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うつくしき貨物を運べば共犯者なり

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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No.3481

 我々は、この大阪文化の中央性をはっきり捉える必要がある。そして同時に、このような大阪の文化の持つ中央性にもかかわらず、一方では大阪文化の停滞という情況が現出しているのは何故なのかを考えなければならない。
 それは、先程述べた東京都は逆の意味で、大阪はその文化を大阪という地域とその中の人間という"地方性”の枠でしか提えない事により、自らの中央性をあいまいにしてきたという事である。我々が決定的な問題と考えるのはまさにこの点であり、ここに大阪の大きなごまかしがあり堕落がある。大阪の文化が、あたかも大阪の地元の人間によってになわれてきたかのように、その中にどっぷりとつかっている情況からは何らの理想のかけらも感じられないし、その行先は退廃極まるものでしかないだろう。
 我々の集団は、沖縄、奄美、九州、四国と西日本の各地から、農村を追われ、炭鉱を追われて、集団就職で、首切りによって、この大阪に来ざるを得なかった人間の集まりであり、大阪の一つの縮図でもある。大阪の文化は、このような民衆が大阪を最終的な拠所とし、そこに活路を求め、自らを賭けてやり合う中で育んできたものであり、昔から大阪に住んでいる人間だけによって創られ、大阪という地方に昔から存在するものでは決してありえない。大阪弁で、その地方の言葉を馬鹿にされ、大阪弁を使わされてきた人間が、必死の思いでそのくやしさを怒りを大阪弁を使う事によって表現し勝負してきた。そういう民衆の思いの込められた言葉としての蓄積こそが、大阪弁を迫力ある言葉として響かせているのである。
 大阪の文化の中央性とは、大阪の地元の人間や自称文化人、知識人、まして関西財界などが形成してきたものでは断じてない。その中央性は、一九五〇年代後半まで、民衆にとってのもう一方の中央を形成していた北九州がつぶされていくという深刻な情況の中で、民衆にとっては、まさにこの大阪を最終的な拠所として、自らを賭けざるをえない所として形成してきたのであり、その息吹によってきたえられてきたのである。

/栄哲平「我々の文化闘争――南大阪を民衆の文化闘争の砦に」『南大阪・流民の倫理 労働者自主管理の可能性』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

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