喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.310

2024/2/9 通勤・退勤時には本を読まず。家でダラダラとしつつ、なんとなく手に取った本が岩波文庫の『失われた時を求めて1』であった。めくった丁度のところ、目についた一文があった。

「田舎娘を想いうかべると、かならず葉を全身にまきつけたすがたであらわれたが、私にはその娘が土地の植物で、しかも他の種よりもはるかに上等で繊細な組成をしていて、私の土地を深い風味に近づけてくれるような気がした。私がこんなことをたやすく信じたのは(そのうえ娘が私に快楽を味わわせてくれる愛撫もまた特殊なもので、その快楽はその娘以外の女からは味わえないにちがいないと信じたのも)、私がなお長い期間とどまっていた年頃では、さまざまな女と快楽を味わったうえで女を所有する快楽とはどういうものなのかを抽象化するには至らず、その快楽を一般概念に還元し、それゆえいかなる女もつねに同一の快楽を与えてくれる交換可能な道具だと考えるには至らなかったからである。」
『失われた時を求めて1』341頁

素晴らしい一文だと単純に感じた。読みづらい、というか読了しづらいことで有名なこの物語だが、読みづらさというものがこのような冗長な文章にあるのだとしたら、私には案外気楽に読了できるのではなかろうか。御覧の通り冗長な文章を書くのが好みな人間なので。
抽象化~概念に還元…には至らず、あたりの巧みさは味わい深い。
読了するには決心がいるので、もう少ししたら読み進める、かもしれない。読めないならそれでもいい。