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カテゴリ「文章(全て)」に属する投稿[83件](3ページ目)
2024年1月15日 この範囲を時系列順で読む
「タバコは要りますか?神鷹」
「いいえ。結構よ」
まるで軍隊の粗野さからは程遠く、かつての貨客船時代の一等客すら彷彿とさせる典雅な響きをもって、元国策豪華船と元独逸優秀貨客船であった軍艦両者の会話は始まり、終わった。艦長に聞かれでもしたらきつぅく窘められそうな言葉遣いになってしまったな、と海鷹は思った。
***
元貨客船のなかには、艦梯を登る際に大きくだぼついた軍袴の横部をドレスを引くように掴んで笑われた者もいるというのだから、その身に宿すふねの性〔さが〕は深いものだ。人間たちは、そのことを都合よく忘れている気がする。ふねは皆ふねでしかない、という幻想が人間たちの思惑の間いっぱいに漂っている。特設艦艇という身に貨客船たちが容易に適応できると思っている。もちろんそうある船はいる。そうじゃない船もいる。人間たちの国家や国籍や民族名を統合したり分割したりしても、容易にその心情までは追いついてこないのとおなじなのだ。もっとも本土に閉じこもっている偉い人間たちがそれに気づくとも思えない。あるぜんちな丸は外国が好きだった。外国や外国人、外国にいる、外国に行く日本人が好きだった。本土の人間は小さくて適わんという言葉は船長から三等客までに聞かせられる囁きだった。
***
船であることというよりも貨客船であることにつよく誇りと自負があった妹、ぶら志"る丸は、航空母艦としての誉れを受ける前に早々にその身を海深くへと没していた。あれは亜米利加軍の雷撃がなくとも、たとえ一隻でも自ら死を選んだに違いない、というのが彼女の姉たる海鷹の見解である。わが身を航空母艦の何鷹云々に成すなんて、あの子は決して許さなかっただろう。
実際、特設運送船ぶらじる丸になったあたりからあの子は明らかに精神的不調を抱えていたし、その不調はその当時の軍隊での疲労や苦痛というよりもむしろ、それ以前に持ちえた過去が問題なのだった。
貨客船として人間達に愛されすぎたのだ、と海鷹は思った。妹はその愛情溢れる過去を過去であると捨て去ることができなかったのだ。そうしてわが身いっぱいに重い思い出を抱えた彼女は米潜の雷撃で沈んでいった。過去と共に。船の身と共に。誇りと共に。愛しき船長と共に。
人間全般にも特定の人間にも貨客船としての自分にも、つよい愛着を持たなかったことが軍艦海鷹を海へと沈めなかった要因なのかもしれない。
***
「私はもう軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ軍属」
軍艦冲鷹が特設運送船へ放ったこの言葉に、その場は北方海域より寒い零度となった。「……冲鷹、」と彼女をたしなめたのは大鷹型航空母艦のネームシップ、我らが”長兄”たる大鷹であった。
「下らない揶揄は止せ」
「揶揄ではない」
「なら尚更止めろ」
冲鷹を呼ぶ大鷹が一瞬言葉を言い淀んだのは、長女だった姉に本当は何と呼びかけるつもりだったからなのかな、と海鷹はぼんやりと思った。私はもう、軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ、軍属。このあっさり放られた言葉に含まれる、戦時下の軍隊のふねたちの見事な政治性!元貨客船新田丸は無邪気で哀れ、愚かな軍艦役者だが、彼女のこの言葉の鮮やかさは手放しでほめてやりたかった。すなわち、未だ商船の名残を留めたる輸送船に対し、すでに商船でない商船改造空母が軍艦であることで優越を誇る海軍という場の、露骨なまでの軍隊ざま、すさまじき地獄っぷりである。
ここではそうあることでしか我々は生きれないという今一度の再確認を、海鷹は冲鷹から賜ったのだ。そしておそらく、大鷹も。
…だいたい、どうして私が彼女を責められよう、と海鷹は思った。この泣きそうな輸送船の船名も、私は最後まで覚えられなかったのに。
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)
「いいえ。結構よ」
まるで軍隊の粗野さからは程遠く、かつての貨客船時代の一等客すら彷彿とさせる典雅な響きをもって、元国策豪華船と元独逸優秀貨客船であった軍艦両者の会話は始まり、終わった。艦長に聞かれでもしたらきつぅく窘められそうな言葉遣いになってしまったな、と海鷹は思った。
***
元貨客船のなかには、艦梯を登る際に大きくだぼついた軍袴の横部をドレスを引くように掴んで笑われた者もいるというのだから、その身に宿すふねの性〔さが〕は深いものだ。人間たちは、そのことを都合よく忘れている気がする。ふねは皆ふねでしかない、という幻想が人間たちの思惑の間いっぱいに漂っている。特設艦艇という身に貨客船たちが容易に適応できると思っている。もちろんそうある船はいる。そうじゃない船もいる。人間たちの国家や国籍や民族名を統合したり分割したりしても、容易にその心情までは追いついてこないのとおなじなのだ。もっとも本土に閉じこもっている偉い人間たちがそれに気づくとも思えない。あるぜんちな丸は外国が好きだった。外国や外国人、外国にいる、外国に行く日本人が好きだった。本土の人間は小さくて適わんという言葉は船長から三等客までに聞かせられる囁きだった。
***
船であることというよりも貨客船であることにつよく誇りと自負があった妹、ぶら志"る丸は、航空母艦としての誉れを受ける前に早々にその身を海深くへと没していた。あれは亜米利加軍の雷撃がなくとも、たとえ一隻でも自ら死を選んだに違いない、というのが彼女の姉たる海鷹の見解である。わが身を航空母艦の何鷹云々に成すなんて、あの子は決して許さなかっただろう。
実際、特設運送船ぶらじる丸になったあたりからあの子は明らかに精神的不調を抱えていたし、その不調はその当時の軍隊での疲労や苦痛というよりもむしろ、それ以前に持ちえた過去が問題なのだった。
貨客船として人間達に愛されすぎたのだ、と海鷹は思った。妹はその愛情溢れる過去を過去であると捨て去ることができなかったのだ。そうしてわが身いっぱいに重い思い出を抱えた彼女は米潜の雷撃で沈んでいった。過去と共に。船の身と共に。誇りと共に。愛しき船長と共に。
人間全般にも特定の人間にも貨客船としての自分にも、つよい愛着を持たなかったことが軍艦海鷹を海へと沈めなかった要因なのかもしれない。
***
「私はもう軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ軍属」
軍艦冲鷹が特設運送船へ放ったこの言葉に、その場は北方海域より寒い零度となった。「……冲鷹、」と彼女をたしなめたのは大鷹型航空母艦のネームシップ、我らが”長兄”たる大鷹であった。
「下らない揶揄は止せ」
「揶揄ではない」
「なら尚更止めろ」
冲鷹を呼ぶ大鷹が一瞬言葉を言い淀んだのは、長女だった姉に本当は何と呼びかけるつもりだったからなのかな、と海鷹はぼんやりと思った。私はもう、軍艦なんだから、気軽に話しかけるなよ、軍属。このあっさり放られた言葉に含まれる、戦時下の軍隊のふねたちの見事な政治性!元貨客船新田丸は無邪気で哀れ、愚かな軍艦役者だが、彼女のこの言葉の鮮やかさは手放しでほめてやりたかった。すなわち、未だ商船の名残を留めたる輸送船に対し、すでに商船でない商船改造空母が軍艦であることで優越を誇る海軍という場の、露骨なまでの軍隊ざま、すさまじき地獄っぷりである。
ここではそうあることでしか我々は生きれないという今一度の再確認を、海鷹は冲鷹から賜ったのだ。そしておそらく、大鷹も。
…だいたい、どうして私が彼女を責められよう、と海鷹は思った。この泣きそうな輸送船の船名も、私は最後まで覚えられなかったのに。
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)
2023年9月14日 この範囲を時系列順で読む
船で運ぶもの
Googleで「日本郵船歴史博物館」と検索すると検索候補に「恨み」と出てくるんですけど、あれ、結構びっくりしますよね。あれはおそらく博物館の展示である「戦争と壊滅」を指しているんだと思うんです。恨み、というのは商船がたくさん徴傭されたこと、その乗組員も取られたこと、その多くが返って/帰って来なかったことへの日本海軍と日本政府への非難のことでしょう。実際に皆さんが見たらちゃあんとわかったと思うのですけど、そこまで恨みってもんは書かれてなんかないんです。そこから日本郵船の恨みというものを感じるのは、むしろ私たちに後ろめたさがあるからじゃないのかしらん、とわたしは思っちゃいます。
敗戦後、事実上日本政府は企業に戦時補償をしませんでした。なぜならインフレを許さないGHQが補償を許さなかったからで、GHQが許さなかったという大義名分のもとで政府は補償をしない自身を許しました。もちろんもう少し事情は込み入るのだけど、とにかく補償はなくなちゃって、海運会社は踏んだり蹴ったりということで戦争は一応終わってしまいました。
戦争は終わりました。進駐軍が日本に来ました。占領下、といえばたとえば川島織物はアメリカ兵に大人気だったみたいなのです。珍しい織物や工芸品がいっぱいあったから。綺麗なものがいっぱいで。お土産品売りとして繁盛しました。あるいは工業の工場なら、日常用品を造ることでしのげたでしょう。鍋とか包丁とか。美しいものか実用的なものを。戦争には使わないものを。兵器を造ることは忘れて。
でも海運会社にはごはんの種の船がなかったから、船があっても外航できないから、まず本業はだめだったんです。印刷機とか船の大型洗濯機とかは残ってたみたいです。これでどうにかしのげないか、って話になってきます。たとえば洗濯屋をやるとか。貨客船文化で鍛えた接客業とか……。
なにより泡を食ったのは、商社と同じく、世界を跳躍した日本海運が……それらが集めた資金が、軍国の地位を押し上げたのではないか、という連合国側の考えとそこから由来する厳しい対応でした。商社の三井物産は解体されちゃったし、まあ日本郵船もねえ……みたいな話はあったみたいなんです。こういう企業がね。帝国を根強く支えた資本がねえ。三井三池鉱山があったことがどういうことかっていうとね。考えないとね。じゃあさ……。みたいなことになっていくんでしょうか。アメリカはそこまで考えてなかったと思うのだけど。でも、海運会社にその歴史を俯瞰できる、たとえばそう、擬人化のようなものがいれば、そこまで考えていたかもしれない、ですよね。物と人を運んでいくことの宿痾を。船で。船を使って。
公娼制と船ってふかく結びついていると思いませんか、とひとに提示する時に、脳裏にあるのは「からゆきさん」やそれに部類する多くの移民や流民や棄民です。明治時代の日本企業による海外進出は、まず三井物産が進出し、日本郵船が航路を通し、横浜正金銀行が支店を出すものだ、といわれていたけども、企業の進出のまわりにいて、それらを使う人びとがいっぱいいたはずなんです。もちろんからゆきさんたちは日本郵船の秘蔵っ子の貨客船なんて使わないのだろうけど、そうじゃなくて、そうじゃなくてわたしがしているのは、企業の手からこぼれおちたおおくの庶民のはなしです。小さな会社の小さな貨物船の船底に身をひそめて、時には溺れ死んでも、その手段を頼って密航せざるをえなかった民衆たちのはなしです。三等客室にすらなれなかったひとびとを、ときどき、企業擬人化たちはちゃんと思い出しているかもしれませんね。「妻の母はからゆきさんだった」とウィーンのある教授から手紙が送られてきたことがある、と書き残したのは『からゆきさん』を著した森崎和江でした。私はそれを読んだとき、その妻の父は誰だったのだろうか、妻の血筋は日本人だったのだろうか、その教授はどのような人種なのだったのだろうか、彼らに子どもはいるのだろうか、その彼あるいは彼女はどんな容貌をしているのだろうかと思い、またそれらの疑問はあの広大な大陸では何の意味もないのかもしれないと一人納得したんです。島国の向こうの大陸では国境は上に移ろい下へと侵攻し、また近代になって国家間で厳密に定められ、時には戦争で喪失し……ということが当たり前にあった、「からゆきさん」のいきついたマレーシアや朝鮮などの大陸の都はオーストリアの首都ウィーンへとはるばる連なっていきます。またそれは大陸だけのはなしではなく、この島国もそうした大陸の確かな一員であったこと、みはてぬ海とそこにあった陸はなにより広くてまた近かったこと、そのことを重々熟知していたのはやはり海運会社だったはずでしょう。あやしい混血の色彩と国籍の飽和は彼らのたしかに知る世界でした。その世界はきっとある意味でうつくしかったはずです。が、彼らの罪もそこから発したものでした。国家が国民の地位を担保する時代で、その寄り辺を持たなかった「からゆきさん」や移民たちは、渡った先の外国では容易に弱者へと転落していきました。そのことを承知しながらも、船で運ぶことが生業でした。なぜならそこに、資本と利益があったから。収益という存在意義が。
利益を追い求めた結果、軍国へと貢献し、その国家と軍は自らに船と犠牲とを求めました。けどその船と犠牲とは時に己に確固たる地位と利潤を由来させる可能性もあったんです。信濃丸はやっぱり誇らしかったことを、やっぱり憶えていたかもしれませんね。脆さをたたえた多くの戦標船を前にしてもその夢は崩れなかったかもしれない。なぜなら犠牲の先には、終わりと救済があったはずだから。まだこの苦しみの終わりとその補償の可能性はあった。わずかでも希望はあった。……はずでした。
私が求めたのは、そういった自らの罪と業の自覚と、それでもそこを進むしかなかったことを自認していた企業と、その未来と救済とが失われることになったはなしでした。戦争は終わったけれど、べつの戦争は終わっていないはなしでした。その戦争に嬉々と加担した自分とその自覚性のはなしでした。「大脱走」の主題の一つはそこにあるのです。
#「大脱走」(企業擬人化)
Googleで「日本郵船歴史博物館」と検索すると検索候補に「恨み」と出てくるんですけど、あれ、結構びっくりしますよね。あれはおそらく博物館の展示である「戦争と壊滅」を指しているんだと思うんです。恨み、というのは商船がたくさん徴傭されたこと、その乗組員も取られたこと、その多くが返って/帰って来なかったことへの日本海軍と日本政府への非難のことでしょう。実際に皆さんが見たらちゃあんとわかったと思うのですけど、そこまで恨みってもんは書かれてなんかないんです。そこから日本郵船の恨みというものを感じるのは、むしろ私たちに後ろめたさがあるからじゃないのかしらん、とわたしは思っちゃいます。
敗戦後、事実上日本政府は企業に戦時補償をしませんでした。なぜならインフレを許さないGHQが補償を許さなかったからで、GHQが許さなかったという大義名分のもとで政府は補償をしない自身を許しました。もちろんもう少し事情は込み入るのだけど、とにかく補償はなくなちゃって、海運会社は踏んだり蹴ったりということで戦争は一応終わってしまいました。
戦争は終わりました。進駐軍が日本に来ました。占領下、といえばたとえば川島織物はアメリカ兵に大人気だったみたいなのです。珍しい織物や工芸品がいっぱいあったから。綺麗なものがいっぱいで。お土産品売りとして繁盛しました。あるいは工業の工場なら、日常用品を造ることでしのげたでしょう。鍋とか包丁とか。美しいものか実用的なものを。戦争には使わないものを。兵器を造ることは忘れて。
でも海運会社にはごはんの種の船がなかったから、船があっても外航できないから、まず本業はだめだったんです。印刷機とか船の大型洗濯機とかは残ってたみたいです。これでどうにかしのげないか、って話になってきます。たとえば洗濯屋をやるとか。貨客船文化で鍛えた接客業とか……。
なにより泡を食ったのは、商社と同じく、世界を跳躍した日本海運が……それらが集めた資金が、軍国の地位を押し上げたのではないか、という連合国側の考えとそこから由来する厳しい対応でした。商社の三井物産は解体されちゃったし、まあ日本郵船もねえ……みたいな話はあったみたいなんです。こういう企業がね。帝国を根強く支えた資本がねえ。三井三池鉱山があったことがどういうことかっていうとね。考えないとね。じゃあさ……。みたいなことになっていくんでしょうか。アメリカはそこまで考えてなかったと思うのだけど。でも、海運会社にその歴史を俯瞰できる、たとえばそう、擬人化のようなものがいれば、そこまで考えていたかもしれない、ですよね。物と人を運んでいくことの宿痾を。船で。船を使って。
公娼制と船ってふかく結びついていると思いませんか、とひとに提示する時に、脳裏にあるのは「からゆきさん」やそれに部類する多くの移民や流民や棄民です。明治時代の日本企業による海外進出は、まず三井物産が進出し、日本郵船が航路を通し、横浜正金銀行が支店を出すものだ、といわれていたけども、企業の進出のまわりにいて、それらを使う人びとがいっぱいいたはずなんです。もちろんからゆきさんたちは日本郵船の秘蔵っ子の貨客船なんて使わないのだろうけど、そうじゃなくて、そうじゃなくてわたしがしているのは、企業の手からこぼれおちたおおくの庶民のはなしです。小さな会社の小さな貨物船の船底に身をひそめて、時には溺れ死んでも、その手段を頼って密航せざるをえなかった民衆たちのはなしです。三等客室にすらなれなかったひとびとを、ときどき、企業擬人化たちはちゃんと思い出しているかもしれませんね。「妻の母はからゆきさんだった」とウィーンのある教授から手紙が送られてきたことがある、と書き残したのは『からゆきさん』を著した森崎和江でした。私はそれを読んだとき、その妻の父は誰だったのだろうか、妻の血筋は日本人だったのだろうか、その教授はどのような人種なのだったのだろうか、彼らに子どもはいるのだろうか、その彼あるいは彼女はどんな容貌をしているのだろうかと思い、またそれらの疑問はあの広大な大陸では何の意味もないのかもしれないと一人納得したんです。島国の向こうの大陸では国境は上に移ろい下へと侵攻し、また近代になって国家間で厳密に定められ、時には戦争で喪失し……ということが当たり前にあった、「からゆきさん」のいきついたマレーシアや朝鮮などの大陸の都はオーストリアの首都ウィーンへとはるばる連なっていきます。またそれは大陸だけのはなしではなく、この島国もそうした大陸の確かな一員であったこと、みはてぬ海とそこにあった陸はなにより広くてまた近かったこと、そのことを重々熟知していたのはやはり海運会社だったはずでしょう。あやしい混血の色彩と国籍の飽和は彼らのたしかに知る世界でした。その世界はきっとある意味でうつくしかったはずです。が、彼らの罪もそこから発したものでした。国家が国民の地位を担保する時代で、その寄り辺を持たなかった「からゆきさん」や移民たちは、渡った先の外国では容易に弱者へと転落していきました。そのことを承知しながらも、船で運ぶことが生業でした。なぜならそこに、資本と利益があったから。収益という存在意義が。
利益を追い求めた結果、軍国へと貢献し、その国家と軍は自らに船と犠牲とを求めました。けどその船と犠牲とは時に己に確固たる地位と利潤を由来させる可能性もあったんです。信濃丸はやっぱり誇らしかったことを、やっぱり憶えていたかもしれませんね。脆さをたたえた多くの戦標船を前にしてもその夢は崩れなかったかもしれない。なぜなら犠牲の先には、終わりと救済があったはずだから。まだこの苦しみの終わりとその補償の可能性はあった。わずかでも希望はあった。……はずでした。
私が求めたのは、そういった自らの罪と業の自覚と、それでもそこを進むしかなかったことを自認していた企業と、その未来と救済とが失われることになったはなしでした。戦争は終わったけれど、べつの戦争は終わっていないはなしでした。その戦争に嬉々と加担した自分とその自覚性のはなしでした。「大脱走」の主題の一つはそこにあるのです。
#「大脱走」(企業擬人化)
- 「渺渺録」(企業擬人化)(128)
- 『マーダーボット・ダイアリー』(24)
- 「大脱走」(企業擬人化)(20)
- おふねニュース(18)
- 実況:初読『天冥の標』(16)
- 「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)(14)
- 読んでる(13)
- 「海にありて思うもの」(艦船擬人化)(13)
- 企業・組織(12)
- 「蛇道の蛇」(一次創作)(8)
- 読了(6)
- 「時代の横顔」(企業・組織擬人化)(6)
- 「空想傾星」(『マーダーボット・ダイアリー』)(6)
- 「徴用船の収支決算」(一次創作)(5)
- おふね(5)
- きになる(4)
- 感想『日本郵船戦時船史』(3)
- 御注文(2)
- 入手(2)
- 『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』(2)
- 「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)(2)
- 「人間たちのはなし」(艦船擬人化)(2)
- 『青春鉄道』(2)
- 「テクニカラー」/「白黒に濡れて」(艦船擬人化)(1)
- 「かれら深き波底より」(一次創作)(1)
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)