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カテゴリ「感想」に属する投稿[156件](2ページ目)
2025年7月13日 この範囲を時系列順で読む
この人の感情を害することなしに、わたしの知っているわずかなフランス語の単語でもって、あなたの美しいお国はわたしたち亡命者にとっては砂漠でしかないのだと、いったいどうすれば説明できるのか。この砂漠を歩き切って、わたしたちは「統合」とか「同化」とか呼ばれるところまで到達しなければならないのだ。当時、わたしはまだ、幾人もの仲間が永久にそこまで到達できぬことになろうとは知らなかった。
仲間のうちの二人が、禁固刑が待っているというのに、ハンガリーへ戻っていった。別の二人は、これは若い男で独身だったが、もっと遠くへ、米国へ、カナダへ行ってしまった。また別の四人は、それよりもさらに遠くへ、人が行けるかぎりの遠い場所へ、大いなる境界線の向こう側へ行ってしまった。わたしの知り合いだったその四人は、亡命生活の最初の二年のうちに、みずから死を選んだのだ。一人はバルビツール酸系の睡眠薬で、一人はガスで、他の二人はロープで首を吊って死んだ。最年少の女性は十八歳だった。彼女の名前はジゼルだった。
/アゴタ・クリストフ『文盲』
#「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)
仲間のうちの二人が、禁固刑が待っているというのに、ハンガリーへ戻っていった。別の二人は、これは若い男で独身だったが、もっと遠くへ、米国へ、カナダへ行ってしまった。また別の四人は、それよりもさらに遠くへ、人が行けるかぎりの遠い場所へ、大いなる境界線の向こう側へ行ってしまった。わたしの知り合いだったその四人は、亡命生活の最初の二年のうちに、みずから死を選んだのだ。一人はバルビツール酸系の睡眠薬で、一人はガスで、他の二人はロープで首を吊って死んだ。最年少の女性は十八歳だった。彼女の名前はジゼルだった。
/アゴタ・クリストフ『文盲』
#「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)
2025年7月11日 この範囲を時系列順で読む
沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。
/「感受性の変容」『情念の力学』
/「感受性の変容」『情念の力学』
2025年7月8日 この範囲を時系列順で読む
ひとつ下にある下部船倉に海水が奔流して来た。そこにいた多数の兵が絶叫をあげながら、水に飲まれていく。 「それは、声というより、まるでブタが絞め殺される時のような悲鳴でした。それが、何度も、何回も続いたんです」「あの精強をうたわれた将兵が、そんなふうに命を奪われていく。たまりませんでした」
/『撃沈された船員たちの記録』
#「渺渺録」(企業擬人化)
/『撃沈された船員たちの記録』
#「渺渺録」(企業擬人化)
建築家の一つの舞台である「艤装」という分野は、既に大型船舶建造の時代が過去のものになっていたので、その方面の仕事もなかったのであろう。固よりそういったワシントン軍縮条約規定に抵触しないという条件での外国航路用大型船舶は軍服に着換えさせることを前提としていたからである。建築家に揮わせた艤装の芸術は軍縮を睨んだ上での、あくまでも貨客船であることを強調する為の擬態であったと考えられるが、艤装を担当する者は、そのような擬態をものともせずに大いに腕を揮ったのであろう。この事は軍服に着換えさせられる以前の、我々が目にする関係図面やカラースキーム類から自ずと判る。
/『村野藤吾建築設計図展カタログ6』
#「渺渺録」(企業擬人化)
/『村野藤吾建築設計図展カタログ6』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年7月7日 この範囲を時系列順で読む
三輪まこと先生の『みどろ』戦前の娼婦たちの話で、絵が可愛いんだけどただたんに「エモい風味の娼婦もの」とかではなく、当時の風俗も自然に描きつつ、時代のにおいを漂わせつつ、ところどころ時代や制度のバックグラウンドを感じ…なきわめて堅実な時代ものになっている よい
ヒロインを「財閥の家系」のお坊ちゃんが見受けに来て、それがひとり独善的で、最終的にフラれてただの当て馬になっているのが良い
あと別のヒロインが、他の娼婦たちが働いているのに私は最近働いていない彼女らも辛いだろうに、とぼやいている背景絵に、東郷元帥逝去・国葬ニュースの乗った新聞が描かれており、わかっている……労働と貴賤と男女だ、これが時代というものか
娘を売った両親が罪悪感で鬱状態になっており、兄貴が「もう家に手紙を送ってこないでほしい」とか手紙に書いてくる話もあり、家父長制もあり、シスターフッドじみたものもあり…
「渺渺録」を描く時に参考にしたい漫画 #「渺渺録」(企業擬人化)
ヒロインを「財閥の家系」のお坊ちゃんが見受けに来て、それがひとり独善的で、最終的にフラれてただの当て馬になっているのが良い
あと別のヒロインが、他の娼婦たちが働いているのに私は最近働いていない彼女らも辛いだろうに、とぼやいている背景絵に、東郷元帥逝去・国葬ニュースの乗った新聞が描かれており、わかっている……労働と貴賤と男女だ、これが時代というものか
娘を売った両親が罪悪感で鬱状態になっており、兄貴が「もう家に手紙を送ってこないでほしい」とか手紙に書いてくる話もあり、家父長制もあり、シスターフッドじみたものもあり…
「渺渺録」を描く時に参考にしたい漫画 #「渺渺録」(企業擬人化)
2025年7月6日 この範囲を時系列順で読む
2025年7月5日 この範囲を時系列順で読む
メモ
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 4
・村野藤吾の初期作品と船の内装設計-山田雄祐
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 6「村野藤吾と1940年代」
・村野藤吾と1940年代-序にかえて 竹内次男
・1 艤装をめぐって
建築家・村野藤吾が関わった客船の室内装飾 山田雄祐/「あるぜんちな丸」と「ぶらじる丸」の図面を通して 神戸嘉也/村野の建築作品の中に見る船の姿と形
・2 戦前のホテル建築
村野藤吾と叡山ホテル 奥藤圭造・大平滋彦
・3 軍事施設・工場群
軍事施設ならびに宇部その他国策工場 福原和則
・4 大陸進出と百貨店
村野藤吾の百貨店建築と大丸天津店
・5 初期の住宅作品
夢の脈略-初期住宅の平面をたどる 石田潤一郎
・6 経済と商業施設
社会の富としての「都市建築」 安達英俊
・7 国家と建築
建国2600年記念事業・橿原神宮駅 川畑博美
・8 敗戦後の仕事
苦悩の時代・敗戦直後の村野藤吾 西島業士
・作品関連年表
・インタビュー 村野漾氏に聞く 聞き手 竹内次男・松隈洋
・図面リスト
・謝辞
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 10
・9 橿原丸(1940年)
幻に終わった大型客船・橿原丸の建造計画 村野が残したそのための内装設計図 山田雄祐
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 11
・8 客船家具(1937-42年)
建築家・村野藤吾が関わった客船の内装設計 新たに見いだされた船内家具の設計図
#おふね
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 4
・村野藤吾の初期作品と船の内装設計-山田雄祐
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 6「村野藤吾と1940年代」
・村野藤吾と1940年代-序にかえて 竹内次男
・1 艤装をめぐって
建築家・村野藤吾が関わった客船の室内装飾 山田雄祐/「あるぜんちな丸」と「ぶらじる丸」の図面を通して 神戸嘉也/村野の建築作品の中に見る船の姿と形
・2 戦前のホテル建築
村野藤吾と叡山ホテル 奥藤圭造・大平滋彦
・3 軍事施設・工場群
軍事施設ならびに宇部その他国策工場 福原和則
・4 大陸進出と百貨店
村野藤吾の百貨店建築と大丸天津店
・5 初期の住宅作品
夢の脈略-初期住宅の平面をたどる 石田潤一郎
・6 経済と商業施設
社会の富としての「都市建築」 安達英俊
・7 国家と建築
建国2600年記念事業・橿原神宮駅 川畑博美
・8 敗戦後の仕事
苦悩の時代・敗戦直後の村野藤吾 西島業士
・作品関連年表
・インタビュー 村野漾氏に聞く 聞き手 竹内次男・松隈洋
・図面リスト
・謝辞
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 10
・9 橿原丸(1940年)
幻に終わった大型客船・橿原丸の建造計画 村野が残したそのための内装設計図 山田雄祐
◎村野藤吾建築設計図展カタログ 11
・8 客船家具(1937-42年)
建築家・村野藤吾が関わった客船の内装設計 新たに見いだされた船内家具の設計図
#おふね
2025年7月3日 この範囲を時系列順で読む
2025年7月1日 この範囲を時系列順で読む
ある人たちは年齢を重ねることを知らない。ある者は歳をとらない。時が止まるのだ。時はある者たちのために止まるだろう。とりわけ彼らにとっては。永遠の時。全く歳をとらない。時はある者たちにとっては凝固する。自らを再生産し、増殖することによって魂から分離された囚われの像とは違って、彼らの像、彼らの記憶は腐食しない。彼らの相貌が喚起するのは、後光を帯びた美しさでも四季折々の自然の盛衰の美しさでもない。喚起するのは不可避的なものではなく、死ではなく、死に-つつあるということ、なのだ。
[…]
記憶がすべて。失われたものに直面してわきおこる切望。その欠落を維持する。直線的な進歩の記号としてではなく、月の満ち欠けのようにくり返し盛衰する不確定なものの間に固定されて。それ以外はすべて歳を取る、時のなかで。ただし。ある者たちは時の外部に。
/「クリオ 歴史」『ディクテ 韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール』
[…]
記憶がすべて。失われたものに直面してわきおこる切望。その欠落を維持する。直線的な進歩の記号としてではなく、月の満ち欠けのようにくり返し盛衰する不確定なものの間に固定されて。それ以外はすべて歳を取る、時のなかで。ただし。ある者たちは時の外部に。
/「クリオ 歴史」『ディクテ 韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール』
2025年6月30日 この範囲を時系列順で読む
2025年6月29日 この範囲を時系列順で読む
『ディクテ』と題された多言語テクストは、人間の身体から発せられた言葉を忠実に書きとるというより、言葉が人間の咽候、その口元からこぼれでる瞬間を現在形で再現する多面的な言語実験からなっている。そこでは教室や教会で同語反復や追唱を命じる教師や司祭の声が遠くで鳴り響いているし、言葉を国民に授け、植えつけ、結果的にその言葉を国民の総意にまで増幅させてみせる植民地官僚や独裁者(dictator)の声もまた「あてこする」かのように匂わされている。植民地統治下であろうが亡命・移住地でマイノリティ身分にあろうが、人は判じ物の言語をしか行使できず、話すべき言葉はなかなか咽喉から外へは吐き出されていかない。ほとんど発話以前のノイズとしてしか了解されない気怯れ。『ディクテ』が密着を試みているのは、このような「へどもど」する女たちの身体性にほかならない。
/『外地巡礼』
/『外地巡礼』
2025年6月28日 この範囲を時系列順で読む
そういえば、『扇島歳時記』には①「病気になったので親に再び引き取られていく遊女見習い」=完全に親と縁が切れていない遊女②日本の遊郭に遊びに来る清国人、が出てきますが、同時期に高浜寛先生が『長崎丸山遊廓』(①②の事象への言及がある)を読んでいると投稿していらっしゃった記憶があるので、この著作を参考にしているのかな…と思った記憶があります なんとなく思い出したので記載します…
2025年6月27日 この範囲を時系列順で読む
陸上自衛隊幹部学校戦史教官室長の白石博司は、すでに一〇年以上も前に、次のように書いていた(白石博司「戦史雑感(その1)」『陸戦研究」一九九五年一二月号)。
近年、旧軍関係者が自衛隊の現職を去り、また実戦を体験してきた人も老齢には勝てず、いよいよ自衛隊も全く未体験の軍事集団になってしまった。体験・実験の難しい軍事を専門にする我々幹部自衛官にとって、実戦を学ぶ教材として残されたのは戦史以外にないといっても過言ではない。いよいよ腰を据えて戦史を勉強する時が来たと思う。
まったく違った理由からではあるが、私も白石と危機感の一部を共有する。戦争体験世代が減少するなかで、現在の日本社会では、戦争の現実、戦場の現実に対するリアルな想像力が急速に衰弱しているように感じられるからである。
/吉田裕『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』
#「渺渺録」(企業擬人化)
近年、旧軍関係者が自衛隊の現職を去り、また実戦を体験してきた人も老齢には勝てず、いよいよ自衛隊も全く未体験の軍事集団になってしまった。体験・実験の難しい軍事を専門にする我々幹部自衛官にとって、実戦を学ぶ教材として残されたのは戦史以外にないといっても過言ではない。いよいよ腰を据えて戦史を勉強する時が来たと思う。
まったく違った理由からではあるが、私も白石と危機感の一部を共有する。戦争体験世代が減少するなかで、現在の日本社会では、戦争の現実、戦場の現実に対するリアルな想像力が急速に衰弱しているように感じられるからである。
/吉田裕『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年6月26日 この範囲を時系列順で読む
そして戦後民主主義が開放したのはこの「私権」意識であった。日照権、ゴミ戦争、医料値上げ闘争、などの市民運動は、「戦後民主主義が根づいた」と称される姿である。
「なんば言うか、ケタクソわるい」と閉山町の日雇い人夫は言うだろう。それでも時代は確実にそのように動いてきた。結婚すれば大それた迷いはなくなるという庶民の、父祖伝来の教えは、そのまま一面では生きつづけてマイ・ホーム主義は建築産業の開発から日本列島改造論へと表裏一体である。経済基盤を固めた戦後民主主義は、結婚しても迷いはなくならない、というヒネクレ者にも寛大となって、「それはあなたの自由です。あなた自身の生活を十分に主張してください」と言う。
/「戦後民主主義と民衆の思想」
「なんば言うか、ケタクソわるい」と閉山町の日雇い人夫は言うだろう。それでも時代は確実にそのように動いてきた。結婚すれば大それた迷いはなくなるという庶民の、父祖伝来の教えは、そのまま一面では生きつづけてマイ・ホーム主義は建築産業の開発から日本列島改造論へと表裏一体である。経済基盤を固めた戦後民主主義は、結婚しても迷いはなくならない、というヒネクレ者にも寛大となって、「それはあなたの自由です。あなた自身の生活を十分に主張してください」と言う。
/「戦後民主主義と民衆の思想」
くらしのなかに民主主義ということばは苦もなく入っていった。それはたとえば次のように。私の父はその郷里で村長にと、のぞまれたことがある。そのとき村人が言ったことばが耳に残っている。「あなたのお父さんはやっぱりえらか。若いときから民主的なお人だった」そしてまた或るとき戦地がえりのまだ若さが残っていた農民は、私へ言った。「あんたのお父さんを見習って、わしらも民主的にしよりますよ」。それは些細なことで、旧習を破って何かを同世代ではじめたら、夫婦単位で行動をしたり、ということにすぎなかった。
戦後はこのようなはじまり方をしていいはずのものではなかったのである。
/「戦後民主主義と民衆の思想」
戦後はこのようなはじまり方をしていいはずのものではなかったのである。
/「戦後民主主義と民衆の思想」
2025年6月25日 この範囲を時系列順で読む
もっと帝国主義者っぽい郵船さんにも寄せていかねば…と思いつつ、贔屓でただの善人になってしまい
政府の手厚い後援を享けつつ日本海運のフラグになっている、それに比べて2手3手の会社の俺たちは自分の商売だけで…という証言(ニュアンス的には憎まれ口で本気ではない)を読んだことがある
海外航路を開けば補助金が出るし、優秀船舶助成施設でなくてももともといろいろな補助があっただろうし、そもそも郵船さんのお母さん(郵便汽船三菱)が政府の支援の下大きくなったので…という話ですね
「郵船さんのお母さん(郵便汽船三菱)が政府の支援の下大きくなったので…」が今読んでいる『三菱財閥史 明治編』にメインテーマとして出てくるので良い
#「渺渺録」(企業擬人化)
政府の手厚い後援を享けつつ日本海運のフラグになっている、それに比べて2手3手の会社の俺たちは自分の商売だけで…という証言(ニュアンス的には憎まれ口で本気ではない)を読んだことがある
海外航路を開けば補助金が出るし、優秀船舶助成施設でなくてももともといろいろな補助があっただろうし、そもそも郵船さんのお母さん(郵便汽船三菱)が政府の支援の下大きくなったので…という話ですね
「郵船さんのお母さん(郵便汽船三菱)が政府の支援の下大きくなったので…」が今読んでいる『三菱財閥史 明治編』にメインテーマとして出てくるので良い
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年6月21日 この範囲を時系列順で読む
李良枝は、"自分は日常的に韓国・朝鮮を感じ接する機会はなかったし、生活習慣も知らないし韓国人の知人も居なかった、だからそれらは書籍を通じて知った、すなわち自分の民族との出会いは非常に観念的なものだった""母国の悲惨さと許しがたい歴史、民族的アイデンティティを、正義感と政治的立場と共に自分の命題とし、把握するしかなかった""韓国は朴正煕政権であり、日本のマスコミをそれをネガティブに伝えていたから、母国とのかかわりも政治的な面に集約されていた""大学で同胞と出会ったけれど、あまりに観念的・政治的傾向の強い討論ばかりで疑問を感じた""韓国語の読み書きもできず本国の生活も知らず、何を根拠に「連帯」と「反体制」を語るというのか"と言って、"実体もなしに言葉だけを弄ぶ政治的なスローガンよりも個別的な問題に目を向けて、実感の伴う運動で自分の生きざまを把握していきたい"と締めくくっていて、これの前半は「民族」を「戦争(歴史)」に置き換えたらほぼ私のことなので自戒にしてる
とはいえ映画「国宝」、冒頭に60年代くらいの酒盛りの美しさも華麗に描かれており、それが単純にとても良くて、いつの間にか私は好きだったはずの日本海軍やあるいは日本文化そのものに負の面やいわゆる「加害性」やらを見出しすぎていないか、と自戒しましたね……
映画の「国宝」を観に行った時に、戦争映画の「雪風」「木の上の軍隊」(あと忘れたけどもう一作)の予告が流れていたけど、悪い意味で「やはり戦争映画が撮れたのは70年で限界だったのではないか…」となった
映画「国宝」観た
良かったけど、ドロドロパートがドロドロしすぎる…
あと主人公たちのかわいい部分(愛着が持てる部分)がもっと前面に出ていると良かったかな…
でも良かったです。映画館で泣いたの初めてかもしれない畳む
良かったけど、ドロドロパートがドロドロしすぎる…
あと主人公たちのかわいい部分(愛着が持てる部分)がもっと前面に出ていると良かったかな…
でも良かったです。映画館で泣いたの初めてかもしれない畳む
2025年6月18日 この範囲を時系列順で読む
#読了 『長崎製鉄所: 日本近代工業の創始』デジコレ個人送信限定から入手したpdfにて
幕末あたりに長崎製鉄所ができる→明治になり官営の長崎造船所となる→三菱に払い下げられた後に三菱重工業長崎造船所へ…という感じ。大雑把に言えば……。
読み砕けなかったことも多いので、もう数度読みなおそう。
擬で言えば官営と三菱の長船は別人物かもしれない。官営は親というか先達ではあるが……。
#「渺渺録」(企業擬人化)
幕末あたりに長崎製鉄所ができる→明治になり官営の長崎造船所となる→三菱に払い下げられた後に三菱重工業長崎造船所へ…という感じ。大雑把に言えば……。
読み砕けなかったことも多いので、もう数度読みなおそう。
擬で言えば官営と三菱の長船は別人物かもしれない。官営は親というか先達ではあるが……。
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年6月17日 この範囲を時系列順で読む
かってはこの世界最大の土佐艦長を理想とした自分が水葬の曳航任務にあたるとは,あまりに悲痛な皮肉を感ずる。しかし土佐は橘姫の運命にも似て,世界平和の犠牲として水葬されるのだ。もし土佐に霊あらば瞑して呉れるだろう。兎に角華府条約による処分終了期は2月16日までだから、突発事故などでそれまでに廃棄されないとすれば重大な国際問題ともなり,自分が切腹したくらいでは済まないのだから責任がある
/『造艦回想』
#「渺渺録」(企業擬人化)
/『造艦回想』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年6月16日 この範囲を時系列順で読む
ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。
/清田政信『情念の力学』「波打際の論理」
※沖縄について
/清田政信『情念の力学』「波打際の論理」
※沖縄について
2025年6月14日 この範囲を時系列順で読む
たしかに占領軍の海運政策は苛酷であった。日本海運を根絶やしにする意図かと思えた。日本の商船隊は財閥と結びついて世界に跳りょうし、その軍事力増強に大きな役割を果たしたというのが、米英など連合国の認識であった。
/『二引の旗のもとに』
#「渺渺録」(企業擬人化)
/『二引の旗のもとに』
#「渺渺録」(企業擬人化)
原合名会社が富岡を経営していた明治後期から昭和のごく初期にかけては、日本の生糸輸出の絶頂期ともいえ、大正時代には世界の生産高の6割を占めるほどになりました。
日本にとっては、生糸輸出で獲得した外貨によって軍需品や重工業製品を輸入するというパターンができ、「生糸が軍艦をつくる」とまでいわれるほどでした。製糸業が富国強兵に大きく貢献したことは間違いありません。
/『富岡製糸場と絹産業遺産群』
#「渺渺録」(企業擬人化)
日本にとっては、生糸輸出で獲得した外貨によって軍需品や重工業製品を輸入するというパターンができ、「生糸が軍艦をつくる」とまでいわれるほどでした。製糸業が富国強兵に大きく貢献したことは間違いありません。
/『富岡製糸場と絹産業遺産群』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年6月13日 この範囲を時系列順で読む
伝えないことが愛情、だったのかもしれない。多くのものを遮断してきたように
#実況:初読『天冥の標』
#実況:初読『天冥の標』
『天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC』の結末、あまりに美しい 最後に示された「私たちの物語」は、今現実で言うのなら歴史修正と言ってもいいだろうし、私が普段読んだり扱ったりしているジャンル=歴史はその行為への抗いと、いかに継承していくかの問いで実践されているものなのに、彼らが過去を婉曲どころか完全捏造していることに深い共感を感じた 共感したことに驚いた
だって、全ての災厄の病を、生きた子どもごと遮断し閉鎖した二区・六~九区を、たかる悪臭とハエと蛾を、子どもが子どもを支配する専制政治を、特配のクーポンで身を売ったことを、糞尿をリサイクルして食べていたことを、かつて人間には投影ではない本当の青空があったことを、大きな宇宙を、そこにあった地球人類文明を、災厄で亡くなった父と母たちを思い出して、伝えて、継承して、何になるのか?という話なんですよ。断絶させるしかないじゃないですか……ああ、そうだね……これが……
#実況:初読『天冥の標』
だって、全ての災厄の病を、生きた子どもごと遮断し閉鎖した二区・六~九区を、たかる悪臭とハエと蛾を、子どもが子どもを支配する専制政治を、特配のクーポンで身を売ったことを、糞尿をリサイクルして食べていたことを、かつて人間には投影ではない本当の青空があったことを、大きな宇宙を、そこにあった地球人類文明を、災厄で亡くなった父と母たちを思い出して、伝えて、継承して、何になるのか?という話なんですよ。断絶させるしかないじゃないですか……ああ、そうだね……これが……
#実況:初読『天冥の標』
『八幡製鉄所』(教育社歴史新書)は八幡製鉄所の話だけではなく、例えば冒頭には長々と日本の造船(の始めの)事情が書かれており有難い
本来は採鉱→製鉄→造船の順となるべき産業技術の導入経路が、黒船以来の日本では造船→製鉄→採鉱となった、というのは考えたことがなかったな
#「渺渺録」(企業擬人化)
本来は採鉱→製鉄→造船の順となるべき産業技術の導入経路が、黒船以来の日本では造船→製鉄→採鉱となった、というのは考えたことがなかったな
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年6月12日 この範囲を時系列順で読む
2025年6月11日 この範囲を時系列順で読む
ところで、本書の圧巻は、なんといっても著者の手になる「浄魂を抱いて」という戦後の章である。
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。
/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
#「渺渺録」(企業擬人化)
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。
/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
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