ところで(連想)『終戦のローレライ』は(著者の国家史観は別として)一つの物語としてうつくしかった 日本海軍の実直な歴史描写に挿入されるローレライ・システムという架空兵器のファンタジックさが、あるいは「馬鹿っぽさ」が危ういバランスで魅力と魔力を発揮しており、絶妙に世界はズレていて、ローレライ・システムはすなわちローレライであり少女であること、そのファンタジックさが、あるいは「馬鹿っぽさ」が…という再びの循環と混同、少女は兵器であり勝利だということあの時代のあの戦争中の男たちがみっともなく少女を(勝利の表象を)めぐって争っている、あまりに「馬鹿っぽい」フィクション性、が、潜水艦という人間の想像力に最も嬲られてきた船種を舞台とすることで、さらにファンタジー性が強化されるところ表象としての少女と舞台装置としての船の提示の仕方が、鮮明でうつくしい 2024.3.26(Tue) 19:54:38 感想
あの時代のあの戦争中の男たちがみっともなく少女を(勝利の表象を)めぐって争っている、あまりに「馬鹿っぽい」フィクション性、が、潜水艦という人間の想像力に最も嬲られてきた船種を舞台とすることで、さらにファンタジー性が強化されるところ
表象としての少女と舞台装置としての船の提示の仕方が、鮮明でうつくしい