そしてその際、言葉や論理だけだとどうしても埋まらない部分があって、最後は感情や感覚の部分で共有できるところを探っていくことも重要になってくると思います。地球は平らだと思っているひとは自分とは世界がまったく異なって見えているかのように感じられるけれど、実は釣りが好きかもしれないし、お笑いが好きかもしれない……というふうにどこか共通点もあるはずですよね。異なるポイントだけにフォーカスして、そこをいくら論理で訂正してもあまり埒が明かないというか。それよりも何か人間としての、あるいは市民としての共通の感覚のようなものを通してギリギリ社会の分断を防いでいくことが重要なのではないでしょうか。 /井上弘貴 渡辺靖「現代アメリカ社会における〈陰謀〉のイマジネーション」『現代思想 2021年5月号 特集「陰謀論」の時代』 社会全体のなかでいま、反エスタブリッシュメントあるいは反エリートといわれる感情がこれほどまでに渦巻いているなかで、まさにこの『現代思想』を読んでいるような層のひとたちがどうふるまい、言葉を紡いていくのかがやはり重要だと思うのです。それについて私自身が何か明確な答えを持っているわけではないのですが、やはり「自分たちも間違っているのかもしれない」と自省する余地はどこかもっておいたほうがいいだろうと。 /井上弘貴 渡辺靖「現代アメリカ社会における〈陰謀〉のイマジネーション」『現代思想 2021年5月号 特集「陰謀論」の時代』 引用 2025/11/07
/井上弘貴 渡辺靖「現代アメリカ社会における〈陰謀〉のイマジネーション」『現代思想 2021年5月号 特集「陰謀論」の時代』
社会全体のなかでいま、反エスタブリッシュメントあるいは反エリートといわれる感情がこれほどまでに渦巻いているなかで、まさにこの『現代思想』を読んでいるような層のひとたちがどうふるまい、言葉を紡いていくのかがやはり重要だと思うのです。それについて私自身が何か明確な答えを持っているわけではないのですが、やはり「自分たちも間違っているのかもしれない」と自省する余地はどこかもっておいたほうがいいだろうと。
/井上弘貴 渡辺靖「現代アメリカ社会における〈陰謀〉のイマジネーション」『現代思想 2021年5月号 特集「陰謀論」の時代』