喫水はまだ甘くまだ浅くある

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『明治日本の産業革命遺産』読んでいます。
鉄、船、運ぶこと、石炭、炭鉱、働く人、行く人、来る人、その生業で世界が回っているということ……。みたいなものを企業擬人化で描けたら良いなとは……。
『阿姑とからゆきさん』もそろそろ読了しそうだ。読了したい。

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歴史家を悩ませるのは、私達が叙述の対象としている人物が幽霊のように帰ってきて、書いたものに対して感想を述べること/彼らからすれば私達は抑圧者であり拷問者、死刑執行人である/彼らからすれば私達が若造だという事実が傷を負わせる上に侮辱されている/この問題は避ける術は無い/歴史は地図の作成と同じく事実の"描写"とはならない/事実そのものではなく少しそれに近づいているだけ/当人からすれば奇妙なものだ

/しかし時間が経つと私達の描写は、彼らがその中で生きていた出来事の記憶と競合し、入り込み、取って代わる/という意味で事実に"なる"/歴史的知識は出来事に加わった人の知識を沈める/歴史家は過去に対して、効果的に、息苦しいほど自己を押し付ける/過去を読みやすくし、過去を解放されない牢獄へ閉じこめる/歴史家に悪意はない/これは誰もが記憶に対し行うから、実際の記憶が過去の描写への飲まれていく経験がある/逸話は繰り返され磨かれる、一枚の写真が時間・場所・人物を思い出す全てとなる/過去そのものとなる

それは暗い面だが唯一の面ではない/抑圧と同時に歴史家は過去を解放する/過去を伝える人、読みやすくする人、再生する人を求めているから/歴史を作った人は歴史を記録する人が己を好意的に扱うという希望を持つ/彼らを忘却から救い出す

『歴史の風景』個人的ハイライト

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ところで(連想)『終戦のローレライ』は(著者の国家史観は別として)一つの物語としてうつくしかった 日本海軍の実直な歴史描写に挿入されるローレライ・システムという架空兵器のファンタジックさが、あるいは「馬鹿っぽさ」が危ういバランスで魅力と魔力を発揮しており、絶妙に世界はズレていて、ローレライ・システムはすなわちローレライであり少女であること、そのファンタジックさが、あるいは「馬鹿っぽさ」が…という再びの循環と混同、少女は兵器であり勝利だということ

あの時代のあの戦争中の男たちがみっともなく少女を(勝利の表象を)めぐって争っている、あまりに「馬鹿っぽい」フィクション性、が、潜水艦という人間の想像力に最も嬲られてきた船種を舞台とすることで、さらにファンタジー性が強化されるところ

表象としての少女と舞台装置としての船の提示の仕方が、鮮明でうつくしい

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『蒼穹のローレライ』(少々うろ覚えなのですが所感) 主人公の瞳が理由不明のまま青く、母親の不貞を疑られて幽閉され、父親にも邪見に扱われて、運よく外に出たとしても近所の人間は不気味がるし帰ったら母親が刃物をもって狂ったように探し回っている、そんなイエとムラで育っている彼が上手く逃れた先が日本海軍という今から見れば理不尽な組織社会にしか思えない、が当時では世界随一のテクノロジーの先端集団に行くことで相変わらず孤独でありつつも一種の救いがそこにあり(青い瞳は生物学的にいう先祖返りかもしれぬ、という同輩の明晰な回答は当時では日本海軍などでしか賜れない言葉だったろう)

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警備局の人々もそうだけど、MBに難色を示していた評議会(「ホーム」の冒頭に出てきた議員も含まれているはず)も意見を変えているのが「地味にあぶり出る背景」を感じるし、『マーダーボット・ダイアリー』には「地味にあぶり出る背景」が多すぎてそこが魅力的

『マーダーボット・ダイアリー』の「グラシンは『後発組』だ」発言の名称「後発組」は、「冷凍船の後発でやって来た」のではなく、プリザベーション連合の「如何なる存在も受容する」理念のもと、移民・移住民のことを「後発組」の名で呼んでいるのでは…
ラッティたちが先発、グラシンが後発なのではなくて、グラシンは純粋な移民なんじゃないか…と思っているのだがどうだろう 考えすぎか?

マーダーボットが考えているように「強化人間だから疎外感を感じている」のではなく、移民で、おそらく肌の色も(周りが有色人種な中で)明るめで、そこに引け目があるのではないか…MBに人種という考えが希薄なだけで 考えすぎか?

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教会堂は徴用され信徒たちも応召し、また九州や台湾に疎開し、牧師も疎開の引率者、徴用、戦火を避けて、軍に睨まれていることを知って犬死したくないと沖縄を去った、ある者は戦場に消え、ある者は土竜のような生活で生きのび、ある者はスパイ容疑で殺され、少なくない者が栄養失調やマラリアで死んだ。
戦争が終わった時には教会は跡形もなく、会堂は戦火で破壊され尽くされていたし、生きのびた信徒は他の生きのびた信徒の行方も知らなかった、強制疎開、徴用もあったから逃げることは悪ではなかった、にも関わらず、教会が下した「判断」とそこから起こった状況への対応に問題を感じる。
というのは、沖縄の教会の問題は他府県出身の牧師たちが引きあげたからだと考えていたが、その中には沖縄県出身の牧師もいた、また戦火で信徒が全滅したわけでもなかった、沖縄の教会は、迫りくる戦争と疎開政策の中で為された教職と信徒の「決意と行為」によって、自然消滅したのである。…

という意味合いの『国家を超えられなかった教会』の文章、ここまで冷静に挫折を語る文章はまたとない。

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原武史『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』読んでいる。良い。原武史先生の本を読んでいると土地擬+駅擬をしたくなる。

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今日マチ子『cocoon』一周回って「あの戦争を体験しなかった/できなかった人間が戦争を描くということ」「『戦争を描ききれる』というあり得もしない自惚れへの疑問」「そもそも『戦争を体験した』と言い切れるのは誰なのか(銃後でも上手く楽々と生きていた人間も最前線にいた兵もいる)」みたいなことに、全く回答していないし取り組んでいないと見せかけて、実は「答られないものに対して答えるべきではない」的な確固たる意志があるのではと感じ始めた

そしてマユとサンのひたすら閉じられた2人の世界が、それを描くことがそれを象徴しているようにも思える

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『黒衣の短歌史』に月刊短歌誌を百種として一冊に五百首、一年で約六十万首、陽の目を見ない短歌がその倍以上とする、二百万首の歌が日本にある…ところで日本という国はこの歌を千年余り作り続けてきた…仮に一二〇〇年として二十四億首の三十一文字だ…ぞっとする…精神狂うぜ…とか書いている短歌誌編集長の中井英夫、なんなんだ。

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『日本語の勝利/アイデンティティーズ』収録作「万葉青年の告白」
リービ英雄が『万葉集』の小論文を発表しようとした時に「海外の人間には、歌は無理だろう」と言われたことが忘れられず、『万葉集』で全米図書賞をとったリービがその頃のあまり上品ではなかった賞授賞式に呼ばれた時にスピーチは短くしろと言われ、またリービ自身も今のアメリカは難しい話を聞きたがらないのだ、と積極的に諦めた時、ふと「歌は無理だろう」というあの言葉を思い出し、7分間スピーチをした挙句に、英訳された和歌を品のない観衆の前で長々と朗読した話。あまりに良い。
またこの作家は/この読者は(女は、男は、若い子は、アメリカ人は、日本人は…)的「侮り」に引っ張られる人間なので、自戒となって身に迫る話でもある。

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結局、若者たちを特攻という運命に赴かせてしまったものは、彼らの美的価値の希求、つまり彼らのロマン主義と理想主義であったのではなかろうか。彼らは読書を通じて自分たちの世界観と美的価値を作り上げた。もし政府が、軍国主義国家の政治的ナショナリズムをあからさまに正面切って提示していれば、若者たちはこれに反抗することができたであろう。

/『ねじ曲げられた桜 上』

感想,引用 '

"特攻隊員は桜の花に美的価値を感じていた、それが愛国心に通じていることを書き残していた、しかし彼らはこういった象徴が政府のイデオロギーに組み込まれていたことに気づかなかったのではないか、若者らは国への献身に美的価値を見出していたが、国家がそれを利用していたことに気づかなかった"…

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『ねじ曲げられた桜 上』に、「ファシズム」という言葉は歴史学と政治学の分野以外では、あまりに「はやり」すぎて、レヴィ=ストロースのいう「浮いている記号」(フローティング・シグニファイヤー。無数の意味付けが可能な記号)となってしまった、と書かれていて
"流行りすぎて""浮いている記号になってしまった"は同人オタクにもあるあるあ~るなんだけど、その事象がこのように形容されているのを初めて見て、快哉を叫んでしまった

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『日本語の勝利/アイデンティティーズ』読了。あまりに良い。

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『われら船乗り―海の慣習と伝説』に住吉明神の社の沖を航走する船はよく逆風にあうという、供物を所望されているからでありご幣を海に投げればよい、それでも風波が収まらない時は船頭や乗客の大切な所有品(例えば鏡など)を海に捨てると順風に乗って船が走り出す、とある。
★「命名に際して、赤ワインが用いられるのは、生けにえの血を流す代わりだともいわれる」←!?
→もともとそんな感じの乗物とはいえ誕生から原罪を被らなくてもよくないか?
→バイキングが好んで奴隷や囚人を人身供養を捧げた、古代アイスランドの神話を歌ったものにも「血染めのローラー」という語句があり、これは新造船の下に引いて転がす丸太材に生贄を繋いだことから来ている、タヒチやフィジーにも同様の習慣があった……
→次第に人間の代わりに動物を使うようになっていった、西インド諸島では今も黒い羊を甲板で殺す習慣はある……とのこと
★禁酒令下のアメリカではジンジャエールだったし、共産圏では赤ワインという資本主義者の飲み物ではなくビールが好まれた、とある
★よく聞く「なぜ船を女性に見立てるのか」話が載っている
「アメリカ海軍の慣習と伝統を集めた本」にある項目に曰く…らしい
①いつも彼女の周囲でてんやわんやの大騒ぎが演じられている
②いつも彼女の周囲に一団の男たちが付きまとっている
③ウエスト(中部甲板)がありコルセット(ステイすなわち静索)を付けている
④見栄えを良くすために紅や白粉(ペイント)が必要である
⑤男性諸君を破滅に導くのは彼女の入手費ではなくて維持費である
⑥満身を飾り立てている
⑦正しく扱うには当を得た男子が必要である
⑧下半身は隠しているが上半身をあらわに出している。そして入港すると必ずボーイ(浮標)のところへ飛んで行く
★ヴェネツィアの演じたアドリア海との結婚はあまりにも童話的すぎている、支配したのはアドリア海、エーゲ海、せいぜい東地中海だからだ、15世紀の大航海時代の幕開幕を考えればアドリア海との結婚は幻想的な見世物でしかなかった…
バイキングのような純粋な海洋民族は、海との間にそのような面倒な手続きなどを必要としなかった、海を恐れない彼らは海に対してもへりくだることはなかった……とあり興味深い 「海に対してへりくだらない」
★ある海外の進水式で、女性が船首に投げた瓶がぶつからず割れなかったので、彼女は盛装のまま水に飛び込み泳いで船を追い、拾い上げた瓶を船首にぶつけて割り直した、とある ふねの命名者としての底意地を感じて良い
★海と人間との調和を破ったのは産業革命だった、とか書かれていていい本だ 帆船の研究者だからかもしれないけど、航空母艦とか戦艦とか貨客船とか漁船とか曳船とか以前の、艦船とも呼び難き、ふね、の話をされている気分になる
★旧版と新版があり、新版は固定レイアウトでよければkindleが買えます。

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政治的な言葉で語られ、縁取られていく人間や事物の姿は、こう在り、こう在るべきものとして、すでに価値や意味付けによって作り上げられ、規定されたものばかりのように思えてならなかった。
社会性、という言葉が気になった。
社会的実存、という言葉も気になった。

社会性という言葉は、政治性、時事性という側面を強く含むことが多いが、この言葉の真の意味は、決して幅の狭い視野では収まらない深遠な立体性を背景にしている。社会的、あるいは、社会性という言葉に対する一方的な意味付けや誤解から、この言葉自身を先ず解放する必要さえある。もちろん社会的、社会性という言葉を狭義に時事的な意味合いにのみ使っている場合は別だが、しかし、それこそこの言葉たちを一定の価値の中に落としこめて来た大きな原因でもあったのだ。
/李良枝『石の聲 完全版』

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