喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。

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2024/2/9 通勤・退勤時には本を読まず。家でダラダラとしつつ、なんとなく手に取った本が岩波文庫の『失われた時を求めて1』であった。めくった丁度のところ、目についた一文があった。

「田舎娘を想いうかべると、かならず葉を全身にまきつけたすがたであらわれたが、私にはその娘が土地の植物で、しかも他の種よりもはるかに上等で繊細な組成をしていて、私の土地を深い風味に近づけてくれるような気がした。私がこんなことをたやすく信じたのは(そのうえ娘が私に快楽を味わわせてくれる愛撫もまた特殊なもので、その快楽はその娘以外の女からは味わえないにちがいないと信じたのも)、私がなお長い期間とどまっていた年頃では、さまざまな女と快楽を味わったうえで女を所有する快楽とはどういうものなのかを抽象化するには至らず、その快楽を一般概念に還元し、それゆえいかなる女もつねに同一の快楽を与えてくれる交換可能な道具だと考えるには至らなかったからである。」
『失われた時を求めて1』341頁

素晴らしい一文だと単純に感じた。読みづらい、というか読了しづらいことで有名なこの物語だが、読みづらさというものがこのような冗長な文章にあるのだとしたら、私には案外気楽に読了できるのではなかろうか。御覧の通り冗長な文章を書くのが好みな人間なので。
抽象化~概念に還元…には至らず、あたりの巧みさは味わい深い。
読了するには決心がいるので、もう少ししたら読み進める、かもしれない。読めないならそれでもいい。

常に「良い」と「美しい」の使うタイミングに悩んでいるので、時折フォロワーの作品に無邪気に「良い……」「うつくしい……」を押すか、面倒くさい感じに自我を出して「美術的に優れたイラストですね!」とか一歩踏み込んで「とても美しい!ところでこの絵を見るに"美術的に美しいこと"と、"倫理的にうつくしいこと"との関係性について、あなたはひどく洞察力があるようにお見受けしますが、その両者をどう考えていますか?」とか押したくなる(Misskeyにそんな絵文字は、ない)

2024/2/7 通勤中『ねじ曲げられた桜 上』少し読む。今は夜だけど朝読んだ内容が思い出せない。読む意味が謎。ページを見ればぱっと思い出すのであまり問題はないが……。
最近はあまり本を読めていない。夜、本タワーの整理をする。朝になれば机からベッドの上に、夜になればベッドから机の上に本を寄せる生活を送っている。

『短歌研究』に「作品ニ十首」という、1歌人の寄せた20首がいくつか掲載されているんだけど、千種創一先生の寄せた短歌集になると、とたんにぐっと温度が下がるというか、空気が澄むので流石だ、と思う
歌人の名前を確認しないで読み進めることも多いので、おや、これは?と思い歌人を確認すると千種創一先生だったりする 流石だ

「歴女」とか「腐女子」とかの単語の是非、話題になることも多いけど、「その単語やその使われている背景にまったく無知なので、耳に入った単語をなんとなく使っている層」がいることも認識したらもう少し話がすんなりいきそうだ、と思う時がある

艦これが流行って大きなジャンルになった理由は色々あるのだろうけど、とりわけ「開始時にはまだ絶妙にネット文化にアングラ感が残っていたこと(またその恩恵を受けていた世代がアクティブだったこと)」とか「二次創作をする時にSFらしくできること、また相性の良さ」とかの関係性の是非が気になる

SF文学と船の長い蜜月というか共犯関係についての考察とかないのかしら…