喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。

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イラスト単体のログをどうしようかなぁ…と思ってます。ギャラリー機能は表示が重いので……

しかしこの快い広さはどうだろう。目をさえぎるもののない(あの気味の悪い鉄柱や煙突や、わずかにくずれ残った煉瓦造りの建物や監視塔が目にはいっても、そこに横たわる空間の広さに呑みこまれてしまえば、雑草の存在とかわらない)野の中に置かれると、私が享けるものは、自然ののびやかな恵みでしかない。人々の悲惨は通りすぎ、残されたものは錆び行く鉄塊と崩れゆく煉瓦でしかなく、 すべては土にかえってしまうことが定められている。ほろびるもののあいだにはさまれて、遠からずほろび行く自分をも私は遂につかみ得ないのである。虚無の陶酔が私の神経をしびらせていたろうか。 こんな広い土地を自分のものにしたい、というへんな考えがにぶい伴奏のように私の頭を覆っていた。 目をさえぎるもののない広漠たる土地の広がりは、そこで殺された何百万ものにんげんの血をにじませながら私のこころを屈託のない広がりの快さに誘いつづけていた。
/「ブジェジンカにて」『島尾敏雄全集 第9巻』

引用

『島尾敏雄全集』を2冊ほどポチ…としてしまいました。9巻の東欧について書いた回は本当に良い。ので追加で……。
オシヴィェンチム――有名なアウシュヴィッツ収容所がある都市の収容所跡(それがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡なのかは不明…覚えていない)では、この収容所の「快い広さ」は何だろう、この土地を自分のものにしたいという得体のしれない感覚があった……という趣旨のことを書いていて、驚きました。収容所の土地が欲しいという人いる?
でもそれは自分ごととして収容所とその歴史を抱きしめたいという意志なのかもしれないと思いました。文章の技巧。

感想

人間
人間の絶望や悲劇や死で話を過激に着彩することはできるが、苦楽の間の揺れ様や悲喜の絶妙な差異や、なにより人間そのものへの信頼を描き得ず、物語が物語として必要とされる所以、人間が物語を必要とする理由たる人間の孤独、欠落、渇きを回復する優しさを持つ物語を設計することができない