喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.587, No.585, No.584, No.583, No.582, No.581, No.5807件]

一人の舞踏会

 血と、泥と、波間に被る生臭い潮水と、腐肉の饐えたにおい。美しいワルツを踊った脚で千切れかけた人の手足を跨ぎ、血の海に滑りながらナチュラルターン、一瞬止まってアン、ドゥ、トロワ。リバースターン、小休止、小休止。半歩進んで足が留まる、小休止。小休止。小休止。休みたい。休んでいたい。一生休んでいたい、ほんとうは一生休んでいたいもうこんなところにいたくない、なにも感じずにいたいなにも感じていたくないすべて終わらせたい。でもなにも感じなくなるそれまで走らねばならない、すべて終わるまで進まなければならない僕はこの舞台を降りることはできない、僕はこの病院船を降りることなどできないここで止まったらしゃがみ込んだら諦めたら一生立てなくなる進めなくなる、また再びなるであろうなるに決まっているであろう麗しい貨客船に僕は戻れなくなる。そう己を奮い立たせて一歩おおきく脚を滑らせ、白い太陽の陽が射しこむプロムナード・デッキを狂ったように駆け回る。

(1944年3月 特設病院船 氷川丸)

小説,艦船擬人化

後ろ姿

「俺は生きることに愚直でありたかった」という言葉は、私の姉の言葉だった。
 愚直であるということは即ち貴女の今の姿なの、という言葉を飲み込んだ私の顔はさぞ不美人だったに違いない。兄よりも凛々しい顔をした姉は、淡く笑って言った。「変な顔をしてる。護国丸は美人なんだからお止めよ」。
「やめてよ、美人だなんて言って。気持ち悪い」と、私は今度こそ姉に言った。気持ちが悪い。そうだ、この言葉、これこそが私の今の偽らざる感情だった。
 本当に美人だと思っているんだが、と姉は嘯いて困っていたが、そんなことはどうでも良い。私は姉を――否、今は兄だった、その兄のことを「兄」とは認めたことはなかった。
 私の姉は、報国丸型貨客船「愛国丸」は、特設巡洋艦になると共にそのうつし身を男の姿へと変えていた。前の戦争で特設艦になった先達の中にも同様に姿を変えた船たちはいたらしい。理由は分からず、特設艦への改装の具合や船のうつし身の気質などが影響するらしいと聞く。だから、その現象自体には驚きはなかった。
 それでもそこにあった蟠りに名前を付けるとしたら、それは怒りかもしれない。姉は華やかな客船としての施設も、そのうつし身としての優れた容姿も、私にはない艶やかさも、奪われなかった名も、矜持も、美も、女として生きるに値する何かを、持っているはずだ。持っているはずだったのだ。
 けれど私がその美貌を噂に聞き、密かに憧れていた姉に出会ったときには、彼女は既に無残にして完璧なる特設巡洋艦だった。竣工する前から彼女に貨客船としての生涯はないも同然だったのは私も承知している。彼女もまた奪われた者だった、そう単純に割り切れれば良かったのだが、自分で自分を慰めてもこの怒りと失望は収まらなかった。姉の姉としての姿は、私の素晴らしいはずのもしもの未来の一つだったのだ。貨客船、としての。もしも。
「ねえ、なぜ、姉さんは、その姿じゃないとだめだったの」
「……今はお兄ちゃんって呼んでね」

小説,艦船擬人化

序文にかえて――編者より:ぼくの小さな神さま

 まずこの拙編年代記を完成させるために、非常に長い年月がかかってしまったことをお詫び申し上げておきたい。この年代記は書き直しを繰り返した第三版にあたる。この手記の構成はなるべく原本手記そのままに忠実であろうとしたものの、第一版はあまりに文章が乱雑としすぎ構成に無理が出た。その反省を踏まえた第二版も合格とは言い難かった。そうして試行錯誤を繰り返しながら原本手記を解読すること、それを編集しタイピングすることに多くの時間を割いてしまった。
 思えばこの原本手記を書いた人物も、その手記の編集を依頼した人物も除籍されたのは遠い昔である。いつの間にか私自身も特務潜水艦となりその最期を迎えようとしている。この年代記が私の除籍前にまとまったのは奇跡であるといえよう(まさしく神に感謝!)。
 年代記の原案者のある人物――もとい潜水艦の書いた手記は、一九七六年に呉の串山公園の木の根元から発掘された。この公園は彼らのささやかながらも重要な思い出の場所であり、この発見は偶然にめぐまれたものである――まあ、あの人に言わせれば「奇跡」、であったのだが。あの人、手記の編集を依頼した潜水艦は私に、原本手記を草案としてこの年代記の作成を依頼した。
 この年代記は、以下のように構成されている。第一章から第八章まではある貸与潜水艦の日記手記、第九章はその潜水艦に育てられた戦後初の国産潜水艦の付け足しの手記である。一章は日本の太平洋戦争の終戦から十年後の一九五五年から始まっている。前年の一九五四年には日本において我らの海上自衛隊が創立され、それにより貸与潜水艦はこの国にやってくることになった。正確に言えば一九五四年に締結された日米相互防衛協定に基づいて、DD二隻(「あさかぜ」(DD-181)、「はたかぜ」(DD-182))、DE二隻(「あさひ」(DE-262)、「はつひ」(DE-263))とともに一隻の潜水艦がアメリカ海軍から海上自衛隊へと貸与されたのである。みじめな敗戦によって完全に解体された日本潜水艦の歴史は、あるアメリカの貸与潜水艦から再始動したのであった。
 八章は一九七〇年の夏、その貸与潜水艦が保管船の任務すら解かれ除籍された時に終わっている。まさに世紀の超大作、彼の筆のまめまめしさにはいい意味でも悪い意味でも唸るばかりだった。
 彼ら対潜水艦訓練目標(ターゲット・サービス)の生きた時代は、ちょうど日本の高度経済成長期にあたる。様々な社会問題を無視していたとはいえ、日本が物質的にとても豊かな時代であり、狂騒的な面白さがこの国にはあった。東京オリンピックや日米安保闘争、ベトナム反戦運動。人々は生と感動、怒りと期待に満ち溢れていた。
 そんな時代の中で彼らは陸では後ろ指を差され(その当時、防衛に携わる人間は再軍備の象徴、大江健三郎が言うところの「一つの恥辱」だった)、海の下では汗と潮にまみれながら国防の支えになろうと日夜訓練に――それも作戦運用ではなく対潜水艦訓練目標という縁の下の力持ちとして――明け暮れていた。とりわけ彼ら潜水艦部隊は海上自衛隊でも「的」扱いを受けており、決して待遇のいいものではなかった。だが、彼らはそれに対しなんら後ろめたさも持っていなかった。そこにはただ海底に生きる者たちの誇りがあった。私はそのことに惜しみない敬意を払いたい。彼らへの敬意がこの年代記の編集を諦めなかった大きな理由にもなった。
 この年代記を書くにあたってお世話になった、私に関わった、そして彼らとも関わっていた多くの乗組員、元乗組員たちにお礼を申し上げる。彼らの証言がなければ、この先代たちの記録はぼんやりとした抽象的表現に終わっていただろう。また海上自衛隊の艦艇諸君にも多くの応援と冷やかしを送って頂いたこと、お礼を申し上げておきたい。
 またこの年代記を書くにあたって多くの支援をしてくれた、私の姉妹艦である海上自衛隊「うずしお」型潜水艦「くろしお」にこの本年代記を捧げる。君がいてくれたからぼくはすべてを全うできた。心からありがとうと言いたい。
 この年代記は、大幅な略字、アメリカ式のスラングや、手記が後半になるにしたがって増えている、感情的なものと思われる乱筆や解読不能な文字以外はなるべく手を加えないように心掛けた。手記の筆者が文章につけた注釈もそのままの状態である。
 なお、この年代記に出てくる編者である私、大勢の海上自衛隊の艦艇たち、数隻の船舶、若干の潜水艦を除けば、本書に名前の出てくる主要な艦艇は全員除籍・解体されている。

一九九二年  編者

小説,艦船擬人化

リルケの花

 或る日のこと、私の扉を誰かが叩く音がした。一人の兵士がかなりおずおずとした様子でそこに立っていた。次の瞬間私はびっくりした。リルケ――軍装したライナー・リルケだったのだ!彼は痛々しいほど不器用げに見えた。詰襟のために窮屈な思いをし、どの将校にも長靴をかちっとぶつけて敬礼せねばならないという考えのためにどぎまぎしていた。そして、完璧ということへの魔的な強迫にとらわれている彼だから、このような軍規の些細な形式をも模範的に正確に遂行しようと思っていたため、絶えず困惑の状態のなかにいた。「私は」と彼はあの低い声で私に言った、「この軍服というものを幼年学校以来きらっていました。もう永久に逃れたと思っていたのですが。今、ほとんど四十歳でもう一度着なくてはならないのです。」幸い彼を守る救いの手があって、彼はまもなく好意的な身体検査のおかげで免除となった。別れを告げるため、もう一度彼は――そのときはすでに私服にかえっていたが――私の部屋に入って来た。私はほとんど、風のように吹き込んで来た、と言いたいくらいである(そのように筆舌に表し難いほど音もなく、彼はいつでも歩くのだった)。彼は私になお礼を述べに来たのだ。私がロマン・ロランを通じて、彼のパリで没収された蔵書を救おうと試みたからである。初めて彼は、もう若くないように見えた。恐怖の思いが彼の精魂を使い果たしてしまったかのようであった。「外国に行きたい」と彼は言った、「外国に行けるのなら!戦争はいつも牢獄ですね」。そして彼は立ち去った。今や私はふたたび全く孤独となった。

   ――シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界 1』


 氷川丸のいた部屋の扉を叩く音がしたのは午後四時を過ぎた時だった。秋の夕暮れの訪れは早く、窓から見える空も濃紫に彩られて既に暗い。だれか自分に用件でもあったかな、と氷川丸は思い返してみたが思い当たる人物もなかった。この頃は船も人も忙しく、自分たちは自分のことだけに慌ただしく取り組むだけだった。忙しいといっても、航路を往くために忙しいのではない。航路は終わった。航路の先の亜米利加と戦争が始まるかもしれないのだ。
 どうぞ、と声をかけると扉が開いた。そこに立っていたのは帽を深くかぶった兵士だった。氷川丸は一瞬、顔の区別がつかずに戸惑う。
 平安丸だった。
「平安丸か?誰かと思ってびっくりしたよ」
 氷川丸が声をかけると、平安丸は肩をくすめて小さく笑い言った。
「今度は海軍さ。軍装が似合うか?」
「馬鹿」
 と咎めるように氷川丸が言うと、
「冗談だよ」
 と言って、あとはむっつりと黙った。
 姉妹船の貨客船平安丸は先日まで日本陸軍に期間徴用されていた。そして今度は日本海軍に徴用される。おそらく今度こそ何かしらの改装を受けるだろう。特設艦船――帝国海軍のふねになるのだ。
 それが特設水上機母艦なのか、特設潜水母艦なのか何なのかはわからない。特設航空母艦ではあるまい。自分たちは船体が小さく新造船でもないからだ。うまくいけば特設病院船かもしれない。めったにないだろうが。仮に「赤十字のもとに中立」の特設病院船でも戦場では地獄の海に変わりはあるまい。
 ぼくもどうなることやら、と氷川丸は思う。何に選ばれても変わりはないだろうとすら、思う。だが、それは戦場を実感できないだけのご都合のよい空想なのだろう。実感のない未来の選択肢の無い選択は、氷川丸に何をもたらすのか想像ができなかった。もっとも想像上の戦場が正しく想像通りだったことなんてないかもしれない。
 平安丸の軍装は似合っていた。もともと身なりがしっかりした貨客船だったから、かっちりとした軍装だって似合わないわけではない。軍装も一つの装いなのだ。それが担う意味と理由があり、それは視覚的に美しくなければならなかった。けれど平安丸がどこか居心地が悪そうなのは、その装いの担う文化への最後の抵抗だったのかもしれなかった。
 帝国海軍の威容。灰を彩り灰の海に紛れ、戦火に身を燃やすこと。美的価値はそれを経過して友好を結ぶためにあるのではなく武力を誇示するためにあるということ。それを是とする世界への、抗い。
 シアトル航路を忘れることができれば、その違和感もなくなるのだろうか、と氷川丸は思う。
 一八九六年より続いたシアトル航路は、一九四一年八月に日米関係の悪化によりあっけなく終航した。平安丸はシアトルに貨物を陸揚げし、空船のまま横浜に帰着したという。祝福もねぎらいもない、達成や終着や完了でもない、本当にただの終了だった。自分たち海運が担ったものは、こんなにも軽いものだったのかと悔しく思ったことを憶えている。航路を往き祖国と外国を結びつける生業も途絶えた。氷川丸たちが次に往く外国は、祖国の占領地か戦地の補給地かもしれなかった。
 氷川丸は覚えていた。赤道祭のことも、すき焼きの味も、船上運動会のことも。ディナーの質で議論したことも。海外客の愛嬌も日本人客のつつましさも。それらの社交をも。当時は本当に些細な貨客船としての仕事の一つだと思っていたものが、今思うとひどく鮮やかで美しいものに思える。そしてその思い出の鮮やかさが色褪せて、ただの灰色に変わる時になって、彼も自分も、特設艦としての名誉を受容するのかもしれない。
「ぼくは」
 と平安丸は低い声で氷川丸に言った。続きを促したが、彼は唇を小さく震わせ、ただ黙っているだけだった。

小説,艦船擬人化

ある艦への「講釈」

 わたしはわが子の誕生に際して、祝福をのべるか講釈をたれるか悩んだ末に、後者を選んだ。だから生まれるおまえは、以下の言葉を講釈だと思ってくれて構わない。生まれたての子どもには祝福やおとぎ噺や子守唄のほうが本当はよかっただろう、しかしこのような時勢であるから、簡潔に、無難に、艦としてあるべきおまえの生き方を講釈したい。

いま進水するということ
 わが子よ、おまえが進水するのは、いまこの一九四〇年である。軍縮条約前の一九二十年や二十一年ではない。おまえの設計にはなんの枷もなく、大きく、優美で、スマートな帝国海軍の誉れそのものである。
 その三連装砲は太平洋を、またそのむこうの対岸を火の海に、血の海にするために載せられたもので、おまえはけっしてお飾りではないのだ。ただ征くべき戦場は熟慮すべし。だが主砲を轟かせる時は逡巡するな。艦は戦わねば腐るのみである。思慮深いことと臆病であることの分別はしっかりとつけよ。
 おまえは連合艦隊の旗艦になるだろう。その艦尾にいっとう大きな旗を掲げるだろう。しかしその重みにばかり気をとられないこと。その重みは戦場でおまえを愚鈍にするだろう。周りの人間はおまえに誇りを飾り装うだろう。だがおまえはその誇りにけっして奢るなかれ。名誉と心中する無様な真似だけはしないこと。沈むのならせめて一隻でも多くの艦を巻き添えにすること。美しい理想ではなく実務的な戦果を求めよ。
 帝国海軍はいまこの二十年余の平和を無にかえす。わたしもいままでの過去をすべて捨てそれに翼賛する。おまえもあまたの親たちとおなじようにその身を捧げること。
 おまえが進水するのは、わが子よ、いまそういう時であるということを忘れるな。

海に生きるということ

 ふねであるおまえは海を好きになってくれるだろうと思う。
 おまえが海と仲よくなるうえで大切なのは一つ。おまえが海を愛しても、海はおまえを愛さないということを理解すること。波は残酷であり、寄せては引く水の刃である。海はすべてを呑みこむのだ。そこにあった生も、生の後の死の痕跡すら呑みこんでしまうという事実がある。そのことを肝に銘ずこと。
 わたしの生まれ故郷はなにもない小さな漁港だったから、大人たちは子どものわたしに海のおそろしさを聞かせてきた。だからわたしは、わが子よ、おまえにそのおそろしさを聞かせる。しかしわたしは人間、おまえは戦艦だから、海の捉え方も違うだろう。なによりこれは講釈である。怪談ではない。しかし例としてある話をしようと思う。
 この港に娘がいた。とても美しい娘だった。美しく優しかった。娘は大きくなり冴えない海軍軍人と結婚した。よくある見合いだった。軍人のほうは娘に惚れていたが、娘は果てのない大海原のように茫漠とした態度で軍人につき添うだけだった。
 軍人は造船技師のひよっ子だった。近眼で艦隊勤務にはむいていなかったからだ。海が好きだった。艦も好きだった。なにより妻が好きだった。軍人と妻とは離れて暮らしており、妻はその小さな港にいた。たまにしか家に帰ることができなかったが、それでも軍人は幸せだった。
 呉に大きな嵐がきた。
 工廠の外壁がはがれるくらい大きな嵐が来た。軍人はなにより工廠と艦のことが心配だったから、妻にまで気がまわらなかった。それにその心配こそが己の任務だったし、軍人のなかで妻が大切でも、軍人として生きる以上、妻より工廠が大事だった。
 小さな港は小さな港だった。嵐は大人たちの語るおそろしい海を呼び寄せていた。波は寄せては引き、すべてを破壊する刃となって港を侵食した。
 軍人の妻はこの日にかぎって遠出していた。家のなかにいればあるいは助かったかもしれないが、その日その時、妻は婦人科の病院から帰る途中だった。その重たい身は、大海原に引かれていったという。正確にはその最後の痕跡も呑みこんだ。だから最期はわからない。最後に妻を見たのは婦人科の医師で、軍人に簡潔に診察内容と、帰宅するときのどこかさみしげな姿を教えてくれた。
 わたしの妻と子はそうして死んだ。十年余は前の話だ。
 それでもわたしは海が好きだった。
 おまえも海を好きになるだろうし、わが子よ、わたしの手で造られたおまえがそうなってくれたら、わたしとしてはとても嬉しいのだ。わたしは艦も好きだから、艦が海を好きになってくれることを願う。海は多くを奪うが、艦たるおまえには多くを与えるだろう。戦場の波の高低はつねに把握すること。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という一文の優れた情報伝達の美を学ぶこと。波とその情報は海戦では命である。
名前を与えられるということ


 わたしがおまえの名前をここに書いていないことに、わが子よ、おまえは気づいているだろうか。
 おまえは秘匿されて生まれる。そのために多くの機密保持がなされたことは、おまえも知っているはずだ。おまえは文字通り秘密兵器である。帝国海軍の秘蔵っ子である。存在を敵国に悟られないこと。悟られていてもそれ以上の情報をけっして与えないこと。
 わたしたちもおまえを生むことに多くの苦労をした。おまえはそう、難産だった。だがこうしてしっかりと生まれた。苦労に値する生だと思う。わたしはこれを、おまえの明日の進水式に合わせて書いている。この手紙はどこか、おまえの艤装品の隙間にでも挟んでおこうと思う。すぐに乗組員の生活品に紛れて無くなるだろう。わたしもそれを望んでいる。造艦に私情など必要ない。艦にだって本当は愛など必要ないのだ。この手紙はなかったものとして扱われてかまわない。ただそう、わが子よ、おまえだけはこの講釈を覚えておくべきであると思う。
 もしわたしたちのあいだに子どもが授かれば、と、わたしは考えていた。
 娘だったら美しい妻の名前を一文字とり「美桜」がいい。
 息子だったら冴えない軍人の名前をとるわけにはいかない。
 わたしは考えた。そして日本の言葉で一番美しいものをつけようと思っていた。問題は漢字だ。大斗、和、倭、山登、倭斗、山斗、山翔……。おまえとおなじ漢字は、わが子よ、案からは外していた。なぜか?わたしの子どもはしょせんはただの人間の一子だったからだ。あの漢字を恐れ多くも使うわけにはいかない。戦艦のおまえとはちがう。たとえ母たる妻がどれだけ美しくても。
 わたしは艦に多くの期待を持つ。人びとはふねに多くの期待を持つ。
 おまえの名前はいっとう考えられ、期待を込めてつけられた。おまえはそれに値する艦である。
 皆が熱意を込めておまえの名を呼ぶだろう。おまえはそれに戦艦たる矛を持ってこたえること。
 戦場では敵艦にその優れた威信を見せつけよ。おまえはわたしの粋を凝らした子どもなのだから。そして主砲を放つ時と同様にその沈み時を知れ。
 わが子よ、おまえもいつかは海へ没する定めにある。
 わたしもまた海にかえるだろう。
 われらの海へようこそ。

小説,一次創作

海のダイアローグ「宇品」

 だいたいね、海というものに希望や未来みたいなのを見るのが嫌いなんです。とてもむしゃくしゃするんです。なんかの観念のはなしをされているような気もちになるんです。言葉のうえのあやのよう、頭のなかで屁理屈をこねくってまわしているようにしか思えないんです。
 幸せって言葉にする必要がないでしょ、だって感覚的なものだものね、ふわふわした綿あめのように膨れていて、中身がないようなものだものね。ものごとってのは、詳細に語れば語るほど重みと具体性がましてくるんです。わたしは重みと具体性のあるものを幸せとは呼ばないようにしてます。海は綺麗なもの、という言葉に込められた単純さと馬鹿っぽさと軽々しさ。ねえあなた、ほんとうに海というものをみたことある?そう、ならわたしと海のはなしをしましょうよ。
 おおきな船だなあ、って思ったのを憶えてます。貨客船って中がこまごまとしてて綺麗だっていうひともいるでしょ、あんなの嘘っぱちで、船がいちばん美しく見えるのは、仰ぎ見たときです。仰ぎ見るといってもすこしとおくから。はなれたところで見ると、ちょっとだけふねが斜めになっていて、ちょうどこう、淑女が首をかしげているみたいで……。ははあ、これに男たちはまいってしまうんだなぁ、と思ったのを憶えてます。とてもとてもきれいな船で……。名前が思い出せなくて、まいっちゃって。どうしても憶えていたかったのだけど、やっぱりむりでした。
 記憶も弔いの一つだけれど、美化と風化がかかっていくって意味では、そのことを憶えてることって、やっぱりできっこない。
 じゃあ忘れたほうがいいのかしら、って思います。あのね、故人の顔が残ってる写真より美しく思いだせるのって、その人に対する冒涜なんじゃないかしら、ってわたしは思っちゃうんです。その人そのものを掴めてるわけじゃ、ないですものね。じゃあじゃあ、じゃあ忘れないようにがんばってみようかしらね、とも思います。でもそんなの、ぜったいむりなんですよね。記憶には限りってものがあるからしかたない。それでこうやってみんな綿あめになるんです。中身がなくなってっちゃうんです。どんどん細部がしゃべれなくなっちゃって、単純で馬鹿っぽい幸せになっていきます。幸せだったもの、そんなものに。あのね、わたし、もうそのふねが綺麗だったことしか思い出せないんです。綺麗で素敵で、人間たちの幸せのかたちをしたふねとしか記憶してないんです。あなたは、死者を冒涜することをおそれてない?じゃあ、わたしはもうすこし海の話をしましょうか。
 わたしは、兵隊たちが船に乗るのをみるのがすきでした。わいわいしてて……静かなときよりおもしろかった。それだけのはなしなんですけれど……。往くさきはどこだか知っているけれど、あなたのいう「海は綺麗」といっしょで、わたしには怖い戦争でした。怖い戦争に往くのです。かれらは。船に乗って。わいわいと、無邪気に。
 ふねはねえ……。美しい淑女だっだ船はいま迷彩の色に化粧されてました。白じゃ海のうえで目立ちますものね。それにしまりがわるい。あんたね、戦争に必要なのは女じゃなくて男なんですよ、と言われたのをわたしは覚えてます。だって思わず言っちゃったんです、こんなに綺麗な淑女たちがもったいないわねえ、って……。戦争に必要なのは、おしろいではなく迷彩で……女でなくて男で……。一隻のうるわしき女性なんかなくて、そんなものどうでもいいから、名前なんていちいち覚えてなくっていいから、いっぱいの船をあつめてあつめて、戦場に引っ張ってかなきゃなんない。たくさんの船を。たくさんの男たちを乗せて……。
 ここにきた船は、まず牡蠣をおとさないとならないんです。船底にいっぱいついてて、速さが出なくなっちゃうんですよね。いっぱいの牡蠣殻をおとしてやりながら、ああ……この子たちはこんなによごれをつけて、こんなにいままでの海でがんばってやってきたんだなあ、って……思っちゃって。感じいっちゃって。船をきれいに仕上げながら……きれいな船に仕上げて、どこにいくのかっていうとやっぱり戦場なんです。男が必要とされている場所。おしろいではなく。たぶんそこで死んじゃうんです。みんな海で死んじゃうんだろうなあ、と思いながらひたすら、ずうっと落としてあげて……。
 船って、沈んじゃうということばと死んじゃうということばを、きちんと使いわけるんですよね。びっくりしました。「ぼくも沈んじゃうのかなあ……」って言ってたのを憶えてます。名前は忘れちゃったけど、ある子が。わたしには、それが「死んじゃう」としか思えなかった。でもね、沈んじゃうとこんどは漁礁の船生のはじまりですから。死んじゃうはただの綿あめだから……「だからさみしくないよ」っていってました。生きていた物質的証拠がね……。あるんだよ、ってね。それはすてきなことなんだよーって……。……なまえはねえ、なんだったかなあ……。記憶がね、みんな迷彩の灰色になっちゃって……。白黒に。おしろいの、やさしい白じゃありませんね。ほんとに、美しい船だったんですけど……美しかったはずの船です、そんなのです。
 返してくれませんか、とお願いされたこともあります。「わたしの娘を返してくださいよ、これでおまんま食べてるんですよ、生活してるんですよ」って……。「なによりも、ただ愛おしいんですよ、がんばってつくったんですよ、だから名前なんかつけてるんですよ、ただの道具にですよ」「輸送任務で沈められたかそうじゃないかもわからない夜は眠れないんですよ」「あなた、船の名前なんか気にしたことないでしょ」ありますとも、ただね、わたしはそれを覚えてられなかっただけなんです。ぜんぶ抱えきれなかっただけなんですよ。……わかってよ、っておもいました。傲慢だけど、思っちゃったんです。
 むしゃくしゃして言っちゃいました、「あのね、あなたは知らないだろうけど、わたしは覚えてます、三十年前を。信濃丸を。戦争に勝って誇らしかったでしょ、やりとげたと思ったんでしょ、これからもこうやってお国にご奉公しようと思ったんでしょ、だから、いまここにあなたの娘がいるんです」。牡蠣殻をいっぱいいっぱいおとしてるんです。戦争にいくために速さを上げてるんです、って……。……わたしには、船が死んじゃったとしか思えない……。……魚のすみかに、スキューバダイビングの遊び場になっているなんてね、もう船じゃない。だいたいね、戦没船なんて戦争の時に沈んじゃったんだね、って……そうやって、それだけで……。
 帰してやりたい、って思うときもありますよ、でもね、もう無理でしょ、もうあの船たちは船じゃないし、帰す場所もないし……。わたしにそんなこともできないし。太平洋ってどこですか?地図でしか知らない海なんです。シナだってじゅうぶん遠いんです。……魂だけでもね、あそこから離れてるといいなって思うんです。海の底から……離れてて。幸せがいっぱいで、美しかった記憶だけを抱えてどこか……空想の綺麗な海を旅して……ああ、ほらね、幸せなものになってしまった。綿あめに。これは冒涜なんです。パクパク食べて味わってるんです。死者のこと。悲しい顔して食べるとおいしいんです。
 ばんざいばんざーいって、いっぱいの小舟が軍隊の船をかこんで見送っててねえ、それを見て誇らしくなっちゃって、……たくさんの信濃丸を送ってやるんだって……思っちゃって。わたしは思っちゃって。思ってしまった。なにを言ってるんだからわからなくなっちゃった、そう、覚えてるわよって人をおどしましたけど、わたしは信濃丸のことが、誇らしかったことを覚えてます。人と一緒なんです。一緒に誇らしく思って……。だから、まるで裏切られちゃったと思ったのね。共犯者に。だってそうでしょ、わたしだけが送ったんじゃないもんね、私たちが一緒に送って……。いまさらなによ、なにを賢しらにしらばっくれてるのよってね、ええ……思っちゃって……。
 帰ってきた兵隊をみて、うん……地図でしか、……地図でしか知らなかったのよ、わたしねえ……だからね、だから知らなかったのよって、なにもわからなかったのよって、内航船の子って、どうやって大海原を横断したのか、聞いてみたかったのだけど。その時の気持ちを。海って広いなあって、思いのほか気持ちいいものね、素敵だもんねーって……。一回だけでもいいから、そう思っててくれたらいいって、思うんですけど。どうなのかわかんない。聞けなかったんです。わたしね、重さと具体性のあるものを幸せとは呼ばないけども、具体的なことを知ることも幸せだと思わないんですよ。怖い戦争は怖い戦争のままでよかったんです。あなたも海は綺麗だねってずうっと言っててください、知らなくていいこともあるもんね、そうね。海は、綺麗だものね。
 海のはなしをしたと思ったんですけど。船のはなしにね、なっちゃいました。いずれしても、どちらもおなじようなもんです。いまはわたしが持ってないもののはなしです。

小説,一次創作

ある手紙:「ぼくの小さな神さま」

 ぼくはもう君に会うつもりはない。除籍船は除籍された瞬間、もう消えたものと思うこと。僕はもうここにはいない。どこにもいない。たまたま人の似姿をしているだけだ。
 ぼくの生きる意味は、君たち日本の潜水艦を育成することで、思えば君たちはぼくの存在意義だった。そしてとりわけ君はその象徴だった。潜水艦「くろしお」としての一番初めの意味。ぼくの小さな神さまだった。ぼくは君にいつも慕われ、敬われ、愛されていたが、実際には相手を一番必要としたのは君ではなくぼくだった。ぼくが君をなにより必要としていた。今もそうだ。おおしおに会うことはできる。はやしおにもなつしおたちにも会うことはできる。君以外になら会えるだろう。……君には会うことはできない。ぼくは臆病だからだ。結局、君だけでなく今度の新しい艤装中の涙滴型潜水艦にだって会うことはできなかった。涙滴型は日本の潜水艦の悲願だと散々自分で言っておきながら、ぼくは日本においてですら前世代の潜水艦になってしまうことを恐れていた。そしてそれはぼくだけではなく、君たち在来型もそうだ。君たちとの思い出すべてが、過去のものになってしまいそうで、涙滴型と相見ることは結局できやしなかった。
 ぼくは君に会うことはできない。僕は君を拒絶し続けたしこれからもするだろう。それが最後の義務だからだ。最後までそうしなければならないからだ。けれどもし、もし潜水艦「くろしお」としての全ての義務を忘れ、君がぼくを必要としていることを忘れずに、君の愛にこたえることができたのならどれほどよかっただろう。だけれど、いまさらそんな関係を求めても何も報われないし、だから君もぼくのことを忘れてほしい。この先の海上自衛隊潜水艦部隊の最年長として生きるために忘れなければならない。でももし、もしもの可能性を、ぼくはこの手紙を書きながら考えた。本当を言うのなら、ぼくは君の愛に答えたかった。これがぼくの偽らざる気持ちだった。全て過去形だ。本当にごめんなさい。おやしお。ぼくは君を愛してしまった。

小説,艦船擬人化