settings

うつくしき貨物を運べば共犯者なり

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

👏

良い…と思ったらぜひ押してやってください(連打大歓迎)

検索語「沖縄」の検索結果53件]

2025年12月27日 この範囲を時系列順で読む

2025年で良かった本(順不同)

台湾生まれ 日本語育ち
天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC
戦艦武蔵ノート
千々にくだけて
攪乱する島 ジェンダー的視点(沖縄・問いを立てる 3)
沖縄の戦後思想を考える
ディクテ 韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール
三菱財閥史 大正・昭和編

2025年12月3日 この範囲を時系列順で読む

 我々は、この大阪文化の中央性をはっきり捉える必要がある。そして同時に、このような大阪の文化の持つ中央性にもかかわらず、一方では大阪文化の停滞という情況が現出しているのは何故なのかを考えなければならない。
 それは、先程述べた東京都は逆の意味で、大阪はその文化を大阪という地域とその中の人間という"地方性”の枠でしか提えない事により、自らの中央性をあいまいにしてきたという事である。我々が決定的な問題と考えるのはまさにこの点であり、ここに大阪の大きなごまかしがあり堕落がある。大阪の文化が、あたかも大阪の地元の人間によってになわれてきたかのように、その中にどっぷりとつかっている情況からは何らの理想のかけらも感じられないし、その行先は退廃極まるものでしかないだろう。
 我々の集団は、沖縄、奄美、九州、四国と西日本の各地から、農村を追われ、炭鉱を追われて、集団就職で、首切りによって、この大阪に来ざるを得なかった人間の集まりであり、大阪の一つの縮図でもある。大阪の文化は、このような民衆が大阪を最終的な拠所とし、そこに活路を求め、自らを賭けてやり合う中で育んできたものであり、昔から大阪に住んでいる人間だけによって創られ、大阪という地方に昔から存在するものでは決してありえない。大阪弁で、その地方の言葉を馬鹿にされ、大阪弁を使わされてきた人間が、必死の思いでそのくやしさを怒りを大阪弁を使う事によって表現し勝負してきた。そういう民衆の思いの込められた言葉としての蓄積こそが、大阪弁を迫力ある言葉として響かせているのである。
 大阪の文化の中央性とは、大阪の地元の人間や自称文化人、知識人、まして関西財界などが形成してきたものでは断じてない。その中央性は、一九五〇年代後半まで、民衆にとってのもう一方の中央を形成していた北九州がつぶされていくという深刻な情況の中で、民衆にとっては、まさにこの大阪を最終的な拠所として、自らを賭けざるをえない所として形成してきたのであり、その息吹によってきたえられてきたのである。

/栄哲平「我々の文化闘争――南大阪を民衆の文化闘争の砦に」『南大阪・流民の倫理 労働者自主管理の可能性』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年11月20日 この範囲を時系列順で読む

#読了 『渚に立つ 沖縄・私領域からの衝迫』

感想

2025年10月8日 この範囲を時系列順で読む

それからコザ病院入院中もう一つ変ったことがあったんですがね。それは、十二、三歳くらいの男の子でしたが、この子供は戦争のためか、それとも元来そういう病気であったか、精神異状ですね。病院ではみんな同じく握り飯二つずつですが、この子供はそれも食べますがチューインガムも包み紙のまま、クラッカーも紙ごと食べるし、汚い話ですが、自分の排泄物を全部手ずかみに食いおったです。注射器に牛乳みたいなのを容れてですね、五分くらい待ちませんね、これはアメリカが毒殺です。この子はどっちみち死んだ方が……、まあ言葉もはっきり言えない精簿児になっているようでありましたからね。

/『沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』「和宇慶・伊集(中城町)」新垣盛正氏の証言

引用

沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』 どこをめくっても壮絶すぎる 切れば血のほとばしる、

2025年10月4日 この範囲を時系列順で読む

‪『沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』 オーラルヒストリーの名著としてもっと話に上って良い書籍だ

「渺渺録」のエピグラフは沖縄県史』の1証言 と「ゴットン節」かで悩んで後者にする(予定)のですが、エピグラフはなるべく口語文章にしたい気持ちがある……。まあそれこそ『セカンドハンドの時代』のように2つ並べればいいんですが……。

企業擬人化だけでなく、それに収まり切らない「あの時代の話」にしたいので、多くの事象を貫通しつつ沖縄戦があった時代としても描いていきたい漫画です

沖縄県史』「沖縄戦記録」1と2(9巻と10巻)では

◎方法的には連続性がない
◎1は話者の口調を最大限に生かそうとした
 対して、2は録音された口述を、執筆者が特徴的と思える項目に分類して原稿化した
(『沖縄の戦後思想を考える』)

感想歴史・時代/〃もの

 二、三日後アメリカが崖の上まで来た。出て来い、出て来いという。海には汽船が浮いていて、マイクで、出てこい、出てこい、という。そして水陸両用戦車がすぐ近くまで来る。もう絶対絶命ですよ。だから兵隊たちは、一般民は早く出て行って下さいというんです。一般民には何もせんはずだから、といってすすめるんです。兵隊が相当いましたよ。そうして二十日すぎからは、自決する音がきこえるんです。手榴弾を炸裂させてね、やるんです、自決。
 わたしは最後はね、一つの穴に県庁職員も入れて十二名おりましたよ。それでわたしが手榴弾一箇持っている。軍刀持っている。そのほかに手榴弾持っているのがおる。小さな穴ですからね、手榴弾二つでは全員即死できる。自決するか、最後の評定を開きましたよ。この十二名、死のうと思えば、手榴弾二箇で大丈夫だが、やるか。ところが人間最後になれば考えますよね。それで結局評定の結果は、一応出て見よう。そうすれば、何かまたやる機会が出るかもしらんから、一応手を上げて出て見よう。それで手榴弾を捨てたんです、軍刀もね。
 そしてわたしが出たのが六月二十二日、昼だな。十二名、(恥かしいなぁ)ハンケチを振って出ましたよ。上って行ったら、西がわに低いところがありましたが、そこから上って行った。それで米兵につれられて畑の道のところでしらべられた。男は全員裸で、女は三名いたがモンペーでそのまま。男は褌一つ。
 その時見た死体。わたしは、沖縄に人間がこんなにいたかな、というぐらいの死体でした。一体沖縄に人間が何名残ったかなと思った。ほんとに屍屍累累とはあれでしょうね。それで屍体が何日かしたら、こんなに膨張れるでしょう。水ぶくれや、土左エ門というけれども、もう(そこでは声が非常に感情を昇らせて言われた)陸の屍体は、紫色になって、膨れてね、物すごく大きくなるんです。腐敗寸前は。悪臭が鼻をつく。


/『沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』「旧那覇市」嘉手納 宗徳 754p

引用

「目にする表現の多くに、「沖縄である」という答えだけはあらかじめ用意されそして無前提的に肯われているような、そんな奇妙な印象を持つことがしばしばある」(「「沖縄である」ことへの問いー植民地・多言語・多文化」一九九八年)、「いっけん華やかなにぎわいを見せているかのごとき沖縄文学は、その実、中央文壇とかいうものの力学の中で、それらしい地方性と通りのいい異質性を担わされて、日本文学にとって心地よい周縁を演じさせられているのではないか」(「漂う沖縄文学のために」二〇〇一-〇二年)。それだけに新城さんは、九州・沖縄サミットで、「芸能人や文化人などがこぞって「沖縄らしさ」の自己演出に大わらわ」でいるのを、「無惨」と見つつ、「衆人環視のなかで沖縄らしさを演じさせられている現在の私たち」は、「ちょうど百年前、大阪天王寺の第五回内国博覧会パビリオン「学術人類館」において陳列された沖縄「土人」たちとなんの違いがあるだろうか」と思い返さずにはいなかったのでした(「あとがき」)。
「回収」という言葉に新城さんは、「安直な括り」が横行することへの怒りを突き出します。括られることによって、対象化へと押しつけられ、一方的に他者に規定される存在となりおわることを、「知の植民地主義」とし、それゆえに「回収」されない沖縄への希望を込めて、知の"攪乱者"であろうとしています。


/『沖縄の戦後思想を考える』

引用

#読了沖縄の戦後思想を考える』

凄まじい。読めてよかった。

沖縄県史』の9・10巻の「沖縄戦記録」1と2の作成方法の違いが書かれていて興味深い。

感想読了・観了

2025年10月3日 この範囲を時系列順で読む

沖縄の戦後思想を考える』の「わたくしは××だと思いました」口調は一種の恐縮だろうし、その恐縮というのは著者の言葉で言うなら著者が「非沖縄人」であるところから発しているように思える 「恐れながら申し上げます」的な姿勢であり、また言祝ぎというか祈りでもある

普段は「マジのマジで…」などの言葉づかいの私ですが、『沖縄の戦後思想を考える』のように「わたくしは××だと思いました」口調でなにかを語るエッセイを書いてみたい気持ちがあります。これは祈りの文体なので…

2025年10月2日 この範囲を時系列順で読む

『ゴールデンカムイ』で東京が霞むほど遠く、北海道の軍人の呼ぶ「中央」がほとんど他人事か幻想にでも聞こえるように、そもそもその地の人々はその地をこそ中央と呼び、認め、地理を把握していたのではないか、と感じていたのだが(教科書で使われる地図は「お上品」な認識すぎる)、「琉球弧」(ここではヤポネシア論におけるもの)という考えがあるのか…

那覇を中心に考えると、東京とマニラはほぼ同じ距離らしいです

(『沖縄の戦後思想を考える』)

感想思念・雑感

2025年9月29日 この範囲を時系列順で読む

『叢書 わが沖縄』2巻だけデジコレ個人送信限定で読めて笑ってしまった 嬉しさ、驚き、なんで2巻だけなのさ、等の笑い

ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。

/『情念の力学』「波打際の論理」

沖縄の自分たちが狂気に囚われた素封家の女のように膝まづきながら海の向こうに渇望したのが、夫であり、都市であり、本土であり、近代であり、国家であった、という認識(だけど、それが正しいのかはわからない)

近代と通ずることができない、という感覚、近代に貫通されない、近代と盃を交わさない、近代と交わらないという感覚、時代を描く時に理解が必要であるというか、

(べつに沖縄がどうとか言いたいのではなくて、)

『攪乱する島』を読めばあの島にちゃんと近代が来ていたことはご理解できると思いますが……軍の装いをした近代が…

近代………

思念・雑感土地/〃擬人化歴史・時代/〃もの

 いま一つは、国家の「壊疽」になろうとする主張です。この主張を新川さんは、「あたかも壊疽のように、〈国家としての日本〉を内側から腐蝕し」とも、「国家としての日本に対する決定的な「()としての沖縄(、、、、、、、)存在を思想化(、、、、、、)する」とも表現しています。同化の対極に立とうとする思想というべく、ここに至って反復帰論は、「反国家としての兇区」として完結します。

/『沖縄の戦後思想を考える』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

2025年9月27日 この範囲を時系列順で読む

_00111.jpg
_0029.jpg


与論島に台風があったせいで飢饉がおこり、そこに石炭を運ぶ人夫が必要な三井物産さんが目をつけて、島の人々(一部)ははるばる九州へ移住して仕事を得たんだけど
沖縄に近い地理もあって言葉も通じづらく、待遇も悪かったようだ

島の出身の女性(架空)の話は描きたいと思いつつ…どうだかね…


先日の解説画像を再掲します

20250925121548-admin.jpg

 文化は琉球に近い島です。

 三池炭鉱が近い有明海は浅瀬だったために、三池港が整備される前は深い海のある港=口之津まで小さな船で石炭を運び、口之津から大きな船へと載せ換える作業が必要でした。たいへんな重労働でした。この作業を請け負ったのが与論島から移住してきた人々でした。

 商船三井は大阪商船と三井船舶が合併した会社ですが、三井船舶は三井物産の船舶部(石炭を運びます)から発足しています。
 またこの「大きな船」=外航船には多くのからゆきさんが乗り/乗せられました。

#「渺渺録」(企業擬人化)


企業・組織/〃擬人化

2025年9月21日 この範囲を時系列順で読む

(Loading...)...

沖縄県史』

 最近は戦後の沖縄の思想を読んでいます。

 その中で『沖縄県史』(沖縄縣史)に触れられている書籍をいくつか見るので、まずはいっちょインターネットで『沖縄県史』の構成を調べてみるぞ、と思い検索したところ、うまくヒットしません。
 なんか、こういうのはいつもはアマチュア有志のFC2ブログかGooブログがヒットするじゃないですか。目次一覧、みたいなやつ。探し方が悪いのか見つからぬ……。
 調べる・読む時に、一覧や概要があるだけでも有難いため、ここに記載しておきます。

 ここで言う『沖縄県史』は1960年代に計画され、1965年-77年に刊行された、23巻+別巻1の県史となります。新しくないほうの古いほうの県史です。
 琉球政府編、国書刊行会の発行。
 「この種の企画としては異例」の「近代だけを主題とする県史」(『沖縄の戦後思想を考える』)です。

 実は『沖縄県史』は国立国会図書館デジタルコレクションの「個人送信限定」で、全巻読むことができます(!)国会図書館に本登録している人であれば、自宅でも簡単に読めるんです。学生時代にデジコレ個人送信限定ほしかったよな……ホント……。 
 デジコレでは重複分があって、何かしらの理由があって納本がズレたのかな~と思いました。


    通史
    各論編1 政治
    各論編2 経済
    各論編3 教育
    各論編4 文化1
    各論編5 文化2
    各論編6 移民
    各論編7 沖縄戦通史
    各論編8 沖縄戦記録1
    各論編9 沖縄戦記録2
    資料編1 上杉県令関係日誌
    資料編2 沖縄県関係各省公文書1
    資料編3 沖縄県関係各省公文書2
    資料編4 雑纂1
    資料編5 雑纂2
    資料編6 新聞集成 政治経済1
    資料編7 新聞集成 政治経済2
    資料編8 新聞集成 教育
    資料編9 新聞集成 社会文化
    資料編10 新聞集成 沖縄県統計集成
    資料編11 旧慣調査資料
    各論編10 民俗1
    各論編11 民俗2
 別巻

 以上です。さっとでいいから目を通したいです。

メモ
沖縄の戦後思想を考える』p102に『沖縄県史』の概略を述べている部分があります。

2025年9月20日 この範囲を時系列順で読む

沖縄の「集団自決」は実際、夫が妻を殴り殺したり、母親が子供を叩き殺したりする行為であり、この具体的内容に触れようとした際に、(あえて雑な形容で言えば)「暴力描写だから隠すか…」となったのでそのキャプションを書こうとしたけど、これは果たして「暴力」だったのか、だとしたらそれは夫から妻への暴力だったのか、と悩んでしまい、もしかしたらこれが『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』の焦点だったのかもしれん

「集団自決」と呼ばれる日本軍強制による沖縄住民の死に、皇民化の極限的暴力の発現を見出し、その出来事の基底に、「敵の捕虜になって辱めをうけるくらいなら家族の手にかかって殺されたほうが良い」という純潔(純血)主義的なジェンダー的強迫が働いていたことを明らかにするこの書が告するのは、現在の私たちの身体をも貫くレイプ暴力と皇民化とが組織化するジェンダー政治力学そのものであると言えるだろう。この問いかけにおいて、宮城の書は、沖縄という特殊性に閉じられることのない遍在性において、現在の私たちがまた「集団自決」を反復しそして性的支配の暴力に絡め取られていくかもしれぬ危機をこそ逆照射しているのである。求められているのは、「集団自決」という出来事のなかに今に繋がる国民国家主義の暴力の作動を感知していくことであり、同時に、そうした暴力に、性的支配という欲望が分離されることなく寄り添っていることを認識していくことであるに違いない。

/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』

たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。

/『(同)』

感想引用

これを「暴力」と呼ぶべきなのか、だとしたらそれは誰から誰への暴力行為だったのか、というのが沖縄の「集団自決」の焦点でもあり、『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』だったのかもしれないな…

感想

沖縄の「集団自決」について いわゆる「暴力的な描写」と呼ぶべきもの なので隠します

内容:●F-家族壕。姻戚三家族一九人と死に場所を探しに来た母子二人。
「他人」である母子二人を除き農薬の猫いらず(殺鼠剤)を飲む。三十六歳の男性は、いやがる子どもたちに黒糖をまぜて強引に飲ませるが、のたうち回る子どもを見るにみかねて、壕の前の小屋に火をつけて中に放り入れ、また幼い子は腕をつかまえて防空壕の土壁にたたきつける。男性は苦しむ両親、妻を棍棒でたたいて死なせたあと、自分も猫いらずを飲むが致死量には至らず、一人だけ生き残る。実家と行動を共にした幼子三人を連れた女性は、飲んだ猫いらずで自らも苦しみながら、生後二か月の子を乳房で窒息死させ、死にたくないと泣いて逃げ回る男児は叔父が鎌で首を切りつけて死なせる。彼女の父親は忠魂陣に向かう人たちに「みんな自分の壕に帰って、各自で玉砕しなさい。ご飯を腹いっぱい食べて、きれいな着物を着てやりなさい」と泣きながら話していたという証言がある[宮城(2008)p.120]。この家族は全員死亡。

/宮城晴美「2 座間味島の「集団自決」」『友軍とガマ 沖縄戦の記録 沖縄・問いを立てる4』98p

※[宮城(2008)p.120]=宮城晴美『新版・母の遺したもの――沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』高文研、2008年。

感想引用歴史・時代/〃もの

メモ だいぶ長い大著だが『沖縄県史』早めになるべくちゃんと目を通すこと

感想

沖縄の戦後思想を考える』に沖縄の(あるいは被圧迫民族や少数民族の)思想は身体性を帯びており、一方、「帝国」をバックグラウンドとするひとのは、(よかれあしかれ)人類とか世界とかをこともなげに単位にする構想に親和性がある、とあり…

感想

2025年9月16日 この範囲を時系列順で読む

沖縄の戦後思想を考える』 #読んでる

感想

沖縄の勉強を始めたころ、沖縄戦後史研究を先頭を切って切り拓いておられた大田昌秀さんのもとへ、教えを受けに伺ったことがあります。そのとき大田さんから、カンプーのクェヌクサーという言葉を知っているか、と尋ねられました。わたくしは知らなかった。それにたいし大田さんがカンプーというのは艦砲射撃で、クェヌクサーというのは食い残しだ、生き残った沖縄人はそれなのだ、と強い口調でおっしゃったことを思い起こします。

/『沖縄の戦後思想を考える』

引用歴史・時代/〃もの

2025年9月14日 この範囲を時系列順で読む

とはいえ日本軍の航空史よりはそれこそ郵便航空機のほうがきになる でも海外書籍は言語がね…

感傷的ナショナリズムというか定型ナラティブに固められていない特攻隊員ものとかは読んでみたい

あとは沖縄戦かな でも沖縄戦と自分を接続できない 接続しなきゃいいだけだけれど、沖縄近代史に重要なのは「自分も返り血を浴びる決意」だから…

海もまともに直視してこなかった埼玉県民に沖縄戦の何が…

そもそもアジア・太平洋戦争にばかり焦点を当てること自体が馬鹿馬鹿しいと感じる

歴史・時代/〃もの

2025年8月26日 この範囲を時系列順で読む

沖縄・問いを立てる3 攪乱する島』沖縄はなぜ女性に表象されるか、というはなしでもあったため、土地、そして組織や器物にジェンダー的意味を見出す人間として、その点でも興味深い なによりすべてが凄まじく、おすすめしたい

まあね…と『イモとハダシ 占領と現在 沖縄・問いを立てる 5』を読んでいるが、やはり圧倒的にこういうものを読解するのはあらゆる意味でよくて、億劫にならずに読まねば 本を…

 こういう世界を「渺渺録」で…👈もはや口癖になっているが、おそらく近代の暴力を描きたいのだとおもう、「渺渺録」で…
#「渺渺録」(企業擬人化)

企業・組織/〃擬人化

2025年8月25日 この範囲を時系列順で読む

今日マチ子先生の戦争漫画(というより戦争を「何か」の観念として落とし込んで描いた漫画三部作) 実際は少女が少女の人生なりに獲得したり喪失したり納得したりする話であり それを描く際、戦争という人間に降りかかる事象を、破瓜という少女に起こった事象と同一視しているきらいがある

今日マチ子先生の「戦争漫画」と、映画「花とアリス」は少し似ていませんか?あれも危うい破瓜というか羽化の話というか……

今日マチ子先生の戦争漫画はセカイ系とは少し違うけど、世界に起こる戦争と、少女に起こる破瓜=強制的に「成長」させられるという一種の暴力とその被害意識の共振の話だ

今日マチ子先生の戦争シリーズは戦争漫画というより戦争観念漫画というか、少女の破瓜を戦争の暴力とを二枚の硝子のように重ね合わせてだぶらせた甘苦しい青春喪失漫画ですよね?「沖縄決戦」というより「花とアリス」に近いというか…

感想

2025年8月24日 この範囲を時系列順で読む

そこに二、三日いる間に、避難民が十人余り雪崩れ込んできたことがありましたね。そこは兵隊の陣地壕ですから、民間人は入れなかったんですよ。それでも、あんまり艦砲が烈しいので、一寸の間だけ入れて下さい、と泣き込んで入ってきたんです。その人たちの中に、子持ちの女の人がいました。その女の人の二歳ぐらいになる男の子供が、あんまり泣き喚くもんだから、兵隊がひどく怒って、叱りつけたんですよ。子供を泣かすなって。それでも子供は泣きやまない。そしたらね、そのお母さんは、子供をつれて出て行ったんですけどね。しばらくしたらそのお母さん一人だけで帰ってきたんですよ。子供をどうしたのか、判りませんけどね。おそらく、子供を捨ててきたと思うんですけどね、そのお母さんも何も言わないし、誰も子供のことを訊こうともしませんでした。

/「旧首里市」『沖縄県史 第9巻(各論編 8 沖縄戦記録 1)』大城志津子氏の証言
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用歴史・時代/〃もの

2025年7月29日 この範囲を時系列順で読む

私には沖縄と台湾意識が薄いので、それも救済でk………いや、企業擬人化漫画だよな?うーん
#「渺渺録」(企業擬人化)

企業・組織/〃擬人化

2025年7月24日 この範囲を時系列順で読む

#読了 『「沖縄」に生きる思想 岡本恵徳批評集』

感想

2025年7月15日 この範囲を時系列順で読む

#読んでる 『「沖縄」に生きる思想』

感想

ところで、最近、二、三体験したことだが、これらの論者が想定したであろう人たち、厳密に追及していけばその対象に含まれるだろうと思われる人たちが、これらの論文にふれていながら、自分も追及の対象とは感じていない。あるいは自分は免罪されていると信じている、そういう事実のあることがわかった。それは、まさに一種の鈍感さとでも言うべきものであろうが、そのことは逆に、多くの論が、責任追及の掛け声だけに終わり、なんらの具体的な見通しを持たないことにも、原因があるかも知れない、と思ったことである。

/「「戦争責任の追及」ということ」『「沖縄」に生きる思想』

感想引用

2025年7月13日 この範囲を時系列順で読む

沖縄・問いを立てる 3 攪乱する島』また読むか…

感想

2025年7月11日 この範囲を時系列順で読む

#読了 『情念の力学 沖縄の詩 状況/絵画』

感想

沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。

/「感受性の変容」『情念の力学』

感想引用

expand_less