カテゴリ「艦船擬人化」に属する投稿[39件]
ある種の侵犯行為が身体性を持って迫ってくる話が欲しくて、それは特設艦船に欲しくて、なぜなら彼ら(彼女ら)は身を改造されて軍隊に統合されるからで、でも侵犯行為が身体性を持って身に迫ってくる話というべきものは性的なものとは分離し難く、しかしふね擬で性的なものなど描く気がない、という話
軍隊でのなじめなさ、性的な緊張感、自分は人間でないこと(それが特権であり孤独であること)、生理があること、子どもは産めないこと、それでも生きなければならないこと、死と沈没の区別がつくこと、人間にそれを混同されること、血を被ること、かつての華やかな航路、ドロッとした海、生臭い潮の匂い、改造時にどこかへ行ってしまった鮮やかな梅色のソファ、戦闘詳報と航海日誌のあいだ……
護国丸 もっぱら特設運送船なので髪が長いと怒られがちなんだけど、髪を切られそうになると狂わんばかりに暴れまわるので容認されている…がそのせいで周りに髪をよく引っ張られる、という設定がある
愛国丸は早々に貨客船という出生を捨てているのだけど、護国丸にはそれでも失ったという事実そこから出発するしかないように思えていて、髪は切らない、自分の美学をいつどこでもいかなるときでも(そこが海軍でも)貫いていく(私は軟弱な姉さんとは違う、)
なので護国丸は男の姿をしている愛国丸のことを「姉さん」と呼んで憚らないし、報国丸はやさしいお兄ちゃんなので「弟」と呼んであげているという特設巡洋艦三姉妹たちの無法地帯
愛国丸は早々に貨客船という出生を捨てているのだけど、護国丸にはそれでも失ったという事実そこから出発するしかないように思えていて、髪は切らない、自分の美学をいつどこでもいかなるときでも(そこが海軍でも)貫いていく(私は軟弱な姉さんとは違う、)
なので護国丸は男の姿をしている愛国丸のことを「姉さん」と呼んで憚らないし、報国丸はやさしいお兄ちゃんなので「弟」と呼んであげているという特設巡洋艦三姉妹たちの無法地帯
架空文学論『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』
Ⅰ
1ディアスポラの海
2人間たちの喧騒
Ⅱ
1航海日誌から戦闘詳報へ
2特設艦艇の「故郷喪失」
3〈艦船一体〉の思想
特設艦艇の「故郷喪失」
一九六七年に日本船霊戦没記念会が発行した『戦時船舶文学大系』は、太平洋戦争時の船舶らが書いた文学を論じた文学研究書です。この序文には、以下のような記述があります。
「本書では、日本海軍に徴用されのちに艦艇に改造された船舶、いわゆる特設艦艇の文学を扱うことは、日本海軍の一員として全く違う道を歩んだ艦艇の文学を扱うことになるとの意見が出た」(本書、十頁)。
「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学かという線引きをはっきりさせるためにも、特設艦艇らの文学――彼らの書いた手記や往復書簡、小説や自伝――は除くことにした」(本書、十二頁、傍点は筆者による)。
あえてこのような書き方がなされているということは、日本船霊戦没記念会の会員の間では、『戦時船舶文学大系』で特設艦艇の文学を扱うことも検討されたのでしょう。結局、彼らにとって「特設艦艇文学は艦艇文学であった」ため、特設艦艇文学は『戦時船舶文学大系』から除かれることになったわけですが、はたしてそれが最良の選択だったと言いきれるでしょうか。
船舶に属しながらも総動員の名分のもと艦艇として生きざるを得なかった特設艦艇らの文学は、戦時下に目指されていた「艦船一体」の思想を紐解くにあたって、非常に有益な研究対象となるはずです。「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学か」――この艦船の切り分けに近い思想は、海運が戦時中に被った膨大な被害ゆえに軍を忌避するものであり、同様の不信感が、海運業界の人間らで構成されていた日本船霊戦没記念会にも存在したのかもしれません。
船舶として受け入れられない特設艦艇の艦霊は、時として艦艇の艦霊として受け入れられないこともありました。興味深いことに、商船から軍艦へと改造された特設艦艇らは、しばしば日本海軍内の艦艇たちに「成り上がり」として認識されていたのです(同時に船舶たちにしてみれば、特設艦艇らは再び船に戻ることのできない「成り下がり」でした)。生まれた時から菊の御紋を頂く軍艦たちにとって、特設艦艇らは急ごしらえの兵役のための船でしかなかったのです。
航空母艦「冲鷹」乗組員手記会が戦後に編纂した『海浪録』は、貨客船「新田丸」が航空母艦「冲鷹」として戦没するまでを記録した乗員や関係者の証言集です。この証言集からは、貨客船が軍に徴用され輸送艦となり、またのちに軍艦になることの船霊の心情が読み取れます。また、この証言集を補完するのは冲鷹(新田丸)自身の書いていた手記であり、一隻の船、一人の船霊の船生を追うには貴重な資料です。
「貨客船でも輸送艦でも、物や人を運ぶのは変わらないわ。私は海軍でもうまくやっていける、海はいつも優しかった」(二十九頁)と新田丸は日記に書いています。徴用前夜の一九四一年九月初頭のことです。
「快活でいて上品、まさに日本郵船の船、日本郵船のイニシャルを冠するにふさわしい令嬢でした。彼女自身も『新田丸という名前の由来を御存知?』とよく周りに触れて回っていたようです。きっと誇らしかったのでしょう。『輸送艦になると船名は変わってしまうのか』、と彼女に尋ねられたことを覚えています」(一七六頁)という関係者の証言は、新田丸が自身のアイデンティティを貨客船に置いていたこと、またあくまで自身の未来が輸送艦どまりであると信じていたことを示しています。
しかし御存知の通り、輸送艦「新田丸」は航空母艦「冲鷹」となります。航空母艦時代の冲鷹を示す一番端的な証言は、「冲鷹」乗組員が証言する「大鷹」の言葉でしょう。
姉妹艦が心配か、と私は大鷹に尋ねました。冲鷹のそばで大鷹の姿を見ることがしばしばあったからです。大鷹は「はい」と答えました。妹を心配する優しい兄なのだろうと思いました。しかし、ある日ふと私にこう漏らしたことがあります。「貨客船が海軍で貧弱な輸送艦として使役されていくうちに、艦であること、強くあること、強い権威と地位があることを願い、軍艦に改造され、段々と中身も艦になり、艦となって艦船を使役するようになる元船」。「『弱者の身振り』。冲鷹を見ていると、そんな考えが浮かんでならなかった」と。(二六四-二六五頁)
*****
ここで私は、太平洋戦争時に徴用された船舶たち、あるいは海軍の艦艇となった特設艦艇たちの書いた私小説や手記などの文学を「後日譚文学」と定義しようと思います。本来船舶が持っていたはずの海運や船としての名前、運ぶはずだった一等乗客の存在は、いわば海の上で生きる彼らにとっては自分の船生そのものであり、その穏やかな海の上は船たちの「国」そのものでした。ところが御承知の通り、あの戦争で船舶らが得たものは、勇ましい鷹としての名前、石油や物資、航空機の輸送、あるいは火の中の海でのごく僅かな戦果と広大な一枚下の地獄だったのです。船舶らの「国」は亡国となり、あの平穏だったはずの海は、大破した艦から漏れ出す石油の燃える苛烈な海となりました。彼らはその新しい「国」に適応せざるを得ない状況へと追いやられ、人間でいうところのディアスポラ――移民や植民したもの――という立場に置かれたのです。
そして私が彼らの残した手記や文学を通して知ったのは、彼らが戦場の海になる前の平和な世界の海を欲していたということです。興味深いことに、これは開戦後に生まれたはずの戦時標準船らの文学にも見受けられました。彼らは戦下の海しか知らないにもかかわらず、素敵だったはずの昨日の海を欲していたのです。「素敵だったはずの昨日の海」、あるいは「昔の海」「少し前の頃の海では」「海が凪いでいた時のこと」、これらはどの戦時下の船舶文学でも共通して見受けられる記述です。今は亡き「国」を郷愁する船舶らの文学、それが「後日譚文学」です。
#「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦...
Ⅰ
1ディアスポラの海
2人間たちの喧騒
Ⅱ
1航海日誌から戦闘詳報へ
2特設艦艇の「故郷喪失」
3〈艦船一体〉の思想
特設艦艇の「故郷喪失」
一九六七年に日本船霊戦没記念会が発行した『戦時船舶文学大系』は、太平洋戦争時の船舶らが書いた文学を論じた文学研究書です。この序文には、以下のような記述があります。
「本書では、日本海軍に徴用されのちに艦艇に改造された船舶、いわゆる特設艦艇の文学を扱うことは、日本海軍の一員として全く違う道を歩んだ艦艇の文学を扱うことになるとの意見が出た」(本書、十頁)。
「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学かという線引きをはっきりさせるためにも、特設艦艇らの文学――彼らの書いた手記や往復書簡、小説や自伝――は除くことにした」(本書、十二頁、傍点は筆者による)。
あえてこのような書き方がなされているということは、日本船霊戦没記念会の会員の間では、『戦時船舶文学大系』で特設艦艇の文学を扱うことも検討されたのでしょう。結局、彼らにとって「特設艦艇文学は艦艇文学であった」ため、特設艦艇文学は『戦時船舶文学大系』から除かれることになったわけですが、はたしてそれが最良の選択だったと言いきれるでしょうか。
船舶に属しながらも総動員の名分のもと艦艇として生きざるを得なかった特設艦艇らの文学は、戦時下に目指されていた「艦船一体」の思想を紐解くにあたって、非常に有益な研究対象となるはずです。「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学か」――この艦船の切り分けに近い思想は、海運が戦時中に被った膨大な被害ゆえに軍を忌避するものであり、同様の不信感が、海運業界の人間らで構成されていた日本船霊戦没記念会にも存在したのかもしれません。
船舶として受け入れられない特設艦艇の艦霊は、時として艦艇の艦霊として受け入れられないこともありました。興味深いことに、商船から軍艦へと改造された特設艦艇らは、しばしば日本海軍内の艦艇たちに「成り上がり」として認識されていたのです(同時に船舶たちにしてみれば、特設艦艇らは再び船に戻ることのできない「成り下がり」でした)。生まれた時から菊の御紋を頂く軍艦たちにとって、特設艦艇らは急ごしらえの兵役のための船でしかなかったのです。
航空母艦「冲鷹」乗組員手記会が戦後に編纂した『海浪録』は、貨客船「新田丸」が航空母艦「冲鷹」として戦没するまでを記録した乗員や関係者の証言集です。この証言集からは、貨客船が軍に徴用され輸送艦となり、またのちに軍艦になることの船霊の心情が読み取れます。また、この証言集を補完するのは冲鷹(新田丸)自身の書いていた手記であり、一隻の船、一人の船霊の船生を追うには貴重な資料です。
「貨客船でも輸送艦でも、物や人を運ぶのは変わらないわ。私は海軍でもうまくやっていける、海はいつも優しかった」(二十九頁)と新田丸は日記に書いています。徴用前夜の一九四一年九月初頭のことです。
「快活でいて上品、まさに日本郵船の船、日本郵船のイニシャルを冠するにふさわしい令嬢でした。彼女自身も『新田丸という名前の由来を御存知?』とよく周りに触れて回っていたようです。きっと誇らしかったのでしょう。『輸送艦になると船名は変わってしまうのか』、と彼女に尋ねられたことを覚えています」(一七六頁)という関係者の証言は、新田丸が自身のアイデンティティを貨客船に置いていたこと、またあくまで自身の未来が輸送艦どまりであると信じていたことを示しています。
しかし御存知の通り、輸送艦「新田丸」は航空母艦「冲鷹」となります。航空母艦時代の冲鷹を示す一番端的な証言は、「冲鷹」乗組員が証言する「大鷹」の言葉でしょう。
姉妹艦が心配か、と私は大鷹に尋ねました。冲鷹のそばで大鷹の姿を見ることがしばしばあったからです。大鷹は「はい」と答えました。妹を心配する優しい兄なのだろうと思いました。しかし、ある日ふと私にこう漏らしたことがあります。「貨客船が海軍で貧弱な輸送艦として使役されていくうちに、艦であること、強くあること、強い権威と地位があることを願い、軍艦に改造され、段々と中身も艦になり、艦となって艦船を使役するようになる元船」。「『弱者の身振り』。冲鷹を見ていると、そんな考えが浮かんでならなかった」と。(二六四-二六五頁)
*****
ここで私は、太平洋戦争時に徴用された船舶たち、あるいは海軍の艦艇となった特設艦艇たちの書いた私小説や手記などの文学を「後日譚文学」と定義しようと思います。本来船舶が持っていたはずの海運や船としての名前、運ぶはずだった一等乗客の存在は、いわば海の上で生きる彼らにとっては自分の船生そのものであり、その穏やかな海の上は船たちの「国」そのものでした。ところが御承知の通り、あの戦争で船舶らが得たものは、勇ましい鷹としての名前、石油や物資、航空機の輸送、あるいは火の中の海でのごく僅かな戦果と広大な一枚下の地獄だったのです。船舶らの「国」は亡国となり、あの平穏だったはずの海は、大破した艦から漏れ出す石油の燃える苛烈な海となりました。彼らはその新しい「国」に適応せざるを得ない状況へと追いやられ、人間でいうところのディアスポラ――移民や植民したもの――という立場に置かれたのです。
そして私が彼らの残した手記や文学を通して知ったのは、彼らが戦場の海になる前の平和な世界の海を欲していたということです。興味深いことに、これは開戦後に生まれたはずの戦時標準船らの文学にも見受けられました。彼らは戦下の海しか知らないにもかかわらず、素敵だったはずの昨日の海を欲していたのです。「素敵だったはずの昨日の海」、あるいは「昔の海」「少し前の頃の海では」「海が凪いでいた時のこと」、これらはどの戦時下の船舶文学でも共通して見受けられる記述です。今は亡き「国」を郷愁する船舶らの文学、それが「後日譚文学」です。
#「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦...
九州あたりで擬をしたいと思っているんだけど、住んだこともないし行ったのも多くはない。でもそれを言ったら海外の土地で創作されている方の一部も同様かもしれないし…
→というか、艦船擬人化がいて企業擬人化がいる世界に、土地擬人化もいるのだろうか。そしたら三菱が花婿(主人)で長崎が「蝶々夫人」になってしまうけど……
→そして……ふねが…子ども…?
→子どもたって海軍の子かもしれないし船会社の子どもかも知らん
…大陸への国内最前線が長崎であり、その母なる土地、母なる揺りかごに揺られて育って恩返しを願ったのが長船だったから、二人の子どもたるふねたちは元気な赤子として生まれよく肥えた。そののち、ふねぶねは海軍の子あるいは船会社の子として素直に海を生きて、やはり海外進出のためのよい先鋒となった。両親の愛を享けて生まれ、育て親の情を一身に受けた子、親たちにいっとう似た、聞きわけのよい可愛らしい子どもたちだった。
→というか、艦船擬人化がいて企業擬人化がいる世界に、土地擬人化もいるのだろうか。そしたら三菱が花婿(主人)で長崎が「蝶々夫人」になってしまうけど……
→そして……ふねが…子ども…?
→子どもたって海軍の子かもしれないし船会社の子どもかも知らん
…大陸への国内最前線が長崎であり、その母なる土地、母なる揺りかごに揺られて育って恩返しを願ったのが長船だったから、二人の子どもたるふねたちは元気な赤子として生まれよく肥えた。そののち、ふねぶねは海軍の子あるいは船会社の子として素直に海を生きて、やはり海外進出のためのよい先鋒となった。両親の愛を享けて生まれ、育て親の情を一身に受けた子、親たちにいっとう似た、聞きわけのよい可愛らしい子どもたちだった。