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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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カテゴリ「引用」に属する投稿74件]

2025年10月8日 この範囲を時系列順で読む

それからコザ病院入院中もう一つ変ったことがあったんですがね。それは、十二、三歳くらいの男の子でしたが、この子供は戦争のためか、それとも元来そういう病気であったか、精神異状ですね。病院ではみんな同じく握り飯二つずつですが、この子供はそれも食べますがチューインガムも包み紙のまま、クラッカーも紙ごと食べるし、汚い話ですが、自分の排泄物を全部手ずかみに食いおったです。注射器に牛乳みたいなのを容れてですね、五分くらい待ちませんね、これはアメリカが毒殺です。この子はどっちみち死んだ方が……、まあ言葉もはっきり言えない精簿児になっているようでありましたからね。

/『沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』「和宇慶・伊集(中城町)」新垣盛正氏の証言

引用

2025年10月6日 この範囲を時系列順で読む

そのとき蛾の体温はほぼ乳頭や海豚や全力で泳いでいる鮪と同じ温度、三十六度になっている。三十六度というのは、自然界でいちばん適切な温度だということがわかっているのだよ、アルフォンソはそう言いました。神秘的な閾値といってもいい。わたしはこんなことを思ったことがあるんだ、ひょっとしたら人類の不幸は、いつのころからか体温がこの基準度からずれてしまって、しじゅう少し熱っぽい状態にあることと関係があるのではないだろうか、アルフォンソはそう語ったのです、とアウステルリッツは語った。

/『アウステルリッツ』

引用

アウステルリッツがこうした思索を話しながら纏め、いわばとりとめのない思いつきからこのうえなく端整な文章をつむぎ出し、さらに彼にとって専門知識を語り伝えることが、一種の歴史の形而上学へのゆるやかなアプローチになっている――そしてそこでは想起されたものがいまひとたび生命をもって甦る――ことであった。

/『アウステルリッツ』 

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

2025年10月4日 この範囲を時系列順で読む

 二、三日後アメリカが崖の上まで来た。出て来い、出て来いという。海には汽船が浮いていて、マイクで、出てこい、出てこい、という。そして水陸両用戦車がすぐ近くまで来る。もう絶対絶命ですよ。だから兵隊たちは、一般民は早く出て行って下さいというんです。一般民には何もせんはずだから、といってすすめるんです。兵隊が相当いましたよ。そうして二十日すぎからは、自決する音がきこえるんです。手榴弾を炸裂させてね、やるんです、自決。
 わたしは最後はね、一つの穴に県庁職員も入れて十二名おりましたよ。それでわたしが手榴弾一箇持っている。軍刀持っている。そのほかに手榴弾持っているのがおる。小さな穴ですからね、手榴弾二つでは全員即死できる。自決するか、最後の評定を開きましたよ。この十二名、死のうと思えば、手榴弾二箇で大丈夫だが、やるか。ところが人間最後になれば考えますよね。それで結局評定の結果は、一応出て見よう。そうすれば、何かまたやる機会が出るかもしらんから、一応手を上げて出て見よう。それで手榴弾を捨てたんです、軍刀もね。
 そしてわたしが出たのが六月二十二日、昼だな。十二名、(恥かしいなぁ)ハンケチを振って出ましたよ。上って行ったら、西がわに低いところがありましたが、そこから上って行った。それで米兵につれられて畑の道のところでしらべられた。男は全員裸で、女は三名いたがモンペーでそのまま。男は褌一つ。
 その時見た死体。わたしは、沖縄に人間がこんなにいたかな、というぐらいの死体でした。一体沖縄に人間が何名残ったかなと思った。ほんとに屍屍累累とはあれでしょうね。それで屍体が何日かしたら、こんなに膨張れるでしょう。水ぶくれや、土左エ門というけれども、もう(そこでは声が非常に感情を昇らせて言われた)陸の屍体は、紫色になって、膨れてね、物すごく大きくなるんです。腐敗寸前は。悪臭が鼻をつく。


/『沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』「旧那覇市」嘉手納 宗徳 754p

引用

「目にする表現の多くに、「沖縄である」という答えだけはあらかじめ用意されそして無前提的に肯われているような、そんな奇妙な印象を持つことがしばしばある」(「「沖縄である」ことへの問いー植民地・多言語・多文化」一九九八年)、「いっけん華やかなにぎわいを見せているかのごとき沖縄文学は、その実、中央文壇とかいうものの力学の中で、それらしい地方性と通りのいい異質性を担わされて、日本文学にとって心地よい周縁を演じさせられているのではないか」(「漂う沖縄文学のために」二〇〇一-〇二年)。それだけに新城さんは、九州・沖縄サミットで、「芸能人や文化人などがこぞって「沖縄らしさ」の自己演出に大わらわ」でいるのを、「無惨」と見つつ、「衆人環視のなかで沖縄らしさを演じさせられている現在の私たち」は、「ちょうど百年前、大阪天王寺の第五回内国博覧会パビリオン「学術人類館」において陳列された沖縄「土人」たちとなんの違いがあるだろうか」と思い返さずにはいなかったのでした(「あとがき」)。
「回収」という言葉に新城さんは、「安直な括り」が横行することへの怒りを突き出します。括られることによって、対象化へと押しつけられ、一方的に他者に規定される存在となりおわることを、「知の植民地主義」とし、それゆえに「回収」されない沖縄への希望を込めて、知の"攪乱者"であろうとしています。


/『沖縄の戦後思想を考える』

引用

2025年9月30日 この範囲を時系列順で読む

 ――ちなみに若松さんの月給はなんと四万円に満たない。若松さんが、踏切小屋に閉じこめられて十年が経った。彼は自戒をこめて次のように語っている
「長い間の奴隷労働からきた会社に対する憎悪の気持と会社を親とする思想とが交錯してすっきりといかなかった。それと同時に与論的なものは古いという考え方とゴンゾーに対するコンプレックスがあって、それらの逃避の思いがからみ合って階級的にぴしっといかなかった。
 闘争中一緒に働いた島の仲間が段々と脱落していった。しかしわたしの気持の中には与論のものだけはなんとかまとまって行こうという気持が強かった。そのためいいたいこともいわず同郷者の集まりでもその事はタブーというものがあった。いいたいこともいわないことだけが島のものたちを集団化させていたのかも知れない。そのことは労働者としては妥協ではないかと思うことが度々ある。三池労組でも割れさせないために沈黙するという面がある。それが今の運動を衰退化させ組織の形骸だけを残すという結果になったのかも知れんな。」
 そして最後に昨年六月島を訪れた時の後日譚を私たちに開かせてくれた。
「あの時みんなは大歓迎されて感したけどな、島じゃ戦々恐々だったらしいよ。今度大牟田から三池弁議とやらで負けたアカの筋金入りばかりが島にやってくるらしい、ということでな。ところが来てみると、なんともおとなしい。なにもしないで引揚げてくれたということで、島の地政者は、ほっと胸を撫でおろしたそうな」
 若松さんは訪島の折、与論を体ぢゅうで感じとりたいと、ひとり海辺に寝ていたのであった。

/森崎和江 川西到『与論島を出た民の歴史』

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年9月29日 この範囲を時系列順で読む

 日本の大衆が自分自身の日常的思惟様式の欠陥にめざめるためには、在日朝鮮人からの打撃が必要である。私が負ってきた母国との断絶よりも深い傷そのものから、かりものの朝鮮らしさを超えた思想を生みだしてくれることがその一つだ。そのための試行錯誤が、日本人大衆の日常的思惟の世界に対する直接性である時期はなおつづくことだろう。大衆は異相分離ののちの無関心を贖罪だと感じているのだから。また同化の原理以外の対応を知らないから、目の前に立ちあらわれたものとの対応法がわからないぶきみさに、日本はさらされる必要がある。自分のもっていた発想法そのものをゆさぶられるという体験を意識にとどめたものは、敗戦後にやっとかすかに生じたにすぎない。

/「二つのことば・二つのこころ」『精神史の旅 1産土 森崎和江コレクション』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

 いま一つは、国家の「壊疽」になろうとする主張です。この主張を新川さんは、「あたかも壊疽のように、〈国家としての日本〉を内側から腐蝕し」とも、「国家としての日本に対する決定的な「()としての沖縄の(、、、、、、、)存在を思想化(、、、、、、)する」とも表現しています。同化の対極に立とうとする思想というべく、ここに至って反復帰論は、「反国家としての兇区」として完結します。

/『沖縄の戦後思想を考える』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

〈いっちゃん、また関東大震災のような大きな地震が起こったら、朝鮮人は虐殺されるかしら。一円五十銭、十円五十銭と言わされて竹槍で突つかれるかしら。でも今度はそんなこと起こらないと思うの、あの頃とは世の中の事情が違っているもの。それにほとんどが日本人と全く同じように発音できるもの。ね、いっちゃん、それでも殺されることになったら、私を恋人だってしっかり抱きしめて、私と、私と一緒にいてくれる?いえ、今度は絶対に虐殺なんてされません。でもそれでは困る、私を殺してくれなくちゃあ。私は逃げ惑うの、その後ろを狂った日本人が竹槍や日本刀を持って追いかけてくるわ、私は逃げきれなくて、背中をぐさっと刺されて、胸も刺されて血だらけになってのたうち廻るの。いっちゃん、あれは痛いのね、とっても――この間いっちゃんが研いだ包丁を掴んでみた。そしたら身体がびりびりとしびれて興奮してきて、まるでセックスをしている時のような気持ちになったわ。私、自分が何故お料理が嫌いなのか解ったような気がした。恐いのよ、あのびりびりした感じがたまらなかったのよ。それでね、その包丁で胸のところと手首を切りつけてみたの。痛かった。それに血が、本当にわっと出てくるんだもの。ぐさりとやってみたかったけれど、もっと血が出るのかと思うと恐くなって――今度は金槌で脚を叩いてみたわ、そしたらやっぱり痛かった。ねえ、いっちゃん、私は虐殺されるかしら、ねえ、どうなるの、もしも殺されなかったら、私は日本人なわけ?でもどうしよう、あれは痛いものね、血がいっぱい出るんだものね〉

/李良枝「かずきめ」『由煕 ナビ・タリョン』

思念・雑感引用歴史・時代/〃もの

2025年9月23日 この範囲を時系列順で読む

父権的な言説と植民地主義的な言説を融合させた日本の植民者たちは、朝鮮は野蛮な闇の奥にすぎないと宣言することにより、自らの朝鮮征服を正当化した。まるで、男が女の身体は彼によって満たされなければいけない空無であり、男の種が撒き散らされねばならない空虚な空間である、と想定するように。チャのテクストにおいて大地は撒布された種を受け取り、それらと交わることにより新たな命を生み出す。したがって、空無は「充満」し(161)、「蓄積」のない成長、「獲得することのない豊富、充満」が可能になるのである(157)。「血のしみはこぼれ落ちた血を吸収」することができる(65)。

/「中間地点で宙吊りにされて」『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』
※『ディクテ』について

引用

2025年9月20日 この範囲を時系列順で読む

「集団自決」と呼ばれる日本軍強制による沖縄住民の死に、皇民化の極限的暴力の発現を見出し、その出来事の基底に、「敵の捕虜になって辱めをうけるくらいなら家族の手にかかって殺されたほうが良い」という純潔(純血)主義的なジェンダー的強迫が働いていたことを明らかにするこの書が告するのは、現在の私たちの身体をも貫くレイプ暴力と皇民化とが組織化するジェンダー政治力学そのものであると言えるだろう。この問いかけにおいて、宮城の書は、沖縄という特殊性に閉じられることのない遍在性において、現在の私たちがまた「集団自決」を反復しそして性的支配の暴力に絡め取られていくかもしれぬ危機をこそ逆照射しているのである。求められているのは、「集団自決」という出来事のなかに今に繋がる国民国家主義の暴力の作動を感知していくことであり、同時に、そうした暴力に、性的支配という欲望が分離されることなく寄り添っていることを認識していくことであるに違いない。

/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』

たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。

/『(同)』

感想引用

沖縄の「集団自決」について いわゆる「暴力的な描写」と呼ぶべきもの なので隠します

●F-家族壕。姻戚三家族一九人と死に場所を探しに来た母子二人。
「他人」である母子二人を除き農薬の猫いらず(殺鼠剤)を飲む。三十六歳の男性は、いやがる子どもたちに黒糖をまぜて強引に飲ませるが、のたうち回る子どもを見るにみかねて、壕の前の小屋に火をつけて中に放り入れ、また幼い子は腕をつかまえて防空壕の土壁にたたきつける。男性は苦しむ両親、妻を棍棒でたたいて死なせたあと、自分も猫いらずを飲むが致死量には至らず、一人だけ生き残る。実家と行動を共にした幼子三人を連れた女性は、飲んだ猫いらずで自らも苦しみながら、生後二か月の子を乳房で窒息死させ、死にたくないと泣いて逃げ回る男児は叔父が鎌で首を切りつけて死なせる。彼女の父親は忠魂陣に向かう人たちに「みんな自分の壕に帰って、各自で玉砕しなさい。ご飯を腹いっぱい食べて、きれいな着物を着てやりなさい」と泣きながら話していたという証言がある[宮城(2008)p.120]。この家族は全員死亡。

/宮城晴美「2 座間味島の「集団自決」」『友軍とガマ 沖縄戦の記録 沖縄・問いを立てる4』98p

※[宮城(2008)p.120]=宮城晴美『新版・母の遺したもの――沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』高文研、2008年。畳む

感想引用歴史・時代/〃もの

2025年9月16日 この範囲を時系列順で読む

沖縄の勉強を始めたころ、沖縄戦後史研究を先頭を切って切り拓いておられた大田昌秀さんのもとへ、教えを受けに伺ったことがあります。そのとき大田さんから、カンプーのクェヌクサーという言葉を知っているか、と尋ねられました。わたくしは知らなかった。それにたいし大田さんがカンプーというのは艦砲射撃で、クェヌクサーというのは食い残しだ、生き残った沖縄人はそれなのだ、と強い口調でおっしゃったことを思い起こします。

/『沖縄の戦後思想を考える』

引用歴史・時代/〃もの

2025年9月12日 この範囲を時系列順で読む

武藏を初めとする戦時下の艦艇建造

商船を特設空母に改装する一方、制式空母、月型対空駆逐艦の工事が行なわれ、第二船台上では昭和13(1938)年に起工した戦艦武蔵の突貫工事が進められた。無条約時代突入に当り昭和12(1937)年に計画された建艦計画は80655万円の予算をもって戦艦2隻を含む艦艇70隻の建造を行なうものであった。武藏はその計画の根幹をなすもので、起工より4年半にわたって極秘裡に工事が進められ、昭和17(1942)年、戦雲ただならざるなかに、基準排水量65000噸18吋砲3連装砲塔3基を擁する巨艦の引渡は完了した。武藏の進水は重量の点で“QUEEN MARY"に次ぐのだが、実質的には進水の世界記録であった。第1号艦大和は呉工廠の造船ドックで建造された。これら超弩級戦艦の巨砲口径は戦争の全期間を通じてアメリカ海軍にとってまったくの謎であり、その後に建造されたアメリカ戦艦が16時砲であったことから、16吋と想像されていたという。武蔵の竣工は大艦巨砲時代の最後の精華であり、また海軍艦艇建造史の終末を飾るものであった。その後、艦型はしだいに小さくなり、昭和18~20(1943~45)年には海防艦、さらに戦局の推移に伴い特殊潜航艇、小型魚雷艇などの特攻兵器製作に最後の活路を見いだそうと努めた。さらに空襲は激化し、当所の作業はほとんど中止同様の状態になっていった。

/『創業百年の長崎造船所』
#「渺渺録」(企業擬人化)


"特攻兵器製作に最後の活路を見いだそうと努めた"…………

引用企業・組織/〃擬人化

2025年9月10日 この範囲を時系列順で読む

引用

2025年8月31日 この範囲を時系列順で読む

そして、こうやって記憶の中の風景を再生産していくことは、戦争を二度と起こさぬための予防措置として長らく人々に信じられてきたが、それが何度も繰り返されるうちに、しばしなぜそのような風景がもたらされたかということについては、単純な回答しか用意されなくなったのが現状だろう。

[…]

オーラルヒストリーの有用性を認めたところで、個人間における偏差は埋めようもないほどに大きいもので、しかも振り返ることによって物語化され整合化された記憶ほど当てにならないものもない。そしてまた、ここでこうやって「戦争を語ること」自体が、再び戦争を物語化してしまうような制度を再生産してしまうことも覚悟しなくてはならない。

/『洋服と日本人』

引用

2025年8月27日 この範囲を時系列順で読む

第一次大戦へのアメリカ参戦によって決定的に「再臨信仰」に傾いていた内村鑑三などは、震災に「古いバビロンの崩壊」をみていたが、やがてはじまる「帝都復興」はより一層醜怪な「新しいバビロン」にほかならないと喝破している。日露戦争以後、とくに第一次大戦中の「対華二十一ヶ条要求」などによって帝国主義への歩みを大きく踏み出していた日本ではあるが、大正時代は何といっても大正デモクラシーもあり、それなりに明るい空気も流れていた時代だった。日本が太平洋戦争に至る「暗い谷間の時代」に入り込んでいくのはほぼ大震災を境としてであり、かりに日露戦争以後太平洋戦争の敗戦までの四〇年間をふたつに時期区分する時点を求めるとすれば、その中間にあるこの年(一九二三年)であると考えてよいのではあるまいか。

/『繭と生糸の近代史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年8月25日 この範囲を時系列順で読む

本書はつながりを取り戻すことにかんする本である。すなわち、公的世界と私的世界と、個人と社会と、男性と女性とのつながりを取り戻す本である。本書は共同世界にかんする本である。本書は、レイプ後生存者と戦闘参加帰還兵との、被殴打女性と政治犯と、多数の民族を支配した暴君が生み出した強制収容所の生存者と自己の家庭を支配する暴君が生み出す隠れた小強制収容所の生存者との共通点についての本である。

/『心的外傷と回復 増補版』

引用

2025年8月24日 この範囲を時系列順で読む

そこに二、三日いる間に、避難民が十人余り雪崩れ込んできたことがありましたね。そこは兵隊の陣地壕ですから、民間人は入れなかったんですよ。それでも、あんまり艦砲が烈しいので、一寸の間だけ入れて下さい、と泣き込んで入ってきたんです。その人たちの中に、子持ちの女の人がいました。その女の人の二歳ぐらいになる男の子供が、あんまり泣き喚くもんだから、兵隊がひどく怒って、叱りつけたんですよ。子供を泣かすなって。それでも子供は泣きやまない。そしたらね、そのお母さんは、子供をつれて出て行ったんですけどね。しばらくしたらそのお母さん一人だけで帰ってきたんですよ。子供をどうしたのか、判りませんけどね。おそらく、子供を捨ててきたと思うんですけどね、そのお母さんも何も言わないし、誰も子供のことを訊こうともしませんでした。

/「旧首里市」『沖縄県史 第9巻(各論編 8 沖縄戦記録 1)』大城志津子氏の証言
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用歴史・時代/〃もの

2025年8月18日 この範囲を時系列順で読む

会社が出けるときけば喜うで、そりゃあよかこつ。会社が出くれば、ここらあたりもみやこになるにちがいなか。会社も地も持たんじゃったばかりに、天草あたりは、昔は唐天竺までも出かけて、生まれた村にも、もどりつけずに、そこで死んで。会社さえ出けとれば、わが一代には字の一字も見えんとでござすけん、ああいう所にゃはいりゃあならんが、会社の太うなるにつれて世の中ひらけて、子の時代には学校にゆくごとになって、あるいは孫の時代にゃ、会社ゆきが、わしの子孫からも出てこんともかぎらん。わしどもは、畠も田んぼも持たんとでござすけん、あるいは子孫の代にゃ会社の世話になるかもしれん。そのように思うとりやしたばい。

/「海石」 『苦海浄土』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

2025年8月16日 この範囲を時系列順で読む

「軍事大国」の経済的基礎は、軍艦や大砲や帝国議会の動きやらにではなく、指先の技巧で生糸を繰っている少女たちの姿においてこそ現実的(リアル)に把握されるといわなければならないのである。

/「概観 日本人と生糸」『繭と生糸の近代史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

変革主体の形成を問うと言いながら、その時代を生きた人々に「ないものねだり」をする愚かさについては、言う迄もあるまい。けれども、 「資金調達」や「市場」等々について緻密な研究が積み重さねられていっても、それが養蚕家製糸工女・製糸家その他まさに「生きた人間諸個人」を後景に退けた、いわば「おくれた日本資本主義」の再確認(、、、)に帰結するのであれば、それは少なくとも私にとっては何の意味もないのである。 歴史を対象とする研究が「歴史としての現代」 に対する責務から解放されてはならないと考える限り、つまりは我々の未来を展望することにいささかなりとかかわりを保とうとする限り、むしろ「おくれた日本資本主義」のなかで、人々が(、、、)どの様に生き何を形成して来たのか、何を考え、あるいは考えることができなかったのか、そしてそこから人々(、、)が単なる「人々」ではない主体(、、)として自らを形成する道はどの様に展望されたのか、を問うことにこそ《意味》があるのではあるまいか。
 とはいえ、学問研究たらんとする以上、心情主義的に性急に 《意味》を追求するあまり、無意識のうちにも対象化(、、、)を放棄した「情感の海」にひたる様なことは、厳しく拒絶されなければならない。「人々がどう生きたか」を考えるにしても、課題はあくまでも「まさに構造論と結合した民衆史の形成でなければならない」(石井寛治 「産業革命論」同氏ほか編『近代日本経済史を学ぶ(上)』、一九七七年、八六頁)であろう。私が《意味》 を求めようとした問題を力法(、、)として展開しようとしたのが本書の序章第一節であり、以下の諸章はそれなりにその方法をふまえているつもりであるが、それが問題=方法として一貫(、、)しているか、ましてや成功(、、)しているか否かについては、読者の判断にまつほかない。ここでは、先学諸氏の精緻な研究に比べての実証面での粗雑さをある程度意識しながらも、敢えてこうした形で本書を世に問おうとしたわけを述べておきたかった。もっともこの様な言いぐさは、「ひらき直り」ではあっても「申しひらき」になり得ないことは、私としても充分承知しているつもりである。理論的・実証的に、あらゆる角度からの厳しい批判の寄せられることを覚悟し、かつ期待している。

/瀧澤秀樹「はしがき」『日本資本主義と蚕糸業』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年8月11日 この範囲を時系列順で読む

雁さんはこの宣言を書くかたわら、たきぎを割ったり私の子供をねかしつけたりしながら「君は日本を知らんからそんなくだらんことをいうけど、例えば阿蘇では……」と話した。また、かまどをめずらしがる私の前にかがんで、もはや私は忘れてしまったけれど、なんでも「はじめパタパタなかポッポ云々」といって米をたいた。私は、何はともあれなじまねばならない、この日本に……と燃える火をみつめた。民衆のこの火が朝鮮半島を焼いたことを考えながら。

/「『サークル村』創刊宣言」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

 結局、若者たちを特攻という運命に赴かせてしまったものは、彼らの美的価値の希求、つまり彼らのロマン主義と理想主義であったのではなかろうか。彼らは読書を通じて自分たちの世界観と美的価値を作り上げた。もし政府が、軍国主義国家の政治的ナショナリズムをあからさまに正面切って提示していれば、若者たちはこれに反抗することができたであろう。しかし、西洋の高尚な知的伝統という「包装紙」に包み込まれて提示されたので、若者たちは軍国主義政府やインテリ指導者の手になる政治的ナショナリズムを暴くことができなかったのである。

/「序章」『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義 上』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

死ぬわけにはいかんから、と、生きている私に、生前の弟が、女だからよかったね、といった。やっぱり私を見ぬいていて、近代日本の百年の歴史でもみくちゃになって、自分の正体さえ見えなくなった私が、歴史的存在の枠の中に入りようのない部分によりかかってその日その日を生きているのを、彼はそういったのだった。

/「先例のない娘の正体」『森崎和江コレクション 精神史の旅 1産土』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年8月10日 この範囲を時系列順で読む

「八幡は地理的に恵まれておった。今の八幡の発達は、製鉄所が洞海湾内にあってあの膨大な埋立てができたということが一大素因になっておるのではないかと思っております」
『八幡製鉄所五十年誌』の座談会で、元日鉄本社の建設局長はこう発言している。工場用地が必要となったとき、目の前の海を埋め立てれば、たちどころに好きなだけの土地が手にはいるのだった。建設当初は、洞海湾を埋め立ててはいけない、との鉄則があったとのことだが、汚染がすすむにつれて咎めるものはいなくなった。「鉄は国家」だからである。それに製鉄所では、大量に発生する鉱滓の捨て場に困るようになっていた。廃棄物を海へ捨てれば土地ができる。一石二鳥である。鍼滓にどれほど有害物質がふくまれていたにしても、軍事的要請がすべてに優先した。八幡ばかりでなく。釜石でもおなじことが行なわれるようになった。農地が買収されて工場となり、拡張されたエ場が海を覆う過程は、そのまま農民と漁民が生活の場から追いたてられる歴史だった。

/「ある漁師の記憶」第二章 鉄の流れ 第二部 死に絶えた風景 『鎌田慧セレクション 現代の記録 鋼鉄産業の闇』p209
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

2025年8月8日 この範囲を時系列順で読む

神ノ池に一つだけ残る掩体壕の中に桜花のレプリカがある。車輪のついた台の上に機体が乗っているのを、桜花の車輪だと思い込んでいた。桜花は着陸しない。従って車輪は必要ない。それに気づいた時、心が震えた。

/『戦争廃墟』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年8月2日 この範囲を時系列順で読む

きみは茶色の袋を開けて、従兄がゲームと一緒にこっそり忍ばせてあった大麻を投げ捨てるわけだけど、従兄は新しいハッパ友達が欲しいらしく、まっ先にきみに目をつけていて、どうせきみは他にやることもないだろうし、他の兄弟ほど信心深くもないんだから、きっと肉体の呪縛から解き放たれたくてウズウズしているはずだ、と彼は勝手に思っているのであって、それに……ってちょっと待てよ、ゲームのアフガニスタンのマップが、バカみたいにきれいじゃないか。

/『きみはメタルギアソリッドV:ファントムペインをプレイする』

感想引用

2025年7月29日 この範囲を時系列順で読む

 戦争によって故郷へと追いかえされた、と思っているからゆきさんである。兄あるいは弟を「男にしてやりたい」と出稼ぎに行き、幾度かに及ぶ送金で、わずかな田畠であれともかくも自活し、日本土民ふうに根づいているものと思って、その故郷へ帰っている。が、日本の近代化はこの土民志向型のくらしを後進性として位置づけて、帝国主義的国家を確立してきたのである。帰ってみれば日本土民は土民たることに自信を持てなくなっていた。「帰ってこんがましじゃった……」との怒りと悲しみの青音のなかには、実に多面な、思想のカオスのごとき体験がつまっている。アジアへの心のひろがりと国家的侵略。アジア諸民族との接触と戦争。その接触の性のすがた……
[…]
 さて、からゆきさんはその苦界を民間外交などとも言って、事実、まことに深部をえぐる外交を心に感じとってきた。それは近親者などへ少なからぬ影響を及ぼしていることを聞き歩きの折々に感じさせられる。が、その体験さえ、侵略戦争とさまざまな形でつながっている。日本が植民地とした朝鮮へ売られ、売られつつなお「日の丸」であったからゆきさんの話をうかがったりもしたけれど、からゆきさんすら一椀のめしを現地の民衆とうばいあう関係のなかにいたのである。
 海外にうりとばされ、売春を強要され、身をもちくずして彼の地で果てた少女たちの、その苛酷な生涯に対して、なおそのように言わねばならないところに、庶民の生存と国家の意図との宿敵のような関係がある。それは庶民のナショナリズムそしてインターナショナリズムと、国家のそれとのくっきりとしたちがいが、下層民衆のアジア体験の場に浮き出るからである。
 売られることもなく、売春の味も知らずに齢を重ねてしまう私が、からゆきさんと出会うことができる唯一の小道は、彼女らが海の外でアジア諸民族と肌をあわせつつ育てあげた特有な心象世界を、日本への鋭い内部批判として受けとることにある。そしてそれを、彼女らもまたすべての日本民衆と同じように他民族の一椀のめしを叩き落とす存在ともなっていた地点を、見のがしてやるような不遜な立場をつくり出すことなく行うことができるか否か、にある。

/「からゆきさんが抱いた世界」『精神史への旅 3海峡 森崎和江コレクション』



 からゆきさんが海をこえだしたころ、九州を中心にして、別の一群がやはり国をではじめていた。志士と自称した人びとである。かれら志士は「諭書」によらずとも、天子サマを君主に奉ずることを生きがいにするナショナリストであった。かれらを大陸浪人とよんだ人もいた。臣としてつかえたい天皇を新政権にひとりじめされて、こころざしをえぬところの、西南の役の敗者たちだった。かれらは波々の身でアジアの現状をしらべて、新君主につくそうとしていた。その意図は純粋で、一般に支配権力に対して野心をもっているわけではなかった。かれらは、政府の政策は、日本をとりまく情況を正しくみていない、西欧に追従していて、国を危機におちいらせるおそれがある、と考えていた。
[…]
 次元をまるで異にするこれらふたつのからゆきが、それでも、ふと相まみえたときがあった。海を越えた志士たちは、からゆきさんが働く楼を足がかりにしたのである。
「すすんで志士の世話をし」たと『東亜先覚志士記伝』にある。からゆきさんをかれらは娘子軍とよんだ。
  「娘子軍は九州方面の出身の者が多かったが、氷雪肌を劈く西価の購野の奥まで進むに当っても、純然たる日本の服装をなし、僅に一枚のショールを纏うて寒さを凌ぎつつ突進するのが常であった」(『東亜先志士記伝』)

/「天草灘」『精神史への旅 3海峡 森崎和江コレクション』

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年7月25日 この範囲を時系列順で読む

第二に、功罪半ばする近代化の”罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに”挟まれ”、”巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは換言すれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。

/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用企業・組織/〃擬人化

2025年7月21日 この範囲を時系列順で読む

そしてその際、言葉や論理だけだとどうしても埋まらない部分があって、最後は感情や感覚の部分で共有できるところを探っていくことも重要になってくると思います。地球は平らだと思っているひとは自分とは世界がまったく異なって見えているかのように感じられるけれど、実は釣りが好きかもしれないし、お笑いが好きかもしれない……というふうにどこか共通点もあるはずですよね。異なるポイントだけにフォーカスして、そこをいくら論理で訂正してもあまり埒が明かないというか。それよりも何か人間としての、あるいは市民としての共通の感覚のようなものを通してギリギリ社会の分断を防いでいくことが重要なのではないでしょうか。


/『現代思想 2021年5月号 特集「陰謀論」の時代』「現代アメリカ社会における〈陰謀〉のイマジネーション」

感想引用

2025年7月17日 この範囲を時系列順で読む

が、「帰ってこんがましじゃった。戦争がはじまらんなら、帰りはせんじゃった」とつぶやかれ、その言葉がけっして自由とはいいかねる売春生活の場から吐かれたことに、私は応答のしようのない心境に追われたのである。

/「からゆきさんが抱いた世界」『森崎和江コレクション3』

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年7月15日 この範囲を時系列順で読む

ところで、最近、二、三体験したことだが、これらの論者が想定したであろう人たち、厳密に追及していけばその対象に含まれるだろうと思われる人たちが、これらの論文にふれていながら、自分も追及の対象とは感じていない。あるいは自分は免罪されていると信じている、そういう事実のあることがわかった。それは、まさに一種の鈍感さとでも言うべきものであろうが、そのことは逆に、多くの論が、責任追及の掛け声だけに終わり、なんらの具体的な見通しを持たないことにも、原因があるかも知れない、と思ったことである。

/「「戦争責任の追及」ということ」『「沖縄」に生きる思想』

感想引用

2025年7月13日 この範囲を時系列順で読む

 この人の感情を害することなしに、わたしの知っているわずかなフランス語の単語でもって、あなたの美しいお国はわたしたち亡命者にとっては砂漠でしかないのだと、いったいどうすれば説明できるのか。この砂漠を歩き切って、わたしたちは「統合」とか「同化」とか呼ばれるところまで到達しなければならないのだ。当時、わたしはまだ、幾人もの仲間が永久にそこまで到達できぬことになろうとは知らなかった。
 仲間のうちの二人が、禁固刑が待っているというのに、ハンガリーへ戻っていった。別の二人は、これは若い男で独身だったが、もっと遠くへ、米国へ、カナダへ行ってしまった。また別の四人は、それよりもさらに遠くへ、人が行けるかぎりの遠い場所へ、大いなる境界線の向こう側へ行ってしまった。わたしの知り合いだったその四人は、亡命生活の最初の二年のうちに、みずから死を選んだのだ。一人はバルビツール酸系の睡眠薬で、一人はガスで、他の二人はロープで首を吊って死んだ。最年少の女性は十八歳だった。彼女の名前はジゼルだった。

/アゴタ・クリストフ『文盲』

#「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)

感想引用

2025年7月11日 この範囲を時系列順で読む

沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。

/「感受性の変容」『情念の力学』

感想引用

2025年7月8日 この範囲を時系列順で読む

ひとつ下にある下部船倉に海水が奔流して来た。そこにいた多数の兵が絶叫をあげながら、水に飲まれていく。 「それは、声というより、まるでブタが絞め殺される時のような悲鳴でした。それが、何度も、何回も続いたんです」「あの精強をうたわれた将兵が、そんなふうに命を奪われていく。たまりませんでした」

/『撃沈された船員たちの記録』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用艦船/〃擬人化

建築家の一つの舞台である「艤装」という分野は、既に大型船舶建造の時代が過去のものになっていたので、その方面の仕事もなかったのであろう。固よりそういったワシントン軍縮条約規定に抵触しないという条件での外国航路用大型船舶は軍服に着換えさせることを前提としていたからである。建築家に揮わせた艤装の芸術は軍縮を睨んだ上での、あくまでも貨客船であることを強調する為の擬態であったと考えられるが、艤装を担当する者は、そのような擬態をものともせずに大いに腕を揮ったのであろう。この事は軍服に着換えさせられる以前の、我々が目にする関係図面やカラースキーム類から自ずと判る。

/『村野藤吾建築設計図展カタログ6』

#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

2025年7月4日 この範囲を時系列順で読む

造船、海運、石炭を手に入れた岩崎は、長崎造船所で建造した船を日本郵船で使い、高島石炭を燃料とし、神戸上海にも輸出して巨大な利益をあげ、三菱財閥を築いたのである。

/『図説日本の歴史 42 長崎県の歴史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年7月1日 この範囲を時系列順で読む

ある人たちは年齢を重ねることを知らない。ある者は歳をとらない。時が止まるのだ。時はある者たちのために止まるだろう。とりわけ彼らにとっては。永遠の時。全く歳をとらない。時はある者たちにとっては凝固する。自らを再生産し、増殖することによって魂から分離された囚われの像とは違って、彼らの像、彼らの記憶は腐食しない。彼らの相貌が喚起するのは、後光を帯びた美しさでも四季折々の自然の盛衰の美しさでもない。喚起するのは不可避的なものではなく、死ではなく、死に-つつあるということ、なのだ。

[…]

記憶がすべて。失われたものに直面してわきおこる切望。その欠落を維持する。直線的な進歩の記号としてではなく、月の満ち欠けのようにくり返し盛衰する不確定なものの間に固定されて。それ以外はすべて歳を取る、時のなかで。ただし。ある者たちは時の外部に。

/「クリオ 歴史」『ディクテ 韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール』

感想引用

2025年6月29日 この範囲を時系列順で読む

『ディクテ』と題された多言語テクストは、人間の身体から発せられた言葉を忠実に書きとるというより、言葉が人間の咽候、その口元からこぼれでる瞬間を現在形で再現する多面的な言語実験からなっている。そこでは教室や教会で同語反復や追唱を命じる教師や司祭の声が遠くで鳴り響いているし、言葉を国民に授け、植えつけ、結果的にその言葉を国民の総意にまで増幅させてみせる植民地官僚や独裁者(dictator)の声もまた「あてこする」かのように匂わされている。植民地統治下であろうが亡命・移住地でマイノリティ身分にあろうが、人は判じ物の言語をしか行使できず、話すべき言葉はなかなか咽喉から外へは吐き出されていかない。ほとんど発話以前のノイズとしてしか了解されない気怯れ。『ディクテ』が密着を試みているのは、このような「へどもど」する女たちの身体性にほかならない。

/『外地巡礼』

感想引用

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