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喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。最下部にカテゴリー・タグ一覧あり。

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#感想 #書いた小説・文章
#船擬 ##マダボ ##渺

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2025年6月26日 この範囲を時系列順で読む

そして戦後民主主義が開放したのはこの「私権」意識であった。日照権、ゴミ戦争、医料値上げ闘争、などの市民運動は、「戦後民主主義が根づいた」と称される姿である。
「なんば言うか、ケタクソわるい」と閉山町の日雇い人夫は言うだろう。それでも時代は確実にそのように動いてきた。結婚すれば大それた迷いはなくなるという庶民の、父祖伝来の教えは、そのまま一面では生きつづけてマイ・ホーム主義は建築産業の開発から日本列島改造論へと表裏一体である。経済基盤を固めた戦後民主主義は、結婚しても迷いはなくならない、というヒネクレ者にも寛大となって、「それはあなたの自由です。あなた自身の生活を十分に主張してください」と言う。

/「戦後民主主義と民衆の思想」

感想引用

くらしのなかに民主主義ということばは苦もなく入っていった。それはたとえば次のように。私の父はその郷里で村長にと、のぞまれたことがある。そのとき村人が言ったことばが耳に残っている。「あなたのお父さんはやっぱりえらか。若いときから民主的なお人だった」そしてまた或るとき戦地がえりのまだ若さが残っていた農民は、私へ言った。「あんたのお父さんを見習って、わしらも民主的にしよりますよ」。それは些細なことで、旧習を破って何かを同世代ではじめたら、夫婦単位で行動をしたり、ということにすぎなかった。
 戦後はこのようなはじまり方をしていいはずのものではなかったのである。

/「戦後民主主義と民衆の思想」

感想引用

2025年6月25日 この範囲を時系列順で読む

もっと帝国主義者っぽい郵船さんにも寄せていかねば…と思いつつ、贔屓でただの善人になってしまい
政府の手厚い後援を享けつつ日本海運のフラグになっている、それに比べて2手3手の会社の俺たちは自分の商売だけで…という証言(ニュアンス的には憎まれ口で本気ではない)を読んだことがある
海外航路を開けば補助金が出るし、優秀船舶助成施設でなくてももともといろいろな補助があっただろうし、そもそも郵船さんのお母さん(郵便汽船三菱)が政府の支援の下大きくなったので…という話ですね

「郵船さんのお母さん(郵便汽船三菱)が政府の支援の下大きくなったので…」が今読んでいる『三菱財閥史 明治編』にメインテーマとして出てくるので良い
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想

2025年6月21日 この範囲を時系列順で読む

#読了 『友軍とガマ 沖縄戦の記憶 (沖縄・問いを立てる 4) 』

感想

李良枝は、"自分は日常的に韓国・朝鮮を感じ接する機会はなかったし、生活習慣も知らないし韓国人の知人も居なかった、だからそれらは書籍を通じて知った、すなわち自分の民族との出会いは非常に観念的なものだった""母国の悲惨さと許しがたい歴史、民族的アイデンティティを、正義感と政治的立場と共に自分の命題とし、把握するしかなかった""韓国は朴正煕政権であり、日本のマスコミをそれをネガティブに伝えていたから、母国とのかかわりも政治的な面に集約されていた""大学で同胞と出会ったけれど、あまりに観念的・政治的傾向の強い討論ばかりで疑問を感じた""韓国語の読み書きもできず本国の生活も知らず、何を根拠に「連帯」と「反体制」を語るというのか"と言って、"実体もなしに言葉だけを弄ぶ政治的なスローガンよりも個別的な問題に目を向けて、実感の伴う運動で自分の生きざまを把握していきたい"と締めくくっていて、これの前半は「民族」を「戦争(歴史)」に置き換えたらほぼ私のことなので自戒にしてる

感想

とはいえ映画「国宝」、冒頭に60年代くらいの酒盛りの美しさも華麗に描かれており、それが単純にとても良くて、いつの間にか私は好きだったはずの日本海軍やあるいは日本文化そのものに負の面やいわゆる「加害性」やらを見出しすぎていないか、と自戒しましたね……

感想

映画の「国宝」を観に行った時に、戦争映画の「雪風」「木の上の軍隊」(あと忘れたけどもう一作)の予告が流れていたけど、悪い意味で「やはり戦争映画が撮れたのは70年で限界だったのではないか…」となった

感想

映画「国宝」観た

良かったけど、ドロドロパートがドロドロしすぎる…
あと主人公たちのかわいい部分(愛着が持てる部分)がもっと前面に出ていると良かったかな…

でも良かったです。映画館で泣いたの初めてかもしれない畳む

感想

2025年6月18日 この範囲を時系列順で読む

#読了 『長崎製鉄所: 日本近代工業の創始』デジコレ個人送信限定から入手したpdfにて

幕末あたりに長崎製鉄所ができる→明治になり官営の長崎造船所となる→三菱に払い下げられた後に三菱重工業長崎造船所へ…という感じ。大雑把に言えば……。
読み砕けなかったことも多いので、もう数度読みなおそう。
擬で言えば官営と三菱の長船は別人物かもしれない。官営は親というか先達ではあるが……。
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想

2025年6月17日 この範囲を時系列順で読む

かってはこの世界最大の土佐艦長を理想とした自分が水葬の曳航任務にあたるとは,あまりに悲痛な皮肉を感ずる。しかし土佐は橘姫の運命にも似て,世界平和の犠牲として水葬されるのだ。もし土佐に霊あらば瞑して呉れるだろう。兎に角華府条約による処分終了期は2月16日までだから、突発事故などでそれまでに廃棄されないとすれば重大な国際問題ともなり,自分が切腹したくらいでは済まないのだから責任がある

/『造艦回想』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

2025年6月16日 この範囲を時系列順で読む

 ぼくらの父祖たちにとって国家はどうだったか?それは幻想としての国家像の暗闇であればある程、顕在化する形として女たちの狂気の挿話をとりあげることができる。昭和の十年代、素封家に育った女が、その夫は都市に就職したけれども、女が海を渡るのは当時村では禁忌だった。年月が立つうちに、ついに思いあまって磯の波打際にひざまづいている女の姿が村の誰れそれの眼にも頻繁にみえるようになった。いわば古いしきたりと禁忌によって素封家に生まれた女なのだが、「時間」の推移によって対幻想が危機にさらされるとき素封家の女は美しくしかも近よりがたい狂気と化したのだ。狂気によって孤島の波打際は都市につながる幻想であり、幻想としての村共同体が解体してあと、一種の可能性として思いみられる共同体である。その女には自覚されざる、しかも情念の内にいだかれている国家像だといえる。また可能性として思いみられた共同体は一度解体したので、それは一つの共同体の影であり、それは幻想である限り、未来の階級を女の自覚しない形で、地つづきの境域として思想者に思いみられるものだといえまいか。マツスとしての波の砕ける無人の磯でくる日もくる日も、荒波のうねり割れる響きと、島を脱出するのをむげにおとしめる村の不文律によって夾撃されて強度の自己禁忌におちいることによって、はじめてつりあう心理的危機が醸成される。それは素封家の由緒正しい子女が村の性のアナーキズムから自己疎外することによって人間形成を遂げたので、狂気は破滅へ向う解放としてでもなく、一種の鬼気をただよわせてあおじろく細っていながら、自己禁忌の極限において対幻想(都市の夫と生活を共有したい思い)は空洞化しながら一層深く女の「生」を拘束する呪縛となるのだ、といえよう。そこから女が脱出するには途はおそらく二つしかありえない。森崎和江の「権力側の祭神に接続していた巫女が、共同体の解体に従って次第にその被所有へ偏向し、やがてその領域の意識の診断者、伝達者として民間遊行の歩き巫女になった。」(「被所有の所有」)といった風に性の融合倒錯によって村共同体の幻想域に生きるか、禁忌を破砕して男たちの一方的につくった共同体を越境することによって対幻想をまっとうするか、のいずれかだ。つまりは自己の対幻想が深まれば深まるほど村共同体の禁忌は家系を通してそれにくつわをかませ浸触してゆく。無言の誰何の目たちにさらされて、狂気は必然的に自己幻想の緊張度の限界を越えるとき発狂となる。素封家の貞女たちは村ではたいてい発狂の危機をあやうく持ちこたえている女たちだ。それを吉本隆明は人間心理の闇黒にわけ入って解明する。「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで〈共同幻想に浸触〉された状態を〈死〉と呼ぶ」(「他界論」)と。素封家の女は、幻想を共同体の方へ傾斜させ一致させる心理的すりかえによって「歩き巫女」になって狂気の、生活への解体をなしとげる情念の風化現象による個人性の喪失ではなく、最後まで個人性のますますリアリテをもつ幻想を生きその重みに耐えかねて発狂し、ついに他界したのである。沖縄に生まれ育った者は多かれ少なかれ素封家の女が自己幻想に全存在をささげ、狂して他界するまでの〈生〉の過程を土着への、あるいは共同体への屈服として単なる哀しい挿話でなしに、個人性の連帯への覚醒の予兆としてくみとらねばならないのではなかろうか。なぜなら「女人禁忌」の思想が原則的には崩壊しているのにもかかわらず、見えざる形で人間関係の心理的動因を規制する範型になっていはしないかという危惧を打ち消すことがいまだにできかねるからだ。それは共同体にまつわる気候、風土などの民族的な感受帯をいかに対象化し、脱却するかという個人性の自覚をまって始めて思想と詩の自立が問題になるのだといえよう。既成の国家の共同性が知識人たちを挫折させる日本近代のメンタリティーの病理もそこに淵源することは二度の大戦でいかにぶざまに日本の知識人たちが国家の共同性のファナァチックな危機の情況で同化解体していったかを思い返すだけで充分だろう。思想の裏切りなどという倫理の次元ではどうしても解決しようのない転向は、風土と民族の感受帯を抽出対象化し共同性を批判し自立する思想の個人性の論理がみちびきだされない限り、糾明されないだろう。論理として意識するとせざるとにかかわらず、また詩作品もその論理によって批評することが一つの確実な射程となることはたしかだ。

/清田政信『情念の力学』
※沖縄について

感想引用

2025年6月14日 この範囲を時系列順で読む

たしかに占領軍の海運政策は苛酷であった。日本海運を根絶やしにする意図かと思えた。日本の商船隊は財閥と結びついて世界に跳りょうし、その軍事力増強に大きな役割を果たしたというのが、米英など連合国の認識であった。

/『二引の旗のもとに』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

 原合名会社が富岡を経営していた明治後期から昭和のごく初期にかけては、日本の生糸輸出の絶頂期ともいえ、大正時代には世界の生産高の6割を占めるほどになりました。
 日本にとっては、生糸輸出で獲得した外貨によって軍需品や重工業製品を輸入するというパターンができ、「生糸が軍艦をつくる」とまでいわれるほどでした。製糸業が富国強兵に大きく貢献したことは間違いありません。

/『富岡製糸場と絹産業遺産群』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

2025年6月13日 この範囲を時系列順で読む

伝えないことが愛情、だったのかもしれない。多くのものを遮断してきたように
#実況:初読『天冥の標』

感想

『天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC』の結末、あまりに美しい 最後に示された「私たちの物語」は、今現実で言うのなら歴史修正と言ってもいいだろうし、私が普段読んだり扱ったりしているジャンル=歴史はその行為への抗いと、いかに継承していくかの問いで実践されているものなのに、彼らが過去を婉曲どころか完全捏造していることに深い共感を感じた 共感したことに驚いた

だって、全ての災厄の病を、生きた子どもごと遮断し閉鎖した二区・六~九区を、たかる悪臭とハエと蛾を、子どもが子どもを支配する専制政治を、特配のクーポンで身を売ったことを、糞尿をリサイクルして食べていたことを、かつて人間には投影ではない本当の青空があったことを、大きな宇宙を、そこにあった地球人類文明を、災厄で亡くなった父と母たちを思い出して、伝えて、継承して、何になるのか?という話なんですよ。断絶させるしかないじゃないですか……ああ、そうだね……これが……

#実況:初読『天冥の標』

感想

『八幡製鉄所』(教育社歴史新書)は八幡製鉄所の話だけではなく、例えば冒頭には長々と日本の造船(の始めの)事情が書かれており有難い
本来は採鉱→製鉄→造船の順となるべき産業技術の導入経路が、黒船以来の日本では造船→製鉄→採鉱となった、というのは考えたことがなかったな
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想

#入手 『虹の鳥 新装版』

感想

2025年6月12日 この範囲を時系列順で読む

#実況:初読『天冥の標』 『新世界ハーブC』読了

メニー・メニー・シープ……

感想

2025年6月11日 この範囲を時系列順で読む

ところで、本書の圧巻は、なんといっても著者の手になる「浄魂を抱いて」という戦後の章である。
みずから生徒を死に追いやったとする著者の自責と慟哭は美しい。「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、ぎょうこうであった」ということばのうちに秘められる無限の悲しみは、あまりに美しすぎる。文体のリズムまで支配しているかにみえる著者の倫理的な美しさは、死んだ生徒の魂を「浄魂」ととらえる視点にまであらわれている。
あまりに美しい。だがそのあまりの美しさに、私はかすかないらだちを感ずる。今まさにベトナム戦への加担者として生きている私(たち)が、それを余儀なくさせている沖縄の状況にたちむかうとき、このような美しさは、私(たち)からある種の凶暴な怒りを奪いさるのだ。はかなく、もろいこの種の美しさは、その美しさの故に私(たち)を魅きつけ、心を奪いさる。そしておそらく殺戮者は、そのような美しさを喜びむかえるにちがいないのだ。だから、私は、このような美しさを心から拒否したいとねがっているのである。

/『「沖縄」に生きる思想』「「ああ、ひめゆりの学徒」を読んで」
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

#実況:初読『天冥の標』 『新世界ハーブC』

怖いよう…閉鎖空間、嫌すぎる SFに何言ってんのという感じだが…

感想

#実況:初読『天冥の標』 『新世界ハーブC』

サジェストに「アニメ化」と出る「天冥の標」シリーズ、『機械仕掛けの子息たち』でまず無理だろと思ったけど、『新世界ハーブC』でも無理

感想

2025年6月10日 この範囲を時系列順で読む

ソウルから来日した旧友は、北九州市におりたって、駅名――八幡――を見あげた時、ちいさな叫びをあげました。その声で反射的に私は思いだしました。それは二十数年まえの感覚であって、八幡・鉄の都・軍需……とつながるなまなましい現実です。植民地にもその名は威圧的につたわっていました。「ここがあのヤハタですね」と彼はいい「韓国では今の若い人もヤハタの名はたいてい知っています」と続けました。

/「北九州労働者風景」『ははのくにとの幻想婚』
#「渺渺録」(企業擬人化)

感想引用

石炭運搬の一過程における虚構と現実のこれら二つのストライキよりすでに前に、筑豊の石炭の最大の消費者である八幡製鉄所で、歴史にのこる大罷業が決行されていた。一九二〇年早春のことである。日本で最初のこの官営製鉄所は、もともと、筑豊炭田という国内最大の産炭地を至近距離にひかえているという立地条件のゆえに、北九州の八幡村に建設されたものだった。日清戦争での勝利から二年ののちに操業を開始したこの製鉄所は、数年後の日露戦争を可能とし、さらにその後あいつぐ対外戦争のいわば産屋となった。ここで生産される鉄が、財閥資本の重工業によってあらゆる兵器や艦船や戦車や車輌に加工された。製鉄に使う石炭も、軍需工場の燃料となる石炭も、財閥資本が経営する炭鉱から、やはりこれら財閥資本が大きなシェアを占める船舶会社の輸送船で、これらの財閥によって系列化された荷役システムを介して、運搬された。

/『石炭の文学史』
#「渺渺録」(企業擬人化)

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2025年6月9日 この範囲を時系列順で読む

#実況:初読『天冥の標』

いや 『新世界ハーブC』アフターじゃなくて現在進行形の地獄だった

感想

『天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC』読んでる #実況:初読『天冥の標』

冒頭から地獄のアフターで…これが新世界なんですね

感想

たとえば、愛しあうが故に殺し殺されていった人々に、皇民化そして軍国主義的イデオロギーの強制的帰結として、性=生の「収奪」というジェンダー暴力を発動させてしまったのが、ほかならぬ「集団自決」であったとは考えられないだろうか。「米軍に捕らえられ陵辱されるくらいなら親しい者に殺されたほうが良い」という強迫が皇民化と日本軍強制という文脈のなかで島の人々のなかに内面化され「集団自決」が引き起こされていくとき、そこに、ジェンダー的強迫観念が作用していたことは確かなように思われる。

/『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島 ジェンダー的視点』「攪乱する島」

感想引用

『第三十二軍司令部日々命令綴』所収の「球軍会報」一九四五年四月九日付(防衛省防衛研究所所蔵)には、「爾今軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」とある。

/『沖縄・問いを立てる1』「座談会 沖縄の現実と沖縄研究の現在をめぐって」注釈

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2025年6月8日 この範囲を時系列順で読む

『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島』めちゃ面白かった

感想

2025年6月7日 この範囲を時系列順で読む

#読んでる 『沖縄・問いを立てる3 攪乱する島』

感想

2025年6月1日 この範囲を時系列順で読む

僕等の詩魂のうちに生きてゐる信仰に比べれば現実の政治形態の如きは架空の国に過ぎぬのではあるまいか 小生はいよ〱政治不信者たる事に専念するだらう 日本のジャアナリスムは又同じ事を繰り返すだらう 曰く新文化政策 偽革命偽転向 楽し気な反省 軍備を撤パイしたら序に政治も撤廃してほしい位のものだ 芸術の根基の失されたと君は言ふ よろしい 君にはもともとそんなものはなかつたと言ふ大事に思ひ至るか[が]よい 君には未だ一個の茶碗が見えてゐなかつたのである

/小林秀雄の手紙(神奈川近代文学館所蔵)
「小林秀雄の戦争と平和」【1】八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」①

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2025年5月26日 この範囲を時系列順で読む

言い忘れてたね。バークリーで専攻変えたんだよ、作曲に。うん、自分で見切りつけたっていうか。日本じゃこれでも将来を嘱望されてたんだけど、自分で言っても信用されないって?ほんとだよ。でもこっちにはぼくくらいうまい奴ごろごろいる。来てすぐの頃、クラスの奴の演奏聞いてさ、チェコかポーランドか忘れたけど東欧から来た奴で、いつもすれた衿のシャツと膝の抜けたズボンの着たきり雀で、英語もすげえ訛りなんだけど、いったんギターの弦に触れたら、もうそこらの景色が変わるっていうか……。それに奴の横顔がね、神様みたいなんだよ、ギター弾いてる間。日頃はどっかのホームレスみたいなのに。

/『傷のあわい』「移民候補生」

感想引用

2025年5月23日 この範囲を時系列順で読む

「アリーテ姫」の冒頭モノローグ、まるで物語の最後に添えるような内容だったので、初見冒頭にして三回ほど再度再生してしまったことを告白する

冒頭モノローグは「その城の姫君は高い塔にひとり籠り、いつか訪れる花婿にふさわしい人のため、世の中の穢れのすべてから遠ざかり、清く、気高いその身を守って、今日も待ちつづけているのだと、人びとの口は、そう言うのでした」なんだけど、もの悲しい音楽も相まってオープニングというよりエンディング感すらある

感想

『千々にくだけて』面白いけど、やはりエッセイ然としているのが完全には抜けていない感じもある 淡々さ。

感想

2025年5月15日 この範囲を時系列順で読む

「戦後二十五年,延々と私達の主体は心ある日本人の鏡の役でしかありませんでした」。ここで指摘されているのも,いい日本人をつくるための鏡として在日朝鮮人がずっと設定されてきており,朝鮮人に対して親切にすればいい日本人,差別した人は悪い日本人,という構図なわけです。こういった構図のなかでは朝鮮人自身が主体となることはありませんし,朝鮮自体が抱え込んでいる問題がともに解決すべき問題として共有されることもありません。つまりマジョリティたちを照らしだすための鏡としてマイノリティが利用されていることについて厳しく指摘されているわけです。この指摘は最近になってなされたものではありません。講演のなされた1971年に既に指摘されているものです。
/「帝国の養女の里帰り」

感想引用

2025年3月26日 この範囲を時系列順で読む

#実況:初読『天冥の標』
『天冥の標Ⅵ 宿怨 PART2』宇宙に進出している人類のさまざまな連合や組織で集まった宇宙大会議(?)に呼ばれていないのに勝手にやって来て、文句をつけた挙句に反対票を投じる地球の国連大使、とてもよい

感想

#実況:初読『天冥の標』

「宿怨 PART2」の35%めあたりだけど(初読失礼~)、これミヒルはハチャメチャなことをして破滅を呼んだ挙句に、正しい死に所を与えられていっそう「美しく」鮮やかに死ぬタイプだけど、イサリは「無様に」死に損なって生き残るやつでは…

感想

#実況:初読『天冥の標』
新鮮な悲鳴、上げていくか





















感想

2025年3月24日 この範囲を時系列順で読む

映画「アリーテ姫」を観ていたんだけど、冒頭のモノローグが"内に籠っている"というか自閉しているというか…で、思わず「えっ?ここで始まってここで終わってるの?」と、ちゃんと初めから再生できているかどうか三回も再生し直して確認してしまった

あれは出来の良し悪しの問題ではない気がする。籠っているというか、突き放されているというか。あれが姫を語る語り口なんだろうか

まだ観終えていないので引き続き観る

感想

2025年3月1日 この範囲を時系列順で読む

『呪われたナターシャ 現代ロシアにおける呪術の民族誌』読了。

ロシアで著者と共同で調査者をしてくれたイリイチの体験談が面白かった。
ある村に行って「悪魔とはどういうものか?」と尋ねると詳細を語ってくれたがどこかで聞いたことがある話だった、だから「どこで知ったのか」と聞いたら「ラジオで偉い先生が言っていた」と言われた、その「先生」とやらは自分であり、なんと自分で自分の話を採集していたのだ。
また"外国人の私が調査をすること自体が呪術に「リアリティ」を与え、呪術を増大させている、私自身が社会的プロセスの一部になる、日本語こそは読めないが『呪われたナターシャ』を手に持ち呪術師たちは「日本の研究書に写真入りで紹介された呪術師」を名乗るだろう"とのこと。

感想

2025年1月31日 この範囲を時系列順で読む

中井英夫『黒衣の短歌史』 中井は本当に反省してはいるものの、自死の一ヶ月前に自分の全集を撫でまわしていた太宰治に「生きてる癖に全集を出して喜ぶ位の人だったのかな」と思わず癪に触って、「もう死ぬのかと思いましたよ」「こっちが太宰さんの言葉で苦しんでいる時にこうやって御本人が生きているのを見ると…」と言っちゃったらしくてもっとこう…手心というものを……

感想

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