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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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検索語「沖縄」の検索結果50件]2ページ目)

2025年6月16日 この範囲を時系列順で読む

 ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。

/清田政信『情念の力学』「波打際の論理」
沖縄について

感想引用

2025年6月13日 この範囲を時系列順で読む

『情念の力学』に沖縄の話で、「昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった」とある

2025年6月11日 この範囲を時系列順で読む

沖縄・問いを立てる」シリーズの『友軍とガマ』ペラペラしてるけどキツ!!こんなの「集団自決」と呼ぶべきものなんかじゃないじゃん………となっている

ところで、本書の圧巻は、なんといっても著者の手になる「浄魂を抱いて」という戦後の章である。
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。

/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

2025年6月9日 この範囲を時系列順で読む

たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。

/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』「攪乱する島」

感想引用

『第三十二軍司令部日々命令綴』所収の「球軍会報」一九四五年四月九日付(防衛省防衛研究所所蔵)には、「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とある。

/『沖縄・問いを立てる1』「座談会 沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」注釈

感想引用

2025年6月8日 この範囲を時系列順で読む

沖縄・問いを立てる3 攪乱する島』めちゃ面白かった

感想

2025年6月7日 この範囲を時系列順で読む

#読んでる沖縄・問いを立てる3 攪乱する島』

感想

2024年3月7日 この範囲を時系列順で読む

教会堂は徴用され信徒たちも応召し、また九州や台湾に疎開し、牧師も疎開の引率者、徴用、戦火を避けて、軍に睨まれていることを知って犬死したくないと沖縄を去った、ある者は戦場に消え、ある者は土竜のような生活で生きのび、ある者はスパイ容疑で殺され、少なくない者が栄養失調やマラリアで死んだ。
戦争が終わった時には教会は跡形もなく、会堂は戦火で破壊され尽くされていたし、生きのびた信徒は他の生きのびた信徒の行方も知らなかった、強制疎開、徴用もあったから逃げることは悪ではなかった、にも関わらず、教会が下した「判断」とそこから起こった状況への対応に問題を感じる。
というのは、沖縄の教会の問題は他府県出身の牧師たちが引きあげたからだと考えていたが、その中には沖縄県出身の牧師もいた、また戦火で信徒が全滅したわけでもなかった、沖縄の教会は、迫りくる戦争と疎開政策の中で為された教職と信徒の「決意と行為」によって、自然消滅したのである。…

という意味合いの『国家を超えられなかった教会』の文章、ここまで冷静に挫折を語る文章はまたとない。

感想

2000年1月1日 この範囲を時系列順で読む

更新10/26  邪魔なので畳んでいる :


案内
読んだものの感想私が書いた小説・文章気になるコンテンツ読了記録
艦船擬人化企業擬人化 - 企業擬「渺渺録」
#マーダーボット・ダイアリー
引用
沖縄
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イベント
過去履歴:
既に終了したイベント

2025年7月19日(土)-9月21日(日):「江戸⭐︎大奥」
2025年7月19日(土)-2025年9月28日(日):「戦後80年 戦争の記憶ー戦中戦後を生きた横浜の人びとー」[横浜都市発展記念館]
2025年7月15日(火)-10月26日(日):「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」[東京国立近代美術館]
2025年10月19日(日):COMIC CITY SPARK 20 -day1-(ジャンプ系FC・マンガFC・アニメFC)
2025年10月25日(土)-26日(日):神保町ブックフェスティバル


2025年9月13日(土)-2026年2月23日(日):「闇市と都市―Black Markets and the Reimagining of Tokyo」[高島屋史料館TOKYO]
2025年9月13日(土)-11月22日(土)「滅亡を体験する—戦渦と文学」[日本近代文学館]
2025年9月13日(土)-11月9日(日)「インド更紗 世界をめぐる物語」[東京ステーションギャラリー]
2025年9月27日(土)-2026年1月18日(日):「永遠なる瞬間 ヴァン クリーフ&アーペル」[東京都庭園美術館]
2025年10月24日(金)- :「もののけ姫」4Kデジタルリマスター 公開
2025年10月25日(土)-2026年2月15日(日):「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」 [国立西洋美術館]
2025年11月16日(日):COMIC CITY SPARK 20 -day2-(ゲーム・芸能音楽・小説FC・歴史古典・創作一般…)
2025年11月21日(金)- :「落下の王国」4Kデジタルリマスター 公開
2025年11月24日(月):コミティア154
2025年12月11日(木)-14日(日):TOKYO ART BOOK FAIR 1
2025年12月19日(金)-21日(日):TOKYO ART BOOK FAIR 2
2025年12月30日(火)-31日(水):コミックマーケット107
2026年2月19日(木)-2026年5月24日(日):「トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで」[三菱一号館美術館]
2026年2月22日(日):コミティア155
2026年4月18日(土)-19日(日):はるこん2026
2026年6月7日(日):コミティア156
2026年7月25日(土)-10月18日(日)「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」[東京都美術館]
2026年9月9日(水)-12月13日(日):「ルーヴル美術館展 ルネサンス」[国立新美術館]
2027年春《未確定》:日本郵船歴史博物館・再開館 #日本郵船歴史博物館再開館の軌跡


そのうち作りたいもの(案)

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#船舶装飾考

  • 船の内装についてあれこれ…

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