死の役割を仏教へ押し付けた神道の、大口を開けたような生の豊穣、生の謳歌、揺蕩うような快楽のようなもの、限れば進水式や漁船へのお祝いに、多くはそこいらの町村の祭りに見られるけど、あの無為な性的享楽と豊穣の紙一重のところに近代日本の解れ、つまり特有の暴力や死があったのかなと時々感じる この観念を考えるといつも植民地朝鮮から日本へ帰って来た森崎和江が、彼女たちに「まるで何事もなかったように」迎えてくれた日本人のことを「まるきり、くらしの股をひろげている感じで、自分の思惟様式をおしつけてくる」と形容していることを思いだしてしまう 何故だかわからないが… とはいえ、そういうなんでもかんでもに「負の点」を見出す姿勢も正していきたい… 結局言いたいこと?「「渺渺録」で漁船のお祝いでも描けないかな~」ということですね 『ねじ曲げられた桜』のあの不思議な読み心地は「桜の枝を身体に飾って微笑んでいる特攻隊員」を語っている所にある、日本近代の果ての死の淵の果てまで来た日本人に飾られるのはやはり平安以来の桜であり、また軍が桜で祝い装うこと位でしか死を美しく包装できなかった日本近代の限界を解題している所に #「渺渺録」(企業擬人化) 感想歴史・時代/〃もの 2025/08/31
この観念を考えるといつも植民地朝鮮から日本へ帰って来た森崎和江が、彼女たちに「まるで何事もなかったように」迎えてくれた日本人のことを「まるきり、くらしの股をひろげている感じで、自分の思惟様式をおしつけてくる」と形容していることを思いだしてしまう 何故だかわからないが…
とはいえ、そういうなんでもかんでもに「負の点」を見出す姿勢も正していきたい…
結局言いたいこと?「「渺渺録」で漁船のお祝いでも描けないかな~」ということですね
『ねじ曲げられた桜』のあの不思議な読み心地は「桜の枝を身体に飾って微笑んでいる特攻隊員」を語っている所にある、日本近代の果ての死の淵の果てまで来た日本人に飾られるのはやはり平安以来の桜であり、また軍が桜で祝い装うこと位でしか死を美しく包装できなかった日本近代の限界を解題している所に
#「渺渺録」(企業擬人化)