喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

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2024/2/11 本屋へ行く。『遊廓・花柳界・ダンスホール・カフェーの近代史』が置いてあった!そういえばこんな本が出ると告知を読んでいた!きになる!けれど表紙の上が破けていたので、隣の本屋に買いに行くという荒業をしてしまった(申し訳なさがある)。在庫があったので、買った。からゆきさん、妓生、満州の遊郭も網羅されている。
貨客船に触れるのなら、近代建築という視点からも掘ってみたいと考えている。人間の世紀、人間の支配の世紀、人間の支配の証としての建築……。「日本的なるもの」という言葉のさすものを理解できていないので、モダニズム建築やその前の建築史を知りたい。今回は購入できなかったが、それらを網羅して良そうな『近代建築史 (建築学入門シリーズ)』 が良さそうだ。と立ち読みで思った。『ねじ曲げられた桜 上』帰りの電車で少し読む。

2024/2/9 通勤・退勤時には本を読まず。家でダラダラとしつつ、なんとなく手に取った本が岩波文庫の『失われた時を求めて1』であった。めくった丁度のところ、目についた一文があった。

「田舎娘を想いうかべると、かならず葉を全身にまきつけたすがたであらわれたが、私にはその娘が土地の植物で、しかも他の種よりもはるかに上等で繊細な組成をしていて、私の土地を深い風味に近づけてくれるような気がした。私がこんなことをたやすく信じたのは(そのうえ娘が私に快楽を味わわせてくれる愛撫もまた特殊なもので、その快楽はその娘以外の女からは味わえないにちがいないと信じたのも)、私がなお長い期間とどまっていた年頃では、さまざまな女と快楽を味わったうえで女を所有する快楽とはどういうものなのかを抽象化するには至らず、その快楽を一般概念に還元し、それゆえいかなる女もつねに同一の快楽を与えてくれる交換可能な道具だと考えるには至らなかったからである。」
『失われた時を求めて1』341頁

素晴らしい一文だと単純に感じた。読みづらい、というか読了しづらいことで有名なこの物語だが、読みづらさというものがこのような冗長な文章にあるのだとしたら、私には案外気楽に読了できるのではなかろうか。御覧の通り冗長な文章を書くのが好みな人間なので。
抽象化~概念に還元…には至らず、あたりの巧みさは味わい深い。
読了するには決心がいるので、もう少ししたら読み進める、かもしれない。読めないならそれでもいい。

2024/2/7 通勤中『ねじ曲げられた桜 上』少し読む。今は夜だけど朝読んだ内容が思い出せない。読む意味が謎。ページを見ればぱっと思い出すのであまり問題はないが……。
最近はあまり本を読めていない。夜、本タワーの整理をする。朝になれば机からベッドの上に、夜になればベッドから机の上に本を寄せる生活を送っている。