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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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カテゴリ「引用」に属する投稿61件]

2025年9月12日 この範囲を時系列順で読む

武藏を初めとする戦時下の艦艇建造

商船を特設空母に改装する一方、制式空母、月型対空駆逐艦の工事が行なわれ、第二船台上では昭和13(1938)年に起工した戦艦武蔵の突貫工事が進められた。無条約時代突入に当り昭和12(1937)年に計画された建艦計画は80655万円の予算をもって戦艦2隻を含む艦艇70隻の建造を行なうものであった。武藏はその計画の根幹をなすもので、起工より4年半にわたって極秘裡に工事が進められ、昭和17(1942)年、戦雲ただならざるなかに、基準排水量65000噸18吋砲3連装砲塔3基を擁する巨艦の引渡は完了した。武藏の進水は重量の点で“QUEEN MARY"に次ぐのだが、実質的には進水の世界記録であった。第1号艦大和は呉工廠の造船ドックで建造された。これら超弩級戦艦の巨砲口径は戦争の全期間を通じてアメリカ海軍にとってまったくの謎であり、その後に建造されたアメリカ戦艦が16時砲であったことから、16吋と想像されていたという。武蔵の竣工は大艦巨砲時代の最後の精華であり、また海軍艦艇建造史の終末を飾るものであった。その後、艦型はしだいに小さくなり、昭和18~20(1943~45)年には海防艦、さらに戦局の推移に伴い特殊潜航艇、小型魚雷艇などの特攻兵器製作に最後の活路を見いだそうと努めた。さらに空襲は激化し、当所の作業はほとんど中止同様の状態になっていった。

/『創業百年の長崎造船所』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

2025年9月10日 この範囲を時系列順で読む

引用

2025年8月31日 この範囲を時系列順で読む

そして、こうやって記憶の中の風景を再生産していくことは、戦争を二度と起こさぬための予防措置として長らく人々に信じられてきたが、それが何度も繰り返されるうちに、しばしなぜそのような風景がもたらされたかということについては、単純な回答しか用意されなくなったのが現状だろう。

[…]

オーラルヒストリーの有用性を認めたところで、個人間における偏差は埋めようもないほどに大きいもので、しかも振り返ることによって物語化され整合化された記憶ほど当てにならないものもない。そしてまた、ここでこうやって「戦争を語ること」自体が、再び戦争を物語化してしまうような制度を再生産してしまうことも覚悟しなくてはならない。

/『洋服と日本人』

引用

2025年8月27日 この範囲を時系列順で読む

第一次大戦へのアメリカ参戦によって決定的に「再臨信仰」に傾いていた内村鑑三などは、震災に「古いバビロンの崩壊」をみていたが、やがてはじまる「帝都復興」はより一層醜怪な「新しいバビロン」にほかならないと喝破している。日露戦争以後、とくに第一次大戦中の「対華二十一ヶ条要求」などによって帝国主義への歩みを大きく踏み出していた日本ではあるが、大正時代は何といっても大正デモクラシーもあり、それなりに明るい空気も流れていた時代だった。日本が太平洋戦争に至る「暗い谷間の時代」に入り込んでいくのはほぼ大震災を境としてであり、かりに日露戦争以後太平洋戦争の敗戦までの四〇年間をふたつに時期区分する時点を求めるとすれば、その中間にあるこの年(一九二三年)であると考えてよいのではあるまいか。

/『繭と生糸の近代史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年8月25日 この範囲を時系列順で読む

本書はつながりを取り戻すことにかんする本である。すなわち、公的世界と私的世界と、個人と社会と、男性と女性とのつながりを取り戻す本である。本書は共同世界にかんする本である。本書は、レイプ後生存者と戦闘参加帰還兵との、被殴打女性と政治犯と、多数の民族を支配した暴君が生み出した強制収容所の生存者と自己の家庭を支配する暴君が生み出す隠れた小強制収容所の生存者との共通点についての本である。

/『心的外傷と回復 増補版』

引用

2025年8月24日 この範囲を時系列順で読む

そこに二、三日いる間に、避難民が十人余り雪崩れ込んできたことがありましたね。そこは兵隊の陣地壕ですから、民間人は入れなかったんですよ。それでも、あんまり艦砲が烈しいので、一寸の間だけ入れて下さい、と泣き込んで入ってきたんです。その人たちの中に、子持ちの女の人がいました。その女の人の二歳ぐらいになる男の子供が、あんまり泣き喚くもんだから、兵隊がひどく怒って、叱りつけたんですよ。子供を泣かすなって。それでも子供は泣きやまない。そしたらね、そのお母さんは、子供をつれて出て行ったんですけどね。しばらくしたらそのお母さん一人だけで帰ってきたんですよ。子供をどうしたのか、判りませんけどね。おそらく、子供を捨ててきたと思うんですけどね、そのお母さんも何も言わないし、誰も子供のことを訊こうともしませんでした。

/「旧首里市」『沖縄県史 第9巻(各論編 8 沖縄戦記録 1)』大城志津子氏の証言
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用歴史・時代/〃もの

2025年8月18日 この範囲を時系列順で読む

会社が出けるときけば喜うで、そりゃあよかこつ。会社が出くれば、ここらあたりもみやこになるにちがいなか。会社も地も持たんじゃったばかりに、天草あたりは、昔は唐天竺までも出かけて、生まれた村にも、もどりつけずに、そこで死んで。会社さえ出けとれば、わが一代には字の一字も見えんとでござすけん、ああいう所にゃはいりゃあならんが、会社の太うなるにつれて世の中ひらけて、子の時代には学校にゆくごとになって、あるいは孫の時代にゃ、会社ゆきが、わしの子孫からも出てこんともかぎらん。わしどもは、畠も田んぼも持たんとでござすけん、あるいは子孫の代にゃ会社の世話になるかもしれん。そのように思うとりやしたばい。

/「海石」 『苦海浄土』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

2025年8月16日 この範囲を時系列順で読む

「軍事大国」の経済的基礎は、軍艦や大砲や帝国議会の動きやらにではなく、指先の技巧で生糸を繰っている少女たちの姿においてこそ現実的(リアル)に把握されるといわなければならないのである。

/「概観 日本人と生糸」『繭と生糸の近代史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

変革主体の形成を問うと言いながら、その時代を生きた人々に「ないものねだり」をする愚かさについては、言う迄もあるまい。けれども、 「資金調達」や「市場」等々について緻密な研究が積み重さねられていっても、それが養蚕家製糸工女・製糸家その他まさに「生きた人間諸個人」を後景に退けた、いわば「おくれた日本資本主義」の再確認(、、、)に帰結するのであれば、それは少なくとも私にとっては何の意味もないのである。 歴史を対象とする研究が「歴史としての現代」 に対する責務から解放されてはならないと考える限り、つまりは我々の未来を展望することにいささかなりとかかわりを保とうとする限り、むしろ「おくれた日本資本主義」のなかで、人々が(、、、)どの様に生き何を形成して来たのか、何を考え、あるいは考えることができなかったのか、そしてそこから人々(、、)が単なる「人々」ではない主体(、、)として自らを形成する道はどの様に展望されたのか、を問うことにこそ《意味》があるのではあるまいか。
 とはいえ、学問研究たらんとする以上、心情主義的に性急に 《意味》を追求するあまり、無意識のうちにも対象化(、、、)を放棄した「情感の海」にひたる様なことは、厳しく拒絶されなければならない。「人々がどう生きたか」を考えるにしても、課題はあくまでも「まさに構造論と結合した民衆史の形成でなければならない」(石井寛治 「産業革命論」同氏ほか編『近代日本経済史を学ぶ(上)』、一九七七年、八六頁)であろう。私が《意味》 を求めようとした問題を力法(、、)として展開しようとしたのが本書の序章第一節であり、以下の諸章はそれなりにその方法をふまえているつもりであるが、それが問題=方法として一貫(、、)しているか、ましてや成功(、、)しているか否かについては、読者の判断にまつほかない。ここでは、先学諸氏の精緻な研究に比べての実証面での粗雑さをある程度意識しながらも、敢えてこうした形で本書を世に問おうとしたわけを述べておきたかった。もっともこの様な言いぐさは、「ひらき直り」ではあっても「申しひらき」になり得ないことは、私としても充分承知しているつもりである。理論的・実証的に、あらゆる角度からの厳しい批判の寄せられることを覚悟し、かつ期待している。

/瀧澤秀樹「はしがき」『日本資本主義と蚕糸業』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年8月11日 この範囲を時系列順で読む

雁さんはこの宣言を書くかたわら、たきぎを割ったり私の子供をねかしつけたりしながら「君は日本を知らんからそんなくだらんことをいうけど、例えば阿蘇では……」と話した。また、かまどをめずらしがる私の前にかがんで、もはや私は忘れてしまったけれど、なんでも「はじめパタパタなかポッポ云々」といって米をたいた。私は、何はともあれなじまねばならない、この日本に……と燃える火をみつめた。民衆のこの火が朝鮮半島を焼いたことを考えながら。

/「『サークル村』創刊宣言」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

 結局、若者たちを特攻という運命に赴かせてしまったものは、彼らの美的価値の希求、つまり彼らのロマン主義と理想主義であったのではなかろうか。彼らは読書を通じて自分たちの世界観と美的価値を作り上げた。もし政府が、軍国主義国家の政治的ナショナリズムをあからさまに正面切って提示していれば、若者たちはこれに反抗することができたであろう。しかし、西洋の高尚な知的伝統という「包装紙」に包み込まれて提示されたので、若者たちは軍国主義政府やインテリ指導者の手になる政治的ナショナリズムを暴くことができなかったのである。

/「序章」『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義 上』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

死ぬわけにはいかんから、と、生きている私に、生前の弟が、女だからよかったね、といった。やっぱり私を見ぬいていて、近代日本の百年の歴史でもみくちゃになって、自分の正体さえ見えなくなった私が、歴史的存在の枠の中に入りようのない部分によりかかってその日その日を生きているのを、彼はそういったのだった。

/「先例のない娘の正体」『森崎和江コレクション 精神史の旅 1産土』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年8月10日 この範囲を時系列順で読む

「八幡は地理的に恵まれておった。今の八幡の発達は、製鉄所が洞海湾内にあってあの膨大な埋立てができたということが一大素因になっておるのではないかと思っております」
『八幡製鉄所五十年誌』の座談会で、元日鉄本社の建設局長はこう発言している。工場用地が必要となったとき、目の前の海を埋め立てれば、たちどころに好きなだけの土地が手にはいるのだった。建設当初は、洞海湾を埋め立ててはいけない、との鉄則があったとのことだが、汚染がすすむにつれて咎めるものはいなくなった。「鉄は国家」だからである。それに製鉄所では、大量に発生する鉱滓の捨て場に困るようになっていた。廃棄物を海へ捨てれば土地ができる。一石二鳥である。鍼滓にどれほど有害物質がふくまれていたにしても、軍事的要請がすべてに優先した。八幡ばかりでなく。釜石でもおなじことが行なわれるようになった。農地が買収されて工場となり、拡張されたエ場が海を覆う過程は、そのまま農民と漁民が生活の場から追いたてられる歴史だった。

/「ある漁師の記憶」第二章 鉄の流れ 第二部 死に絶えた風景 『鎌田慧セレクション 現代の記録 鋼鉄産業の闇』p209
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化

2025年8月8日 この範囲を時系列順で読む

神ノ池に一つだけ残る掩体壕の中に桜花のレプリカがある。車輪のついた台の上に機体が乗っているのを、桜花の車輪だと思い込んでいた。桜花は着陸しない。従って車輪は必要ない。それに気づいた時、心が震えた。

/『戦争廃墟』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年8月2日 この範囲を時系列順で読む

きみは茶色の袋を開けて、従兄がゲームと一緒にこっそり忍ばせてあった大麻を投げ捨てるわけだけど、従兄は新しいハッパ友達が欲しいらしく、まっ先にきみに目をつけていて、どうせきみは他にやることもないだろうし、他の兄弟ほど信心深くもないんだから、きっと肉体の呪縛から解き放たれたくてウズウズしているはずだ、と彼は勝手に思っているのであって、それに……ってちょっと待てよ、ゲームのアフガニスタンのマップが、バカみたいにきれいじゃないか。

/『きみはメタルギアソリッドV:ファントムペインをプレイする』

感想引用

2025年7月29日 この範囲を時系列順で読む

 戦争によって故郷へと追いかえされた、と思っているからゆきさんである。兄あるいは弟を「男にしてやりたい」と出稼ぎに行き、幾度かに及ぶ送金で、わずかな田畠であれともかくも自活し、日本土民ふうに根づいているものと思って、その故郷へ帰っている。が、日本の近代化はこの土民志向型のくらしを後進性として位置づけて、帝国主義的国家を確立してきたのである。帰ってみれば日本土民は土民たることに自信を持てなくなっていた。「帰ってこんがましじゃった……」との怒りと悲しみの青音のなかには、実に多面な、思想のカオスのごとき体験がつまっている。アジアへの心のひろがりと国家的侵略。アジア諸民族との接触と戦争。その接触の性のすがた……
[…]
 さて、からゆきさんはその苦界を民間外交などとも言って、事実、まことに深部をえぐる外交を心に感じとってきた。それは近親者などへ少なからぬ影響を及ぼしていることを聞き歩きの折々に感じさせられる。が、その体験さえ、侵略戦争とさまざまな形でつながっている。日本が植民地とした朝鮮へ売られ、売られつつなお「日の丸」であったからゆきさんの話をうかがったりもしたけれど、からゆきさんすら一椀のめしを現地の民衆とうばいあう関係のなかにいたのである。
 海外にうりとばされ、売春を強要され、身をもちくずして彼の地で果てた少女たちの、その苛酷な生涯に対して、なおそのように言わねばならないところに、庶民の生存と国家の意図との宿敵のような関係がある。それは庶民のナショナリズムそしてインターナショナリズムと、国家のそれとのくっきりとしたちがいが、下層民衆のアジア体験の場に浮き出るからである。
 売られることもなく、売春の味も知らずに齢を重ねてしまう私が、からゆきさんと出会うことができる唯一の小道は、彼女らが海の外でアジア諸民族と肌をあわせつつ育てあげた特有な心象世界を、日本への鋭い内部批判として受けとることにある。そしてそれを、彼女らもまたすべての日本民衆と同じように他民族の一椀のめしを叩き落とす存在ともなっていた地点を、見のがしてやるような不遜な立場をつくり出すことなく行うことができるか否か、にある。

/「からゆきさんが抱いた世界」『精神史への旅 3海峡 森崎和江コレクション』



 からゆきさんが海をこえだしたころ、九州を中心にして、別の一群がやはり国をではじめていた。志士と自称した人びとである。かれら志士は「諭書」によらずとも、天子サマを君主に奉ずることを生きがいにするナショナリストであった。かれらを大陸浪人とよんだ人もいた。臣としてつかえたい天皇を新政権にひとりじめされて、こころざしをえぬところの、西南の役の敗者たちだった。かれらは波々の身でアジアの現状をしらべて、新君主につくそうとしていた。その意図は純粋で、一般に支配権力に対して野心をもっているわけではなかった。かれらは、政府の政策は、日本をとりまく情況を正しくみていない、西欧に追従していて、国を危機におちいらせるおそれがある、と考えていた。
[…]
 次元をまるで異にするこれらふたつのからゆきが、それでも、ふと相まみえたときがあった。海を越えた志士たちは、からゆきさんが働く楼を足がかりにしたのである。
「すすんで志士の世話をし」たと『東亜先覚志士記伝』にある。からゆきさんをかれらは娘子軍とよんだ。
  「娘子軍は九州方面の出身の者が多かったが、氷雪肌を劈く西価の購野の奥まで進むに当っても、純然たる日本の服装をなし、僅に一枚のショールを纏うて寒さを凌ぎつつ突進するのが常であった」(『東亜先志士記伝』)

/「天草灘」『精神史への旅 3海峡 森崎和江コレクション』

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用企業・組織/〃擬人化歴史・時代/〃もの

2025年7月25日 この範囲を時系列順で読む

第二に、功罪半ばする近代化の”罪”の部分に光を当てたいと思う。本書の場合、それは繁栄の陰に潜む無数の悲惨な死者と遺族の悲嘆という現実を投射することである。つまり大量生産・大量消費といった時代動向に即応した大規模な機械化が招く多数の労働災害(ことに”挟まれ”、”巻き込まれ”による大量異常死の出現)という悲劇がどのように受け止められていったかを、個々の当事者の立場から問い直すことであり、そこに伝統的な思考がいかに連動していったかを分析の軸とする作業である。これは換言すれば、労働災害の発生が解釈されていく際のメカニズムを、いわば「グラウンド・ゼロ」の地平から検証することである。

/『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用企業・組織/〃擬人化

2025年7月21日 この範囲を時系列順で読む

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感想引用

2025年7月17日 この範囲を時系列順で読む

が、「帰ってこんがましじゃった。戦争がはじまらんなら、帰りはせんじゃった」とつぶやかれ、その言葉がけっして自由とはいいかねる売春生活の場から吐かれたことに、私は応答のしようのない心境に追われたのである。

/「からゆきさんが抱いた世界」『森崎和江コレクション3』

#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年7月15日 この範囲を時系列順で読む

ところで、最近、二、三体験したことだが、これらの論者が想定したであろう人たち、厳密に追及していけばその対象に含まれるだろうと思われる人たちが、これらの論文にふれていながら、自分も追及の対象とは感じていない。あるいは自分は免罪されていると信じている、そういう事実のあることがわかった。それは、まさに一種の鈍感さとでも言うべきものであろうが、そのことは逆に、多くの論が、責任追及の掛け声だけに終わり、なんらの具体的な見通しを持たないことにも、原因があるかも知れない、と思ったことである。

/「「戦争責任の追及」ということ」『「沖縄」に生きる思想』

感想引用

2025年7月13日 この範囲を時系列順で読む

 この人の感情を害することなしに、わたしの知っているわずかなフランス語の単語でもって、あなたの美しいお国はわたしたち亡命者にとっては砂漠でしかないのだと、いったいどうすれば説明できるのか。この砂漠を歩き切って、わたしたちは「統合」とか「同化」とか呼ばれるところまで到達しなければならないのだ。当時、わたしはまだ、幾人もの仲間が永久にそこまで到達できぬことになろうとは知らなかった。
 仲間のうちの二人が、禁固刑が待っているというのに、ハンガリーへ戻っていった。別の二人は、これは若い男で独身だったが、もっと遠くへ、米国へ、カナダへ行ってしまった。また別の四人は、それよりもさらに遠くへ、人が行けるかぎりの遠い場所へ、大いなる境界線の向こう側へ行ってしまった。わたしの知り合いだったその四人は、亡命生活の最初の二年のうちに、みずから死を選んだのだ。一人はバルビツール酸系の睡眠薬で、一人はガスで、他の二人はロープで首を吊って死んだ。最年少の女性は十八歳だった。彼女の名前はジゼルだった。

/アゴタ・クリストフ『文盲』

#「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)

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2025年7月11日 この範囲を時系列順で読む

沖縄で詩を書くとはどういうことか?それはことばが〈近代〉として充分に体験されていないところで、しかも物質としての〈近代〉がはげしい速度で都市を変客させ、村の〈共同体〉を破壊していく情況に挾撃されつつ自らのアドレッセンスを追訊する魂の行為となる以外にないだろう。地方に在りながら地方を対象化するということは、単なる土着への依拠によっては果されないし、また土着からの離反として言葉を円環化するところにもあり得ない。土から身を離する論理を縦深化すると共に、その論理化の過程で風土の肉感を体現すること――これ以外に地方に在って詩を書く方法はないのではなかろうか。それを前提にする限り、どんな言葉の実験も可能だし、どんな思想を方法化するのも可能だといえよう。

/「感受性の変容」『情念の力学』

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2025年7月8日 この範囲を時系列順で読む

ひとつ下にある下部船倉に海水が奔流して来た。そこにいた多数の兵が絶叫をあげながら、水に飲まれていく。 「それは、声というより、まるでブタが絞め殺される時のような悲鳴でした。それが、何度も、何回も続いたんです」「あの精強をうたわれた将兵が、そんなふうに命を奪われていく。たまりませんでした」

/『撃沈された船員たちの記録』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用艦船/〃擬人化

建築家の一つの舞台である「艤装」という分野は、既に大型船舶建造の時代が過去のものになっていたので、その方面の仕事もなかったのであろう。固よりそういったワシントン軍縮条約規定に抵触しないという条件での外国航路用大型船舶は軍服に着換えさせることを前提としていたからである。建築家に揮わせた艤装の芸術は軍縮を睨んだ上での、あくまでも貨客船であることを強調する為の擬態であったと考えられるが、艤装を担当する者は、そのような擬態をものともせずに大いに腕を揮ったのであろう。この事は軍服に着換えさせられる以前の、我々が目にする関係図面やカラースキーム類から自ずと判る。

/『村野藤吾建築設計図展カタログ6』

#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

2025年7月4日 この範囲を時系列順で読む

造船、海運、石炭を手に入れた岩崎は、長崎造船所で建造した船を日本郵船で使い、高島石炭を燃料とし、神戸上海にも輸出して巨大な利益をあげ、三菱財閥を築いたのである。

/『図説日本の歴史 42 長崎県の歴史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

引用

2025年7月1日 この範囲を時系列順で読む

ある人たちは年齢を重ねることを知らない。ある者は歳をとらない。時が止まるのだ。時はある者たちのために止まるだろう。とりわけ彼らにとっては。永遠の時。全く歳をとらない。時はある者たちにとっては凝固する。自らを再生産し、増殖することによって魂から分離された囚われの像とは違って、彼らの像、彼らの記憶は腐食しない。彼らの相貌が喚起するのは、後光を帯びた美しさでも四季折々の自然の盛衰の美しさでもない。喚起するのは不可避的なものではなく、死ではなく、死に-つつあるということ、なのだ。

[…]

記憶がすべて。失われたものに直面してわきおこる切望。その欠落を維持する。直線的な進歩の記号としてではなく、月の満ち欠けのようにくり返し盛衰する不確定なものの間に固定されて。それ以外はすべて歳を取る、時のなかで。ただし。ある者たちは時の外部に。

/「クリオ 歴史」『ディクテ 韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール』

感想引用

2025年6月29日 この範囲を時系列順で読む

『ディクテ』と題された多言語テクストは、人間の身体から発せられた言葉を忠実に書きとるというより、言葉が人間の咽候、その口元からこぼれでる瞬間を現在形で再現する多面的な言語実験からなっている。そこでは教室や教会で同語反復や追唱を命じる教師や司祭の声が遠くで鳴り響いているし、言葉を国民に授け、植えつけ、結果的にその言葉を国民の総意にまで増幅させてみせる植民地官僚や独裁者(dictator)の声もまた「あてこする」かのように匂わされている。植民地統治下であろうが亡命・移住地でマイノリティ身分にあろうが、人は判じ物の言語をしか行使できず、話すべき言葉はなかなか咽喉から外へは吐き出されていかない。ほとんど発話以前のノイズとしてしか了解されない気怯れ。『ディクテ』が密着を試みているのは、このような「へどもど」する女たちの身体性にほかならない。

/『外地巡礼』

感想引用

2025年6月27日 この範囲を時系列順で読む

陸上自衛隊幹部学校戦史教官室長の白石博司は、すでに一〇年以上も前に、次のように書いていた(白石博司「戦史雑感(その1)」『陸戦研究」一九九五年一二月号)。

 近年、旧軍関係者が自衛隊の現職を去り、また実戦を体験してきた人も老齢には勝てず、いよいよ自衛隊も全く未体験の軍事集団になってしまった。体験・実験の難しい軍事を専門にする我々幹部自衛官にとって、実戦を学ぶ教材として残されたのは戦史以外にないといっても過言ではない。いよいよ腰を据えて戦史を勉強する時が来たと思う。

 まったく違った理由からではあるが、私も白石と危機感の一部を共有する。戦争体験世代が減少するなかで、現在の日本社会では、戦争の現実、戦場の現実に対するリアルな想像力が急速に衰弱しているように感じられるからである。

/吉田裕『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』

#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月26日 この範囲を時系列順で読む

そして戦後民主主義が開放したのはこの「私権」意識であった。日照権、ゴミ戦争、医料値上げ闘争、などの市民運動は、「戦後民主主義が根づいた」と称される姿である。
「なんば言うか、ケタクソわるい」と閉山町の日雇い人夫は言うだろう。それでも時代は確実にそのように動いてきた。結婚すれば大それた迷いはなくなるという庶民の、父祖伝来の教えは、そのまま一面では生きつづけてマイ・ホーム主義は建築産業の開発から日本列島改造論へと表裏一体である。経済基盤を固めた戦後民主主義は、結婚しても迷いはなくならない、というヒネクレ者にも寛大となって、「それはあなたの自由です。あなた自身の生活を十分に主張してください」と言う。

/「戦後民主主義と民衆の思想」

感想引用

くらしのなかに民主主義ということばは苦もなく入っていった。それはたとえば次のように。私の父はその郷里で村長にと、のぞまれたことがある。そのとき村人が言ったことばが耳に残っている。「あなたのお父さんはやっぱりえらか。若いときから民主的なお人だった」そしてまた或るとき戦地がえりのまだ若さが残っていた農民は、私へ言った。「あんたのお父さんを見習って、わしらも民主的にしよりますよ」。それは些細なことで、旧習を破って何かを同世代ではじめたら、夫婦単位で行動をしたり、ということにすぎなかった。
 戦後はこのようなはじまり方をしていいはずのものではなかったのである。

/「戦後民主主義と民衆の思想」

感想引用

2025年6月17日 この範囲を時系列順で読む

かってはこの世界最大の土佐艦長を理想とした自分が水葬の曳航任務にあたるとは,あまりに悲痛な皮肉を感ずる。しかし土佐は橘姫の運命にも似て,世界平和の犠牲として水葬されるのだ。もし土佐に霊あらば瞑して呉れるだろう。兎に角華府条約による処分終了期は2月16日までだから、突発事故などでそれまでに廃棄されないとすれば重大な国際問題ともなり,自分が切腹したくらいでは済まないのだから責任がある

/『造艦回想』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月16日 この範囲を時系列順で読む

 ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。

/清田政信『情念の力学』
※沖縄について

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2025年6月14日 この範囲を時系列順で読む

たしかに占領軍の海運政策は苛酷であった。日本海運を根絶やしにする意図かと思えた。日本の商船隊は財閥と結びついて世界に跳りょうし、その軍事力増強に大きな役割を果たしたというのが、米英など連合国の認識であった。

/『二引の旗のもとに』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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 原合名会社が富岡を経営していた明治後期から昭和のごく初期にかけては、日本の生糸輸出の絶頂期ともいえ、大正時代には世界の生産高の6割を占めるほどになりました。
 日本にとっては、生糸輸出で獲得した外貨によって軍需品や重工業製品を輸入するというパターンができ、「生糸が軍艦をつくる」とまでいわれるほどでした。製糸業が富国強兵に大きく貢献したことは間違いありません。

/『富岡製糸場と絹産業遺産群』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月11日 この範囲を時系列順で読む

ところで、本書の圧巻は、なんといっても著者の手になる「浄魂を抱いて」という戦後の章である。
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。

/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月10日 この範囲を時系列順で読む

ソウルから来日した旧友は、北九州市におりたって、駅名――八幡――を見あげた時、ちいさな叫びをあげました。その声で反射的に私は思いだしました。それは二十数年まえの感覚であって、八幡・鉄の都・軍需……とつながるなまなましい現実です。植民地にもその名は威圧的につたわっていました。「ここがあのヤハタですね」と彼はいい「韓国では今の若い人もヤハタの名はたいてい知っています」と続けました。

/「北九州労働者風景」『ははのくにとの幻想婚』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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石炭運搬の一過程における虚構と現実のこれら二つのストライキよりすでに前に、筑豊の石炭の最大の消費者である八幡製鉄所で、歴史にのこる大罷業が決行されていた。一九二〇年早春のことである。日本で最初のこの官営製鉄所は、もともと、筑豊炭田という国内最大の産炭地を至近距離にひかえているという立地条件のゆえに、北九州の八幡村に建設されたものだった。日清戦争での勝利から二年ののちに操業を開始したこの製鉄所は、数年後の日露戦争を可能とし、さらにその後あいつぐ対外戦争のいわば産屋となった。ここで生産される鉄が、財閥資本の重工業によってあらゆる兵器や艦船や戦車や車輌に加工された。製鉄に使う石炭も、軍需工場の燃料となる石炭も、財閥資本が経営する炭鉱から、やはりこれら財閥資本が大きなシェアを占める船舶会社の輸送船で、これらの財閥によって系列化された荷役システムを介して、運搬された。

/『石炭の文学史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月9日 この範囲を時系列順で読む

たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。

/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』「攪乱する島」

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『第三十二軍司令部日々命令綴』所収の「球軍会報」一九四五年四月九日付(防衛省防衛研究所所蔵)には、「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とある。

/『沖縄・問いを立てる1』「座談会 沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」注釈

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2025年6月1日 この範囲を時系列順で読む

僕等の詩魂のうちに生きてゐる信仰に比べれば現実の政治形態の如きは架空の国に過ぎぬのではあるまいか 小生はいよ〱政治不信者たる事に専念するだらう 日本のジャアナリスムは又同じ事を繰り返すだらう 曰く新文化政策 偽革命偽転向 楽し気な反省 軍備を撤パイしたら序に政治も撤廃してほしい位のものだ 芸術の根基の失されたと君は言ふ よろしい 君にはもともとそんなものはなかつたと言ふ大事に思ひ至るか[が]よい 君には未だ一個の茶碗が見えてゐなかつたのである

/小林秀雄の手紙(神奈川近代文学館所蔵)
「小林秀雄の戦争と平和」【1】八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」①」

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