昔、独自ドメインをノリで契約したものを放置しているので使おうと思ったのですが、移管に手間がかかり、また何かあった時に七面倒な気もするのでしばらくはこのままにしようと思いました。次の更新まで全く使わなかったら解約するつもりです(元々解約予定だったのにし損ねてしまった)。
No.317, No.316, No.315, No.314, No.312, No.311, No.310[7件]
最近はブルスカって悪くないね……となっています。あとはupnoteやnotionをいじりつつ、Discordをひっくり返しつつ。
サイトが更新できていないので手をつけたいです。
サイトが更新できていないので手をつけたいです。
『大脱走 中』に投票してくださった方、ありがとうございました。
最近沈殿しているのだけど、やはり楽しく創作していきたいね。
最近沈殿しているのだけど、やはり楽しく創作していきたいね。
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2024/2/11 本屋へ行く。『遊廓・花柳界・ダンスホール・カフェーの近代史』が置いてあった!そういえばこんな本が出ると告知を読んでいた!きになる!けれど表紙の上が破けていたので、隣の本屋に買いに行くという荒業をしてしまった(申し訳なさがある)。在庫があったので、買った。からゆきさん、妓生、満州の遊郭も網羅されている。
貨客船に触れるのなら、近代建築という視点からも掘ってみたいと考えている。人間の世紀、人間の支配の世紀、人間の支配の証としての建築……。「日本的なるもの」という言葉のさすものを理解できていないので、モダニズム建築やその前の建築史を知りたい。今回は購入できなかったが、それらを網羅して良そうな『近代建築史 (建築学入門シリーズ)』 が良さそうだ。と立ち読みで思った。『ねじ曲げられた桜 上』帰りの電車で少し読む。
貨客船に触れるのなら、近代建築という視点からも掘ってみたいと考えている。人間の世紀、人間の支配の世紀、人間の支配の証としての建築……。「日本的なるもの」という言葉のさすものを理解できていないので、モダニズム建築やその前の建築史を知りたい。今回は購入できなかったが、それらを網羅して良そうな『近代建築史 (建築学入門シリーズ)』 が良さそうだ。と立ち読みで思った。『ねじ曲げられた桜 上』帰りの電車で少し読む。
本を読んでいると、この本良いなあというものがいっぱいあるのだけど 当たり前だけど全文勝手掲載とかはできないので
やはり自分の言葉や表現になるまで咀嚼して、咀嚼したものを提示するしかないのだろう
やはり自分の言葉や表現になるまで咀嚼して、咀嚼したものを提示するしかないのだろう
2024/2/9 通勤・退勤時には本を読まず。家でダラダラとしつつ、なんとなく手に取った本が岩波文庫の『失われた時を求めて1』であった。めくった丁度のところ、目についた一文があった。
「田舎娘を想いうかべると、かならず葉を全身にまきつけたすがたであらわれたが、私にはその娘が土地の植物で、しかも他の種よりもはるかに上等で繊細な組成をしていて、私の土地を深い風味に近づけてくれるような気がした。私がこんなことをたやすく信じたのは(そのうえ娘が私に快楽を味わわせてくれる愛撫もまた特殊なもので、その快楽はその娘以外の女からは味わえないにちがいないと信じたのも)、私がなお長い期間とどまっていた年頃では、さまざまな女と快楽を味わったうえで女を所有する快楽とはどういうものなのかを抽象化するには至らず、その快楽を一般概念に還元し、それゆえいかなる女もつねに同一の快楽を与えてくれる交換可能な道具だと考えるには至らなかったからである。」
『失われた時を求めて1』341頁
素晴らしい一文だと単純に感じた。読みづらい、というか読了しづらいことで有名なこの物語だが、読みづらさというものがこのような冗長な文章にあるのだとしたら、私には案外気楽に読了できるのではなかろうか。御覧の通り冗長な文章を書くのが好みな人間なので。
抽象化~概念に還元…には至らず、あたりの巧みさは味わい深い。
読了するには決心がいるので、もう少ししたら読み進める、かもしれない。読めないならそれでもいい。
「田舎娘を想いうかべると、かならず葉を全身にまきつけたすがたであらわれたが、私にはその娘が土地の植物で、しかも他の種よりもはるかに上等で繊細な組成をしていて、私の土地を深い風味に近づけてくれるような気がした。私がこんなことをたやすく信じたのは(そのうえ娘が私に快楽を味わわせてくれる愛撫もまた特殊なもので、その快楽はその娘以外の女からは味わえないにちがいないと信じたのも)、私がなお長い期間とどまっていた年頃では、さまざまな女と快楽を味わったうえで女を所有する快楽とはどういうものなのかを抽象化するには至らず、その快楽を一般概念に還元し、それゆえいかなる女もつねに同一の快楽を与えてくれる交換可能な道具だと考えるには至らなかったからである。」
『失われた時を求めて1』341頁
素晴らしい一文だと単純に感じた。読みづらい、というか読了しづらいことで有名なこの物語だが、読みづらさというものがこのような冗長な文章にあるのだとしたら、私には案外気楽に読了できるのではなかろうか。御覧の通り冗長な文章を書くのが好みな人間なので。
抽象化~概念に還元…には至らず、あたりの巧みさは味わい深い。
読了するには決心がいるので、もう少ししたら読み進める、かもしれない。読めないならそれでもいい。