喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.640, No.639, No.638, No.637, No.636, No.635, No.6347件]

中国東北地方に権益を確立した日本が、その維持とさらなる拡大をめざし、さらに中国大陸への進出を続けるなかで長崎は日本の大陸進出の拠点となっていったのである。
そして、その長崎を支えたのは、やはり三菱だった。
/『見る・知る・考える  明治日本の産業革命遺産』「三菱と長崎の近現代史」

引用

九州あたりで擬をしたいと思っているんだけど、住んだこともないし行ったのも多くはない。でもそれを言ったら海外の土地で創作されている方の一部も同様かもしれないし…
→というか、艦船擬人化がいて企業擬人化がいる世界に、土地擬人化もいるのだろうか。そしたら三菱が花婿(主人)で長崎が「蝶々夫人」になってしまうけど……
→そして……ふねが…子ども…?
→子どもたって海軍の子かもしれないし船会社の子どもかも知らん

…大陸への国内最前線が長崎であり、その母なる土地、母なる揺りかごに揺られて育って恩返しを願ったのが長船だったから、二人の子どもたるふねたちは元気な赤子として生まれよく肥えた。そののち、ふねぶねは海軍の子あるいは船会社の子として素直に海を生きて、やはり海外進出のためのよい先鋒となった。両親の愛を享けて生まれ、育て親の情を一身に受けた子、親たちにいっとう似た、聞きわけのよい可愛らしい子どもたちだった。

艦船擬人化,企業・組織擬人化,土地擬人化

貨客船は多くの著名人を運んだし、かれらは素朴に日本船を愛していた、という基点にまず立ちつづけねば……(華やかな客船文化を憶えていて)

昨日の日記に、(ふねをふくむ)歴史で創作をする時に全ての主語を国家に集約させるのはやめろ、全てに「加害性」や負の意味ばかりを与えるな、現代から過去を批評する時に私自身への自虐・自罰意識を勝手に投影するな、裁きたがるのをやめろと書かれていて、ハイ……となった 寝ぼけながら書いていた

#感想『日本郵船戦時船史』

◎第二船は香取丸。ここから太平洋戦争期となる。基本全ての船に「徴用種別」欄があるのでわかりやすく便利(香取丸は「陸軍期間傭船」)。また「護衛艦艇」「僚船」欄もある……(さいごがひとりなのはさみしい)
◎「暮れ近い夕日は瀬戸の海を美しい朱に染めて、この海の続く果てに香取丸が撃沈させられた血なまぐさい戦争が起こっているとは思えないような美しさであった。」(24/519)
◎救助してくれた駆逐艦吹雪や沈没後の司令部の乗組員への対応…緒戦当事にあった陸海軍と商船側との温かい交流を永く忘れることができない、戦争末期にあったようなとげとげしい対立はまったくなく、心から商船隊の苦労に感謝していたようだった、との機関長の証言。勝ち戦ゆえに軍部にも余裕があったのだろう、という指摘がある。

2024年9月24日「秋田丸」まで・コマ番号30/519
短め

感想

FC2ブログにログ倉庫を作っているけれど、1つ1つ投稿するよりも、一気にまとめて掲載した方が見やすいし、今は倉庫などよりも「タイムラインに流す」のが主流なのかもしれない。再掲でもいい。