喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。

No.159, No.158, No.157, No.156, No.155, No.154, No.1537件]

しかし、もっとも重要なことは、初期高揚以来ドーピング期まで――多少ともぼろぼろになりながらも――維持されてきた「誇大的全体性」と決別することである。ダーウィンの『種の起源』は数倍十数倍の大著の完成の夢想を断念することによって現実の完成をみた。収束とは「断念による現実化」である。執筆はなお進行しているが、もはや「展開による現実化」の過程でなくなりつつある。この二つの 「現実化」の交替がどこで起こるかによって著作の形態と性格と雰囲気とがある程度決まる。
/中井久夫「執筆過程の生理学」『中井久夫集5』

引用

絵、小説、エッセイ、すべてのログをまとめる本拠地が欲しいと思いつつ、それは自サイトではないのか……?という思いもありつつ……
すでにログ置き場というものの考えが悪いのかもしれない、タイムラインに流さねばならない?

祖父(おおちち)の処刑のあした酔いしれて柘榴のごとく父はありたり
/「未完の手紙」『佐伯裕子歌集』


この美しげな最期の手紙をひたすら信じて、若い父と母は戦後を暮らしたように思う。ことに、「我欲、我執は貧、瞋り、愚痴と申す三毒が出て一家は正に修羅の巷となるべし」のおみくじのごとき箇所である。ここを、「戦犯の子孫は生涯を黙して暮らすべし」と解釈して、とにかく世間にものをいうことを恐れつづけていた。過度にものをいわなかった父は、世間を心底恐れているように見えた
/「墓石とワインボトル」『(同)』

引用

映画「風立ちぬ」
・「風立ちぬ」の最終部の煉獄の野原、で二郎が飛行機の墓場を仰ぎ見上げるシーン あまりに良く、私のなかで戦時期の演出の美の極致なんだけど その「良さ」がなんとも言語化しづらい
・私があのシーンを作ったら、最後は野原を下るだけになってしまうと思う あの瞬間の二郎の気持ち(=狂おしい未練)に思いが行き届かないので あとあれ天国を見上げながら地獄の方へ降りていくということかしら(そういう意味でもあの野原は煉獄)
・『風立ちぬ』のカプローニと二郎少年の夢での邂逅、『アンダーグラウンド』の死んだはずの者たちの宴のフィナーレ、『タイタニック』のローズを迎える沈んだはずの乗客たちとジャック そういう「この世のどこでもない余白の世界」が大好き

感想

「ハリー・ポッター」シリーズ再履修の記録
・スネイプとダンブルドアの共犯関係、共犯関係の手本のような共犯関係
  ・「再」なので結末は知ってるんだけど、スネイプとダンブルドアの共犯関係の形式美がすごいよな~と思う。「目的達成のためには殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの姦計とする」関係、至上の共犯関係だ……。
  ・殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの巧妙な姦計とする、これが最大の共犯関係じゃなくてなんだというのだろう
  ・殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの巧妙な姦計とする共犯関係 ありそうでなかなか見ないかも 児童書にしては性癖を拗らせすぎなんだよな
  ・共犯関係というと「死体を埋める」しか知らなかったけど、「目的達成のためには殺し殺される関係すらも互いの了解の元で自分たちの姦計とする」という視点は欠如していた
    ・共犯関係のことをよく「死体を一緒に埋める」と呼んでるんだけど、「片方を死体にすることも目的の達成手段のうち」関係はさすがに考慮してなかった
・まあダンブルドアは死ぬのが決まっていたし、その死をなるべく苦しまないように終えたいという、ある意味利己的であり目的達成のためだけの死ではなかったのだけど。でもあの殺人はスネイプを闇の陣営に振り戻すには好都合の演出だったわけで……。いやホントすごい。児童書じゃないだろこの拗らせ方……。
・いやダンブルドアとスネイプの感情デッカ……… じゃなかった両者がデカい感情を向けているのはハリーに対してであって、両者の関係は彼の身の保全という姦計をめぐらす共犯関係なので
  ・スネイプはダンブルドアが天国に行ったら同じ天国で、地獄に行ったら同じ地獄で再び相見合う宿命だし、どちらかというとどちらも同じ煉獄で、永劫に天国にも地獄にも行けなく佇んでそう
・あまりに多くのものを破滅させたのはヴォルデモート卿だけではないのだ、というダンブルドアへの理解

感想 「ハリー・ポッター」と極致の共犯関係

感想

感想「さらば、わが愛/覇王別姫 4K」

なんとなく戦時下の京劇の映画くらいまでしか知らなかった。のですこし後半にはびっくりしてしまった。が、この映画の本番はその後半、文化大革命あたりの話だったようにも思える。

京劇も蝶衣(レスリー・チャン)美しいのだけど、その美しさ自体よりも、その美しい時代が過去のものとなり、新しく生まれた世代にも古き体制だと馬鹿にされ、あげつらわれ、だんだんと美しくないものが社会的に「美しい」ことになっていくさまが興味深かった。小四への体罰とか、根性論とか、完全にから回っている描写が印象深い。
世代間の断絶がすさまじく、その断絶への悲しみ、また共産主義体制への怒りを感じた。1993年公開、イギリス領香港での制作とのことだが、それでもここまで嫌悪感を描けるのは凄い。中国への好意と嫌悪感。また同じく日本と日本人への当たり前の嫌悪を発露、罵倒をするが人間的尊敬も忘れない。
今回は4Kバージョンの映画を観た。
2023-08-06 観了

感想