喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.680, No.679, No.678, No.677, No.676, No.675, No.6747件]

#感想『日本郵船戦時船史』

◎盛岡丸は、船のなかで密航者(炭坑夫)を捕まえたために引き返している途中で日本の敷設機雷に掛かって沈没、という船。密航者のその後も気になる。
◎甲谷陀丸はカルカッタまると読む。


2024年10月10日「甲谷陀丸」まで/コマ番号49/519まで

感想

日報2024年10月9日
さっきまで19時だったのにもう21時でびっくりした。
2時間ぼんやりしてXをしていた。まあ告知をできただけ褒めたい……いやどうだろう。
「渺渺録」そろそろ指数を定めたい。

描/書:なし
読書:『椿の海の記』[2]
 まだ読んでいるのか…

日報

◎石牟礼道子の語り口という話 例えば岩波新書やNF文庫の「である」「であった」とか帝国主義とか資本主義とか蘭印作戦とか、後世の、現在の名詞や単語や標準語で語るには語り切れない風景、それこそ「人と人とが、殺し殺される関係性のなかに投げこまれる戦場という殺戮の現場」「巨大なキノコ雲の下で生起している数々の出来事」「夫や息子の死を「名誉の戦死」として受け入れさせてゆく時代と社会の巨大な力」「「敵の顔」の中に「人間の顔」を見出してゆくこと」(『アジア・太平洋戦争』)の出来事と、その風景が、そのような構成の正規の文章で形容されつつも、だからこそその実際が語りえない状態、はあるんだろうか
◎『日本軍兵士』の南方の作戦の概要たとえば飢餓に侵された戦線など、と、例えば『野火』のような兵士がぼんやりフィリピンの青空を見あげて放浪している風景、というものは同じものを語っている、にもかかわらずその情景は違うじゃないですか
◎「五月一二日には、アリューシャン列島のアッツ島に米軍の一個師団が上陸を開始した。約二五〇〇名の日本軍守備隊は、激しく抵抗したが、優勢な米軍に次第に圧倒されて、二九日には最後の突撃を行ない全滅する」(『アジア・太平洋戦争』)の行間と言い得る風景のようなものは、結局フィクションや詩歌で埋めるしかないのかな…と最近は考えはじめている
◎標準語というか現代語ですよね 現在の日本語 だって彼らは「マジ」とか言わないじゃん アッツ島マジヤバイとか 「マジ」とか「ヤバい」とかの地平線にいないんですよ
◎「マジ」とか「ヤバい」とかの地平線にいる私たちがいない彼らの話をする時に、言葉を変えていく、せめて工夫すべきかというはなしですよ

森崎和江は炭鉱の人間のよく言う「地獄」について言及しているけど、あの時代の半強制半奴隷じみた仕事につきもので、彼らが自らを言い表すワードとしての「地獄」があったのかーと興味深くなる あと遊女か
その意味で結核も炭鉱も遊郭もどんどん現在から去っていく中で、あの「地獄」という言葉をどうやって地続きにするのだろう
たぶん「蟹工船」の言う地獄は遊女や坑夫が自らの状況を指していう特定の共通の認識としてある「地獄」であって、天国や楽な状態や極楽の対義語としてのなんとなくの、現代の意味においての地獄ではない

ということを考えると、彼らが言う文脈での「地獄」を踏襲できないならいっそなくしてしまうのもアリかもしれない。今に言う「地獄」は天国や楽な状態や極楽の対義語でしかなくなっているのが現状なので。

感想

おそらく人間にとって最も根本的な、究極の問いは「起源」と「終末」をめぐるものだろう。私は、私たちは、人類は、この宇宙はどこから来て、どこへ行くのか。古来、神話や宗教がこの二つの究極の点をめぐって想像を働かせてきたのも、当然のことではないか。しかし、人間はそのどちらの「究極」も自分の目で見ることはできない。「起源」までさかのぼってしまえば、自分はまだ(・・)存在していないわけだし、「終末」まで行き着いてしまえば、自分はもう(・・)存在しない。われわれの生はこの「まだ」と「もう」の間に、つまり起源と終末に間に広がる居心地の悪い時空間を漂い続ける宿命なのだ。そう、まるで亡命者のように。ここで亡命者の比喩が役に立つのは、他でもない、亡命者の存在様式こそは人間一般の生き方の原型を鮮やかに示しているからである。亡命者は故郷というユートピアを追われ、もう一つのユートピアを求めてさすらうのだが、決して究極の目的地に行きつくことはなく、「間」と漂い続ける。
/『亡命文学論』


村野は大学を卒業して一年後の、1919年(大正8)、『様式の上にあれ』と題した論文を建築雑誌に発表し、自分の将来の設計活動の根幹となる考えを表明した。彼はそのなかで、近代人は、「如何なるが創造的進化の落処かを知るに苦しむもの」であるとし、したがって人類の確実な到達点としての明確な「未来」を見いだせないのと同時に、逆に美しく回想してそこに逃げ込む事のできる「過去」もまた喪失しているとした。かくて近代人はいわば「現在」に閉じ込められ、そこからどこへも逃げ出せず、「現在」を生きていく以外にない、というきわめてニヒリスティックな世界観を、ベルグソンの学説などを借りて提示した。
[…]
ところで海上を旅する旅客船は、すでに出発港を一つの「過去」として置き去りにし、他方で目的としての港を「未来」として予定しながらも「現在」を洋上の《点》として航海している。したがって「現在」を共に生きる者の一つの疑似的な共同体もしくは社会を構成しながら航行している、とも考えることができる。その意味で一隻の船舶は、村野の目にとって、いわば近代社会のモデルであり、それが現在に共に生きる者たちの世界を発端に具象化するものに映ったとしても不思議ではなかった。
/長谷川尭「船――現在を生きる者たちの世界」『艤装の美 村野藤吾建築図面集 第8巻』

引用