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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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カテゴリ「引用」に属する投稿47件]

2025年8月2日 この範囲を時系列順で読む

きみは茶色の袋を開けて、従兄がゲームと一緒にこっそり忍ばせてあった大麻を投げ捨てるわけだけど、従兄は新しいハッパ友達が欲しいらしく、まっ先にきみに目をつけていて、どうせきみは他にやることもないだろうし、他の兄弟ほど信心深くもないんだから、きっと肉体の呪縛から解き放たれたくてウズウズしているはずだ、と彼は勝手に思っているのであって、それに……ってちょっと待てよ、ゲームのアフガニスタンのマップが、バカみたいにきれいじゃないか。

/『きみはメタルギアソリッドV:ファントムペインをプレイする』

感想引用

2025年7月29日 この範囲を時系列順で読む

 戦争によって故郷へと追いかえされた、と思っているからゆきさんである。兄あるいは弟を「男にしてやりたい」と出稼ぎに行き、幾度かに及ぶ送金で、わずかな田畠であれともかくも自活し、日本土民ふうに根づいているものと思って、その故郷へ帰っている。が、日本の近代化はこの土民志向型のくらしを後進性として位置づけて、帝国主義的国家を確立してきたのである。帰ってみれば日本土民は土民たることに自信を持てなくなっていた。「帰ってこんがましじゃった……」との怒りと悲しみの青音のなかには、実に多面な、思想のカオスのごとき体験がつまっている。アジアへの心のひろがりと国家的侵略。アジア諸民族との接触と戦争。その接触の性のすがた……
[…]
 さて、からゆきさんはその苦界を民間外交などとも言って、事実、まことに深部をえぐる外交を心に感じとってきた。それは近親者などへ少なからぬ影響を及ぼしていることを聞き歩きの折々に感じさせられる。が、その体験さえ、侵略戦争とさまざまな形でつながっている。日本が植民地とした朝鮮へ売られ、売られつつなお「日の丸」であったからゆきさんの話をうかがったりもしたけれど、からゆきさんすら一椀のめしを現地の民衆とうばいあう関係のなかにいたのである。
 海外にうりとばされ、売春を強要され、身をもちくずして彼の地で果てた少女たちの、その苛酷な生涯に対して、なおそのように言わねばならないところに、庶民の生存と国家の意図との宿敵のような関係がある。それは庶民のナショナリズムそしてインターナショナリズムと、国家のそれとのくっきりとしたちがいが、下層民衆のアジア体験の場に浮き出るからである。
 売られることもなく、売春の味も知らずに齢を重ねてしまう私が、からゆきさんと出会うことができる唯一の小道は、彼女らが海の外でアジア諸民族と肌をあわせつつ育てあげた特有な心象世界を、日本への鋭い内部批判として受けとることにある。そしてそれを、彼女らもまたすべての日本民衆と同じように他民族の一椀のめしを叩き落とす存在ともなっていた地点を、見のがしてやるような不遜な立場をつくり出すことなく行うことができるか否か、にある。

/「からゆきさんが抱いた世界」『精神史への旅 3海峡 森崎和江コレクション』



 からゆきさんが海をこえだしたころ、九州を中心にして、別の一群がやはり国をではじめていた。志士と自称した人びとである。かれら志士は「諭書」によらずとも、天子サマを君主に奉ずることを生きがいにするナショナリストであった。かれらを大陸浪人とよんだ人もいた。臣としてつかえたい天皇を新政権にひとりじめされて、こころざしをえぬところの、西南の役の敗者たちだった。かれらは波々の身でアジアの現状をしらべて、新君主につくそうとしていた。その意図は純粋で、一般に支配権力に対して野心をもっているわけではなかった。かれらは、政府の政策は、日本をとりまく情況を正しくみていない、西欧に追従していて、国を危機におちいらせるおそれがある、と考えていた。
[…]
 次元をまるで異にするこれらふたつのからゆきが、それでも、ふと相まみえたときがあった。海を越えた志士たちは、からゆきさんが働く楼を足がかりにしたのである。
「すすんで志士の世話をし」たと『東亜先覚志士記伝』にある。からゆきさんをかれらは娘子軍とよんだ。
  「娘子軍は九州方面の出身の者が多かったが、氷雪肌を劈く西価の購野の奥まで進むに当っても、純然たる日本の服装をなし、僅に一枚のショールを纏うて寒さを凌ぎつつ突進するのが常であった」(『東亜先志士記伝』)

/「天草灘」『精神史への旅 3海峡 森崎和江コレクション』

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年7月25日 この範囲を時系列順で読む

第二に、功罪半ばする近代化の”罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに”挟まれ”、”巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは換言すれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。

/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用企業・組織/〃擬人化

2025年7月21日 この範囲を時系列順で読む

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感想引用

2025年7月17日 この範囲を時系列順で読む

が、「帰ってこんがましじゃった。戦争がはじまらんなら、帰りはせんじゃった」とつぶやかれ、その言葉がけっして自由とはいいかねる売春生活の場から吐かれたことに、私は応答のしようのない心境に追われたのである。

/「からゆきさんが抱いた世界」『森崎和江コレクション3』

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年7月15日 この範囲を時系列順で読む

ところで、最近、二、三体験したことだが、これらの論者が想定したであろう人たち、厳密に追及していけばその対象に含まれるだろうと思われる人たちが、これらの論文にふれていながら、自分も追及の対象とは感じていない。あるいは自分は免罪されていると信じている、そういう事実のあることがわかった。それは、まさに一種の鈍感さとでも言うべきものであろうが、そのことは逆に、多くの論が、責任追及の掛け声だけに終わり、なんらの具体的な見通しを持たないことにも、原因があるかも知れない、と思ったことである。

/「「戦争責任の追及」ということ」『「沖縄」に生きる思想』

感想引用

2025年7月13日 この範囲を時系列順で読む

 この人の感情を害することなしに、わたしの知っているわずかなフランス語の単語でもって、あなたの美しいお国はわたしたち亡命者にとっては砂漠でしかないのだと、いったいどうすれば説明できるのか。この砂漠を歩き切って、わたしたちは「統合」とか「同化」とか呼ばれるところまで到達しなければならないのだ。当時、わたしはまだ、幾人もの仲間が永久にそこまで到達できぬことになろうとは知らなかった。
 仲間のうちの二人が、禁固刑が待っているというのに、ハンガリーへ戻っていった。別の二人は、これは若い男で独身だったが、もっと遠くへ、米国へ、カナダへ行ってしまった。また別の四人は、それよりもさらに遠くへ、人が行けるかぎりの遠い場所へ、大いなる境界線の向こう側へ行ってしまった。わたしの知り合いだったその四人は、亡命生活の最初の二年のうちに、みずから死を選んだのだ。一人はバルビツール酸系の睡眠薬で、一人はガスで、他の二人はロープで首を吊って死んだ。最年少の女性は十八歳だった。彼女の名前はジゼルだった。

/アゴタ・クリストフ『文盲』

#「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)

感想引用

2025年7月11日 この範囲を時系列順で読む

沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。

/「感受性の変容」『情念の力学』

感想引用

2025年7月8日 この範囲を時系列順で読む

ひとつ下にある下部船倉に海水が奔流して来た。そこにいた多数の兵が絶叫をあげながら、水に飲まれていく。 「それは、声というより、まるでブタが絞め殺される時のような悲鳴でした。それが、何度も、何回も続いたんです」「あの精強をうたわれた将兵が、そんなふうに命を奪われていく。たまりませんでした」

/『撃沈された船員たちの記録』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用艦船/〃擬人化

建築家の一つの舞台である「艤装」という分野は、既に大型船舶建造の時代が過去のものになっていたので、その方面の仕事もなかったのであろう。固よりそういったワシントン軍縮条約規定に抵触しないという条件での外国航路用大型船舶は軍服に着換えさせることを前提としていたからである。建築家に揮わせた艤装の芸術は軍縮を睨んだ上での、あくまでも貨客船であることを強調する為の擬態であったと考えられるが、艤装を担当する者は、そのような擬態をものともせずに大いに腕を揮ったのであろう。この事は軍服に着換えさせられる以前の、我々が目にする関係図面やカラースキーム類から自ずと判る。

/『村野藤吾建築設計図展カタログ6』

#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

2025年7月4日 この範囲を時系列順で読む

造船、海運、石炭を手に入れた岩崎は、長崎造船所で建造した船を日本郵船で使い、高島石炭を燃料とし、神戸上海にも輸出して巨大な利益をあげ、三菱財閥を築いたのである。

/『図説日本の歴史 42 長崎県の歴史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年7月1日 この範囲を時系列順で読む

ある人たちは年齢を重ねることを知らない。ある者は歳をとらない。時が止まるのだ。時はある者たちのために止まるだろう。とりわけ彼らにとっては。永遠の時。全く歳をとらない。時はある者たちにとっては凝固する。自らを再生産し、増殖することによって魂から分離された囚われの像とは違って、彼らの像、彼らの記憶は腐食しない。彼らの相貌が喚起するのは、後光を帯びた美しさでも四季折々の自然の盛衰の美しさでもない。喚起するのは不可避的なものではなく、死ではなく、死に-つつあるということ、なのだ。

[…]

記憶がすべて。失われたものに直面してわきおこる切望。その欠落を維持する。直線的な進歩の記号としてではなく、月の満ち欠けのようにくり返し盛衰する不確定なものの間に固定されて。それ以外はすべて歳を取る、時のなかで。ただし。ある者たちは時の外部に。

/「クリオ 歴史」『ディクテ 韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール』

感想引用

2025年6月29日 この範囲を時系列順で読む

『ディクテ』と題された多言語テクストは、人間の身体から発せられた言葉を忠実に書きとるというより、言葉が人間の咽候、その口元からこぼれでる瞬間を現在形で再現する多面的な言語実験からなっている。そこでは教室や教会で同語反復や追唱を命じる教師や司祭の声が遠くで鳴り響いているし、言葉を国民に授け、植えつけ、結果的にその言葉を国民の総意にまで増幅させてみせる植民地官僚や独裁者(dictator)の声もまた「あてこする」かのように匂わされている。植民地統治下であろうが亡命・移住地でマイノリティ身分にあろうが、人は判じ物の言語をしか行使できず、話すべき言葉はなかなか咽喉から外へは吐き出されていかない。ほとんど発話以前のノイズとしてしか了解されない気怯れ。『ディクテ』が密着を試みているのは、このような「へどもど」する女たちの身体性にほかならない。

/『外地巡礼』

感想引用

2025年6月27日 この範囲を時系列順で読む

陸上自衛隊幹部学校戦史教官室長の白石博司は、すでに一〇年以上も前に、次のように書いていた(白石博司「戦史雑感(その1)」『陸戦研究」一九九五年一二月号)。

 近年、旧軍関係者が自衛隊の現職を去り、また実戦を体験してきた人も老齢には勝てず、いよいよ自衛隊も全く未体験の軍事集団になってしまった。体験・実験の難しい軍事を専門にする我々幹部自衛官にとって、実戦を学ぶ教材として残されたのは戦史以外にないといっても過言ではない。いよいよ腰を据えて戦史を勉強する時が来たと思う。

 まったく違った理由からではあるが、私も白石と危機感の一部を共有する。戦争体験世代が減少するなかで、現在の日本社会では、戦争の現実、戦場の現実に対するリアルな想像力が急速に衰弱しているように感じられるからである。

/吉田裕『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』

#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

2025年6月26日 この範囲を時系列順で読む

そして戦後民主主義が開放したのはこの「私権」意識であった。日照権、ゴミ戦争、医料値上げ闘争、などの市民運動は、「戦後民主主義が根づいた」と称される姿である。
「なんば言うか、ケタクソわるい」と閉山町の日雇い人夫は言うだろう。それでも時代は確実にそのように動いてきた。結婚すれば大それた迷いはなくなるという庶民の、父祖伝来の教えは、そのまま一面では生きつづけてマイ・ホーム主義は建築産業の開発から日本列島改造論へと表裏一体である。経済基盤を固めた戦後民主主義は、結婚しても迷いはなくならない、というヒネクレ者にも寛大となって、「それはあなたの自由です。あなた自身の生活を十分に主張してください」と言う。

/「戦後民主主義と民衆の思想」

感想引用

くらしのなかに民主主義ということばは苦もなく入っていった。それはたとえば次のように。私の父はその郷里で村長にと、のぞまれたことがある。そのとき村人が言ったことばが耳に残っている。「あなたのお父さんはやっぱりえらか。若いときから民主的なお人だった」そしてまた或るとき戦地がえりのまだ若さが残っていた農民は、私へ言った。「あんたのお父さんを見習って、わしらも民主的にしよりますよ」。それは些細なことで、旧習を破って何かを同世代ではじめたら、夫婦単位で行動をしたり、ということにすぎなかった。
 戦後はこのようなはじまり方をしていいはずのものではなかったのである。

/「戦後民主主義と民衆の思想」

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2025年6月17日 この範囲を時系列順で読む

かってはこの世界最大の土佐艦長を理想とした自分が水葬の曳航任務にあたるとは,あまりに悲痛な皮肉を感ずる。しかし土佐は橘姫の運命にも似て,世界平和の犠牲として水葬されるのだ。もし土佐に霊あらば瞑して呉れるだろう。兎に角華府条約による処分終了期は2月16日までだから、突発事故などでそれまでに廃棄されないとすれば重大な国際問題ともなり,自分が切腹したくらいでは済まないのだから責任がある

/『造艦回想』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月16日 この範囲を時系列順で読む

 ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。

/清田政信『情念の力学』
※沖縄について

感想引用

2025年6月14日 この範囲を時系列順で読む

たしかに占領軍の海運政策は苛酷であった。日本海運を根絶やしにする意図かと思えた。日本の商船隊は財閥と結びついて世界に跳りょうし、その軍事力増強に大きな役割を果たしたというのが、米英など連合国の認識であった。

/『二引の旗のもとに』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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 原合名会社が富岡を経営していた明治後期から昭和のごく初期にかけては、日本の生糸輸出の絶頂期ともいえ、大正時代には世界の生産高の6割を占めるほどになりました。
 日本にとっては、生糸輸出で獲得した外貨によって軍需品や重工業製品を輸入するというパターンができ、「生糸が軍艦をつくる」とまでいわれるほどでした。製糸業が富国強兵に大きく貢献したことは間違いありません。

/『富岡製糸場と絹産業遺産群』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月11日 この範囲を時系列順で読む

ところで、本書の圧巻は、なんといっても著者の手になる「浄魂を抱いて」という戦後の章である。
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。

/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月10日 この範囲を時系列順で読む

ソウルから来日した旧友は、北九州市におりたって、駅名――八幡――を見あげた時、ちいさな叫びをあげました。その声で反射的に私は思いだしました。それは二十数年まえの感覚であって、八幡・鉄の都・軍需……とつながるなまなましい現実です。植民地にもその名は威圧的につたわっていました。「ここがあのヤハタですね」と彼はいい「韓国では今の若い人もヤハタの名はたいてい知っています」と続けました。

/「北九州労働者風景」『ははのくにとの幻想婚』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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石炭運搬の一過程における虚構と現実のこれら二つのストライキよりすでに前に、筑豊の石炭の最大の消費者である八幡製鉄所で、歴史にのこる大罷業が決行されていた。一九二〇年早春のことである。日本で最初のこの官営製鉄所は、もともと、筑豊炭田という国内最大の産炭地を至近距離にひかえているという立地条件のゆえに、北九州の八幡村に建設されたものだった。日清戦争での勝利から二年ののちに操業を開始したこの製鉄所は、数年後の日露戦争を可能とし、さらにその後あいつぐ対外戦争のいわば産屋となった。ここで生産される鉄が、財閥資本の重工業によってあらゆる兵器や艦船や戦車や車輌に加工された。製鉄に使う石炭も、軍需工場の燃料となる石炭も、財閥資本が経営する炭鉱から、やはりこれら財閥資本が大きなシェアを占める船舶会社の輸送船で、これらの財閥によって系列化された荷役システムを介して、運搬された。

/『石炭の文学史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月9日 この範囲を時系列順で読む

たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。

/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』「攪乱する島」

感想引用

『第三十二軍司令部日々命令綴』所収の「球軍会報」一九四五年四月九日付(防衛省防衛研究所所蔵)には、「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とある。

/『沖縄・問いを立てる1』「座談会 沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」注釈

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2025年6月1日 この範囲を時系列順で読む

僕等の詩魂のうちに生きてゐる信仰に比べれば現実の政治形態の如きは架空の国に過ぎぬのではあるまいか 小生はいよ〱政治不信者たる事に専念するだらう 日本のジャアナリスムは又同じ事を繰り返すだらう 曰く新文化政策 偽革命偽転向 楽し気な反省 軍備を撤パイしたら序に政治も撤廃してほしい位のものだ 芸術の根基の失されたと君は言ふ よろしい 君にはもともとそんなものはなかつたと言ふ大事に思ひ至るか[が]よい 君には未だ一個の茶碗が見えてゐなかつたのである

/小林秀雄の手紙(神奈川近代文学館所蔵)
「小林秀雄の戦争と平和」【1】八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」①

感想引用

2025年5月26日 この範囲を時系列順で読む

言い忘れてたね。バークリーで専攻変えたんだよ、作曲に。うん、自分で見切りつけたっていうか。日本じゃこれでも将来を嘱望されてたんだけど、自分で言っても信用されないって?ほんとだよ。でもこっちにはぼくくらいうまい奴ごろごろいる。来てすぐの頃、クラスの奴の演奏聞いてさ、チェコかポーランドか忘れたけど東欧から来た奴で、いつもすれた衿のシャツと膝の抜けたズボンの着たきり雀で、英語もすげえ訛りなんだけど、いったんギターの弦に触れたら、もうそこらの景色が変わるっていうか……。それに奴の横顔がね、神様みたいなんだよ、ギター弾いてる間。日頃はどっかのホームレスみたいなのに。

/『傷のあわい』「移民候補生」

感想引用

2025年5月15日 この範囲を時系列順で読む

「戦後二十五年,延々と私達の主体は心ある日本人の鏡の役でしかありませんでした」。ここで指摘されているのも,いい日本人をつくるための鏡として在日朝鮮人がずっと設定されてきており,朝鮮人に対して親切にすればいい日本人,差別した人は悪い日本人,という構図なわけです。こういった構図のなかでは朝鮮人自身が主体となることはありませんし,朝鮮自体が抱え込んでいる問題がともに解決すべき問題として共有されることもありません。つまりマジョリティたちを照らしだすための鏡としてマイノリティが利用されていることについて厳しく指摘されているわけです。この指摘は最近になってなされたものではありません。講演のなされた1971年に既に指摘されているものです。
/「帝国の養女の里帰り」

感想引用

2025年1月20日 この範囲を時系列順で読む

あらゆる面において日本郵船を凌駕すること、これが大阪商船の目標であった。

/『風濤の日日』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用企業・組織/〃擬人化

2024年11月5日 この範囲を時系列順で読む

漢和辞典をひくと、「歴」という文字は、屋内に稲を次々を取り入れて並べる様子から生まれ、物事が次々に生起していく様を意味し、「史」は歴史事を記録すること、記録した書を指すと記されています。日本列島社会の長い歴史の中で浮かんでは消えていく無数の出来事には、まちがいなく男性も女性もかかわっていましたが、長い間、女性が歴史書に登場することは稀でした。日本における女性史研究は「歴」として存在しながら「史」たり得なかった女性たちの姿をすくい上げるという意志に支えられ、ジェンダー概念が登場する以前から、大学や研究機関とは無縁の在野の女性研究者たちを中心に取り組まれてきました。

/『企画展示図録 性差(ジェンダー)の日本史』

感想引用

2024年10月23日 この範囲を時系列順で読む

個人的な経験についてお話しするなら,十数年前に私が学部の卒業論文を書こうとしていた時,京城帝国大学,現在のソウル大学の前身にあたる日帝時代に建てられた大学について書こうとしていたのですが,そのことについて在日朝鮮人である友人の父親と話す機会がありました。その時,こういうことを言われました。「ああ,また朝鮮人をリトマス試験紙にするんですね」。京城帝国大学が朝鮮人に対してどう振るまったのか,朝鮮人に対してひどいことをしたのならば,よくない,よくしたのだったらよい機関である,つまり,朝鮮人は京城帝国大学なり,日本人を判断する基準,リトマス試験紙にすぎないということを言われて,グサッときたことがありました。
/藤井たけし「帝国の養女の里帰り」

引用

2024年10月5日 この範囲を時系列順で読む

おそらく人間にとって最も根本的な、究極の問いは「起源」と「終末」をめぐるものだろう。私は、私たちは、人類は、この宇宙はどこから来て、どこへ行くのか。古来、神話や宗教がこの二つの究極の点をめぐって想像を働かせてきたのも、当然のことではないか。しかし、人間はそのどちらの「究極」も自分の目で見ることはできない。「起源」までさかのぼってしまえば、自分はまだ(・・)存在していないわけだし、「終末」まで行き着いてしまえば、自分はもう(・・)存在しない。われわれの生はこの「まだ」と「もう」の間に、つまり起源と終末に間に広がる居心地の悪い時空間を漂い続ける宿命なのだ。そう、まるで亡命者のように。ここで亡命者の比喩が役に立つのは、他でもない、亡命者の存在様式こそは人間一般の生き方の原型を鮮やかに示しているからである。亡命者は故郷というユートピアを追われ、もう一つのユートピアを求めてさすらうのだが、決して究極の目的地に行きつくことはなく、「間」と漂い続ける。
/『亡命文学論』


村野は大学を卒業して一年後の、1919年(大正8)、『様式の上にあれ』と題した論文を建築雑誌に発表し、自分の将来の設計活動の根幹となる考えを表明した。彼はそのなかで、近代人は、「如何なるが創造的進化の落処かを知るに苦しむもの」であるとし、したがって人類の確実な到達点としての明確な「未来」を見いだせないのと同時に、逆に美しく回想してそこに逃げ込む事のできる「過去」もまた喪失しているとした。かくて近代人はいわば「現在」に閉じ込められ、そこからどこへも逃げ出せず、「現在」を生きていく以外にない、というきわめてニヒリスティックな世界観を、ベルグソンの学説などを借りて提示した。
[…]
ところで海上を旅する旅客船は、すでに出発港を一つの「過去」として置き去りにし、他方で目的としての港を「未来」として予定しながらも「現在」を洋上の《点》として航海している。したがって「現在」を共に生きる者の一つの疑似的な共同体もしくは社会を構成しながら航行している、とも考えることができる。その意味で一隻の船舶は、村野の目にとって、いわば近代社会のモデルであり、それが現在に共に生きる者たちの世界を発端に具象化するものに映ったとしても不思議ではなかった。
/長谷川尭「船――現在を生きる者たちの世界」『艤装の美 村野藤吾建築図面集 第8巻』

引用

そもそも人類は、アダムとイヴが楽園から追放されたその日から、失われたユートピアを懐かしむノスタルジーに苦しめられながら、自分が「本来属すべきではない」場所を転々と放浪してきたのではなかったか。失われたユートピアーー具体的にそれは、ある人には地理的な意味での祖国であったり、また他の人にとっては至福の幼少時代であったりする。しかし、いずれの場合でも、本来の居場所を失った人間の憧れと放浪の物語がそこから始まることに変わりはない。

/『亡命文学論』

#「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)

引用

2024年9月26日 この範囲を時系列順で読む

一九三〇年代に日中戦争が開始され、日本軍が中国の江南方面へ展開するようになると、物資補給のために長崎港から上海向けの輸出が増加し、対中国貿易は活発になった。中国東北地方に権益を確立した日本が、その維持とさらなる拡大をめざし、さらに中国大陸への進出を続けるなかで長崎は日本の大陸進出の拠点となっていったのである。
 そして、その長崎を支えたのは、やはり三菱だった。日清戦争後に政府が造船業の発達を促すなかで、長崎造船所は、一般の船舶とともに日本海軍の艦船も積極的に受注し、建造した。
/『見る・知る・考える  明治日本の産業革命遺産』「三菱と長崎の近現代史」
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2024年8月15日 この範囲を時系列順で読む

引用

2024年4月2日 この範囲を時系列順で読む

202 長崎、門司、口之津そして神戸は、西南日本から中国と東南アジアに女性を移送する主要な港だった。一九世紀末、若い女性のからだ同様、石炭は日本の近代化に重要な役目を果たしていた。とくに三池炭鉱のものは、長崎県から大量に輸出された。高島炭はイギリスの船会社が好んで使い、上海は一八八〇年代まで、石炭を主要供給地九州に依存していた。長崎-上海航路は三六〇海里の距離にあったが、イギリス汽船やほかのヨーロッパの石炭船が定期的に往来しており、その船倉には誘拐された女性たちが高島炭とともに詰め込まれていたものだった。
205 組織化された日本人女性の売買は、一八九〇年代のはじめに三菱の設立した日本郵船が新航路を開設し、寄港地が増えたのにともない、さらに拡まった。
209 口之津出身のある老女は、生々しい感情がこもる、鮮明な記憶にもとづいて、生まれ育った世界から地獄に突き落とされたこと、船員の目を盗んで、船から、地獄から必死で逃れようとしたことについて回想している。

/『阿姑とからゆきさん』「第9章 人身売買」
#「大脱走」(企業擬人化)
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

2024年3月20日 この範囲を時系列順で読む

教室でグァムが陥ちたて聞かされて、(あたし)は何に泣いとんかしゃん
/「つぐ」(前編)『短歌研究 2022年4月号』


薬莢によう似たそれを磨くとき祈りも削がれてまうでかんぎゃあ

権力と煙はどっちが先やろう この先も(あたし)は煙草を吸わへんやろう
/「つぐ」(中編)『短歌研究 2022年8月号』


出征兵が豪雨みてゃあに()ってってみんな日の丸まるめ始める
/「つぐ」(後編)『短歌研究 2022年11月号』

引用

2024年3月18日 この範囲を時系列順で読む

本書には、表現を和らげる潤色、ノスタルジア、ロマンチックな美辞麗句はない。わたしは、東南アジアの植民地港湾都市という、発展途上の「近代」の過酷な景観のただ中を生きた日本人女性たちの、悲痛、苦悩、混乱、達成、愛情や大きな犠牲に集中することに力を注いだ。この社会史を通して、過去の日本人娼婦たちは、かつてのかの女らに関わりのあった事柄や、二一世紀初頭のいま、わたしたちに関わりのある事柄を、現世代に語りかけてくる。シンガポールのからゆきさんの人生のきわめて個人的な記録が、わたしたちに語りかけてくるのだ。娼館のドアの向こうから、かの女らの謙虚さと辛抱強さという昔かたぎの美点を、貧困と社会的不平等を、社会的な抑圧と悲哀を、情熱と孤独を、そして切望や死を。

ジェームズ・フランシス・ワレン『阿姑とからゆきさん』「日本人読者への「序文」」

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2024年3月14日 この範囲を時系列順で読む

折しも、一八九〇年代に急速に近代化した日本は、東南アジアの要所を結ぶ自前の海運会社をもつまでになっていた。密出国者や移住者の乗客が増え、利益を得たのは人買い商人と船会社であった。そして、シンガポールの不衛生な裏通りに閉じ込められた移住者として、からゆきさんは、外貨送金によって日本の経済に貢献することになった。

/『阿姑とからゆきさん』「終章 娼婦たちの人生の再現」
#「大脱走」(企業擬人化)
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

2024年3月13日 この範囲を時系列順で読む

わたしは本書において、個々の人や集合的な群像について、またかの女らの人生がいかに紡がれたかについて、できるだけ自然にまた愛情をもって語った。まるで、オヨシ、オイチ、ドゥヤ・ハダチやその他大勢の人びとが、一歴史研究者の「屋根裏部屋の友だち」であるかのように。いろいろな意味で、本書に登場する多くの人物には弱点があり、その希望と絶望が固くもつれており、幸せを求めていたにもかかわらず、夢は破れてしまった。逆説的ではあるが、女性たちが跡形もなく記録から抜け落ちたようなとき、かの女らが歴史研究者たちを悩ませる致命的な選択をしたことに、わたしは気づかされた。

/『阿姑とからゆきさん』 「日本人読者への「序文」」
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

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