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検索語「沖縄」の検索結果[32件]
2025年9月20日 この範囲を時系列順で読む
沖縄の「集団自決」は実際、夫が妻を殴り殺したり、母親が子供を叩き殺したりする行為であり、この具体的内容に触れようとした際に、(あえて雑な形容で言えば)「暴力描写だから隠すか…」となったのでそのキャプションを書こうとしたけど、これは果たして「暴力」だったのか、だとしたらそれは夫から妻への暴力だったのか、と悩んでしまい、もしかしたらこれが『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』の焦点だったのかもしれん
「集団自決」と呼ばれる日本軍強制による沖縄住民の死に、皇民化の極限的暴力の発現を見出し、その出来事の基底に、「敵の捕虜になって辱めをうけるくらいなら家族の手にかかって殺されたほうが良い」という純潔(純血)主義的なジェンダー的強迫が働いていたことを明らかにするこの書が告するのは、現在の私たちの身体をも貫くレイプ暴力と皇民化とが組織化するジェンダー政治力学そのものであると言えるだろう。この問いかけにおいて、宮城の書は、沖縄という特殊性に閉じられることのない遍在性において、現在の私たちがまた「集団自決」を反復しそして性的支配の暴力に絡め取られていくかもしれぬ危機をこそ逆照射しているのである。求められているのは、「集団自決」という出来事のなかに今に繋がる国民国家主義の暴力の作動を感知していくことであり、同時に、そうした暴力に、性的支配という欲望が分離されることなく寄り添っていることを認識していくことであるに違いない。
/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』
たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。
/『(同)』
/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』
たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。
/『(同)』
これを「暴力」と呼ぶべきなのか、だとしたらそれは誰から誰への暴力行為だったのか、というのが沖縄の「集団自決」の焦点でもあり、『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』だったのかもしれないな…
沖縄の「集団自決」について いわゆる「暴力的な描写」と呼ぶべきもの なので隠します
内容:●F-家族壕。姻戚三家族一九人と死に場所を探しに来た母子二人。
「他人」である母子二人を除き農薬の猫いらず(殺鼠剤)を飲む。三十六歳の男性は、いやがる子どもたちに黒糖をまぜて強引に飲ませるが、のたうち回る子どもを見るにみかねて、壕の前の小屋に火をつけて中に放り入れ、また幼い子は腕をつかまえて防空壕の土壁にたたきつける。男性は苦しむ両親、妻を棍棒でたたいて死なせたあと、自分も猫いらずを飲むが致死量には至らず、一人だけ生き残る。実家と行動を共にした幼子三人を連れた女性は、飲んだ猫いらずで自らも苦しみながら、生後二か月の子を乳房で窒息死させ、死にたくないと泣いて逃げ回る男児は叔父が鎌で首を切りつけて死なせる。彼女の父親は忠魂陣に向かう人たちに「みんな自分の壕に帰って、各自で玉砕しなさい。ご飯を腹いっぱい食べて、きれいな着物を着てやりなさい」と泣きながら話していたという証言がある[宮城(2008)p.120]。この家族は全員死亡。
/宮城晴美「2 座間味島の「集団自決」」『友軍とガマ 沖縄戦の記録 沖縄・問いを立てる4』98p
※[宮城(2008)p.120]=宮城晴美『新版・母の遺したもの――沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』高文研、2008年。
内容:●F-家族壕。姻戚三家族一九人と死に場所を探しに来た母子二人。
「他人」である母子二人を除き農薬の猫いらず(殺鼠剤)を飲む。三十六歳の男性は、いやがる子どもたちに黒糖をまぜて強引に飲ませるが、のたうち回る子どもを見るにみかねて、壕の前の小屋に火をつけて中に放り入れ、また幼い子は腕をつかまえて防空壕の土壁にたたきつける。男性は苦しむ両親、妻を棍棒でたたいて死なせたあと、自分も猫いらずを飲むが致死量には至らず、一人だけ生き残る。実家と行動を共にした幼子三人を連れた女性は、飲んだ猫いらずで自らも苦しみながら、生後二か月の子を乳房で窒息死させ、死にたくないと泣いて逃げ回る男児は叔父が鎌で首を切りつけて死なせる。彼女の父親は忠魂陣に向かう人たちに「みんな自分の壕に帰って、各自で玉砕しなさい。ご飯を腹いっぱい食べて、きれいな着物を着てやりなさい」と泣きながら話していたという証言がある[宮城(2008)p.120]。この家族は全員死亡。
/宮城晴美「2 座間味島の「集団自決」」『友軍とガマ 沖縄戦の記録 沖縄・問いを立てる4』98p
※[宮城(2008)p.120]=宮城晴美『新版・母の遺したもの――沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』高文研、2008年。
『沖縄の戦後思想を考える』に沖縄の(あるいは被圧迫民族や少数民族の)思想は身体性を帯びており、一方、「帝国」をバックグラウンドとするひとのは、(よかれあしかれ)人類とか世界とかをこともなげに単位にする構想に親和性がある、とあり…
2025年9月16日 この範囲を時系列順で読む
沖縄の勉強を始めたころ、沖縄戦後史研究を先頭を切って切り拓いておられた大田昌秀さんのもとへ、教えを受けに伺ったことがあります。そのとき大田さんから、カンプーのクェヌクサーという言葉を知っているか、と尋ねられました。わたくしは知らなかった。それにたいし大田さんがカンプーというのは艦砲射撃で、クェヌクサーというのは食い残しだ、生き残った沖縄人はそれなのだ、と強い口調でおっしゃったことを思い起こします。
/『沖縄の戦後思想を考える』
/『沖縄の戦後思想を考える』
2025年9月14日 この範囲を時系列順で読む
とはいえ日本軍の航空史よりはそれこそ郵便航空機のほうがきになる でも海外書籍は言語がね…
感傷的ナショナリズムというか定型ナラティブに固められていない特攻隊員ものとかは読んでみたい
あとは沖縄戦かな でも沖縄戦と自分を接続できない 接続しなきゃいいだけだけれど、沖縄近代史に重要なのは「自分も返り血を浴びる決意」だから…
海もまともに直視してこなかった埼玉県民に沖縄戦の何が…
そもそもアジア・太平洋戦争にばかり焦点を当てること自体が馬鹿馬鹿しいと感じる
感傷的ナショナリズムというか定型ナラティブに固められていない特攻隊員ものとかは読んでみたい
あとは沖縄戦かな でも沖縄戦と自分を接続できない 接続しなきゃいいだけだけれど、沖縄近代史に重要なのは「自分も返り血を浴びる決意」だから…
海もまともに直視してこなかった埼玉県民に沖縄戦の何が…
そもそもアジア・太平洋戦争にばかり焦点を当てること自体が馬鹿馬鹿しいと感じる
2025年8月26日 この範囲を時系列順で読む
『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島』沖縄はなぜ女性に表象されるか、というはなしでもあったため、土地、そして組織や器物にジェンダー的意味を見出す人間として、その点でも興味深い なによりすべてが凄まじく、おすすめしたい
まあね…と『イモとハダシ 占領と現在 沖縄・問いを立てる 5』を読んでいるが、やはり圧倒的にこういうものを読解するのはあらゆる意味でよくて、億劫にならずに読まねば 本を…
こういう世界を「渺渺録」で…👈もはや口癖になっているが、おそらく近代の暴力を描きたいのだとおもう、「渺渺録」で…
#「渺渺録」(企業擬人化)
こういう世界を「渺渺録」で…👈もはや口癖になっているが、おそらく近代の暴力を描きたいのだとおもう、「渺渺録」で…
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月25日 この範囲を時系列順で読む
今日マチ子先生の戦争漫画(というより戦争を「何か」の観念として落とし込んで描いた漫画三部作) 実際は少女が少女の人生なりに獲得したり喪失したり納得したりする話であり それを描く際、戦争という人間に降りかかる事象を、破瓜という少女に起こった事象と同一視しているきらいがある
今日マチ子先生の「戦争漫画」と、映画「花とアリス」は少し似ていませんか?あれも危うい破瓜というか羽化の話というか……
今日マチ子先生の戦争漫画はセカイ系とは少し違うけど、世界に起こる戦争と、少女に起こる破瓜=強制的に「成長」させられるという一種の暴力とその被害意識の共振の話だ
今日マチ子先生の戦争シリーズは戦争漫画というより戦争観念漫画というか、少女の破瓜を戦争の暴力とを二枚の硝子のように重ね合わせてだぶらせた甘苦しい青春喪失漫画ですよね?「沖縄決戦」というより「花とアリス」に近いというか…
今日マチ子先生の「戦争漫画」と、映画「花とアリス」は少し似ていませんか?あれも危うい破瓜というか羽化の話というか……
今日マチ子先生の戦争漫画はセカイ系とは少し違うけど、世界に起こる戦争と、少女に起こる破瓜=強制的に「成長」させられるという一種の暴力とその被害意識の共振の話だ
今日マチ子先生の戦争シリーズは戦争漫画というより戦争観念漫画というか、少女の破瓜を戦争の暴力とを二枚の硝子のように重ね合わせてだぶらせた甘苦しい青春喪失漫画ですよね?「沖縄決戦」というより「花とアリス」に近いというか…
2025年8月24日 この範囲を時系列順で読む
そこに二、三日いる間に、避難民が十人余り雪崩れ込んできたことがありましたね。そこは兵隊の陣地壕ですから、民間人は入れなかったんですよ。それでも、あんまり艦砲が烈しいので、一寸の間だけ入れて下さい、と泣き込んで入ってきたんです。その人たちの中に、子持ちの女の人がいました。その女の人の二歳ぐらいになる男の子供が、あんまり泣き喚くもんだから、兵隊がひどく怒って、叱りつけたんですよ。子供を泣かすなって。それでも子供は泣きやまない。そしたらね、そのお母さんは、子供をつれて出て行ったんですけどね。しばらくしたらそのお母さん一人だけで帰ってきたんですよ。子供をどうしたのか、判りませんけどね。おそらく、子供を捨ててきたと思うんですけどね、そのお母さんも何も言わないし、誰も子供のことを訊こうともしませんでした。
/「旧首里市」『沖縄県史 第9巻(各論編 8 沖縄戦記録 1)』大城志津子氏の証言
#「渺渺録」(企業擬人化)
/「旧首里市」『沖縄県史 第9巻(各論編 8 沖縄戦記録 1)』大城志津子氏の証言
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年7月29日 この範囲を時系列順で読む
私には沖縄と台湾意識が薄いので、それも救済でk………いや、企業擬人化漫画だよな?うーん
#「渺渺録」(企業擬人化)
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年7月24日 この範囲を時系列順で読む
2025年7月15日 この範囲を時系列順で読む
ところで、最近、二、三体験したことだが、これらの論者が想定したであろう人たち、厳密に追及していけばその対象に含まれるだろうと思われる人たちが、これらの論文にふれていながら、自分も追及の対象とは感じていない。あるいは自分は免罪されていると信じている、そういう事実のあることがわかった。それは、まさに一種の鈍感さとでも言うべきものであろうが、そのことは逆に、多くの論が、責任追及の掛け声だけに終わり、なんらの具体的な見通しを持たないことにも、原因があるかも知れない、と思ったことである。
/「「戦争責任の追及」ということ」『「沖縄」に生きる思想』
/「「戦争責任の追及」ということ」『「沖縄」に生きる思想』
2025年7月13日 この範囲を時系列順で読む
2025年7月11日 この範囲を時系列順で読む
沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。
/「感受性の変容」『情念の力学』
/「感受性の変容」『情念の力学』
沖縄思想アツいので、「渺渺録」に転写できないかなと思いつつ、関連があまり…
#「渺渺録」(企業擬人化)
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年7月1日 この範囲を時系列順で読む
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る
時代ものを描くwith擬人化
#「渺渺録」(企業擬人化)
前半めちゃくちゃモゴモゴしてます
一部メモ
[ ]はコヤマさんがしてくださった合いの手。自分の言葉ではないため、あまり加筆はしませんでした(あくまで私がそう受け取った理解のため…)。
自分の言葉は補完しました。
☆三菱重工業は長崎も好きだけど、八幡製鉄所も好き/鉄で船を造るので…
→三菱は炭鉱も持っている→炭鉱の時代はすでに遠い
☆与論島を襲った台風により干ばつ・飢えが起きる/そこへ三井物産の社長がやって来て勧誘される/いわゆる被差別民のような人々が口之津へ/有明海は浅く、口之津まで小さい船で石炭を運んで、口之津で大きい船へ運び変えて上海などへ/女性も働いていた・石炭はとても重くつらい・喋るのは沖縄に近い方言・差別されていた/のちのちに三池港が整備されて深くなり、運び変える仕事がなくなる/三池港へ再移住し、湾岸従事者として今度は働く/三池闘争で島民が分裂したりする(?。うろ覚え)
→人間の流動・資本(企業)・炭鉱・上海・長崎・船・海を企業擬人化でまとめたいかも…?
→実際の歴史の仔細を直接的に描写するのではなくて、人々の流動があったという観念、企業のもたらした生と死、功罪、時代を…ヘルメットをかぶって木の棒を振りまわしている人間を描くのではなく、100年あった出来事を抽象化して描きたい/たとえば企業と企業が話している1つの会話に100年が詰まっている…「こないだ(50年前)アレ、あったよね!」みたいなの/詳細を描くのではなく、そういうものを支えるものとしての観念としての企業
→思い出話としての「渺渺録」→オーラルヒストリー的「渺渺録」/オーラルヒストリーは共振…炭鉱の話をして、いつのまにか別の話を…昨日のご飯の話をしている、何故か知らないけどその両者の話の本質が似ている、という観念の話ができる/いわば私の小説「時代の横顔」の「日本海軍さんが好きな思い出を語っている顔と、炭鉱のことを語っている時に同じ笑顔をする、それがとても素敵な笑顔だった」ということ→リフレイン、戦争の記憶、100年企業があったこと、船と炭鉱と…
→与論島の人々を直接描いて語って消費するつもりはない
→人々の流動…別にもある、たとえばからゆきさん→先ほどの口之津でからゆきさんは船に乗る(さきほどの「大きい船」へ)/口之津の対岸で火事が起きたらからゆきさんの密航がおこる(警察をひきつける)/「島原地方の子守歌」はからゆきさんのことを歌っている…そこでは与論人がサンパン船(小船)を動かしている、島原の女の子が船底にいる→森崎和江のいう「九州特有のアジア意識」が私にはわからない。距離感の違い/→共感しづらいので、「そういう人間の流動があった」というところをとっかかりにするのがいいかも[コヤマさん:民俗的・子守歌的に語るように残される漫画で描けばいいのでは?]→日本郵船の船にも乗る、しかし昭和とかではなく本当に昔の話→『阿姑とからゆきさん』には書かれている「九州地方では長崎・門司・口之津・神戸の港から日本の女性たちを東南アジアへ輸送している」「19世紀末、若い女性の身体同様、石炭は日本の近代化に重要な役割を果たしていた」「特に三池炭鉱のものは長崎から大量に輸出された」「高島炭はイギリス船は好んで使っていた」「1880年代まで上海は石炭を九州に依存」「長崎-上海航路は欧州の船が往来していて、誘拐された女性が石炭と一緒に詰まれていた」→擬人化でその事象を直接描くのではなく、その知識のベースにしたものを観念として描く→石炭の時代を企業は知っている→[ぜひ解説を描くべき]資料をしっかり管理しないと難しいので頑張りたい/[作品として編んだだけではもったいない、このベースの知識を伝えないのでは…この知識がとっかかりになってどこかの道へ至る人もいるはず]作品だけ提示したら観念しか伝わらないですね/この一連はとても興味深い歴史…与論、炭鉱…
→[女性の性役割が気になる]石炭と同様に価値があった女性→森崎和江はからゆきさんのことを書いていて「からゆきさんは自身のことを『民間外交』といった」日本の政治家がアメリカの政治家と握手するのと一緒で、からゆきさんは外国での売春行為を「民間外交」であったといい、そこには日の丸=国家があったという、日本国の元で私たちは(も)頑張っていたという/[からゆきさんはそこで稼いだ外貨を日本へ送っていた]/外国人たちと接する時に「私は日本国だった」という、それは企業達もおそらく一緒、からゆきさんも一緒。皆が国家を背負っていた時代。[移民たちもそう]→民間人が大陸などへの「進出」を背負っていたことを興味深く感じる。軍隊の武力ではなくて…→[非人権的な指摘になるけれど「人が物と同じ価値を持っていた」時代だった。「生きている物」「自律してお金を稼げる商品」だった]労働力のあって…人権がある者というよりは、物→企業たちは船たちに同じことを想っていた、「娘」と呼びつつも、物→漫画「大脱走」はそれの否定だった→[三菱重工の橿原丸の話が好きだった。いずれにせよ一隻の船としてあった][郵船さんが気持ちに応えを出した、一歩踏み出したのが「大脱走」]/[「渺渺録」の郵船さんの立ち位置は?]「大脱走」は結局脱走した話、アッとなって逃げた、1946年だったので、総括ではない…あの時代が思い出話になった時の「私の立ち位置とは?」/企業の皆が皮肉や親切などで橿原丸や石炭の話をする/おそらく話の最後は人間に「私は分かっていた」と許しを請う…「人間」はおそらく「大脱走」に出てきた彼/彼は「農家になりたい」と言ってたので農家になってるかも…この人は郵船に「自分が何を運んでいるのかわかっていたくせに」と言う、その応答としある「渺録録」→自分でちゃんとわかっていた、という発露・返事が「大脱走」にはなかった/その応答のきっかけとして『戦時船史』発行の契機が来た、自分としてもなにか残したいけれど、企業の仲間と語り合うしか方法はない…という話/記憶の固定の話と語りの話ではある。公式としての『戦時戦史』の記録と、企業擬人化の個人的郵船さんの語り。
貨客船が美しかったことで引き起こした…民間的進出、民間外交、日の丸…「貨客船ってからゆきさん?」という共振→闇鍋セリフが好き
2025年6月21日 この範囲を時系列順で読む
2025年6月16日 この範囲を時系列順で読む
ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。
/清田政信『情念の力学』「波打際の論理」
※沖縄について
/清田政信『情念の力学』「波打際の論理」
※沖縄について
2025年6月13日 この範囲を時系列順で読む
『情念の力学』に沖縄の話で、「昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった」とある
2025年6月11日 この範囲を時系列順で読む
「沖縄・問いを立てる」シリーズの『友軍とガマ』ペラペラしてるけどキツ!!こんなの「集団自決」と呼ぶべきものなんかじゃないじゃん………となっている
ところで、本書の圧巻は、なんといっても著者の手になる「浄魂を抱いて」という戦後の章である。
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。
/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
#「渺渺録」(企業擬人化)
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。
/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年6月9日 この範囲を時系列順で読む
たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。
/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』「攪乱する島」
/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』「攪乱する島」
『第三十二軍司令部日々命令綴』所収の「球軍会報」一九四五年四月九日付(防衛省防衛研究所所蔵)には、「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とある。
/『沖縄・問いを立てる1』「座談会 沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」注釈
/『沖縄・問いを立てる1』「座談会 沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」注釈
2025年6月8日 この範囲を時系列順で読む
2025年6月7日 この範囲を時系列順で読む
2024年3月7日 この範囲を時系列順で読む
教会堂は徴用され信徒たちも応召し、また九州や台湾に疎開し、牧師も疎開の引率者、徴用、戦火を避けて、軍に睨まれていることを知って犬死したくないと沖縄を去った、ある者は戦場に消え、ある者は土竜のような生活で生きのび、ある者はスパイ容疑で殺され、少なくない者が栄養失調やマラリアで死んだ。
戦争が終わった時には教会は跡形もなく、会堂は戦火で破壊され尽くされていたし、生きのびた信徒は他の生きのびた信徒の行方も知らなかった、強制疎開、徴用もあったから逃げることは悪ではなかった、にも関わらず、教会が下した「判断」とそこから起こった状況への対応に問題を感じる。
というのは、沖縄の教会の問題は他府県出身の牧師たちが引きあげたからだと考えていたが、その中には沖縄県出身の牧師もいた、また戦火で信徒が全滅したわけでもなかった、沖縄の教会は、迫りくる戦争と疎開政策の中で為された教職と信徒の「決意と行為」によって、自然消滅したのである。…
という意味合いの『国家を超えられなかった教会』の文章、ここまで冷静に挫折を語る文章はまたとない。
戦争が終わった時には教会は跡形もなく、会堂は戦火で破壊され尽くされていたし、生きのびた信徒は他の生きのびた信徒の行方も知らなかった、強制疎開、徴用もあったから逃げることは悪ではなかった、にも関わらず、教会が下した「判断」とそこから起こった状況への対応に問題を感じる。
というのは、沖縄の教会の問題は他府県出身の牧師たちが引きあげたからだと考えていたが、その中には沖縄県出身の牧師もいた、また戦火で信徒が全滅したわけでもなかった、沖縄の教会は、迫りくる戦争と疎開政策の中で為された教職と信徒の「決意と行為」によって、自然消滅したのである。…
という意味合いの『国家を超えられなかった教会』の文章、ここまで冷静に挫折を語る文章はまたとない。
- 「渺渺録」(企業擬人化)(223)
- 『マーダーボット・ダイアリー』(33)
- おふねニュース(25)
- 「大脱走」(企業擬人化)(21)
- 「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)(18)
- 実況:初読『天冥の標』(16)
- 書籍情報(15)
- 『ハリー・ポッター』(15)
- SNSの投稿(15)
- 展示会情報(14)
- 読んでる(14)
- きになる(13)
- 「海にありて思うもの」(艦船擬人化)(13)
- 企業・組織(12)
- 読了(8)
- 「蛇道の蛇」(一次創作)(8)
- 御注文(7)
- 本(6)
- 「時代の横顔」(企業・組織擬人化)(6)
- 「空想傾星」(『マーダーボット・ダイアリー』)(6)
- 「徴用船の収支決算」(一次創作)(5)
- おふね(5)
- 「病院船の顛狂室」(艦船擬人化)(4)
- 感想『日本郵船戦時船史』(3)
- 漫画(2)
- 映画(2)
- 入手(2)
- 『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』(2)
- 「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)(2)
- 「人間たちのはなし」(艦船擬人化)(2)
- 『青春鉄道』(2)
- 映像(1)
- 「テクニカラー」/「白黒に濡れて」(艦船擬人化)(1)
- 「かれら深き波底より」(一次創作)(1)