『伊藤計劃記録』1か2に、「映画を語る」という行為の恥ずかしさ(気恥ずかしさ)、恥の意識みたいなものの話が掲載されているのですが、あれは映画を語る時だけでなく、歴史、とりわけ「加害」や「被害」と呼ばれるものを語る時にもある気がしています。冷笑とかではなく「何か真剣なものを真剣に語る時の一種の気恥ずかしさ」というものは存在している。 2025/10/11