喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.437

太平洋戦争の日本の立ち位置に肯定的な人間ではないため、必然と自省的な物語になってしまうのだけど、かといってこの物語の主題となる戦時下のふなのりの話にその「自省」を安易に転写させるべきなのか、それは正しいことなのか、正しいのか逡巡すること自体がほんとうは正しくないのか…という悩みを
→延々と持ち続けているし、私は関係者じゃないからなおさら「外部からの失礼な説教」みたいにならないようにしたいな~と思いつつ
→→とはいえ、擬人化が長い歴史を俯瞰していたら興味深いな、とは思っている それは一つの主題になっている
どこに「私は属している」という意識を置くか、は地味に悩ましい 関係者ではないというのなら、軍隊にいた先祖の話を聞いたことがない(聞いたことがない≠先祖に居ないではないのだが)
→祖父が軍人だったら戦争のはなしを当事者性を持って描く特権があるのか、日本人だから第二次大戦全般に当事者意識があって良いのか わからん
正直「大脱走」は一種の踏み込みと踏み越えを行っている気がしてならず、そのことに自己嫌悪を感じることもある
→けど『歴史の風景』に「歴史意識というものは過去から距離を置くことを要求すると同時に、謙遜と制覇の間を行ったり来たりできる能力を要求すること」ともあり…

#「大脱走」(企業擬人化)

企業・組織擬人化