No.648, No.646, No.645, No.644, No.643, No.642, No.641[7件]
実際は『現代詩手帖』に収録された月吠番外編(タイムトリップもの)を意識してます。
「あの丘」は未読・未観、かつ知識はありませんが、皆さんの感想をもとにあらゆる意味での逆張りを目指しました。
日報2024年9月27日
iPadは残り3%、充電中につき使えず。
昔、アナログ時代はペンのインクの残りを常に把握していたので、これはただの怠惰である。自分が使う道具への無頓着である。
PLOTTERの紙に、シャーペンで模写をする。アナログでも描くべきなのだ。
人様の絵や写真を見ていると学びがいっぱいある。
絵を描くためには絵を見ないといけない。そして見ていると、やはり自分も描きたくなる。
昨日横須賀の絵を描いたが、久々に絵を描いたので「描き込みへの粘り強さ」が衰えた気がする。堪え性が無いのだ。すぐに完成ということにしてしまう。まあそれはいつものことだけど……。
最近は絵や漫画より文章(ノンフィクションや小説)をたしなむ。そして私も書きたくなる。両立がなかなか難しい。
描/書:アナログ模写[2]※
読書:『椿の海の記』[3]
※[]1-5段階でどれくらい取り組んだかを評価
iPadは残り3%、充電中につき使えず。
昔、アナログ時代はペンのインクの残りを常に把握していたので、これはただの怠惰である。自分が使う道具への無頓着である。
PLOTTERの紙に、シャーペンで模写をする。アナログでも描くべきなのだ。
人様の絵や写真を見ていると学びがいっぱいある。
絵を描くためには絵を見ないといけない。そして見ていると、やはり自分も描きたくなる。
昨日横須賀の絵を描いたが、久々に絵を描いたので「描き込みへの粘り強さ」が衰えた気がする。堪え性が無いのだ。すぐに完成ということにしてしまう。まあそれはいつものことだけど……。
最近は絵や漫画より文章(ノンフィクションや小説)をたしなむ。そして私も書きたくなる。両立がなかなか難しい。
描/書:アナログ模写[2]※
読書:『椿の海の記』[3]
※[]1-5段階でどれくらい取り組んだかを評価
◎戦時下の埼玉県、もちろん出征している人ばかりなのだけど、県・都市としてなにか象徴的なものはあったのか、といわれると熊谷空襲くらいで、もちろん行間には多くの暴力と御国奉公があったはずなんだけど、埼玉県は「近代」と共犯者になり得たんだろうか、帝国日本の都道府県として、と思う時がある
◎でも埼玉県には帝都たる東京があったから、根強く支えていたはずだから、それを…… クソッまた東京かよ
◎でも埼玉県には帝都たる東京があったから、根強く支えていたはずだから、それを…… クソッまた東京かよ
◎私も土地擬をしてみたいけど、艦船はともかく、土地や風土というものは実地調査が必要だと思っており、関東民なら関東の土地が良いのかもな~とは少々思っている
◎都市としての東京(あるいは関東一辺)が好きだけど、もういっそあまり好きでもない我が埼玉に視点を当てて、よく語られる「埼玉の地方性(東京のベッドタウンとして)」と、ダサイタマというワードに隠されがちな埼玉の密かな中央性に歴史的回顧を持って投影する感じの…
◎埼玉県は戦争の大きな被害は熊谷空襲くらいしかなかったようだけど、関東大震災では被災がありここにも虐殺はあったようす
◎熊谷空襲という唯一の経験を、 ←?
◎郷土愛がない、しかしこの愛の無さからすべてを始めるしかないようにも思える
◎埼玉鉄道文学(?)やはり池袋を含めるか含めないか問題が、序文では触れられるのだろう…
◎鬼電のような東武アプリの東武東上線の遅延通知と病んだ恋人の類似性を、埼京線の他人事のような明るさと美しさとそこに漂う殺気を、東武デパートと丸ノ内線改札前の空間の余白を、池袋に至るまでの路を文学として昇華することが我々埼玉県民には求められている。埼玉の地方性を主体へと回復すること。
◎東武東上線は埼玉の病んだ恋人だ。鬼電のように彼女の遅延通知がスマホアプリに入るし、それに埼玉は日々振り回されている。大雨が降ったから。車がボロいから。鹿が怖いから。まだホームドアをつける気はなかったから。安全の確認をしたいから。
そんな彼女を宥めすかして池袋という街へ向かうという行為に、地方人としての劣等感を感じるのかというとそんなことはなかった。東京という土地は、しょせん地方人の集まりだということを埼玉は知っていた。
その点、埼玉はむしろ池袋よりも新宿という場と相性がいいはずだった。いいところで東武東上線を捨てるべきかもしれない、と埼玉は思った。早々に副都心線へと乗り換えるのだ。
◎都市としての東京(あるいは関東一辺)が好きだけど、もういっそあまり好きでもない我が埼玉に視点を当てて、よく語られる「埼玉の地方性(東京のベッドタウンとして)」と、ダサイタマというワードに隠されがちな埼玉の密かな中央性に歴史的回顧を持って投影する感じの…
◎埼玉県は戦争の大きな被害は熊谷空襲くらいしかなかったようだけど、関東大震災では被災がありここにも虐殺はあったようす
◎熊谷空襲という唯一の経験を、 ←?
◎郷土愛がない、しかしこの愛の無さからすべてを始めるしかないようにも思える
◎埼玉鉄道文学(?)やはり池袋を含めるか含めないか問題が、序文では触れられるのだろう…
◎鬼電のような東武アプリの東武東上線の遅延通知と病んだ恋人の類似性を、埼京線の他人事のような明るさと美しさとそこに漂う殺気を、東武デパートと丸ノ内線改札前の空間の余白を、池袋に至るまでの路を文学として昇華することが我々埼玉県民には求められている。埼玉の地方性を主体へと回復すること。
◎東武東上線は埼玉の病んだ恋人だ。鬼電のように彼女の遅延通知がスマホアプリに入るし、それに埼玉は日々振り回されている。大雨が降ったから。車がボロいから。鹿が怖いから。まだホームドアをつける気はなかったから。安全の確認をしたいから。
そんな彼女を宥めすかして池袋という街へ向かうという行為に、地方人としての劣等感を感じるのかというとそんなことはなかった。東京という土地は、しょせん地方人の集まりだということを埼玉は知っていた。
その点、埼玉はむしろ池袋よりも新宿という場と相性がいいはずだった。いいところで東武東上線を捨てるべきかもしれない、と埼玉は思った。早々に副都心線へと乗り換えるのだ。
※彼が海軍さんです 私自身なかなか仲良くなれないので書きました