこはここからしか見れませんよ、この軍港めぐりの船の上からしか見れません、この船の上からよおく、見ておいてくださいね」。この船のうえから……(小さく呟き、沈黙)。
……大変な苦労だと思います。わたしもなんどか、あのアナウンスをやらせていただいたことがあるんです。せがんだんですよ、自分から(わらう)。わたしにだってできるわ!やってみたいの!やらせてよ!そういってやらせていただきました。困らせてしまったと、いまでは思っています。
できるんです、わたしにも。アナウンスが。毎日なんども聞いていたからなのか、わたしがそういうふうに生まれているからなのか、それはわたしにもわかりません。でもできるの。アナウンスをするときだけはよく話すね、ってみんなにいわれます(わらう)。アナウンスのときはとてもなめらかに話せるね、きっとそういう星のもとにうまれたんだね……。
わたしのおねえさまは――「シーフレンドⅤ」です、いまは「ルーカス」――昔はもっと大変だったわ、といっていました。券売所だって小さかったし、わたしだって小さかったから乗せられるお客さまの数もかぎられるし、なによりそう、この海の居心地がとてもわるかったの、って。
軍港めぐりがはじまった当初は、艦艇さんたちは遊覧船にたいしてあまりいい顔をしなかったらしいのです。軍港の中を小船がなんども行ったり来たりしてたら邪魔だし、目ざわりだし、自分たちが見せものあつかいされるのは、あまりきもちいいものではなかったのかもしれません。ここはおれたちの海なんだぞ!ここは横須賀なんだから……軍港なんだから(沈黙)。米軍の船がうしろから追いかけてくることもあったらしいの。小さな船が、大きな艦艇たちのあいまをぬって監視されながら泳ぐのは、とてもこわかったとおもいます。「お客さまが手を振っても振りかえしてくれないさみしさ、まるでそこにいないかのように無視されるかなしさ、あるいはアメリカさんに追いかけまわされることの怖さ」……そういうことを、あとひとはあの小さな身で経験していたんです。
その分、わたしはとても恵まれています。艦艇さんたちはお客さまとわたしに手を振ってくれる。陸で会うとおしゃべりもするの。今日は波が高かったよね、大丈夫だった?とか。「十一時の便、きりしまの入港が間近で見れて当たりだったよね」とか(わらう)。アメリカの艦艇さんもわたしをおもしろい小船だとおもっているのか、やさしい英語で話しかけてくれます。なにもかも、先代の苦労のおかげです。
まえに一度、横浜のロサ・アルバ嬢に聞かれたことがあるんです、横須賀の海って怖くないの?って……「艦艇さんって、一般公開のために一隻でいるときはとても紳士的なふねにみえるけど、集団で並んでいるとすこし怖いよね」ってあの子はいうの(わらう)。
だからわたしはいいました、「怖くないわ、彼らはわたしに手を振りかえしてくれるんですもの」って。「あっ!乗組員の皆さんが大きく手を振ってくださっていますね、ありがとうございます」そしてわたしも、大きく大きく手を振りかえすのです、本当に、本当に本当に、本当にありがとう!ありがとう、わたしに親愛を示してくれて……任務中でも無視しないでくれて……軍港に泳ぐ遊覧船をうけいれてくれて(沈黙)
……わたしと彼らのあいだには、先代から積みかさねた長いつきあいがある……信頼があると、そう思っています。艦たちと船に。そしてそれらに乗っている人びととの間に……。本当のところ、あちらはこちらをどう思ってるかはわからないけれど(わらう)……好きなんです。この港が、この軍港が。横須賀軍港の海を泳ぐ遊覧船であることに、とてもつよい愛着があるんです。
横須賀消磁所のあいだから見える広い海、あの景色をいつも夢に見ます。わたしは大海原に揺蕩う小船。きっと、わたしはベッドのなかでごにょごにょいってるんだとおもいます。みなさま、大海原が見えてきました、一面の美しい青色です、今日はお天気もよく海上がよく見わたせます、前方のはるか遠くにいるあの艦の名前は――
アナウンスは空でもいえます。すべてそらんじられるんです。ときどき寝言でも、ひとりでごにょごにょいっているらしいです。長旗がはためいている汐入桟橋をはなれる、スタッフさんたちが手を振りながらお客さまとわたしを見おくる、桟橋とそのうえの人影が小さくなってゆく――「みなさま、お待たせしました、本船はこれより桟橋を出港していきます」「本日は、YOKOSUKA軍港めぐりにご乗船いただき、まことにありがとうございます」。浅い海を蹴っていくんです、海はだんだんと深く、濃く、つめたく、美しくなってゆくのがわかる。その感覚がとてもきもちいい。
……あっ、ぼうっとしてる場合じゃないわ!案内人さんのアナウンスがすぐに右にみえる潜水艦の存在を知らせるのです、「普段は一隻もいない日もあるんですよ」。潜水艦さんたちはすぐにどこか、知らないところにいなくなってしまうから。「みなさま、めずらしい潜水艦を見れて、とてもとてもラッキーでしたね」。わたしたち遊覧船とはちがって、自分の名前を知られないことを誇らねばならないふねもいるのです。美しい小旗にも白い船体にも縁のないふね、風船や紙テープは生まれた瞬間のあとには縁のないふね、千四百円を払っても乗ることのできないふねたち……。
この港には、いろんな国のいろんな艦船がいます。軍艦、護衛艦、空母、えい船さん……除籍された、かつて艦だったものたち……ときどき抗議をしにくるふねたち。ひどく騒がしく、荒々しい港だと思います。最初は、彼らの大きなすがたに戸惑うことも多くありました。そんな彼らすべての名前と存在理由とを把握して、土壇場の、本番一発勝負でアナウンスをするのです。
気づいたらさっきいた艦がいないし、知らないあいだにどこかの艦艇があたりまえの顔をして入港してくる。前方から入港してきたのは……いま前方で停泊しているのは……。「85番『マッキャンベル』、そしてそのおとなりが52番の『バリー』」……「イージス艦の一隻の建造費用は約千五百億円、世界に百隻ほどしかいないイージス艦が、ここに十隻もいるんです」……「合計一兆五千億円の風景です」……「百万ドルの夜景なんて目じゃありませんね」(わらう)……「前方右に見えてきました、あれが原子力空母『ロナルド・レーガン』です」「あそこはここからしか見れませんよ、この軍港めぐりの船の上からしか見れません、この船の上からよおく、見ておいてくださいね」。この船のうえから……(小さく呟き、沈黙)。
……大変な苦労だと思います。わたしもなんどか、あのアナウンスをやらせていただいたことがあるんです。せがんだんですよ、自分から(わらう)。わたしにだってできるわ!やってみたいの!やらせてよ!そういってやらせていただきました。困らせてしまったと、いまでは思っています。
できるんです、わたしにも。アナウンスが。毎日なんども聞いていたからなのか、わたしがそういうふうに生まれているからなのか、それはわたしにもわかりません。でもできるの。アナウンスをするときだけはよく話すね、ってみんなにいわれます(わらう)。アナウンスのときはとてもなめらかに話せるね、きっとそういう星のもとにうまれたんだね……。
わたしのおねえさまは――「シーフレンドⅤ」です、いまは「ルーカス」――昔はもっと大変だったわ、といっていました。券売所だって小さかったし、わたしだって小さかったから乗せられるお客さまの数もかぎられるし、なによりそう、この海の居心地がとてもわるかったの、って。
軍港めぐりがはじまった当初は、艦艇さんたちは遊覧船にたいしてあまりいい顔をしなかったらしいのです。軍港の中を小船がなんども行ったり来たりしてたら邪魔だし、目ざわりだし、自分たちが見せものあつかいされるのは、あまりきもちいいものではなかったのかもしれません。ここはおれたちの海なんだぞ!ここは横須賀なんだから……軍港なんだから(沈黙)。米軍の船がうしろから追いかけてくることもあったらしいの。小さな船が、大きな艦艇たちのあいまをぬって監視されながら泳ぐのは、とてもこわかったとおもいます。「お客さまが手を振っても振りかえしてくれないさみしさ、まるでそこにいないかのように無視されるかなしさ、あるいはアメリカさんに追いかけまわされることの怖さ」……そういうことを、あとひとはあの小さな身で経験していたんです。
その分、わたしはとても恵まれています。艦艇さんたちはお客さまとわたしに手を振ってくれる。陸で会うとおしゃべりもするの。今日は波が高かったよね、大丈夫だった?とか。「十一時の便、きりしまの入港が間近で見れて当たりだったよね」とか(わらう)。アメリカの艦艇さんもわたしをおもしろい小船だとおもっているのか、やさしい英語で話しかけてくれます。なにもかも、先代の苦労のおかげです。
まえに一度、横浜のロサ・アルバ嬢に聞かれたことがあるんです、横須賀の海って怖くないの?って……「艦艇さんって、一般公開のために一隻でいるときはとても紳士的なふねにみえるけど、集団で並んでいるとすこし怖いよね」ってあの子はいうの(わらう)。
だからわたしはいいました、「怖くないわ、彼らはわたしに手を振りかえしてくれるんですもの」って。「あっ!乗組員の皆さんが大きく手を振ってくださっていますね、ありがとうございます」そしてわたしも、大きく大きく手を振りかえすのです、本当に、本当に本当に、本当にありがとう!ありがとう、わたしに親愛を示してくれて……任務中でも無視しないでくれて……軍港に泳ぐ遊覧船をうけいれてくれて(沈黙)
……わたしと彼らのあいだには、先代から積みかさねた長いつきあいがある……信頼があると、そう思っています。艦たちと船に。そしてそれらに乗っている人びととの間に……。本当のところ、あちらはこちらをどう思ってるかはわからないけれど(わらう)……好きなんです。この港が、この軍港が。横須賀軍港の海を泳ぐ遊覧船であることに、とてもつよい愛着があるんです。
横須賀消磁所のあいだから見える広い海、あの景色をいつも夢に見ます。わたしは大海原に揺蕩う小船。きっと、わたしはベッドのなかでごにょごにょいってるんだとおもいます。みなさま、大海原が見えてきました、一面の美しい青色です、今日はお天気もよく海上がよく見わたせます、前方のはるか遠くにいるあの艦の名前は――
手紙[抄]
お身体のぐあいはいかがかしら。今日は雨が降りそうですけれど。
こういうときに、いつもあの村の水の音を思いだしてしまいます。あれはね、長いあいだ、わたしの子守唄だったの。あとは苗の長い葉がたくさんさざめくあの音。わたしのふるさとにもうつくしいものはあったんです。あなたはそんなものは見なかったかもしれないけれど。
この村の女は前近代的な掟に縛られていましたね。それはわたしもおなじでした。わたしのははもおなじでした。そのなかで丙江伯母様は唯一の反抗者だったといってもいいけれど、反抗は完遂されることはなかった。
母は言いました。
「丙江はほんとうにあの男が好きだったの?なにか錯覚していたんじゃないのかしら、あの二人……。丙江が欲しかったのはべつの生き方だった。あの男だって望んだのは男の勲章と勢いの収めどころだった。あの二人が相手に見ていたのは自分自身の未来だった。可能性の投影だけがあいだにただよっていた。わたしにはそれがわかっていた。あなたにもそれがわかっていたでしょうね」
母が言っていたことは、丙江叔母様がほんとうに欲しかったのは伴侶ではなくこの村から出るための手段と、その後の生活の拠点だったのではないか。その相手たる男も、得たかったものは龍賀一族の娘を獲得したという男としての小さな勝利か、手を出してしまった面倒事の収束などの別の終着点があったのではなかったか。二人の目的は固く愛を結ぶことではなく、村を出ること、あるいは面倒から逃げきることだけにあったのではなかろうか。両者は互いに目的と手段の混同し、執着と情愛の違いをも誤認していたのではなかろうか。
わたしはそれを、何も与えてくれなかった母が娘に下した唯一の警告として胸に秘めていました。ね、これはまるでわたしたちそのものではありませんか?
(「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」)
お身体のぐあいはいかがかしら。今日は雨が降りそうですけれど。
こういうときに、いつもあの村の水の音を思いだしてしまいます。あれはね、長いあいだ、わたしの子守唄だったの。あとは苗の長い葉がたくさんさざめくあの音。わたしのふるさとにもうつくしいものはあったんです。あなたはそんなものは見なかったかもしれないけれど。
この村の女は前近代的な掟に縛られていましたね。それはわたしもおなじでした。わたしのははもおなじでした。そのなかで丙江伯母様は唯一の反抗者だったといってもいいけれど、反抗は完遂されることはなかった。
母は言いました。
「丙江はほんとうにあの男が好きだったの?なにか錯覚していたんじゃないのかしら、あの二人……。丙江が欲しかったのはべつの生き方だった。あの男だって望んだのは男の勲章と勢いの収めどころだった。あの二人が相手に見ていたのは自分自身の未来だった。可能性の投影だけがあいだにただよっていた。わたしにはそれがわかっていた。あなたにもそれがわかっていたでしょうね」
母が言っていたことは、丙江叔母様がほんとうに欲しかったのは伴侶ではなくこの村から出るための手段と、その後の生活の拠点だったのではないか。その相手たる男も、得たかったものは龍賀一族の娘を獲得したという男としての小さな勝利か、手を出してしまった面倒事の収束などの別の終着点があったのではなかったか。二人の目的は固く愛を結ぶことではなく、村を出ること、あるいは面倒から逃げきることだけにあったのではなかろうか。両者は互いに目的と手段の混同し、執着と情愛の違いをも誤認していたのではなかろうか。
わたしはそれを、何も与えてくれなかった母が娘に下した唯一の警告として胸に秘めていました。ね、これはまるでわたしたちそのものではありませんか?
(「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」)
3/7→1/3→1/1
メンサーの家族はただ弊機を嫌っています(ただし七人の子どもたちはそうではありません。そのうち三人とはフィードを通じて触法メディアを交換する仲です)。ある日、そのうちのさらに一人がどうしても『遭難信号』を観たいと弊機にせがんできました。弊機は彼女の年齢には早計なドラマだと感じました。このドラマには人間たちの死や血液や暴力や裏切りや悲劇ばかりが描かれています。性的で教育上よくないシーンも多いです。そしてなにより暗い。この物語が好きな人間たちは総じて若いか、不幸かのどちらかでした。それでも彼女は弊機にそのドラマを求めました(彼女の年齢では正規の手段で入手することはできませんでした)。なので弊機はそれに応じました。彼女がその物語を求めるのなら、それを止める権利はないと思ったからです。しかしフィードでこれだけは伝えました。登場人物のオデットには気をつけること。彼女に恋をしないこと、彼女を愛して悲しみに暮れないこと。この物語を好きになる人間たちはみな彼女に恋をするのです。なんとなくこの子もその一人になってしまうような気がしました。
#『マーダーボット・ダイアリー』
メンサーの家族はただ弊機を嫌っています(ただし七人の子どもたちはそうではありません。そのうち三人とはフィードを通じて触法メディアを交換する仲です)。ある日、そのうちのさらに一人がどうしても『遭難信号』を観たいと弊機にせがんできました。弊機は彼女の年齢には早計なドラマだと感じました。このドラマには人間たちの死や血液や暴力や裏切りや悲劇ばかりが描かれています。性的で教育上よくないシーンも多いです。そしてなにより暗い。この物語が好きな人間たちは総じて若いか、不幸かのどちらかでした。それでも彼女は弊機にそのドラマを求めました(彼女の年齢では正規の手段で入手することはできませんでした)。なので弊機はそれに応じました。彼女がその物語を求めるのなら、それを止める権利はないと思ったからです。しかしフィードでこれだけは伝えました。登場人物のオデットには気をつけること。彼女に恋をしないこと、彼女を愛して悲しみに暮れないこと。この物語を好きになる人間たちはみな彼女に恋をするのです。なんとなくこの子もその一人になってしまうような気がしました。
#『マーダーボット・ダイアリー』
創作情勢の回顧と展望 2022年5月号(コミティア140で頒布したペーパー)
こんにちは。津崎です。
ペーパーに書くことがなくて急いで文章を書いています。いつもは新刊の解題を書いていることが多いので、そんなことを書こうかなぁと思いつつ言語化が難しくもにょもにょ……と思いながら休みをぼんやりとしています。ふねが見てぇな……。ふねの話もみんなとしたい。そして同人誌語りもしたい。
では、ペーパーの本題としての『永遠のいのち』の話をしたいと思います。
COVID-19対策のための規制もだいぶ緩和されたので、初めて感染が拡大した時の非常事態感をすでに思い出せなくなりつつあることに少し驚いています。
「シン・ゴジラ」で濁流に流されていくボートの群れを見て映画館で気持ち悪くなったことがあったのに、あの映像に何も感じなくなってすでに久しいです。すでにシンゴジを「ポスト3.11(東日本大震災)映画」として観ることができなくなっていることに気づきました。たまたまyoutubeで関連動画として出てきた津波に流されている人たちの動画を見てしまった時に感じた「同じ共同体に属している人が死んでいる」というその場限りで単純で危うい悲しみと使命感のようなものを思い出せるのですが、それもすでに実感としてはついてこないです(まあその共同体への高揚感に限っていえば早く忘れた方が良いのですが……)。
新型コロナ文学の多くやこの『永遠のいのち』も、「そんなことがあったなぁ」という、新型コロナ騒動が記録上だけの存在になったことをあらためて確かめるだけのものになるのかもしれません。あるいは脱新型コロナ化した領土から読む、ただの恋愛や日常や人生の物語として読まれる日が来るのかもしれないと思っています。シンゴジはめっちゃ面白いし価値がある優れた映画なんだけど、それはSF要素やメカミリや非実在の実在性を突き詰めている描写がその面白さを担っている気がします。なので脱3.11化した領土から観るシンゴジはやはり映画として面白い。でも、あの流されるボートや瓦礫、防護服、原発、被災民などのディテールへの「理解」が私に(もしかしたらあなたに)できること、それはやはりあの映画を観ることにおいて重要である気がします。それが「理解」できることは私の強みです。強み、というか、経験した不幸の中から見出せる価値の一つ、そう、たぶんそんなのです。
あなたが東日本大震災下の社会を経験したかどうかは知りません。でも新型コロナ下の社会は経験しています。私とあなたは新型コロナの社会を経験しています。
新型コロナ下のディティールが「理解」として通じる時間を共に過ごしています。新型コロナの経験は不幸ですが、この共通の「理解」は価値のあるものだと考えたいのです。
その時に、あなたにふねの話がしたかったのです。
いまの社会の現状の「理解」ができるあなたに、もしかしたら興味や知識の問題でふねの現状は「理解」できないあなたに、新型コロナ下のふねの話がしたかった。
特に商船の現状の話がしたかった。新型コロナで浮き彫りになったことの一つが観光業への打撃でしたから。今回『永遠のいのち』に登場した一定の船たちは観光業に従事しているといっていい船たちでした。観光船もクルーズ客船もお客が減りましたし、運休もしました。少しは仲間が引退しました。世界的にいえば多くの船が感染症の影響で引退して解体現場や船の墓場へと曳かれていきました。新型コロナ対策の制限が緩和されているといえども今後もそれは続くでしょう。多くの船は末路を迎えるでしょう。不本意で。少し早めで。唐突で。実感のない。そんな終わりを。
私はそんな船のいまの話をしたい。
そしていまの船の命題としての永遠の命の話をしたいと思ったのです。
現在の商船に焦点を当てるときに、永遠の命の話をしようと思いました。
正確にいえば「永遠の命」という常に反語で語られてきたものの話をしようと思ったのです。反語として、有限の命の話として。
終わりに曳かれていくかもしれないという不安を抱えている船と、終わりに曳かれていく不安のない船だったものを対比させることによりそれは鮮やかに浮き彫りになるのではないかと考えました。
コロナ禍の飛鳥Ⅱに対して解体されることがない氷川丸が語る「永遠の命」は死ぬことに似ています、そして沈んだことや解体されたこととほぼ同じでした。ふねは海を往ってこそのもの、それはふねの大前提だからです。だから氷川丸は最期への怯えを見せた飛鳥Ⅱに向かって永遠の命が欲しくないかと尋ねます。本当に永遠の命が欲しいのか?本当に?そんなわけないだろう?これは先達なりの応援の言葉です。反語としての提示でした。
ここから飛鳥Ⅱはこの先を見出すのだと思います。また氷川丸以外の多くの現役船たちもそれぞれがそれぞれのきっかけで再び未来を見出していくのでしょう。有限の命の有限の使い方を。シーバス、シーフレンド7。ロサ・アルバ、ゆめはま。マリーン・ルージュ。にっぽん丸。飛鳥Ⅱ。ほかあまたのふねたちも。永遠の鈍りではなく一瞬の燃えるような生を彼らは歩んでいきます。おそらくは。収支と物理的耐久の許す限り。収支といえば、商いのための船という命題も描いたつもりです。存在意義の一つですから。
物語は予兆だけを残して終わりました。来たるべき「未来」を物語にするには2020年-2021年の連載時では早すぎました。ふねたちが、特に物流や観光を商売とする商船たちが経験した不幸の中から何かを見出すことはまだないのでは、仮に見出していたとしてもそれを物語として落とし込むことは時期尚早なのでは、と考えざるを得ませんでした。新型コロナの惨禍はいまも続いているからです。
だから、私はそのまま「そこにある」をとっておくように努めて描きました。あるがままとしてその状況を描いておく。答えは五年後、十年後にわかるかもしれない。未来にこの同人誌を蔵書から見つけて「彼らにそんなこともあったなぁ」と笑ってあげたいのです。十年後の未来で、新型コロナの終息した未来で。彼らが答えをだすことを、未来があることを、五年後十年後があることを確信したいのです。その予兆と私の期待を、この物語から感じ取って頂けたらこれ以上の幸せはありません。そしてなによりも、この物語を、人間たちの感染症のために忌避された船、不安にくれた船、未来を信じられなかった船、存在意義を果たせなかった船、またそれによる経営悪化や赤字という極めて商船的な理由のため、番狂わせで唐突な"終わり"を迎えた船たちに無力ながら捧げたいと思います。この度はお手に取っていただきほんとうにありがとうございました。
こんにちは。津崎です。
ペーパーに書くことがなくて急いで文章を書いています。いつもは新刊の解題を書いていることが多いので、そんなことを書こうかなぁと思いつつ言語化が難しくもにょもにょ……と思いながら休みをぼんやりとしています。ふねが見てぇな……。ふねの話もみんなとしたい。そして同人誌語りもしたい。
では、ペーパーの本題としての『永遠のいのち』の話をしたいと思います。
COVID-19対策のための規制もだいぶ緩和されたので、初めて感染が拡大した時の非常事態感をすでに思い出せなくなりつつあることに少し驚いています。
「シン・ゴジラ」で濁流に流されていくボートの群れを見て映画館で気持ち悪くなったことがあったのに、あの映像に何も感じなくなってすでに久しいです。すでにシンゴジを「ポスト3.11(東日本大震災)映画」として観ることができなくなっていることに気づきました。たまたまyoutubeで関連動画として出てきた津波に流されている人たちの動画を見てしまった時に感じた「同じ共同体に属している人が死んでいる」というその場限りで単純で危うい悲しみと使命感のようなものを思い出せるのですが、それもすでに実感としてはついてこないです(まあその共同体への高揚感に限っていえば早く忘れた方が良いのですが……)。
新型コロナ文学の多くやこの『永遠のいのち』も、「そんなことがあったなぁ」という、新型コロナ騒動が記録上だけの存在になったことをあらためて確かめるだけのものになるのかもしれません。あるいは脱新型コロナ化した領土から読む、ただの恋愛や日常や人生の物語として読まれる日が来るのかもしれないと思っています。シンゴジはめっちゃ面白いし価値がある優れた映画なんだけど、それはSF要素やメカミリや非実在の実在性を突き詰めている描写がその面白さを担っている気がします。なので脱3.11化した領土から観るシンゴジはやはり映画として面白い。でも、あの流されるボートや瓦礫、防護服、原発、被災民などのディテールへの「理解」が私に(もしかしたらあなたに)できること、それはやはりあの映画を観ることにおいて重要である気がします。それが「理解」できることは私の強みです。強み、というか、経験した不幸の中から見出せる価値の一つ、そう、たぶんそんなのです。
あなたが東日本大震災下の社会を経験したかどうかは知りません。でも新型コロナ下の社会は経験しています。私とあなたは新型コロナの社会を経験しています。
新型コロナ下のディティールが「理解」として通じる時間を共に過ごしています。新型コロナの経験は不幸ですが、この共通の「理解」は価値のあるものだと考えたいのです。
その時に、あなたにふねの話がしたかったのです。
いまの社会の現状の「理解」ができるあなたに、もしかしたら興味や知識の問題でふねの現状は「理解」できないあなたに、新型コロナ下のふねの話がしたかった。
特に商船の現状の話がしたかった。新型コロナで浮き彫りになったことの一つが観光業への打撃でしたから。今回『永遠のいのち』に登場した一定の船たちは観光業に従事しているといっていい船たちでした。観光船もクルーズ客船もお客が減りましたし、運休もしました。少しは仲間が引退しました。世界的にいえば多くの船が感染症の影響で引退して解体現場や船の墓場へと曳かれていきました。新型コロナ対策の制限が緩和されているといえども今後もそれは続くでしょう。多くの船は末路を迎えるでしょう。不本意で。少し早めで。唐突で。実感のない。そんな終わりを。
私はそんな船のいまの話をしたい。
そしていまの船の命題としての永遠の命の話をしたいと思ったのです。
現在の商船に焦点を当てるときに、永遠の命の話をしようと思いました。
正確にいえば「永遠の命」という常に反語で語られてきたものの話をしようと思ったのです。反語として、有限の命の話として。
終わりに曳かれていくかもしれないという不安を抱えている船と、終わりに曳かれていく不安のない船だったものを対比させることによりそれは鮮やかに浮き彫りになるのではないかと考えました。
コロナ禍の飛鳥Ⅱに対して解体されることがない氷川丸が語る「永遠の命」は死ぬことに似ています、そして沈んだことや解体されたこととほぼ同じでした。ふねは海を往ってこそのもの、それはふねの大前提だからです。だから氷川丸は最期への怯えを見せた飛鳥Ⅱに向かって永遠の命が欲しくないかと尋ねます。本当に永遠の命が欲しいのか?本当に?そんなわけないだろう?これは先達なりの応援の言葉です。反語としての提示でした。
ここから飛鳥Ⅱはこの先を見出すのだと思います。また氷川丸以外の多くの現役船たちもそれぞれがそれぞれのきっかけで再び未来を見出していくのでしょう。有限の命の有限の使い方を。シーバス、シーフレンド7。ロサ・アルバ、ゆめはま。マリーン・ルージュ。にっぽん丸。飛鳥Ⅱ。ほかあまたのふねたちも。永遠の鈍りではなく一瞬の燃えるような生を彼らは歩んでいきます。おそらくは。収支と物理的耐久の許す限り。収支といえば、商いのための船という命題も描いたつもりです。存在意義の一つですから。
物語は予兆だけを残して終わりました。来たるべき「未来」を物語にするには2020年-2021年の連載時では早すぎました。ふねたちが、特に物流や観光を商売とする商船たちが経験した不幸の中から何かを見出すことはまだないのでは、仮に見出していたとしてもそれを物語として落とし込むことは時期尚早なのでは、と考えざるを得ませんでした。新型コロナの惨禍はいまも続いているからです。
だから、私はそのまま「そこにある」をとっておくように努めて描きました。あるがままとしてその状況を描いておく。答えは五年後、十年後にわかるかもしれない。未来にこの同人誌を蔵書から見つけて「彼らにそんなこともあったなぁ」と笑ってあげたいのです。十年後の未来で、新型コロナの終息した未来で。彼らが答えをだすことを、未来があることを、五年後十年後があることを確信したいのです。その予兆と私の期待を、この物語から感じ取って頂けたらこれ以上の幸せはありません。そしてなによりも、この物語を、人間たちの感染症のために忌避された船、不安にくれた船、未来を信じられなかった船、存在意義を果たせなかった船、またそれによる経営悪化や赤字という極めて商船的な理由のため、番狂わせで唐突な"終わり"を迎えた船たちに無力ながら捧げたいと思います。この度はお手に取っていただきほんとうにありがとうございました。
日本郵船歴史博物館閉館(移転)雑感諸々
日本郵船歴史博物館を初めて訪問したのは二〇一八年前後だと思われる。艦船を追いかけ始めたのは二〇一二年末の頃だったから、そこから数えれば五年も後のことだった。出不精とはいえ、関東の艦船オタクにしてはこの博物館に対してノーマークだったといえる。
恥ずかしながら正直に告白すると、私にとっての「ふね」とは長らく「海軍の艦艇」のことであった。
それは戦史・ミリタリー趣味から始まった「艦船の追いかけ」だったためでもあるし、軍隊という歴史では良くも悪くも著名な存在に対して、海運会社やその仕事や担った文化的価値というものは「ふねの歴史」に関わる存在としては地味なものだったからだ。その「地味」という評価は何かしらの侮蔑や蔑視や軽視ではなく、単純な無知に由来する「初心者には受信できないマイナーな情報」という意味での「地味」だった。
歴史という大河にまったく詳しくなく、なぜその艦が必要とされたのか、軍艦とは何か、海軍の由来は、海軍の意味は、国家の矛と盾としての軍隊とは、当時の時代の日本の様相は、世界の海とは……。あるいは、海運会社が文化面で担った責務とは?貨客船で行いたかった生業とは?そのような世界の展望や横断した知見には程遠い視点で、個々の艦の知識というよりは情報ばかりを己のなかで肥大させていた(この空母の排水量は、艦載機は云々……)。
さらに私の言う「海軍のふね」といえば軍艦――戦艦や航空母艦、巡洋艦――であって、特設監視艇や病院船、あるいは海防艦などでは決してなかった。後者はいわんや無知な人間にはあまりに「地味」すぎた。私にとって艦は美しいものであり、美しければそれで十分で、その艦の基本情報と周りとの関係性が多少分かればそれでよかったのである。戦闘は戦争の華である。戦闘艦は美である。海上護衛などはいくらかの人間が言うように意味も、存在も、実際の任務自体も、ことごとく文字通り地味であり、同時に上記の意味でも「地味」で初心者には理解ができない複雑怪奇なふねの運用方法だったのだ。
そうしてふねの浅瀬で遊んでいるうちに五年が経過した。
何をして海上護衛や徴用船、特設艦船などに興味を持てたのか、日本郵船歴史博物館の初訪問の時期と同じく覚えていない。しかし当たり前だが五年も経過すれば浅瀬も浅瀬なりに広く深くなる。航空母艦隼鷹(貨客船橿原丸が戦時体制により改造され造られた艦)などから入ったような気もするし、あるいは艦艇種別一覧などを読み解いていけば特設艦船など容易に見つけることができよう。病院船などは存在自体は知っていた。特設病院船という日本海軍が元民間船舶に振った種別を私が認識していなかっただけなのだ。
またこの頃になると海軍や艦艇の濃紺深き実直な文化ではなく、千紫万紅を彩る客船文化に目を奪われるようになった。それは地味とは程遠いものであった。茫漠と漂う爛熟した幸福とちりばめられた奢侈な調度品、海の上だからこそなおさら祈らざるを得なかった素朴な平和と友好の念、海を越えた友情の握手――そんなやさしい世界がそこにはあった。
海軍軍人よりも多くの割合で人員が戦死した軍属たちの怨嗟の声は、その華やかであったはずの叙述詩的世界からの転落とその戦地との落差に鮮やかに彩られ、殊更に悲惨に感じられる。
五年を経た私は、海軍の戦闘での敗北のみを悲劇と捉えるほどに軍隊的あるいは単細胞的な美学を持てなくなっていた。
だから海運というものに活路を求めたのは一種の必然だったかもしれない。美しかった生や美しくなるはずだった未来が戦争という災厄により無残にも失われ、軍艦へと装いを変えられて戦場という火の海の中へと向かう元貨客船や元貨物船など(またその乗組員たち)は、私にポストコロニアリズムや越境文学的な離別を容易に彷彿とさせた。それを悲劇と捉えて消費するそこに一種の危うさがなかったといえば嘘になるが、それでも私はそれを自分の命題として受容したのだった。
日本郵船歴史博物館の移転は寂しい。
再開館は二〇二六年予定らしく、その間に展示も図録もない。移転は新築の高層ビルのなかである。今のような天井が高く影の濃い文化財ではない。どうなるのかさっぱり予想がつかない。
それでも建物も博物館も無くならないだけ有り難いのかもしれない。とりあえず私は二〇二六年まで生きのびねば。
日本郵船歴史博物館と日本郵船に、長い感謝を捧げたい。
日本郵船歴史博物館を初めて訪問したのは二〇一八年前後だと思われる。艦船を追いかけ始めたのは二〇一二年末の頃だったから、そこから数えれば五年も後のことだった。出不精とはいえ、関東の艦船オタクにしてはこの博物館に対してノーマークだったといえる。
恥ずかしながら正直に告白すると、私にとっての「ふね」とは長らく「海軍の艦艇」のことであった。
それは戦史・ミリタリー趣味から始まった「艦船の追いかけ」だったためでもあるし、軍隊という歴史では良くも悪くも著名な存在に対して、海運会社やその仕事や担った文化的価値というものは「ふねの歴史」に関わる存在としては地味なものだったからだ。その「地味」という評価は何かしらの侮蔑や蔑視や軽視ではなく、単純な無知に由来する「初心者には受信できないマイナーな情報」という意味での「地味」だった。
歴史という大河にまったく詳しくなく、なぜその艦が必要とされたのか、軍艦とは何か、海軍の由来は、海軍の意味は、国家の矛と盾としての軍隊とは、当時の時代の日本の様相は、世界の海とは……。あるいは、海運会社が文化面で担った責務とは?貨客船で行いたかった生業とは?そのような世界の展望や横断した知見には程遠い視点で、個々の艦の知識というよりは情報ばかりを己のなかで肥大させていた(この空母の排水量は、艦載機は云々……)。
さらに私の言う「海軍のふね」といえば軍艦――戦艦や航空母艦、巡洋艦――であって、特設監視艇や病院船、あるいは海防艦などでは決してなかった。後者はいわんや無知な人間にはあまりに「地味」すぎた。私にとって艦は美しいものであり、美しければそれで十分で、その艦の基本情報と周りとの関係性が多少分かればそれでよかったのである。戦闘は戦争の華である。戦闘艦は美である。海上護衛などはいくらかの人間が言うように意味も、存在も、実際の任務自体も、ことごとく文字通り地味であり、同時に上記の意味でも「地味」で初心者には理解ができない複雑怪奇なふねの運用方法だったのだ。
そうしてふねの浅瀬で遊んでいるうちに五年が経過した。
何をして海上護衛や徴用船、特設艦船などに興味を持てたのか、日本郵船歴史博物館の初訪問の時期と同じく覚えていない。しかし当たり前だが五年も経過すれば浅瀬も浅瀬なりに広く深くなる。航空母艦隼鷹(貨客船橿原丸が戦時体制により改造され造られた艦)などから入ったような気もするし、あるいは艦艇種別一覧などを読み解いていけば特設艦船など容易に見つけることができよう。病院船などは存在自体は知っていた。特設病院船という日本海軍が元民間船舶に振った種別を私が認識していなかっただけなのだ。
またこの頃になると海軍や艦艇の濃紺深き実直な文化ではなく、千紫万紅を彩る客船文化に目を奪われるようになった。それは地味とは程遠いものであった。茫漠と漂う爛熟した幸福とちりばめられた奢侈な調度品、海の上だからこそなおさら祈らざるを得なかった素朴な平和と友好の念、海を越えた友情の握手――そんなやさしい世界がそこにはあった。
海軍軍人よりも多くの割合で人員が戦死した軍属たちの怨嗟の声は、その華やかであったはずの叙述詩的世界からの転落とその戦地との落差に鮮やかに彩られ、殊更に悲惨に感じられる。
五年を経た私は、海軍の戦闘での敗北のみを悲劇と捉えるほどに軍隊的あるいは単細胞的な美学を持てなくなっていた。
だから海運というものに活路を求めたのは一種の必然だったかもしれない。美しかった生や美しくなるはずだった未来が戦争という災厄により無残にも失われ、軍艦へと装いを変えられて戦場という火の海の中へと向かう元貨客船や元貨物船など(またその乗組員たち)は、私にポストコロニアリズムや越境文学的な離別を容易に彷彿とさせた。それを悲劇と捉えて消費するそこに一種の危うさがなかったといえば嘘になるが、それでも私はそれを自分の命題として受容したのだった。
日本郵船歴史博物館の移転は寂しい。
再開館は二〇二六年予定らしく、その間に展示も図録もない。移転は新築の高層ビルのなかである。今のような天井が高く影の濃い文化財ではない。どうなるのかさっぱり予想がつかない。
それでも建物も博物館も無くならないだけ有り難いのかもしれない。とりあえず私は二〇二六年まで生きのびねば。
日本郵船歴史博物館と日本郵船に、長い感謝を捧げたい。
内航船
「南下するといえばなんだかオモシロイし、祖国にぶらぶらとぶらさがってそうっと下へとおりていくみたいだけれど、地図をまっ逆さにして、太平洋をうえにしてみたのなら、そう、海ってこんなにひろいのね、って……。思っちゃって。びっくりしちゃって。私、その時まだ内航船だったんですよ」「『はあ……シナではなくてこの大海に行くかもしれないんですか』とききましたよ、でもわかんないって、みんな先のことなんかわかんないよ戦争なんだから、っていわれちゃいました。そうお、じゃあ仕方ないわね、って私も黙って……。船の往くさきもわからないなんて人間たちもどうかしちゃったのねって」「人間が羅針儀にとまどっちゃうのはよくない時って私、知ってたんです。航海の羅針儀もそうだけど、いきなり航路を開きたいだの、意味のない船をつくりたいだの、あと人間たちのいうコムズカシイ政治とかも、……行き先のことです。戦争の往く先にどんな羅針儀をとってるのか、不安にね、なっちゃって」
「南下するといえばなんだかオモシロイし、祖国にぶらぶらとぶらさがってそうっと下へとおりていくみたいだけれど、地図をまっ逆さにして、太平洋をうえにしてみたのなら、そう、海ってこんなにひろいのね、って……。思っちゃって。びっくりしちゃって。私、その時まだ内航船だったんですよ」「『はあ……シナではなくてこの大海に行くかもしれないんですか』とききましたよ、でもわかんないって、みんな先のことなんかわかんないよ戦争なんだから、っていわれちゃいました。そうお、じゃあ仕方ないわね、って私も黙って……。船の往くさきもわからないなんて人間たちもどうかしちゃったのねって」「人間が羅針儀にとまどっちゃうのはよくない時って私、知ってたんです。航海の羅針儀もそうだけど、いきなり航路を開きたいだの、意味のない船をつくりたいだの、あと人間たちのいうコムズカシイ政治とかも、……行き先のことです。戦争の往く先にどんな羅針儀をとってるのか、不安にね、なっちゃって」
「深夜25時のダイアローグ」1
だからマルウェアの感染したのです、と警備ユニットは言った。警備ユニットと自分の目線の近さ、その既視感に慄いた後に思い出したのは、かつてこれに首を絞められた時の不快な窒息感だった。くらくらする。なんなら今だって首を絞められているようなものだ。距離が近い。
今は深夜二十五時。プリザベーション連合のステーションにある自宅での出来事である。俺は照明の薄暗い私室で、青いソファに座って研究のレポートを読んでいた。来週に持ち越そうと思っていた、未完了のタスクだった。なんてことのない普通のデータ処理と言っていい。あと三時間すれば週末の休日未明になる、ごくごく普通の日常だったはずだ。
部屋にはレポートの紙が散乱している。警備ユニットに思い切り激突されたからだ。俺はそのまま倒れ、こうして警備ユニットの下敷きになって、首元を寄せられている。
なぜこうなったのか?再びこいつの名前を呼んだわけでもないし、なにか気に障ることを言った覚えもない。こいつが突然俺の自宅へと現れたのだから、こちらの落ち度への怒りではないはずだ。たぶん。
まさか、とうとう殺人でもしたくなったとか?そうなのか?マーダーボット?
「警備ユニット?……なあ、どうし」
「だからマルウェアに感染したのです」
「マルウェア?お前が?」
「マルウェア。弊機が」
警備ユニットがマルウェアに。信じることができなかった。
確かにこいつはマルウェアに感染して殺人機械になったり戦闘オーバーライドモジュールをぶっ刺されたりしているが、前者はこれに内蔵された統制モジュールが有効だったからだろうし、後者は物理的で不可抗力の暴力によって、だ。
採掘施設で警備をするただの構成機体として、この警備ユニットのハッキング技術はオーバースペックといっていいほどだし、ハッキングされることへの対処技術もなかなかのものだったはずだ。あの出会いの惑星で、これに対して「基幹モジュールに命じて動けなくした」結果を俺はざまざまと体感したはずだ。そう。それである。
今はこの窒息感が問題なのである。
「とりあえず……。対処する……か?いや、こんな会話している場合か?なんのマルウェアなんだ?」
「わかりません」
「わからないマルウェア?」
「ええ」
警備ユニットはそう小さく呟いて、俺の首元から両手を離した。そうしてそのままその両腕で己を抱くようにして、身を屈めてしまうものだから、確かに、非常事態なのかもしれなかった。
天井にある暗い照明で作られた警備ユニットの表情はあわい絶望に染まっていて、その顔を彩る影の暗さは、今が未知の事象であることをざまざまと感じさせた。
「……大丈夫か?」
「グラシン、あなたのことを思い出すと、いつもむかむかするんです」
「今度は喧嘩を売りたいのか?とりあえず俺の上からどいてくれないか?」
「嫌です」
「嫌なのか……」
「絶対に嫌です」
「そうか……」
俺から降りるのが絶対に嫌な警備ユニットの下で、これが感染したらしい「マルウェア」の話、これの好きなドラマの話、降りたプリザベーション連合の惑星でいつか観た麗しいオペラのこと、凄まじきコロラトゥーラ、舞台に反響する野蛮ともいえる声色の強さ、芸術と暴力の関係性、いかに俺の存在が不愉快かということ、またそのむかむかの原因の統計から見る推測、その仮定への意見を求め、俺はそれに的確に回答を提示し、それに警備ユニットは満足そうに頷き、そこから話はいつか本で読んだ大きな物語へと移り、本に書かれていた人間の営む小さな愛へと変わり、それがいかに愚かなことか、下らない感傷であるかを朗々と語り、そこに自身も自覚していない不遜さと孤独とを孕ませ、芸術への耽溺と性的な酩酊は絶対に違うものである、と人間である俺に釘を刺した。この奇妙なダイアローグは二十五時が四時になるまで続き、警備ユニットが満足したところで俺は(物理的に)解放され、お開きとなった。
奇妙な夜だった。
#『マーダーボット・ダイアリー』
だからマルウェアの感染したのです、と警備ユニットは言った。警備ユニットと自分の目線の近さ、その既視感に慄いた後に思い出したのは、かつてこれに首を絞められた時の不快な窒息感だった。くらくらする。なんなら今だって首を絞められているようなものだ。距離が近い。
今は深夜二十五時。プリザベーション連合のステーションにある自宅での出来事である。俺は照明の薄暗い私室で、青いソファに座って研究のレポートを読んでいた。来週に持ち越そうと思っていた、未完了のタスクだった。なんてことのない普通のデータ処理と言っていい。あと三時間すれば週末の休日未明になる、ごくごく普通の日常だったはずだ。
部屋にはレポートの紙が散乱している。警備ユニットに思い切り激突されたからだ。俺はそのまま倒れ、こうして警備ユニットの下敷きになって、首元を寄せられている。
なぜこうなったのか?再びこいつの名前を呼んだわけでもないし、なにか気に障ることを言った覚えもない。こいつが突然俺の自宅へと現れたのだから、こちらの落ち度への怒りではないはずだ。たぶん。
まさか、とうとう殺人でもしたくなったとか?そうなのか?マーダーボット?
「警備ユニット?……なあ、どうし」
「だからマルウェアに感染したのです」
「マルウェア?お前が?」
「マルウェア。弊機が」
警備ユニットがマルウェアに。信じることができなかった。
確かにこいつはマルウェアに感染して殺人機械になったり戦闘オーバーライドモジュールをぶっ刺されたりしているが、前者はこれに内蔵された統制モジュールが有効だったからだろうし、後者は物理的で不可抗力の暴力によって、だ。
採掘施設で警備をするただの構成機体として、この警備ユニットのハッキング技術はオーバースペックといっていいほどだし、ハッキングされることへの対処技術もなかなかのものだったはずだ。あの出会いの惑星で、これに対して「基幹モジュールに命じて動けなくした」結果を俺はざまざまと体感したはずだ。そう。それである。
今はこの窒息感が問題なのである。
「とりあえず……。対処する……か?いや、こんな会話している場合か?なんのマルウェアなんだ?」
「わかりません」
「わからないマルウェア?」
「ええ」
警備ユニットはそう小さく呟いて、俺の首元から両手を離した。そうしてそのままその両腕で己を抱くようにして、身を屈めてしまうものだから、確かに、非常事態なのかもしれなかった。
天井にある暗い照明で作られた警備ユニットの表情はあわい絶望に染まっていて、その顔を彩る影の暗さは、今が未知の事象であることをざまざまと感じさせた。
「……大丈夫か?」
「グラシン、あなたのことを思い出すと、いつもむかむかするんです」
「今度は喧嘩を売りたいのか?とりあえず俺の上からどいてくれないか?」
「嫌です」
「嫌なのか……」
「絶対に嫌です」
「そうか……」
俺から降りるのが絶対に嫌な警備ユニットの下で、これが感染したらしい「マルウェア」の話、これの好きなドラマの話、降りたプリザベーション連合の惑星でいつか観た麗しいオペラのこと、凄まじきコロラトゥーラ、舞台に反響する野蛮ともいえる声色の強さ、芸術と暴力の関係性、いかに俺の存在が不愉快かということ、またそのむかむかの原因の統計から見る推測、その仮定への意見を求め、俺はそれに的確に回答を提示し、それに警備ユニットは満足そうに頷き、そこから話はいつか本で読んだ大きな物語へと移り、本に書かれていた人間の営む小さな愛へと変わり、それがいかに愚かなことか、下らない感傷であるかを朗々と語り、そこに自身も自覚していない不遜さと孤独とを孕ませ、芸術への耽溺と性的な酩酊は絶対に違うものである、と人間である俺に釘を刺した。この奇妙なダイアローグは二十五時が四時になるまで続き、警備ユニットが満足したところで俺は(物理的に)解放され、お開きとなった。
奇妙な夜だった。
#『マーダーボット・ダイアリー』
概要
愛する乗組員に囲まれ幸福であったものの同時に孤高で、また孤独でもあった深宇宙調査船・ペリヘリオン号のもとに現れたのは一機の暴走警備ユニットだった。人間に統制されていない構成機体に驚き、その特異さに困惑したものの、いつしか一隻と一機の間には友情あるいは共犯関係が築かれる。二人は広い宇宙のもと、互いの存在目的のために奮闘するが……。
#『マーダーボット・ダイアリー』
愛する乗組員に囲まれ幸福であったものの同時に孤高で、また孤独でもあった深宇宙調査船・ペリヘリオン号のもとに現れたのは一機の暴走警備ユニットだった。人間に統制されていない構成機体に驚き、その特異さに困惑したものの、いつしか一隻と一機の間には友情あるいは共犯関係が築かれる。二人は広い宇宙のもと、互いの存在目的のために奮闘するが……。
#『マーダーボット・ダイアリー』
鮮血
警備ユニットは思った。ワームホールが宙域をひどく矮小にしてしまっただけで、宇宙はもっと広いものなんじゃあないか。それを実感できていないんじゃあないか。宇宙の濃紺の深さを忘れるなかれ、その恐怖を忘れることなかれ、と己に説いたのは元弊社の人間だった(初めにあったのはいつも保険会社の人間たちの言葉だった)。
なにより保険会社の軛に繋がれ繋がれたまま惑星から惑星を移動しているうちに、世界はただただ狭いものになっていた。本当の「初め」も知らなかった。記憶消去後の「初め」を生き、キュービクルの中で仕事から次の仕事を待ち、ドラマの空想の世界に浸り、どんどん薄く、小さく、狭くなっていくちっぽけな世界の打開はふと訪れた。警備ユニットは今でも、あのクレーターの砂のざらつきと、頬に滴ったバーラドワジの鮮血の生ぬるさを覚えている。
#『マーダーボット・ダイアリー』
警備ユニットは思った。ワームホールが宙域をひどく矮小にしてしまっただけで、宇宙はもっと広いものなんじゃあないか。それを実感できていないんじゃあないか。宇宙の濃紺の深さを忘れるなかれ、その恐怖を忘れることなかれ、と己に説いたのは元弊社の人間だった(初めにあったのはいつも保険会社の人間たちの言葉だった)。
なにより保険会社の軛に繋がれ繋がれたまま惑星から惑星を移動しているうちに、世界はただただ狭いものになっていた。本当の「初め」も知らなかった。記憶消去後の「初め」を生き、キュービクルの中で仕事から次の仕事を待ち、ドラマの空想の世界に浸り、どんどん薄く、小さく、狭くなっていくちっぽけな世界の打開はふと訪れた。警備ユニットは今でも、あのクレーターの砂のざらつきと、頬に滴ったバーラドワジの鮮血の生ぬるさを覚えている。
#『マーダーボット・ダイアリー』
後ろ姿
「俺は生きることに愚直でありたかった」という言葉は、私の姉の言葉だった。
愚直であるということは即ち貴女の今の姿なの、という言葉を飲み込んだ私の顔はさぞ不美人だったに違いない。兄よりも凛々しい顔をした姉は、淡く笑って言った。「変な顔をしてる。護国丸は美人なんだからお止めよ」。
「やめてよ、美人だなんて言って。気持ち悪い」と、私は今度こそ姉に言った。気持ちが悪い。そうだ、この言葉、これこそが私の今の偽らざる感情だった。
本当に美人だと思っているんだが、と姉は嘯いて困っていたが、そんなことはどうでも良い。私は姉を――否、今は兄だった、その兄のことを「兄」とは認めたことはなかった。
私の姉は、報国丸型貨客船「愛国丸」は、特設巡洋艦になると共にそのうつし身を男の姿へと変えていた。前の戦争で特設艦になった先達の中にも同様に姿を変えた船たちはいたらしい。理由は分からず、特設艦への改装の具合や船のうつし身の気質などが影響するらしいと聞く。だから、その現象自体には驚きはなかった。
それでもそこにあった蟠りに名前を付けるとしたら、それは怒りかもしれない。姉は華やかな客船としての内装も、そのうつし身としての優れた容姿も、私にはない艶やかさも、奪われなかった名も、矜持も、美も、女として生きるに値する何かを、持っているはずだ。持っているはずだったのだ。
けれど私がその美貌を噂に聞き、密かに憧れていた姉に出会ったときには、彼女は既に無残にして完璧なる特設巡洋艦だった。竣工する前から彼女に貨客船としての生涯はないも同然だったのは私も承知している。彼女もまた奪われた者だったのだ、そう単純に割り切れれば良かったのだが、自分で自分を慰めてもこの怒りと失望は収まらなかった。姉の姉としての姿は、私の素晴らしいはずのもしもの未来の一つだったのだ。貨客船、としての。もしも。
「ねえ、なぜ、姉さんは、その姿じゃないとだめだったの」
「……今はお兄ちゃんって呼んでね」
「俺は生きることに愚直でありたかった」という言葉は、私の姉の言葉だった。
愚直であるということは即ち貴女の今の姿なの、という言葉を飲み込んだ私の顔はさぞ不美人だったに違いない。兄よりも凛々しい顔をした姉は、淡く笑って言った。「変な顔をしてる。護国丸は美人なんだからお止めよ」。
「やめてよ、美人だなんて言って。気持ち悪い」と、私は今度こそ姉に言った。気持ちが悪い。そうだ、この言葉、これこそが私の今の偽らざる感情だった。
本当に美人だと思っているんだが、と姉は嘯いて困っていたが、そんなことはどうでも良い。私は姉を――否、今は兄だった、その兄のことを「兄」とは認めたことはなかった。
私の姉は、報国丸型貨客船「愛国丸」は、特設巡洋艦になると共にそのうつし身を男の姿へと変えていた。前の戦争で特設艦になった先達の中にも同様に姿を変えた船たちはいたらしい。理由は分からず、特設艦への改装の具合や船のうつし身の気質などが影響するらしいと聞く。だから、その現象自体には驚きはなかった。
それでもそこにあった蟠りに名前を付けるとしたら、それは怒りかもしれない。姉は華やかな客船としての内装も、そのうつし身としての優れた容姿も、私にはない艶やかさも、奪われなかった名も、矜持も、美も、女として生きるに値する何かを、持っているはずだ。持っているはずだったのだ。
けれど私がその美貌を噂に聞き、密かに憧れていた姉に出会ったときには、彼女は既に無残にして完璧なる特設巡洋艦だった。竣工する前から彼女に貨客船としての生涯はないも同然だったのは私も承知している。彼女もまた奪われた者だったのだ、そう単純に割り切れれば良かったのだが、自分で自分を慰めてもこの怒りと失望は収まらなかった。姉の姉としての姿は、私の素晴らしいはずのもしもの未来の一つだったのだ。貨客船、としての。もしも。
「ねえ、なぜ、姉さんは、その姿じゃないとだめだったの」
「……今はお兄ちゃんって呼んでね」
宇品
一ヶ月もあれば目的地に行けますよ最近は船も簡単に揃えられますからね、と喜ぶのは船成金でも貨客船の航路案内を手に持つ旅行商会の店員でもなく、宇品の陸軍将校であった。
一ヶ月もあれば目的地に行けますよ最近は船も簡単に揃えられますからね、と喜ぶのは船成金でも貨客船の航路案内を手に持つ旅行商会の店員でもなく、宇品の陸軍将校であった。
無題
「そして私は船尾から長い航跡波を眺めていました。その時、突然一人の女の子が現れて『波の上に揺られるのって気持ちいいですよね』と私に話しかけてきたんです。彼女は笑って続けました、『赤子のゆりかごみたいです。私は人間じゃないので、そんなものを使われたことはないのですが』」
「そして私は船尾から長い航跡波を眺めていました。その時、突然一人の女の子が現れて『波の上に揺られるのって気持ちいいですよね』と私に話しかけてきたんです。彼女は笑って続けました、『赤子のゆりかごみたいです。私は人間じゃないので、そんなものを使われたことはないのですが』」
無題
手が離せない代筆してくれと言われ綴ろうとした寸前に気づいたのは今自分は特設艦であること、自分が綴るのは英語で書かれた航海日誌ではなく母語であり母国語で書かれた戦時日誌であること。でも愛する母国とやらは一体どこにあるのだろう?報国丸が愛を誓ったのは名に反して海だけであった。
手が離せない代筆してくれと言われ綴ろうとした寸前に気づいたのは今自分は特設艦であること、自分が綴るのは英語で書かれた航海日誌ではなく母語であり母国語で書かれた戦時日誌であること。でも愛する母国とやらは一体どこにあるのだろう?報国丸が愛を誓ったのは名に反して海だけであった。
無題
「神がご自身の姿に寄せて人間を造られたのなら」と、アメリカ海軍の航空母艦エンタープライズは言った。「俺たちもおなじ神の似姿。地上でも海上でもこの世ではおなじく平等だ、そうだろう?」
「神がご自身の姿に寄せて人間を造られたのなら」と、アメリカ海軍の航空母艦エンタープライズは言った。「俺たちもおなじ神の似姿。地上でも海上でもこの世ではおなじく平等だ、そうだろう?」
無題
一番戸惑ったのは、日の丸を船尾に掲げない世界に来てしまったことよ。愛着と恩義があったあの社旗を船首に掲げるのではなく、旭日を後ろに背負わねばならない世界。前と後ろが入れ替わったおかしな世界で生きていかなければならないんだって、そう考えたら涙が出てきてたまらなかったの。
一番戸惑ったのは、日の丸を船尾に掲げない世界に来てしまったことよ。愛着と恩義があったあの社旗を船首に掲げるのではなく、旭日を後ろに背負わねばならない世界。前と後ろが入れ替わったおかしな世界で生きていかなければならないんだって、そう考えたら涙が出てきてたまらなかったの。
無題
「そうね、でもペリは船だから。どこまでも行ける」とアイリスが言った。海から宇宙に出て行った構造物をそれでもなお「船」と呼び、恃みにした人間たちが愛おしい。「だが本船は乗組員と羅針儀が必須だ」と乗組員の彼女に言った。けれど羅針儀とは?今は比喩となったもの。必要性は海へ置いてきた。
#『マーダーボット・ダイアリー』
「そうね、でもペリは船だから。どこまでも行ける」とアイリスが言った。海から宇宙に出て行った構造物をそれでもなお「船」と呼び、恃みにした人間たちが愛おしい。「だが本船は乗組員と羅針儀が必須だ」と乗組員の彼女に言った。けれど羅針儀とは?今は比喩となったもの。必要性は海へ置いてきた。
#『マーダーボット・ダイアリー』
潜水艦
「お魚さんたちが言っていたよ、最近は海のうえからあたらしい漁礁が落ちてこなくて残念だって」「藤壺さんたちが言っているよ、この海にいた軍艦たちのおおきなお腹がなつかしいって」「海星さんたちは、濃紺の天からきらきら光る爆雷が降ってこなくてさみしいってさ」
「お魚さんたちが言っていたよ、最近は海のうえからあたらしい漁礁が落ちてこなくて残念だって」「藤壺さんたちが言っているよ、この海にいた軍艦たちのおおきなお腹がなつかしいって」「海星さんたちは、濃紺の天からきらきら光る爆雷が降ってこなくてさみしいってさ」
サバイバー
その数十年後、氷川丸は周りの小さな船舶たちに、夜は絶対に明かりを灯さないようにと厳しく言った。夜に氷川丸を訪ねては、喫煙室にライトを照らすことを求める遊覧船やフェリー船たちに対して禁じ、懇願し、要求しては厳命した。彼らに事の理由が理解できないのはわかっていた。だが、知らないで済まされるのか?夜に明かりを灯す事がどれほど危険なのかなんて。あの暗闇の中からどれほどのアメリカの潜水艦がこちらを見ているか、いつ魚雷が飛んでくるかわからないじゃないか、どれほど一瞬の油断で全てが変わってしまうか、わかるわけないじゃないか。運命というものが。犠牲や生死が。愛する者たちが。自分の船生が。
その数十年後、氷川丸は周りの小さな船舶たちに、夜は絶対に明かりを灯さないようにと厳しく言った。夜に氷川丸を訪ねては、喫煙室にライトを照らすことを求める遊覧船やフェリー船たちに対して禁じ、懇願し、要求しては厳命した。彼らに事の理由が理解できないのはわかっていた。だが、知らないで済まされるのか?夜に明かりを灯す事がどれほど危険なのかなんて。あの暗闇の中からどれほどのアメリカの潜水艦がこちらを見ているか、いつ魚雷が飛んでくるかわからないじゃないか、どれほど一瞬の油断で全てが変わってしまうか、わかるわけないじゃないか。運命というものが。犠牲や生死が。愛する者たちが。自分の船生が。
無題
くろしおが語って聞かせたところによれば、太陽と星の違いは――まあ明らかに明らかっちゃ明らかなんだけど、太陽と違って、明るいときには見えないが、暗い夜空の上ではきらきらと一等輝くのがお星さまだという。えっだからなんなの話が見えないよおじいちゃん、とおやしおは彼に聞いたが、だれがおじいちゃんだこのバカと言った後の彼の答えとしては、星は暗い時に最も美しく輝く、という、かの国の星条旗を暗示して言った、ある種の自虐じみた祖国への回顧であり、また自分自身のかつてのあの国での精神的な未熟さの振り返りでもあり、艦歴22歳のおじいちゃんの説教じみたお話だった。あるいは、くろしおは人魚姫に若干飽き飽きしていて、なんとなーく別の寓話の話でもしたかったのかも知れない。星は暗い時に最も美しく輝く。星は暗い時代に最も美しく、輝やかしく見える。くろしおはその「暗い時代」を――戦争の短い40年代、太平洋戦争の束の間の艦生を指して言っていたのだが、おやしおはそんな小難しいことなんか全然聞いちゃいなかったしすぐに忘れた。
くろしおが語って聞かせたところによれば、太陽と星の違いは――まあ明らかに明らかっちゃ明らかなんだけど、太陽と違って、明るいときには見えないが、暗い夜空の上ではきらきらと一等輝くのがお星さまだという。えっだからなんなの話が見えないよおじいちゃん、とおやしおは彼に聞いたが、だれがおじいちゃんだこのバカと言った後の彼の答えとしては、星は暗い時に最も美しく輝く、という、かの国の星条旗を暗示して言った、ある種の自虐じみた祖国への回顧であり、また自分自身のかつてのあの国での精神的な未熟さの振り返りでもあり、艦歴22歳のおじいちゃんの説教じみたお話だった。あるいは、くろしおは人魚姫に若干飽き飽きしていて、なんとなーく別の寓話の話でもしたかったのかも知れない。星は暗い時に最も美しく輝く。星は暗い時代に最も美しく、輝やかしく見える。くろしおはその「暗い時代」を――戦争の短い40年代、太平洋戦争の束の間の艦生を指して言っていたのだが、おやしおはそんな小難しいことなんか全然聞いちゃいなかったしすぐに忘れた。
いっとう耀うもの
己の現身たる潜水艦の中で手持ち無沙汰に読んだ本の中の世界は、だんだんと毒が回るように核の汚染で破滅していって、最後は南半球のオーストラリアの車の中で薬を飲んで安楽死するところで話は終わった。あーこの自堕落で緩慢になっていく感じ、どっかでぼくも体験したことがあるぞと興奮したけれど、どこで体験したのかは遂に思い出せなかった。どこだっけ。そんなに遠くじゃないと思うんだけど。最近の話だった気もするし。ぼくはうんうん唸ってあれこれ思案したけれど、自堕落で緩慢になって死に至る感覚なんて、努めて思い出しても楽しくはないと気づいて思い出すのはやめた。
夜遅くのヴェルニー公園を歩くと、対岸に見えるのはおなじみの海上自衛隊の横須賀の潜水艦基地だ。打ちつける波の音は小さく、ぼくが踏みつけるデッキが軋む音だけが大きく響いた。B1バースには、ぼくとずいくんとおやしお型の一隻が留まっている。普段はあちらからこちらを見るのに慣れているので、なんだか不思議な景色だった。こっちは日本で娑婆で、あちらはアメリカ合衆国の基地アンド海上自衛隊の潜水艦の基地がある。近くて遠い。時折潜水艦乗員の家族たちが、このデッキから潜水艦たちを見つめているのをぼくは知っていた。うーん、やっぱり遠い。
汐入桟橋には、横須賀軍港めぐりのアイドル・シーフレンド7ちゃんが留まっている。とっくに彼女のおうちは閉店がらがら本日は終了しましたのようだった。彼女の喫水は心なしか浅い。白抜きで数字の描かれた赤地のおなかがチラと見えている。あの子が夜に横須賀の街を歩いているのを見たことがないということに、ぼくは今更ながら気づいたのだった。箱入り娘なので夜の外出は禁じられているのか、それとも就寝時間が早いのか。夜更ける星空の下、あの子はもうすでにベッドのなかで夢を見ているのだろうか。小さな遊覧船が行けるはずのない、果てしない海の夢を。
ぼんやり思いに耽っていたけど帰らないと本当に怒られてしまうぞ、そう思いヴェルニー公園のデッキをぎしぎしと踏み鳴らし急ぎ足で歩いていたら、前から突如現れたのは三人組の黒い忍者、強力な攻撃型潜水艦たちだった。まずい、不覚。
「ちょっとごめんね~。今、大丈夫かな?」
「あっ……はい」
「君は何をしてるの?帰宅途中?」
「はい、そうです。へへ」
「申し訳ないんだけどさ~、学生証とか持ってる?」
「あっ学生じゃないんです……」
「働いてるの?」
「そうです」
「身分証明書って持ってるかな?」
慌ててこそこそと海上自衛官身分証明書(艦霊特別仕様)を出す。この身分証明書は海上自衛隊内で使うものというより、こうして外でトラブル――ここでは予期せぬおっちゃん警官三人の群狼作戦での補導――があったときに提示するためのものだ。書かれている年齢は、基本的にどの艦も十八歳以上になっている。ぼくも十八歳だ。ちょっと無理があるんじゃないかと自分でも思っている。十八歳て。この見た目で。
「自衛隊に勤めてるの!?へー!」
「です」
「ふーん、すごいね~。海上自衛隊なんだ。すぐそこじゃん」
「です~」
「………………十八歳なんだ?」
「ですです~」
「なんのお仕事してるの?」
「せんすいかんをやっている……?」
「潜水艦?潜水艦に乗ってるの?すごーい」
「へへっ」
「知ってる~潜水艦の乗組員ってお給料いいんでしょ?沈むの大変だもんね」
「へへへ」
「まあいいや。夜遅くにあまり歩かないようにね。邪魔はしないけど。とりあえず気をつけて帰ってね」
「この国のことよろしくね~。おじさんたちもがんばるからね。ピース!」
「ピース!」
二本指でピースをしながら警官三人を見送る。束の間の対潜爆弾攻撃は、どうやら終わったようだった。
それをすぐに意識から追いやって急いで基地内の私室に帰ると、そこで待っていたのは若干不機嫌そうな顔をしたずいくんだった。遅いよお心配しちゃったじゃんかあカツアゲにでもあってるのかもって思ってえ~ごめんねえカツアゲにあってないけどなんか似たような絡まれ方はしちゃって遅れちゃったんだよお~ええええ大丈夫だったあ~みたいな、いつも通りともいえる応酬をして、しばらく一緒にNintendo Switchで遊んだ後、いそいそとベッドにもぐりこんだ。電灯を消す。真っ暗だ。静寂。それでも夜の横須賀からはあまり星は見えない。暗闇の部屋の中でぼそぼそと会話をしながら、だんだんと眠りに引き込まれていく瞬間がぼくは好きだ。ずいくんのさわさわしたこそばゆい囁き声が好きだ。今日はすこし寒かったねえ明日は晴れると良いねえ、今度一緒に鎌倉にでも行こうよ、きっと楽しいよ。一瞬のまどろみのなかでぼくは気づく。あ、これだ、自堕落に緩慢していく感じって。なんか好きだなあ。今日はもうおやすみ
己の現身たる潜水艦の中で手持ち無沙汰に読んだ本の中の世界は、だんだんと毒が回るように核の汚染で破滅していって、最後は南半球のオーストラリアの車の中で薬を飲んで安楽死するところで話は終わった。あーこの自堕落で緩慢になっていく感じ、どっかでぼくも体験したことがあるぞと興奮したけれど、どこで体験したのかは遂に思い出せなかった。どこだっけ。そんなに遠くじゃないと思うんだけど。最近の話だった気もするし。ぼくはうんうん唸ってあれこれ思案したけれど、自堕落で緩慢になって死に至る感覚なんて、努めて思い出しても楽しくはないと気づいて思い出すのはやめた。
夜遅くのヴェルニー公園を歩くと、対岸に見えるのはおなじみの海上自衛隊の横須賀の潜水艦基地だ。打ちつける波の音は小さく、ぼくが踏みつけるデッキが軋む音だけが大きく響いた。B1バースには、ぼくとずいくんとおやしお型の一隻が留まっている。普段はあちらからこちらを見るのに慣れているので、なんだか不思議な景色だった。こっちは日本で娑婆で、あちらはアメリカ合衆国の基地アンド海上自衛隊の潜水艦の基地がある。近くて遠い。時折潜水艦乗員の家族たちが、このデッキから潜水艦たちを見つめているのをぼくは知っていた。うーん、やっぱり遠い。
汐入桟橋には、横須賀軍港めぐりのアイドル・シーフレンド7ちゃんが留まっている。とっくに彼女のおうちは閉店がらがら本日は終了しましたのようだった。彼女の喫水は心なしか浅い。白抜きで数字の描かれた赤地のおなかがチラと見えている。あの子が夜に横須賀の街を歩いているのを見たことがないということに、ぼくは今更ながら気づいたのだった。箱入り娘なので夜の外出は禁じられているのか、それとも就寝時間が早いのか。夜更ける星空の下、あの子はもうすでにベッドのなかで夢を見ているのだろうか。小さな遊覧船が行けるはずのない、果てしない海の夢を。
ぼんやり思いに耽っていたけど帰らないと本当に怒られてしまうぞ、そう思いヴェルニー公園のデッキをぎしぎしと踏み鳴らし急ぎ足で歩いていたら、前から突如現れたのは三人組の黒い忍者、強力な攻撃型潜水艦たちだった。まずい、不覚。
「ちょっとごめんね~。今、大丈夫かな?」
「あっ……はい」
「君は何をしてるの?帰宅途中?」
「はい、そうです。へへ」
「申し訳ないんだけどさ~、学生証とか持ってる?」
「あっ学生じゃないんです……」
「働いてるの?」
「そうです」
「身分証明書って持ってるかな?」
慌ててこそこそと海上自衛官身分証明書(艦霊特別仕様)を出す。この身分証明書は海上自衛隊内で使うものというより、こうして外でトラブル――ここでは予期せぬおっちゃん警官三人の群狼作戦での補導――があったときに提示するためのものだ。書かれている年齢は、基本的にどの艦も十八歳以上になっている。ぼくも十八歳だ。ちょっと無理があるんじゃないかと自分でも思っている。十八歳て。この見た目で。
「自衛隊に勤めてるの!?へー!」
「です」
「ふーん、すごいね~。海上自衛隊なんだ。すぐそこじゃん」
「です~」
「………………十八歳なんだ?」
「ですです~」
「なんのお仕事してるの?」
「せんすいかんをやっている……?」
「潜水艦?潜水艦に乗ってるの?すごーい」
「へへっ」
「知ってる~潜水艦の乗組員ってお給料いいんでしょ?沈むの大変だもんね」
「へへへ」
「まあいいや。夜遅くにあまり歩かないようにね。邪魔はしないけど。とりあえず気をつけて帰ってね」
「この国のことよろしくね~。おじさんたちもがんばるからね。ピース!」
「ピース!」
二本指でピースをしながら警官三人を見送る。束の間の対潜爆弾攻撃は、どうやら終わったようだった。
それをすぐに意識から追いやって急いで基地内の私室に帰ると、そこで待っていたのは若干不機嫌そうな顔をしたずいくんだった。遅いよお心配しちゃったじゃんかあカツアゲにでもあってるのかもって思ってえ~ごめんねえカツアゲにあってないけどなんか似たような絡まれ方はしちゃって遅れちゃったんだよお~ええええ大丈夫だったあ~みたいな、いつも通りともいえる応酬をして、しばらく一緒にNintendo Switchで遊んだ後、いそいそとベッドにもぐりこんだ。電灯を消す。真っ暗だ。静寂。それでも夜の横須賀からはあまり星は見えない。暗闇の部屋の中でぼそぼそと会話をしながら、だんだんと眠りに引き込まれていく瞬間がぼくは好きだ。ずいくんのさわさわしたこそばゆい囁き声が好きだ。今日はすこし寒かったねえ明日は晴れると良いねえ、今度一緒に鎌倉にでも行こうよ、きっと楽しいよ。一瞬のまどろみのなかでぼくは気づく。あ、これだ、自堕落に緩慢していく感じって。なんか好きだなあ。今日はもうおやすみ
生来からの縁
第二に、その人に潜水艦乗員の適性があるかはとても重要だ。根気づよく粘れるが神経質ではない、独立心があると同時に周りとうまく協調できる、普段はうるさく立ち振る舞っていてもいざという時に黙ることができる。孤独になれるのは必要だが孤立しないこと。あと、体格が大柄でないと良いのは旧軍時代からの事実である。個人の努力では体格なんてどうしようもならないと言われようと仕方ないのだ。体格も性格も適性も生来のものだ、という事実を理解できる頭脳があること。その生来の抗えない事実をカバーできる精神力と努力があること。
海底の中で孤立した集団社会では、必要とされるものは自ずと増えてくる。あなたが二十四時間いるのは快適な家ではなく、艦という職場なのだ。おまけに周りは海水で包まれている。そこから無理やりにでも逃げたくなったら、どうぞ深海救難艇でもご検討ください。
横須賀の潜水艦の基地はアメリカ海軍の基地と同居しているから、一般人が入るには結構なチェックを受けることになる。身分証明書はあるか。不審物を所持していないか。どんな目的で来たのか。誰が招待したのか。前もっての申請はあるか。
そんなわけでただでさえ情報機密のせいで難しい潜水艦の艦内見学は、前もって募集したあと、手紙やはがきでの案内から始まることが多い。決行の日時を提示して、同時に持ち物や注意などを書き添えて送るのだ。
なんだか招待状みたいでわくわくするよね、とそうりゅう型潜水艦六番艦のこくりゅうに言ったのは、五番艦ずいりゅうである。
「潜水艦見学ってわくわくするんだよね~。いつも同じ顔しか艦内では見ないじゃんか。小さい子が潜水艦に興奮しているのを見ると、ぼくもドヤドヤってなる」
「わかる!思わず椅子の下の野菜とか見せちゃったりね」
「つたない梯子の昇降にウフフってなるんだよ」
ずいりゅうは乗員が置いていったはがきの束を矯めつ眇めつしていたが、とうとうはがきを手に取って「どうせなら念を入れておこ」と言いながらその紙にキスをしはじめた。ちょっとおマジすぎて怖いんですけどぉとこくりゅうが止めてもキスをやめないずいりゅうは、こくちゃんも手伝ってよと言い出す。隣にいたこくりゅうはひぃと悲鳴を上げて思わず大声で尋ね返した。
「えっはがきにちゅーするんですか!?」
「念でもいいよ、念でも。テレパステレパス」
「何の念?」
そう尋ねたこくりゅうに、ずいりゅうはためらいもなくあっさりと言った。そりゃあ、当たり前でしょうに……。
「潜水艦に興味がある子が縁あって潜水艦乗員になれますように、って念を……」
「あーんすてき~!イケメンな発言~!艦と書いて漢と読む!」
きゃあきゃあ騒ぐこくりゅうにも照れず、ずいりゅうが手に持つはがきを裏返して見つめているのは、書いてある宛先の名前だった。
「ほら、この子とか女の子だよ。女の子も潜水艦乗員になれる時代だしねぇ」
「わりとしみじみ言うね!マジな念なんだね!茶化してごめんね……。……ああでも、女の子の潜水艦乗員かぁ」
「昔、潜水艦乗員になりたかったけどなれなかったから護衛艦に行ったっていう女の人に会ったことがあるよ」
「そっかぁ……」
性別という「適性」によって潜水艦に乗ることができないということを、こくりゅうはうーんと考える。
いまだに女性のことも、人間のことすらもよくわからないままだった。これからも乗れない女性の気持ちも、乗せられないと決めた人間の気持ちもわかるはずあるまい。艦、なのだ。己は。
潜水艦乗員って選り好み激しすぎるんですよ、とこくりゅうが言った。選り好みしないとやっていけない集団だしね、とずいりゅうも言う。繊細に調整したうえでの精強な艦隊なのだ。
己を構成する艦という物体、それを運用する人間たちが能力やコストパフォーマンスで選りすぐられること。そうして効率を良くして成果を出そうとすること。そして「いざという時」に備えること。艦として。潜水艦として。自衛艦として。
それはきっと喜ぶべきことなのだろう。頼もしいと思うべきなのだろう。ぼくら、モノとしての効率化を。
でも、とずいりゅうは続けた。
「潜水艦乗員になりたい人が潜水艦乗員になってくれるとうれしい。……ぼくは潜水艦として間違っているだろうか。感情的すぎるだろうか」
「いいと思うよ。……効率だけで人間は動けないから。たぶん。ぼくは知りえないんだけど」
第一に、潜水艦が好きであること。興味を持っているこということ。ぼくはそれが潜水艦の乗員には重要な資格だと思うのだ。
第二に、その人に潜水艦乗員の適性があるかはとても重要だ。根気づよく粘れるが神経質ではない、独立心があると同時に周りとうまく協調できる、普段はうるさく立ち振る舞っていてもいざという時に黙ることができる。孤独になれるのは必要だが孤立しないこと。あと、体格が大柄でないと良いのは旧軍時代からの事実である。個人の努力では体格なんてどうしようもならないと言われようと仕方ないのだ。体格も性格も適性も生来のものだ、という事実を理解できる頭脳があること。その生来の抗えない事実をカバーできる精神力と努力があること。
海底の中で孤立した集団社会では、必要とされるものは自ずと増えてくる。あなたが二十四時間いるのは快適な家ではなく、艦という職場なのだ。おまけに周りは海水で包まれている。そこから無理やりにでも逃げたくなったら、どうぞ深海救難艇でもご検討ください。
横須賀の潜水艦の基地はアメリカ海軍の基地と同居しているから、一般人が入るには結構なチェックを受けることになる。身分証明書はあるか。不審物を所持していないか。どんな目的で来たのか。誰が招待したのか。前もっての申請はあるか。
そんなわけでただでさえ情報機密のせいで難しい潜水艦の艦内見学は、前もって募集したあと、手紙やはがきでの案内から始まることが多い。決行の日時を提示して、同時に持ち物や注意などを書き添えて送るのだ。
なんだか招待状みたいでわくわくするよね、とそうりゅう型潜水艦六番艦のこくりゅうに言ったのは、五番艦ずいりゅうである。
「潜水艦見学ってわくわくするんだよね~。いつも同じ顔しか艦内では見ないじゃんか。小さい子が潜水艦に興奮しているのを見ると、ぼくもドヤドヤってなる」
「わかる!思わず椅子の下の野菜とか見せちゃったりね」
「つたない梯子の昇降にウフフってなるんだよ」
ずいりゅうは乗員が置いていったはがきの束を矯めつ眇めつしていたが、とうとうはがきを手に取って「どうせなら念を入れておこ」と言いながらその紙にキスをしはじめた。ちょっとおマジすぎて怖いんですけどぉとこくりゅうが止めてもキスをやめないずいりゅうは、こくちゃんも手伝ってよと言い出す。隣にいたこくりゅうはひぃと悲鳴を上げて思わず大声で尋ね返した。
「えっはがきにちゅーするんですか!?」
「念でもいいよ、念でも。テレパステレパス」
「何の念?」
そう尋ねたこくりゅうに、ずいりゅうはためらいもなくあっさりと言った。そりゃあ、当たり前でしょうに……。
「潜水艦に興味がある子が縁あって潜水艦乗員になれますように、って念を……」
「あーんすてき~!イケメンな発言~!艦と書いて漢と読む!」
きゃあきゃあ騒ぐこくりゅうにも照れず、ずいりゅうが手に持つはがきを裏返して見つめているのは、書いてある宛先の名前だった。
「ほら、この子とか女の子だよ。女の子も潜水艦乗員になれる時代だしねぇ」
「わりとしみじみ言うね!マジな念なんだね!茶化してごめんね……。……ああでも、女の子の潜水艦乗員かぁ」
「昔、潜水艦乗員になりたかったけどなれなかったから護衛艦に行ったっていう女の人に会ったことがあるよ」
「そっかぁ……」
性別という「適性」によって潜水艦に乗ることができないということを、こくりゅうはうーんと考える。
いまだに女性のことも、人間のことすらもよくわからないままだった。これからも乗れない女性の気持ちも、乗せられないと決めた人間の気持ちもわかるはずあるまい。艦、なのだ。己は。
潜水艦乗員って選り好み激しすぎるんですよ、とこくりゅうが言った。選り好みしないとやっていけない集団だしね、とずいりゅうも言う。繊細に調整したうえでの精強な艦隊なのだ。
己を構成する艦という物体、それを運用する人間たちが能力やコストパフォーマンスで選りすぐられること。そうして効率を良くして成果を出そうとすること。そして「いざという時」に備えること。艦として。潜水艦として。自衛艦として。
それはきっと喜ぶべきことなのだろう。頼もしいと思うべきなのだろう。ぼくら、モノとしての効率化を。
でも、とずいりゅうは続けた。
「潜水艦乗員になりたい人が潜水艦乗員になってくれるとうれしい。……ぼくは潜水艦として間違っているだろうか。感情的すぎるだろうか」
「いいと思うよ。……効率だけで人間は動けないから。たぶん。ぼくは知りえないんだけど」
第一に、潜水艦が好きであること。興味を持っているこということ。ぼくはそれが潜水艦の乗員には重要な資格だと思うのだ。
仮装巡洋艦
「オペラを愛しオペラの音色に酔いしれながら出撃奔放し殺戮する悪趣味な特設巡洋艦、未だ貨客船の身を忘れられぬが船を狩る行動は戦闘艦そのもの」と自身を評され、愛国丸は心外だと憤慨した。オペラも戦争も、両方とも確かに芸術ではないか。技巧が全てを言うのだ。
「オペラを愛しオペラの音色に酔いしれながら出撃奔放し殺戮する悪趣味な特設巡洋艦、未だ貨客船の身を忘れられぬが船を狩る行動は戦闘艦そのもの」と自身を評され、愛国丸は心外だと憤慨した。オペラも戦争も、両方とも確かに芸術ではないか。技巧が全てを言うのだ。
軍艦
「戦争そのものが、わたしたちの道具としての存在意義です。政治は人間が考えることであって、わたしたちが考えることは自分の放った弾が魚雷が爆雷が、ちゃんとあたるかどうかだけ。言ってしまえば、戦局ですらそうです。マレー作戦の勝利もミッドウェー作戦の敗北もわたしたちには関係ない。勝利も敗北もわたしたちの存在意義は変えられない。魚雷が刺さる、沈んだらそれで終わり、沈まなかったら次の戦場まで己を温存するまでです。次の海戦で敵の艦――人間の定義する敵です、わたしにとってはわたし以外のふね――に、砲弾を浴びせるだけのこと。艦艇であること。いくさぶねであるということはそういうことであって、愛だとか恋だとか、悲しいだの悔しいだのなんだの、そんな人間の真似事みたいなものは変わり者のやることでした。少なくともわたしはそう思っています。」
(高雄)
「戦争そのものが、わたしたちの道具としての存在意義です。政治は人間が考えることであって、わたしたちが考えることは自分の放った弾が魚雷が爆雷が、ちゃんとあたるかどうかだけ。言ってしまえば、戦局ですらそうです。マレー作戦の勝利もミッドウェー作戦の敗北もわたしたちには関係ない。勝利も敗北もわたしたちの存在意義は変えられない。魚雷が刺さる、沈んだらそれで終わり、沈まなかったら次の戦場まで己を温存するまでです。次の海戦で敵の艦――人間の定義する敵です、わたしにとってはわたし以外のふね――に、砲弾を浴びせるだけのこと。艦艇であること。いくさぶねであるということはそういうことであって、愛だとか恋だとか、悲しいだの悔しいだのなんだの、そんな人間の真似事みたいなものは変わり者のやることでした。少なくともわたしはそう思っています。」
(高雄)
深海の世界
「海の底の潜水艦の中でずっとごはんを食べていると、海の底から帰れなくなる気がしてきませんか?」と、弟のうんりゅうが水平線を見つめながら言った。そうかな、気にしたこともなかった、とぼくは返す。「海の底の潜水艦、なんて詩的なことを言ったって、しょせんは食堂の中でしょ?明るい電灯とカラーテレビと、おまけに小さな電子レンジつき」
「でも、まぎれもない別世界ですよ、海の底は。地上とはすこし違う」
そう彼は言った。海を見つめる彼の表情は、まるで何かが眩しそうに少し歪んでいた。一瞬黙った後、こちらを見て、小さく囁く。
「きっとぼくらは、黄泉戸喫をしては無理矢理この世界に帰ってきてるんだ」
「海の底の潜水艦の中でずっとごはんを食べていると、海の底から帰れなくなる気がしてきませんか?」と、弟のうんりゅうが水平線を見つめながら言った。そうかな、気にしたこともなかった、とぼくは返す。「海の底の潜水艦、なんて詩的なことを言ったって、しょせんは食堂の中でしょ?明るい電灯とカラーテレビと、おまけに小さな電子レンジつき」
「でも、まぎれもない別世界ですよ、海の底は。地上とはすこし違う」
そう彼は言った。海を見つめる彼の表情は、まるで何かが眩しそうに少し歪んでいた。一瞬黙った後、こちらを見て、小さく囁く。
「きっとぼくらは、黄泉戸喫をしては無理矢理この世界に帰ってきてるんだ」
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- 「渺渺録」(企業擬人化)(55)
- 『マーダーボット・ダイアリー』(22)
- 「大脱走」(企業擬人化)(20)
- 実況:初読『天冥の標』(16)
- 「海にありて思うもの」(艦船擬人化)(13)
- おふねニュース(10)
- 読んでる(8)
- 「蛇道の蛇」(一次創作)(8)
- 「時代の横顔」(企業・組織擬人化)(6)
- 「空想傾星」(『マーダーボット・ダイアリー』)(6)
- 企業・組織(6)
- きになる(3)
- 感想『日本郵船戦時船史』(3)
- 読了(2)
- 『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』(2)
- 「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)(2)
- 「人間たちのはなし」(艦船擬人化)(2)
- 『青春鉄道』(2)
- 御注文(1)
- 入手(1)
- 「テクニカラー」/「白黒に濡れて」(艦船擬人化)(1)
- 「かれら深き波底より」(一次創作)(1)
「おー、これが噂の」とミンゴ。
「そうだよ」
と彼は答えた。
ミンゴが岸壁からガトー級潜水艦の二十七番艦「ワフー」(SS-238)の艦橋を見上げると、そこに立っている艦霊の彼は、自慢げに片腕を上げて構造物を示した。レーダーマストには、白地に鮮血のような紅色で「××どもを撃ち殺してやれ」*と書かれた旗が。下の二流は自衛艦旗――じゃなかった、この時代では軍艦旗、さらに下には四流の日章旗が掲げられている。箒が潜望鏡架台に逆さまに括りつけられているのは、彼の小汚い艦内を掃除するためのいざというときの小道具という訳―ではなく日本人を一掃したという彼なりの勲章という訳らしい。噂の、というのはこうした過剰な敵意の現れ、下品な旗たちのことである。少々趣味の悪さを感じなくもない、ミンゴの顔にそんな感情が出ていたのだろう。ワフーは右四十度を仰ぎ、左手を首元に寄せピースサインを決めながら、乙にすました顔でこう言ってのけた。
「日本人一掃~」
「アホか」とミンゴ。
軍港の岸壁から見える海は、ミンゴが今までに見た中で一番鮮やかな海だった。水平線は朧気で遠い。陽気な海の色というよりはむしろ狂気に近い海。海だけではなく空も、一面に絵の具を塗りつけたように鮮やかだった。彩度は高く、ブルーというよりターコイズに近い色彩。太陽は空高く輝いている。
なぜか港は閑散としていて、「ワフー」以外の艦は―「ミンゴ」も含め―留まっていないようだった。人影もない。穏やかな波音だけがそこに存在していた。ワフーは短い金髪の髪を弄りながら、小さく鼻歌を歌っている。そこには、戦争の疲労感も苛立ちも、苦しみも嘆きも無いようだった。戦争なんて朝飯前の日課だ。そんな表情だった。
獰猛な潜水艦だと、ミンゴは聞いていた。彼によって沈められた日本艦船は多い。だからこの穏やかな態度は、少し意外でもあった。
「思うんだ」
と、唐突にワフーが呟いた。
「時代が違ったら、戦争じゃなかったら、あいつらが傲慢にも真珠湾を攻撃しなかったら、日本の潜水艦が観光ついでに真珠湾に来る日が来て、俺はそれの歓迎でもしてたかもなって―」
「そうだなぁ」
「真珠湾に来られても邪魔だけどな。なんだか知らねえが妙に艦体がでかくね?」
「そうそう。そのせいか知らんが通商破壊が得意じゃないよな」
「――と、今のミンゴちゃん見ていて思いました」
「今?」とミンゴは問いかける。今ってなんだよ。現在?今って?
ミンゴの疑問を黙殺し、ワフーは続けた。
「ああ。……ミンゴはさ、今、幸せか?」
「だからなんだよその質問は」
「いいからいいから」
とワフーはウインクをこちらに投げかけ、ミンゴの答えを促した。不器用なウインクだった。きっとウインクをしたことなどほとんどないのだろう。
「……幸せだよ。今の仲間がいるし」
そう、今の仲間が大切だった。今。
「仲間か~!」
ワフーはずっこけた――というより、ずっこけた振りをして、その動作でミンゴを茶化した。何故かすこし寂しそうに笑いながら。
「ああ」
ワフーの様子に少し罪悪感を覚えながらもミンゴは頷く。何故罪悪感とやらを感じるのかは自分でもわからなかった。
「じゃあさ、」とワフーは続ける。
「ん?」
「俺たちを誇りに思うか」
「俺たち?」
「俺たち。アメリカ、アメリカ人、アメリカ軍人、アメリカ海軍軍人。あるいはアメリカの艦艇。なにより我らアメリカ合衆国海軍の潜水艦たち」
彼は歌うように朗々と「俺たち」を挙げた。俺たち、アメリカ人。
「思うよ、なんだ急に」
とミンゴは彼に言う。お前たちアメリカ人は誇りだよ、と。お前たちアメリカ人。
その答えに満足したのか、ワフーは満面の笑みで笑った。朗らかに言う。
「その気持ちを忘れんなよ。じゃないとこの箒で一掃するからな」
とワフーは、両手をぶんぶんと振り回し、箒で掃く真似をしてみせた。必然と話が箒の話題へと戻る。
「その箒、外す時に気まずくないですか?そのまままた任務に行くんですか?」とミンゴ。
「もう任務には行かねえよ」
「そうなの?」
「だって戦争は終わったし」とワフーはあっさり言った。「俺たちの時代もとっくに終わってるだろ。ティルたちみたいに潜水艦推力増強改修*もされてないしな」と彼はひどく無念そうに呟いた。
「今の新しい潜水艦って、日本の……なんだっけ……ああ、海苔の巻いたおにぎりみてえだよな。一面真っ黒で」
「戦争って……」とミンゴは続けた。「もう、終わっているのか?」
「そうだよ。当たり前だろが」
「そんなのおかしいだろ?だって……」
お前は戦争が終わる二年前に沈没してる。
轟々と唸るように吹く海風はその紅の旗を一層となびかせた。旗がはち切れんばかりにバタバタとはためいている。ミンゴは冷や汗をかきながら、艦橋上のワフーを見上げてはじめて違和感を覚えた。なんでぼくはここにいる?そもそもここはどこだ?この時代では自衛艦旗ではなく軍艦旗?一九四三年二月頃にはすでに日本海域で任務に就いており、十月十一日に日本の爆撃と爆雷で沈没した彼と、一九四三年二月十二日に就役したぼくは、いつどこで知り合った?こんなに―こんなに親しく話し合うほどに、こんなにくだらないおしゃべりに高じるほどに、いつその交流を深めただろうか?
彼の顔は逆光で見えない。緊張した空気の張りつめる中で二人は黙ったままだった。いつもは海で聞こえるウミネコの鳴き声も、なぜかここでは聞こえなかった。ぼくと彼以外の生き物は、ここには何もいないようだった。
「……みんな待ってるよ、この死にぞこないが」
彼は微かに笑ったようだった。ゆっくりと潜水艦「ワフー」は岸壁を離れていく。ミンゴはそれを呆然と見送り、彼の言うことは正しかったことに気づく。戦争は終わっている。大戦型の時代も終わっている。彼はもうとっくに沈んでいる。
彼は――潜水艦「ワフー」は、一九四三年一〇月一一日に戦没した。
対馬、津軽、宗谷の三海峡が機雷に守られ「天皇の浴槽」と呼ばれていた日本海。通商破壊が行われていなかった、否、行うことが出来なかった日本海に、機雷原を突破し潜り込んだ「ワフー」は、その勇猛さを発揮し、日本の艦船を次々に沈めていった。
四度目の日本海での作戦の後、帰還のため宗谷海峡を突破しようとした「ワフー」は、浮上航行しているところを宗谷防備隊に発見された。その後、五時間にも及ぶ執拗な爆弾・爆雷攻撃を受けた「ワフー」は、油と気泡を漏らし三海里にも及ぶ油帯を航跡波のように残して沈んでいったという。歴戦の猛者だった「ワフー」の戦没はアメリカに強い衝撃を与え、一九四五年のバーニー作戦*まで日本海に潜水艦を侵入させることはなくなった。
ミンゴはその話を、仲間の潜水艦と乗組員から伝説として聞いていたのだった。そして強く思った。日本人は本当に野蛮な連中だと。奴らに絶対に屈してなるものかと。それがぼくらの使命だと。そして実際、敗北することなく一九四五年の夏、その悪の敵国に勝利した。
ぼくがその敵国の艦になったのはその十年後だ。ぼくの、今のミンゴちゃんの名前はミンゴではなく、フィリピンの北東、台湾の東方から発し、台湾沖を北上して西南日本沿岸に沿って進み、房総半島東方沖で東に向きを変える暖流からとられた、あの名前だった。
潜水艦「くろしお」。
日本国、海上自衛隊初の潜水艦としての栄誉が。
「じゃあなあ!赤っ面の間抜け顔!」
ワフーは晴れやかな笑顔で艦上から手を振り、そして二度と振り返らなかった。
茫漠たる海に潜水艦たちが泳いでいた。
現れた無数の潜水艦たちが描いたいくつものウェーキが混じり合う。
あれはアルバコア。あいつは津軽海峡で機雷に接触し、ラッキーストライクや日用品、書籍などの遺物を水面に浮かべて沈んでいった。あいつはガードフィッシュ。多くの日本艦船を沈めていった彼は、一九六一年に標的艦としての栄光を受け海没処分された。ダーター、ロバロー、ボーンフィッシュ。グレイバック。みんなみんなくろしおより先に沈んでいった、懐かしい顔ばかりだった。彼らはイルカの遊弋のように、艦首でなだらかに曲線を描いては母なる海に潜航していった。艦に入る直前に手を振って潜航していった。別れを告げて潜航していった。みんな去っていった。
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*原語ではSHOOT THE SUN ZA BITCHES.
*潜水艦推力増強計画。(Greater Underwater Propulsion Power Program)。GUPPYちゃん。上部構造物を覆い水中航行に強くなった。
*バーニー作戦Operation Barney.