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うつくしき貨物を運べば共犯者なり

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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カテゴリ「思念・雑感」に属する投稿17件]

2025年12月14日 この範囲を時系列順で読む

いや一次創作でSFが描きたいな
>歯車と歯車が描かれていた時に噛み合わせや回り方が滅茶苦茶だとひどく気になる、というフォロワーがいて、私はそういうが気にならない人間だけど、ここが気になるのか気にならないのかがSFが描けるか描けないかの分かれ道…な気がしている
>>が、同時に概念的なものや雰囲気、というものも重要なので、そこは固く捉えないでいたい
>フォロワーさんが宇宙への植民を「移民船という存在が実感としてあった時代」としてのSFだ、という趣旨の話をされていたけど
私は90年代くらいまでにえがかれたSFには、「資本とその搾取」というか、炭鉱の世紀や石牟礼道子の描く水俣ものでの「会社」(チッソ)という感覚の延長にあるもの、としての企業があるとおもう あれはGoogleやApple社の未来ではなくて、水俣のチッソや与論の三井物産や炭鉱の三菱の過去の反復なんじゃないか
>SFは未来の希望の話というよりは、人類の過去にあったトラウマの反復行為、それこそ「トラウマの再演」なんじゃないか…と感じる時がある
>>だからSFの最前線に必要なのはトラウマやケアの物語であり、私がマダボが好きなのは事実マダボがSF×ケアだからなんだワ

思念・雑感

2025年12月13日 この範囲を時系列順で読む

映画(フィクション映像)によってナショナル的なある種の「高揚」が演出されているものは、それが物語中で「正しい」ものであっても、あるいは物語の主人公側が反帝国主義・反植民地主義だったりで現実世界でも一定に正しいとされる価値観を有していても、どこか観ていて居心地の悪さを感じてしまう

思念・雑感

2025年12月7日 この範囲を時系列順で読む

『日本語の勝利/アイデンティティーズ』「セイレンの笑い声、三島の声」を読んでいたら、

何のことか私にはわからなかつた。しかし彼の青い目には高所から命じてゐた。彼のひろい肩幅のうしろには、雪をいただいた金閣がかがやき、洗はれたやうに青い冬空が潤んでいた。彼の青い目は少しも残酷ではなかつた。それを、その瞬間、世にも抒情的だと感じたのは何故だらう。

という『金閣寺』の一文が出てきて、戦後の50-70年代の日本純文学はさきほどのアポリアに取っ組み合い続けていたんだろう(あるいは戦前にもあったかもしれない)し、私も歴史・時代ものを描く上で一定の配慮はしていきたい

感想思念・雑感

『B-29の昭和史』に"B-29が「美しかった」のはアメリカの航空機だからであり、日本の後進国めいた劣等感から来ている感情""これが中国や朝鮮のものだったら焼跡を前にした気持ちも違っていただろう"というおおよその大意があるが、一番の問題はなぜ「その劣等感があの美意識をもたらしたか」であって、この屈折としたコンプレックス、あるいはマゾヒズム、あるいはナルシズム、それらすべてを混ぜた敗者の自己愛的な美学のようなもの、は、歴史学や精神分析ではなく、文学で解題すべきものに思える

感想思念・雑感

2025年11月27日 この範囲を時系列順で読む

なんか、最近の私の読書生活は「言葉集め」が先行しすぎている 思想の理解や読解というよりは 気をつける

思念・雑感

読書をしていても、「すごい!そんなこと考えたことなかった!」よりは「脳内にある70%濃度くらいのぼんやりとした思考が他人の言葉で95%の濃度になる」ことが多い

なので「自分の思考と類似した他人の言葉を発見して喜ぶ」ことが増えて、これはあまりいいことではない気がする
そして、「灰色の70%が95%になった」のか、「自分は『鉛色』だと思っているはずなのに、他人の説得力のある『錫色』に染まってしまった」のかはしっかりと区別をつけていきたい

思念・雑感

2025年10月6日 この範囲を時系列順で読む

スペースで自分の創作や歴史に対する距離感の話をしていると(いわばオーラルでの語り)、一人で盛り上がるし思いもしない見解やきもちがまとめることができるのは、ちゃんと形容すればこんなかんじなのだろう…

思念・雑感

アウステルリッツがこうした思索を話しながら纏め、いわばとりとめのない思いつきからこのうえなく端整な文章をつむぎ出し、さらに彼にとって専門知識を語り伝えることが、一種の歴史の形而上学へのゆるやかなアプローチになっている――そしてそこでは想起されたものがいまひとたび生命をもって甦る――ことであった。

/『アウステルリッツ』 

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

2025年10月2日 この範囲を時系列順で読む

『ゴールデンカムイ』で東京が霞むほど遠く、北海道の軍人の呼ぶ「中央」がほとんど他人事か幻想にでも聞こえるように、そもそもその地の人々はその地をこそ中央と呼び、認め、地理を把握していたのではないか、と感じていたのだが(教科書で使われる地図は「お上品」な認識すぎる)、「琉球弧」(ここではヤポネシア論におけるもの)という考えがあるのか…

那覇を中心に考えると、東京とマニラはほぼ同じ距離らしいです

(『沖縄の戦後思想を考える』)

感想思念・雑感

2025年9月30日 この範囲を時系列順で読む

「女の子に母親だけしかおらず、その母が心労たたって病死してしまった時の悲しみ」と、「B-29が飛んできてその空襲で母親が焼死してしまった悲しみ」って、個人からしてみればたぶん同じ感情ではある

ただそれを戦争=ナショナルな事象という枠で俯瞰して時に、語り方には違いが出てくるはずで

思念・雑感歴史・時代/〃もの

じつは私は「兵器という大型機械が思い通りすぐに作動しない」描写が大好きで、高射砲がすぐに旋回しない(「アルキメデスの大戦」冒頭にあった記憶)とか、戦車の主砲を向けるのに手力だと時間がかかる(ガルパンにあった)とか、あるいは航空母艦に向けられた急降下爆撃だって爆弾が当たるまでに乗組員たちには数秒の「ア…!」があったはずで、だからといって筆者がこれが好き!と言ってこだわりを持って描いたとして読者のどれほどがそこに美学を感じてくれるのか謎 まだ感情に訴えた方がいい

あとこの数秒の「ア…!」にまったく関係のない、例えば一人キャンプが好きで時折漫画を読むのが趣味くらいの読者に、もし私がガチガチに知識があったとして仔細を緻密に描写したところで、それが上手く伝わるのか、むしろ一周回って「こんな世界ありえないだろw」にならないのか考えるときはある   

『この世界の片隅に』で最後に子どもを拾う描写を「現代的な倫理観で萎える(うろ覚えだけども、こんな感じの大意)」と投稿していた方がいらっしゃって、そんな感じになる可能性もある(当時「戦災孤児を養子にする」のはよくあることだったが、その事実があまり有名ではない)

思念・雑感歴史・時代/〃もの

2025年9月29日 この範囲を時系列順で読む

ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。

/『情念の力学』「波打際の論理」

沖縄の自分たちが狂気に囚われた素封家の女のように膝まづきながら海の向こうに渇望したのが、夫であり、都市であり、本土であり、近代であり、国家であった、という認識(だけど、それが正しいのかはわからない)

近代と通ずることができない、という感覚、近代に貫通されない、近代と盃を交わさない、近代と交わらないという感覚、時代を描く時に理解が必要であるというか、

(べつに沖縄がどうとか言いたいのではなくて、)

『攪乱する島』を読めばあの島にちゃんと近代が来ていたことはご理解できると思いますが……軍の装いをした近代が…

近代………

思念・雑感土地/〃擬人化歴史・時代/〃もの

 日本の大衆が自分自身の日常的思惟様式の欠陥にめざめるためには、在日朝鮮人からの打撃が必要である。私が負ってきた母国との断絶よりも深い傷そのものから、かりものの朝鮮らしさを超えた思想を生みだしてくれることがその一つだ。そのための試行錯誤が、日本人大衆の日常的思惟の世界に対する直接性である時期はなおつづくことだろう。大衆は異相分離ののちの無関心を贖罪だと感じているのだから。また同化の原理以外の対応を知らないから、目の前に立ちあらわれたものとの対応法がわからないぶきみさに、日本はさらされる必要がある。自分のもっていた発想法そのものをゆさぶられるという体験を意識にとどめたものは、敗戦後にやっとかすかに生じたにすぎない。

/「二つのことば・二つのこころ」『精神史の旅 1産土 森崎和江コレクション』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

 いま一つは、国家の「壊疽」になろうとする主張です。この主張を新川さんは、「あたかも壊疽のように、〈国家としての日本〉を内側から腐蝕し」とも、「国家としての日本に対する決定的な「()としての沖縄の(、、、、、、、)存在を思想化(、、、、、、)する」とも表現しています。同化の対極に立とうとする思想というべく、ここに至って反復帰論は、「反国家としての兇区」として完結します。

/『沖縄の戦後思想を考える』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

〈いっちゃん、また関東大震災のような大きな地震が起こったら、朝鮮人は虐殺されるかしら。一円五十銭、十円五十銭と言わされて竹槍で突つかれるかしら。でも今度はそんなこと起こらないと思うの、あの頃とは世の中の事情が違っているもの。それにほとんどが日本人と全く同じように発音できるもの。ね、いっちゃん、それでも殺されることになったら、私を恋人だってしっかり抱きしめて、私と、私と一緒にいてくれる?いえ、今度は絶対に虐殺なんてされません。でもそれでは困る、私を殺してくれなくちゃあ。私は逃げ惑うの、その後ろを狂った日本人が竹槍や日本刀を持って追いかけてくるわ、私は逃げきれなくて、背中をぐさっと刺されて、胸も刺されて血だらけになってのたうち廻るの。いっちゃん、あれは痛いのね、とっても――この間いっちゃんが研いだ包丁を掴んでみた。そしたら身体がびりびりとしびれて興奮してきて、まるでセックスをしている時のような気持ちになったわ。私、自分が何故お料理が嫌いなのか解ったような気がした。恐いのよ、あのびりびりした感じがたまらなかったのよ。それでね、その包丁で胸のところと手首を切りつけてみたの。痛かった。それに血が、本当にわっと出てくるんだもの。ぐさりとやってみたかったけれど、もっと血が出るのかと思うと恐くなって――今度は金槌で脚を叩いてみたわ、そしたらやっぱり痛かった。ねえ、いっちゃん、私は虐殺されるかしら、ねえ、どうなるの、もしも殺されなかったら、私は日本人なわけ?でもどうしよう、あれは痛いものね、血がいっぱい出るんだものね〉

/李良枝「かずきめ」『由煕 ナビ・タリョン』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

はい、「「ハッキング」から「今晩のおかず」までを手広くカバーする巨大ネット掲示板群」というキャッチコピーが好きです。好きなのはキャッチコピーだけですが……

思念・雑感

自分の自炊料理から国家の歴史までがごちゃ混ぜになって一つの文章を形成している、またそういう小説が好きで、その一つが李良枝なんだけど、実はそのごちゃ混ぜ=何かの実感を自炊料理を経過させて国家の歴史を順繰りに結びつけて体感することことが、身体性というものの本髄なんだろうか

思念・雑感

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