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No.1890
- 「渺渺録」(企業擬人化)(128)
- 『マーダーボット・ダイアリー』(24)
- 「大脱走」(企業擬人化)(20)
- おふねニュース(18)
- 実況:初読『天冥の標』(16)
- 「ノスタルジア 標準語批判序説」(二次創作)(13)
- 読んでる(13)
- 「海にありて思うもの」(艦船擬人化)(13)
- 企業・組織(12)
- 「蛇道の蛇」(一次創作)(8)
- 読了(6)
- 「時代の横顔」(企業・組織擬人化)(6)
- 「空想傾星」(『マーダーボット・ダイアリー』)(6)
- 「徴用船の収支決算」(一次創作)(5)
- おふね(5)
- きになる(3)
- 感想『日本郵船戦時船史』(3)
- 御注文(2)
- 入手(2)
- 『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』(2)
- 「『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』」(艦船擬人化)(2)
- 「人間たちのはなし」(艦船擬人化)(2)
- 『青春鉄道』(2)
- 「テクニカラー」/「白黒に濡れて」(艦船擬人化)(1)
- 「かれら深き波底より」(一次創作)(1)
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『小説の誕生』を読んでいる。
面白いのだが、ところどころ目が滑るというか、著者の書く文章と相性が悪いと感じる。内容は良い。もう少し読み進めてみる。
ある本をつまらないと感じた時、完読するように努めるという行為は、「おやつとして買ったお菓子が思いのほかマズかったのに頑張って食べている」「サブスクで好きでもない音楽を『教養の為に』と頑張って聴いている」状況と一緒なのではないか、と考えるようになった。努力というもの、それはそれで重要なのだが、趣味や娯楽で努力する、という行為はおかしいんじゃないか。これは絵を描くことも一緒かもしれない。いや、絵は努力すれば上達するので同じではないのか。それなら読書という行為にも上達という概念はあるのではないか。達成する目的をどこに設置するかの問題なのか?
ぐるぐるする。いずれにせよ、無理なくやりたい。
ところで、私は読む側としては漫画より小説のほうが好きかもしれない。もちろん絵や漫画は時として暴力的なまでに私を圧倒するのだが、基本的には文章や小説が好きだ。活字中毒かもしれない。
しばらくは、文章を書く訓練をしていきたい。漫画を描きつつ。