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2025年12月3日 この範囲を時系列順で読む
あの日も雨がふっていた。
男達が車座になって酒盛りをしていた。
国恋の唄をうたう男、唄にあわせて肩を揺らし踊る男。はだけた胸、茶碗にこびりついたどぶろくの呑み残り。血の泡あぶくの地獄のように臓物の煮たぎる鍋。
あたり前のその光景にむかってその時叫んだ言葉を、私は生涯忘れないだろう。
「やめてくんしゃい。恥ずかしか」
と、叫んだのである。
恥ずべきは私であった。振り返えれば恥しかない自分史であるが、この恥の記憶こそが私の今を動かしているのである。
「なんが恥かしかか!!
おどまが国ん歌ちゃろが」
一人の女が私を叩いたのである。
和服を着た女であった。飯場でたった一人の日本人であった。朝鮮人土工の日本人妻であったその女は、朝鮮人土工と流れるにあたって、血族から日本から拒絶され、ひしとすがりついた男の、身の内の側、つまり朝鮮人である私の拒絶に、二重の裏切りにあった思いだったであろう。逃げる私を追いつめ、戸外に逃れてもなお追いかけてきたのであった。
あぜ道を、こけつまろびつ逃げまどいながら、私は、その時、初めて、朝鮮を叩き手渡された思いであった。
父や母やは、あまりに優しく、私を叩いてくれなかったのである。
集落の日常言語は父母や土工達の故郷の済州島弁であったにもかかわらず、私はその言葉さえ耳から弾いて生きていたのだった。
私のためにと言い切って過言ではない理由で、父母は済州島弁と佐賀弁の在日言語を用いて、子である私と会話したのだ。
「おどま朝鮮人だいね。そいが何が恥かしかか」と、私を追いつめ、背中を叩いてくれた日本の女は、数年後に病没した。私の一五の春であった。
葬式がすんで遺骨を安置した飯場の荒壁に倒れるようにもたれて、故人の姉なる女が泣いていたことも鮮やかな記憶としてある。
「可愛想に」と「こんなところで」と故人の流転の生涯を嘆きながら、だが一歩も敷居をまたがなかったのだ。そして白布で包んだ遺骨を首にぶらさげいずこかへ帰って行ったのだ。
故人となって初めて生家に戻れた朝鮮人土工の日本人妻であったが、生ある時の意志とは別の朝鮮人土工の永遠の離別であった。
/宗秋月「サランヘ 2 続・どぶろく物語」『月刊自治研 28』1986年3月
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年11月30日 この範囲を時系列順で読む
2025年11月27日 この範囲を時系列順で読む
――日本には過去の植民地支配の責任があり、それに目を向けずに連帯することはできないということも、繰り返し書かれてきたと思います。
日本の人たちは気の毒な状況に置かれている人に対する「かわいそう」という共感はすごくあるんですね。北陸地震であれ、ガザであれ。でも、政治的、歴史的不正の犠牲者に対する共感力が乏しいように感じます。私たちの身に起きてはならない不正は、誰の身にも起きてはならないという認識、それが連帯ですよね。気の毒な状況に置かれてかわいそうというのは同情であって連帯じゃない。寄付はしても、その現実を変えるために自分が行動する、ということにはなかなかつながらない。ガザで二〇〇八、九年に攻撃があったとき、私が知る限り日本で最初に抗議の声を上げたのは大阪の釜ヶ崎の労働者たちです。世界の無関心のなかで殺されるパレスチナ人に、彼らは自分たちを重ねたのです。南アフリカのネルソン・マンデラは、「パレスチナ人が解放されない限り、私たちの自由が不完全であることを私たちは熟知している」と語り、南アの人々はパレスチナと連帯し続けました。それが、国際司法裁判所へのイスラエルのジェノサイド提訴につながっています。
日本には、アジアの国々を侵略した歴史を持つからこそ、占領や植民地支配の暴力を繰り返さない、繰り返させないというつながり方だってあり得る。かつてのベトナム反戦運動のように。けれども、政治的不正義を許してはいけないという価値観を社会的に育むことが、日本では意図的に阻害されているのではないか。「植民地主義」という言葉や日本の侵略は歴史の授業で習うけど、それが支配された側にとってどういう暴力だったのかは、きちんと習わないですよね。
広島・長崎にしても東京にしても、一発の爆弾、一晩の空襲で十数万人が殺されている。大量破壊、大量殺戮です。でも、そのことが裁かれなかった。日本人自身がそれを裁くことができなかった。その暴力がアフガニスタン、イラク、そしていまガザにまで続いている。そこにつながりを見出せていないのは、日本人が自分たちの戦争犯罪に向きあってこなかったからです。
裁判で裁かれた戦争犯罪は、敗戦国だけが犯したものです。だから、重慶に対する日本の都市戦略爆撃は裁かれなかった。戦勝国のアメリカやイギリスも同様のことをやっているからです。「原爆投下」と言われているものの実態は、アメリカの原爆攻撃による民間人の大量殺戮であり、戦争犯罪です。日本が中国で行った都市戦略爆撃を日本自身がしっかり裁いていれば、ベトナムもアフガニスタンもイラクも、そしてガザも、ぜんぜん他人事じゃない。
原爆ドームの前で毎日スタンディングをしている方は、そこがつながっている。今回のガザへの攻撃が始まって一ヶ月の時点で、広島型原爆二個分の爆薬が使われています。核兵器こそ使われていませんが、破壊のすさまじさは広島以上です。広島・長崎の平和運動が、反核に特化してきたことも問い直す必要があると思います。二〇〇四年にイラクから、米軍に逮捕され、アブー・グレイブ刑務所に収容された男性と、女性ジャーナリストが来日し、原爆忌に広島を訪れました。二人は「広島に原爆攻撃した者たちがいま、イラクにミサイル攻撃をしている」と訴えました。アメリカの原爆の犠牲になった広島の人たちならわかってくれると期待して。でも、記者からの質問は「広島で何を学びましたか。イラクに帰ったら、広島の平和のメッセージとして何を伝えますか」ということばかりでした。女性ジャーナリストは途中でインタビューを拒否しました。この認識の分断をどう架橋するのか。詩人にせよ、小説家にせよ、文学に携わる者にはその責務があると思います。
/岡真理 インタビュー「「人間の物語」を伝える責務」『現代詩手帖 2024年5月号 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く』
2025年11月25日 この範囲を時系列順で読む
/『商船が語る太平洋戦争』「報國丸」
2025年11月20日 この範囲を時系列順で読む
/『日本特設艦船物語』
2025年11月8日 この範囲を時系列順で読む
昭和12年4月27日進水の貨客船鴨緑丸はその日の昼前に進水の予定であったがトリガの試験中に、船がすべりだしてしまった.4時間まえに進水したのである.報告をうけた所長は早速宿舎平野屋に船主の大阪商船村田社長のもとに副長をお詫びに参上させると,村田社長はすでに知っておられたのか「そりゃよかった.怪我人はないか.母体を出るのが待ち切れずお産が早かったのだからお目出度いことではないか」と言って.当所の失敗を責められなかったということである.
/『創業百年の長崎造船所』p41
2025年11月7日 この範囲を時系列順で読む
社会全体のなかでいま、反エスタブリッシュメントあるいは反エリートといわれる感情がこれほどまでに渦巻いているなかで、まさにこの『現代思想』を読んでいるような層のひとたちがどうふるまい、言葉を紡いていくのかがやはり重要だと思うのです。それについて私自身が何か明確な答えを持っているわけではないのですが、やはり「自分たちも間違っているのかもしれない」と自省する余地はどこかもっておいたほうがいいだろうと。
/井上弘貴 渡辺靖「現代アメリカ社会における〈陰謀〉のイマジネーション」『現代思想 2021年5月号 特集「陰謀論」の時代』
2025年11月1日 この範囲を時系列順で読む
/大阪商船『海』1937年10月号
2025年10月31日 この範囲を時系列順で読む
/竹内次男『蔵品研究』 ※小磯良平のポスター「日本郵船の三姉妹船の処女航海」について
竹内次男 編・監修『蔵品研究』,京都工芸繊維大学美術工芸資料館,1992.8
h ttps://dl.ndl.go.jp/pid/13242467
2025年10月19日 この範囲を時系列順で読む
もちろん、為政者や資本家など総じて支配する側にある人々は「蚕糸は国の礎」と説き続けることで苛酷な収奪を(おそらく自らに対しても)合理化していたし、そうした国家主義的イデオロギーが様々な形で農民や労働者の内面を支配していたことを軽視することはあやまりであろう。にもかわらず、極めて明瞭であるのは、至極あたりまえのことではあるが、繭をつくり糸を繰るのは自分たちの生活のためだったのであり、生存可能のギリギリの水準において必死に生活をまもろうとした人々こそが、養蚕製糸にかりたてられていった人々の大部分であったということである。そうした人々の必死の労働の成果が「軍事大国」化に動員されていったというところに、日本の《近代》のもつ、いわば最も荒涼とした意味があらわれているのだ。
/『繭と生糸の近代史』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年10月16日 この範囲を時系列順で読む
/斎藤真理子「女性詩のパラレルワールド」『現代詩手帖 2022年8月号』
2025年10月8日 この範囲を時系列順で読む
/『沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』「和宇慶・伊集(中城町)」新垣盛正氏の証言
2025年10月6日 この範囲を時系列順で読む
/『アウステルリッツ』
/『アウステルリッツ』
2025年10月4日 この範囲を時系列順で読む
わたしは最後はね、一つの穴に県庁職員も入れて十二名おりましたよ。それでわたしが手榴弾一箇持っている。軍刀持っている。そのほかに手榴弾持っているのがおる。小さな穴ですからね、手榴弾二つでは全員即死できる。自決するか、最後の評定を開きましたよ。この十二名、死のうと思えば、手榴弾二箇で大丈夫だが、やるか。ところが人間最後になれば考えますよね。それで結局評定の結果は、一応出て見よう。そうすれば、何かまたやる機会が出るかもしらんから、一応手を上げて出て見よう。それで手榴弾を捨てたんです、軍刀もね。
そしてわたしが出たのが六月二十二日、昼だな。十二名、(恥かしいなぁ)ハンケチを振って出ましたよ。上って行ったら、西がわに低いところがありましたが、そこから上って行った。それで米兵につれられて畑の道のところでしらべられた。男は全員裸で、女は三名いたがモンペーでそのまま。男は褌一つ。
その時見た死体。わたしは、沖縄に人間がこんなにいたかな、というぐらいの死体でした。一体沖縄に人間が何名残ったかなと思った。ほんとに屍屍累累とはあれでしょうね。それで屍体が何日かしたら、こんなに膨張れるでしょう。水ぶくれや、土左エ門というけれども、もう(そこでは声が非常に感情を昇らせて言われた)陸の屍体は、紫色になって、膨れてね、物すごく大きくなるんです。腐敗寸前は。悪臭が鼻をつく。
/『沖縄県史 第9巻 (各論編 8 沖縄戦記録 1)』「旧那覇市」嘉手納 宗徳 754p
「回収」という言葉に新城さんは、「安直な括り」が横行することへの怒りを突き出します。括られることによって、対象化へと押しつけられ、一方的に他者に規定される存在となりおわることを、「知の植民地主義」とし、それゆえに「回収」されない沖縄への希望を込めて、知の"攪乱者"であろうとしています。
/『沖縄の戦後思想を考える』
2025年9月30日 この範囲を時系列順で読む
「長い間の奴隷労働からきた会社に対する憎悪の気持と会社を親とする思想とが交錯してすっきりといかなかった。それと同時に与論的なものは古いという考え方とゴンゾーに対するコンプレックスがあって、それらの逃避の思いがからみ合って階級的にぴしっといかなかった。
闘争中一緒に働いた島の仲間が段々と脱落していった。しかしわたしの気持の中には与論のものだけはなんとかまとまって行こうという気持が強かった。そのためいいたいこともいわず同郷者の集まりでもその事はタブーというものがあった。いいたいこともいわないことだけが島のものたちを集団化させていたのかも知れない。そのことは労働者としては妥協ではないかと思うことが度々ある。三池労組でも割れさせないために沈黙するという面がある。それが今の運動を衰退化させ組織の形骸だけを残すという結果になったのかも知れんな。」
そして最後に昨年六月島を訪れた時の後日譚を私たちに開かせてくれた。
「あの時みんなは大歓迎されて感したけどな、島じゃ戦々恐々だったらしいよ。今度大牟田から三池弁議とやらで負けたアカの筋金入りばかりが島にやってくるらしい、ということでな。ところが来てみると、なんともおとなしい。なにもしないで引揚げてくれたということで、島の地政者は、ほっと胸を撫でおろしたそうな」
若松さんは訪島の折、与論を体ぢゅうで感じとりたいと、ひとり海辺に寝ていたのであった。
/森崎和江 川西到『与論島を出た民の歴史』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年9月29日 この範囲を時系列順で読む
/「二つのことば・二つのこころ」『精神史の旅 1産土 森崎和江コレクション』
/『沖縄の戦後思想を考える』
/李良枝「かずきめ」『由煕 ナビ・タリョン』
2025年9月23日 この範囲を時系列順で読む
/「中間地点で宙吊りにされて」『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』
※『ディクテ』について
2025年9月20日 この範囲を時系列順で読む
/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』
たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。
/『(同)』
●F-家族壕。姻戚三家族一九人と死に場所を探しに来た母子二人。
「他人」である母子二人を除き農薬の猫いらず(殺鼠剤)を飲む。三十六歳の男性は、いやがる子どもたちに黒糖をまぜて強引に飲ませるが、のたうち回る子どもを見るにみかねて、壕の前の小屋に火をつけて中に放り入れ、また幼い子は腕をつかまえて防空壕の土壁にたたきつける。男性は苦しむ両親、妻を棍棒でたたいて死なせたあと、自分も猫いらずを飲むが致死量には至らず、一人だけ生き残る。実家と行動を共にした幼子三人を連れた女性は、飲んだ猫いらずで自らも苦しみながら、生後二か月の子を乳房で窒息死させ、死にたくないと泣いて逃げ回る男児は叔父が鎌で首を切りつけて死なせる。彼女の父親は忠魂陣に向かう人たちに「みんな自分の壕に帰って、各自で玉砕しなさい。ご飯を腹いっぱい食べて、きれいな着物を着てやりなさい」と泣きながら話していたという証言がある[宮城(2008)p.120]。この家族は全員死亡。
/宮城晴美「2 座間味島の「集団自決」」『友軍とガマ 沖縄戦の記録 沖縄・問いを立てる4』98p
※[宮城(2008)p.120]=宮城晴美『新版・母の遺したもの――沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実』高文研、2008年。畳む
2025年9月16日 この範囲を時系列順で読む
/『沖縄の戦後思想を考える』
2025年9月12日 この範囲を時系列順で読む
商船を特設空母に改装する一方、制式空母、月型対空駆逐艦の工事が行なわれ、第二船台上では昭和13(1938)年に起工した戦艦武蔵の突貫工事が進められた。無条約時代突入に当り昭和12(1937)年に計画された建艦計画は80655万円の予算をもって戦艦2隻を含む艦艇70隻の建造を行なうものであった。武藏はその計画の根幹をなすもので、起工より4年半にわたって極秘裡に工事が進められ、昭和17(1942)年、戦雲ただならざるなかに、基準排水量65000噸18吋砲3連装砲塔3基を擁する巨艦の引渡は完了した。武藏の進水は重量の点で“QUEEN MARY"に次ぐのだが、実質的には進水の世界記録であった。第1号艦大和は呉工廠の造船ドックで建造された。これら超弩級戦艦の巨砲口径は戦争の全期間を通じてアメリカ海軍にとってまったくの謎であり、その後に建造されたアメリカ戦艦が16時砲であったことから、16吋と想像されていたという。武蔵の竣工は大艦巨砲時代の最後の精華であり、また海軍艦艇建造史の終末を飾るものであった。その後、艦型はしだいに小さくなり、昭和18~20(1943~45)年には海防艦、さらに戦局の推移に伴い特殊潜航艇、小型魚雷艇などの特攻兵器製作に最後の活路を見いだそうと努めた。さらに空襲は激化し、当所の作業はほとんど中止同様の状態になっていった。
/『創業百年の長崎造船所』
#「渺渺録」(企業擬人化)
"特攻兵器製作に最後の活路を見いだそうと努めた"…………
2025年9月10日 この範囲を時系列順で読む
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2025年8月31日 この範囲を時系列順で読む
[…]
オーラルヒストリーの有用性を認めたところで、個人間における偏差は埋めようもないほどに大きいもので、しかも振り返ることによって物語化され整合化された記憶ほど当てにならないものもない。そしてまた、ここでこうやって「戦争を語ること」自体が、再び戦争を物語化してしまうような制度を再生産してしまうことも覚悟しなくてはならない。
/『洋服と日本人』
2025年8月27日 この範囲を時系列順で読む
/『繭と生糸の近代史』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月25日 この範囲を時系列順で読む
/『心的外傷と回復 増補版』
2025年8月24日 この範囲を時系列順で読む
/「旧首里市」『沖縄県史 第9巻(各論編 8 沖縄戦記録 1)』大城志津子氏の証言
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月18日 この範囲を時系列順で読む
/「海石」 『苦海浄土』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月16日 この範囲を時系列順で読む
/「概観 日本人と生糸」『繭と生糸の近代史』
#「渺渺録」(企業擬人化)
とはいえ、学問研究たらんとする以上、心情主義的に性急に 《意味》を追求するあまり、無意識のうちにも対象化を放棄した「情感の海」にひたる様なことは、厳しく拒絶されなければならない。「人々がどう生きたか」を考えるにしても、課題はあくまでも「まさに構造論と結合した民衆史の形成でなければならない」(石井寛治 「産業革命論」同氏ほか編『近代日本経済史を学ぶ(上)』、一九七七年、八六頁)であろう。私が《意味》 を求めようとした問題を力法として展開しようとしたのが本書の序章第一節であり、以下の諸章はそれなりにその方法をふまえているつもりであるが、それが問題=方法として一貫しているか、ましてや成功しているか否かについては、読者の判断にまつほかない。ここでは、先学諸氏の精緻な研究に比べての実証面での粗雑さをある程度意識しながらも、敢えてこうした形で本書を世に問おうとしたわけを述べておきたかった。もっともこの様な言いぐさは、「ひらき直り」ではあっても「申しひらき」になり得ないことは、私としても充分承知しているつもりである。理論的・実証的に、あらゆる角度からの厳しい批判の寄せられることを覚悟し、かつ期待している。
/瀧澤秀樹「はしがき」『日本資本主義と蚕糸業』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月11日 この範囲を時系列順で読む
/「『サークル村』創刊宣言」『精神史への旅 2地熱 森崎和江コレクション』
#「渺渺録」(企業擬人化)
/「序章」『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義 上』
#「渺渺録」(企業擬人化)
/「先例のない娘の正体」『森崎和江コレクション 精神史の旅 1産土』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月10日 この範囲を時系列順で読む
『八幡製鉄所五十年誌』の座談会で、元日鉄本社の建設局長はこう発言している。工場用地が必要となったとき、目の前の海を埋め立てれば、たちどころに好きなだけの土地が手にはいるのだった。建設当初は、洞海湾を埋め立ててはいけない、との鉄則があったとのことだが、汚染がすすむにつれて咎めるものはいなくなった。「鉄は国家」だからである。それに製鉄所では、大量に発生する鉱滓の捨て場に困るようになっていた。廃棄物を海へ捨てれば土地ができる。一石二鳥である。鍼滓にどれほど有害物質がふくまれていたにしても、軍事的要請がすべてに優先した。八幡ばかりでなく。釜石でもおなじことが行なわれるようになった。農地が買収されて工場となり、拡張されたエ場が海を覆う過程は、そのまま農民と漁民が生活の場から追いたてられる歴史だった。
/「ある漁師の記憶」第二章 鉄の流れ 第二部 死に絶えた風景 『鎌田慧セレクション 現代の記録 鋼鉄産業の闇』p209
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月8日 この範囲を時系列順で読む
/『戦争廃墟』
#「渺渺録」(企業擬人化)
2025年8月2日 この範囲を時系列順で読む
/『きみはメタルギアソリッドV:ファントムペインをプレイする』
- 「渺渺録」(企業擬人化)(281)
- 『マーダーボット・ダイアリー』(41)
- おふねニュース(40)
- 「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)(23)
- 「大脱走」(企業擬人化)(23)
- SNSの投稿(19)
- 書籍情報(19)
- 『ハリー・ポッター』(17)
- 展示会情報(16)
- 読了(16)
- 「海にありて思うもの」(艦船擬人化)(16)
- 実況:初読『天冥の標』(16)
- 読んでる(15)
- きになる(13)
- 企業・組織(11)
- 船舶装飾考(10)
- DTT(DeskTopTeseihon)(8)
- 三菱重工さん関係のロケット(8)
- 御注文(8)
- 「蛇道の蛇」(一次創作)(8)
- 日本郵船歴史博物館再開館の軌跡(7)
- 「病院船の顛狂室」(艦船擬人化)(6)
- 本(6)
- 「時代の横顔」(企業・組織擬人化)(6)
- 「空想傾星」(『マーダーボット・ダイアリー』)(6)
- 「徴用船の収支決算」(一次創作)(5)
- おふね(5)
- 国会図書館にない本(3)
- の部分(3)
- 感想『日本郵船戦時船史』(3)
- 模写(2)
- 漫画(2)
- 映画(2)
- 入手(2)
- 『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』(2)
- 「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)(2)
- 「人間たちのはなし」(艦船擬人化)(2)
- 『青春鉄道』(2)
- 大谷印舗(1)
- 「水兵のリーベ」(一次創作)(1)
- 展示(1)
- 展示会(1)
- ハリー・ポッター(1)
- 映像(1)
- 「テクニカラー」/「白黒に濡れて」(艦船擬人化)(1)
- 「かれら深き波底より」(一次創作)(1)
- マーダーボット・ダイアリー(1)

それは、先程述べた東京都は逆の意味で、大阪はその文化を大阪という地域とその中の人間という"地方性”の枠でしか提えない事により、自らの中央性をあいまいにしてきたという事である。我々が決定的な問題と考えるのはまさにこの点であり、ここに大阪の大きなごまかしがあり堕落がある。大阪の文化が、あたかも大阪の地元の人間によってになわれてきたかのように、その中にどっぷりとつかっている情況からは何らの理想のかけらも感じられないし、その行先は退廃極まるものでしかないだろう。
我々の集団は、沖縄、奄美、九州、四国と西日本の各地から、農村を追われ、炭鉱を追われて、集団就職で、首切りによって、この大阪に来ざるを得なかった人間の集まりであり、大阪の一つの縮図でもある。大阪の文化は、このような民衆が大阪を最終的な拠所とし、そこに活路を求め、自らを賭けてやり合う中で育んできたものであり、昔から大阪に住んでいる人間だけによって創られ、大阪という地方に昔から存在するものでは決してありえない。大阪弁で、その地方の言葉を馬鹿にされ、大阪弁を使わされてきた人間が、必死の思いでそのくやしさを怒りを大阪弁を使う事によって表現し勝負してきた。そういう民衆の思いの込められた言葉としての蓄積こそが、大阪弁を迫力ある言葉として響かせているのである。
大阪の文化の中央性とは、大阪の地元の人間や自称文化人、知識人、まして関西財界などが形成してきたものでは断じてない。その中央性は、一九五〇年代後半まで、民衆にとってのもう一方の中央を形成していた北九州がつぶされていくという深刻な情況の中で、民衆にとっては、まさにこの大阪を最終的な拠所として、自らを賭けざるをえない所として形成してきたのであり、その息吹によってきたえられてきたのである。
/栄哲平「我々の文化闘争――南大阪を民衆の文化闘争の砦に」『南大阪・流民の倫理 労働者自主管理の可能性』
#「渺渺録」(企業擬人化)