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No.1397
- 「渺渺録」(企業擬人化)(169)
- 『マーダーボット・ダイアリー』(33)
- おふねニュース(23)
- 「大脱走」(企業擬人化)(20)
- 「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)(18)
- 実況:初読『天冥の標』(16)
- きになる(13)
- 読んでる(13)
- 「海にありて思うもの」(艦船擬人化)(13)
- 企業・組織(12)
- 読了(8)
- 「蛇道の蛇」(一次創作)(8)
- 書籍情報(7)
- 展示会情報(7)
- 「時代の横顔」(企業・組織擬人化)(6)
- 「空想傾星」(『マーダーボット・ダイアリー』)(6)
- 御注文(5)
- 「徴用船の収支決算」(一次創作)(5)
- おふね(5)
- SNSの投稿(3)
- 感想『日本郵船戦時船史』(3)
- 入手(2)
- 『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』(2)
- 「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)(2)
- 「人間たちのはなし」(艦船擬人化)(2)
- 『青春鉄道』(2)
- 「病院船の顛狂室」(艦船擬人化)(1)
- 「テクニカラー」/「白黒に濡れて」(艦船擬人化)(1)
- 「かれら深き波底より」(一次創作)(1)
熊谷空襲というほぼ唯一の経験を、埼玉はまるで不良が軽犯罪を隠すように、自虐的な傷か自慢か何かとして胸に秘めていた。江戸時代を越えればいっそう薄くなる年表が示すのは、埼玉は近代の参加者にはなれなかった事実だった。もちろん出征する兵士を見送った。還って来たあまたの死があった。自分の身の上を走り去っていった多くの人びとがいた。でもそれで終わりだった。
それを軽微な損失と誇ればいいのか、別のところの(それこそ帝都東京などでの)末端の歯車だったと自分を責めればいいのかわからない。ただわかるのは、自分が主体となった戦争経験は熊谷空襲だったこと。埼玉は戦場ではなかった。南洋へ大陸へ送り出す港も海も持たなかった。でも、空襲は戦争のひとかけらで、戦争は近代の申し子だったから、戦争と埼玉とが交差したあの瞬間だけは、埼玉も近代の参加者となった。