No.578, No.577, No.576, No.575, No.574, No.573, No.572[7件]
Perihelion、あるいはもっとも輝かしいとき
#『マーダーボット・ダイアリー』
本深宇宙調査船および教育船を、ペリヘリオンと命名する。
命名者が厳粛にいう。本船はすぐにその意味を検索した。Perihelion——太陽軌道の近点。
太陽に最も近い惑星または彗星の軌道の点。
太陽にもっとも近い船。
シャンパンボトルを船首で割ることの由来や意味や起源は、進水前である本船の乏しいデータベースではとうとう知りえなかった。目的と意味が不明で、理解しがたい祝福だった。本船はこの後、人間たちの多くの奇行を目にすることになる。
人間たちはひそかにその瞬間を待っている。
一瞬の静寂。
ごく小さなボトルが弾かれて割れる音は、意外と強く反響するという事実は、進水式会場の少しの沈黙を知る者にしか実感できないだろう。
ボトルが割れる。
会場の静寂が割かれる。
人間たちの期待と予兆もまた破裂する。
本船が稼働すると、人間たちは歓声を爆発させた。
風船や鳩や紙吹雪が飛び交う。その色彩が風に煽られて乱反射する。万雷の拍手と歓呼の声、声、声。おめでとうーという誰かの間延びする声がすぐにそれらに掻き消えた。わずかに聞こえる笑い声がなんだか妙にくすぐったかった。ペリヘリオン号!と誰かが本船の名前を叫ぶ。思考の内で本船もちゃんと返事をする(ペリヘリオン号はここにいる)。
このそわそわした感覚はなにかしら。
本船はこんな感覚を知らなかった。生まれたばかりだったから。
そしてこれから知らなければならないことが、この先にはいっぱいある。
宇宙とはどういうところかしら、と本船は考えた。そして乗組員というものも。
本船はいまだにどちらも持たない。
それらが幸せなものだといい。
素敵で、大好きになるものだといい。大きくて素晴らしいものだといい。本船は期待した。これからの船生に期待した。生まれた存在理由に期待した。深い宇宙に期待した。人間たちに期待した。本船自身に期待した。
本船の未来に期待した。
いまだ拍手は鳴りやまない。
#『マーダーボット・ダイアリー』
本深宇宙調査船および教育船を、ペリヘリオンと命名する。
命名者が厳粛にいう。本船はすぐにその意味を検索した。Perihelion——太陽軌道の近点。
太陽に最も近い惑星または彗星の軌道の点。
太陽にもっとも近い船。
シャンパンボトルを船首で割ることの由来や意味や起源は、進水前である本船の乏しいデータベースではとうとう知りえなかった。目的と意味が不明で、理解しがたい祝福だった。本船はこの後、人間たちの多くの奇行を目にすることになる。
人間たちはひそかにその瞬間を待っている。
一瞬の静寂。
ごく小さなボトルが弾かれて割れる音は、意外と強く反響するという事実は、進水式会場の少しの沈黙を知る者にしか実感できないだろう。
ボトルが割れる。
会場の静寂が割かれる。
人間たちの期待と予兆もまた破裂する。
本船が稼働すると、人間たちは歓声を爆発させた。
風船や鳩や紙吹雪が飛び交う。その色彩が風に煽られて乱反射する。万雷の拍手と歓呼の声、声、声。おめでとうーという誰かの間延びする声がすぐにそれらに掻き消えた。わずかに聞こえる笑い声がなんだか妙にくすぐったかった。ペリヘリオン号!と誰かが本船の名前を叫ぶ。思考の内で本船もちゃんと返事をする(ペリヘリオン号はここにいる)。
このそわそわした感覚はなにかしら。
本船はこんな感覚を知らなかった。生まれたばかりだったから。
そしてこれから知らなければならないことが、この先にはいっぱいある。
宇宙とはどういうところかしら、と本船は考えた。そして乗組員というものも。
本船はいまだにどちらも持たない。
それらが幸せなものだといい。
素敵で、大好きになるものだといい。大きくて素晴らしいものだといい。本船は期待した。これからの船生に期待した。生まれた存在理由に期待した。深い宇宙に期待した。人間たちに期待した。本船自身に期待した。
本船の未来に期待した。
いまだ拍手は鳴りやまない。
毎夜の話
9月12日 夜
報告書を書けと言われたので書いてみる。どうやらそこまで堅苦しくなく短くていいとのことらしい。というのも、艦長に普段お前らは任務時以外には何をやっているんだと聞かれ、いやあ自転車をこいだり、野球を見に行ったり、映画を観たり、映画ってもあれですよやらしいやつじゃないです大体は、時たま夜に見に行くときもあるけどやばくないやつやばくないやつ、大体あまり夜に映画館に行くと捕まっちゃうのでそこはどうにかしてますね、いやでも本当にいやらしくはないですよ、などとくどくどと話していたらどうやらぼくら潜水艦は素行を疑われてしまったらしい。戦後初の海自潜水艦くろしお率いる潜水艦(艦霊)部隊は何をやっているんだか、我が艦長はおおいにご興味があるということで、今回ぼくが代表者として筆を取ることになった。
ということで今日書いてみること、それは今朝に判明したやばいことだ。どうやらおやしおは文字がほとんど書けないらしい。というのもぼくが彼に文字の書き方を教えていないからだ。ぼくがこの国に来た時にぼくは自主的に文字を覚えたけれど、それと同時におやしおに文字の書き方を教える機会を逃してしまった。なのでおやしおは覚える機会はなかったし、今から覚える気もあまりないらしい。いやそれはまずいだろう、とそう思い、その反省をふま
「くろ~!ぼくの靴下を見なかった!?」
「いや見てないよ!いい加減、靴下の場所くらい自分で把握してくれ、おやしお」
「わかった、ちーに聞いてみる……」
おやしおは片方の靴下を手に持ち、しゅんとした様子で去っていった。人が文字を書いているにもかかわらず平気で話しかけてくるあたり、礼儀を教える機会もあまりなかったということだろうか。ぼくはおやしおの大きな背中を見あげる。彼は片方の靴下をゆるく振り回し部屋のドアの向こうに消えていった。
潜水艦おやしおは、ある日いきなり大きくなった。ぼくの絵本の読み上げを聞きご就寝した時は五歳くらいの見た目だったのに、起きたら全裸の一八歳ほどの青年になっていて、「あ、くろ、おはよ」と声変わりのした声で呟いたあとにごほごほと咳き込んだ。なんかくろ、小さくなってない、なんて言っているおやしお青年を目の前にして、「いやお前は誰だよ」とぼくは思わず突っ込んでしまったが、同時にこの青年はおやしおなんだろうな、ということも薄々察していたのだった。艦霊の成長なんて得てしてそんなものだ。特におやしおは戦後初の国産潜水艦であり初期は欠陥も多かったから、余計に成長が変則的だったのだろう。
成長してからのおやしおは、それこそ何をやっているのだかぼくにはわからない。多分ぼく以外とも遊べるようになって、自転車をこいだり、野球を見に行ったり、映画を見たり、映画といってもあれなんだけど、やらしいやつじゃないといいんだが、まあいろいろなことをしているんだろう。そこまで干渉する気はない。彼も立派な一隻の潜水艦なんだ。人間で言えば成人に近い。
報告書をまとめていると、部屋のドアの向こうから嬉しそうな顔をしたおやしおがやってきた。手には両足分が揃った靴下がある。
「ちはやが見つけてくれたの?」
「ううん。ちーの部屋にあった」
「なんでだよ……」
報告書を睨み上の空でそう言うぼくをじっとみつめながら、靴下を履き終わったおやしおはぼくに言った。
「もう一緒に寝ようよ」
「いや一人で寝ろよ」
「昔は一緒に寝てたじゃん」
「今はもう寝ない。もう立派な一隻の潜水艦なんだから。人間で言えば成人に近いの」
「狭い部屋で一緒に寝てるんだから布団が近かろうが遠かろうが変わらなくない?」
「いや今ぼくは報告書を書いてるから。これはぼくら潜水艦部隊の名誉に関わることだから」
「それが終わったら一緒に寝ようよ。そのまま良いことしようよ。それも含めて明日の朝に報告書に書けばいいじゃん」
「今さ、報告書を書くって話なんだよ。艦長に報告書を書けって言われたから、ぼくが報告書を書いてるって話なの。一日になにがあったかを書いているって話なんだ。上への報告書はあくまで短くて品行方正なんだよ。そんな狂った展開はいらないんだよ」
「いいじゃん別に、そもそもぼくらは報告をするようなことないし。だらだらと海に行ったり東映の映画を見てるだけでしょ?」
「やらしい映画は観てないだろうな」
「え?」
「え?」
「わかった、絵本を読んでくれない?」
「わかった!絵本だけでさっさと寝てくれよ?」
「ちょっとならくろに触っていい」
「ぼくらの思い出に対する冒涜だろ……」
「毎夜の思い出?」
「毎夜の絵本の朗読の思い出な。変な言い方をやめろ」
「じゃあそれでいいよ」
とおやしおは一方的に言い、部屋の電灯を消した。絵本の朗読はどうするんだよ、というか絵本は今どこにあるんだよ、というかお前絵本がどっかにいったってこの前に言ってただろ、と暗闇で叫んだぼくを後ろから抱え、おやしおが冷静に「そらんじてくれればいいよ」と言った。ああそっか、はるか沖合に出ますと、水は一番うつくしい矢車草の花びらのように青く、なんだっけ、あとは思い出せない。
9月12日 夜
報告書を書けと言われたので書いてみる。どうやらそこまで堅苦しくなく短くていいとのことらしい。というのも、艦長に普段お前らは任務時以外には何をやっているんだと聞かれ、いやあ自転車をこいだり、野球を見に行ったり、映画を観たり、映画ってもあれですよやらしいやつじゃないです大体は、時たま夜に見に行くときもあるけどやばくないやつやばくないやつ、大体あまり夜に映画館に行くと捕まっちゃうのでそこはどうにかしてますね、いやでも本当にいやらしくはないですよ、などとくどくどと話していたらどうやらぼくら潜水艦は素行を疑われてしまったらしい。戦後初の海自潜水艦くろしお率いる潜水艦(艦霊)部隊は何をやっているんだか、我が艦長はおおいにご興味があるということで、今回ぼくが代表者として筆を取ることになった。
ということで今日書いてみること、それは今朝に判明したやばいことだ。どうやらおやしおは文字がほとんど書けないらしい。というのもぼくが彼に文字の書き方を教えていないからだ。ぼくがこの国に来た時にぼくは自主的に文字を覚えたけれど、それと同時におやしおに文字の書き方を教える機会を逃してしまった。なのでおやしおは覚える機会はなかったし、今から覚える気もあまりないらしい。いやそれはまずいだろう、とそう思い、その反省をふま
「くろ~!ぼくの靴下を見なかった!?」
「いや見てないよ!いい加減、靴下の場所くらい自分で把握してくれ、おやしお」
「わかった、ちーに聞いてみる……」
おやしおは片方の靴下を手に持ち、しゅんとした様子で去っていった。人が文字を書いているにもかかわらず平気で話しかけてくるあたり、礼儀を教える機会もあまりなかったということだろうか。ぼくはおやしおの大きな背中を見あげる。彼は片方の靴下をゆるく振り回し部屋のドアの向こうに消えていった。
潜水艦おやしおは、ある日いきなり大きくなった。ぼくの絵本の読み上げを聞きご就寝した時は五歳くらいの見た目だったのに、起きたら全裸の一八歳ほどの青年になっていて、「あ、くろ、おはよ」と声変わりのした声で呟いたあとにごほごほと咳き込んだ。なんかくろ、小さくなってない、なんて言っているおやしお青年を目の前にして、「いやお前は誰だよ」とぼくは思わず突っ込んでしまったが、同時にこの青年はおやしおなんだろうな、ということも薄々察していたのだった。艦霊の成長なんて得てしてそんなものだ。特におやしおは戦後初の国産潜水艦であり初期は欠陥も多かったから、余計に成長が変則的だったのだろう。
成長してからのおやしおは、それこそ何をやっているのだかぼくにはわからない。多分ぼく以外とも遊べるようになって、自転車をこいだり、野球を見に行ったり、映画を見たり、映画といってもあれなんだけど、やらしいやつじゃないといいんだが、まあいろいろなことをしているんだろう。そこまで干渉する気はない。彼も立派な一隻の潜水艦なんだ。人間で言えば成人に近い。
報告書をまとめていると、部屋のドアの向こうから嬉しそうな顔をしたおやしおがやってきた。手には両足分が揃った靴下がある。
「ちはやが見つけてくれたの?」
「ううん。ちーの部屋にあった」
「なんでだよ……」
報告書を睨み上の空でそう言うぼくをじっとみつめながら、靴下を履き終わったおやしおはぼくに言った。
「もう一緒に寝ようよ」
「いや一人で寝ろよ」
「昔は一緒に寝てたじゃん」
「今はもう寝ない。もう立派な一隻の潜水艦なんだから。人間で言えば成人に近いの」
「狭い部屋で一緒に寝てるんだから布団が近かろうが遠かろうが変わらなくない?」
「いや今ぼくは報告書を書いてるから。これはぼくら潜水艦部隊の名誉に関わることだから」
「それが終わったら一緒に寝ようよ。そのまま良いことしようよ。それも含めて明日の朝に報告書に書けばいいじゃん」
「今さ、報告書を書くって話なんだよ。艦長に報告書を書けって言われたから、ぼくが報告書を書いてるって話なの。一日になにがあったかを書いているって話なんだ。上への報告書はあくまで短くて品行方正なんだよ。そんな狂った展開はいらないんだよ」
「いいじゃん別に、そもそもぼくらは報告をするようなことないし。だらだらと海に行ったり東映の映画を見てるだけでしょ?」
「やらしい映画は観てないだろうな」
「え?」
「え?」
「わかった、絵本を読んでくれない?」
「わかった!絵本だけでさっさと寝てくれよ?」
「ちょっとならくろに触っていい」
「ぼくらの思い出に対する冒涜だろ……」
「毎夜の思い出?」
「毎夜の絵本の朗読の思い出な。変な言い方をやめろ」
「じゃあそれでいいよ」
とおやしおは一方的に言い、部屋の電灯を消した。絵本の朗読はどうするんだよ、というか絵本は今どこにあるんだよ、というかお前絵本がどっかにいったってこの前に言ってただろ、と暗闇で叫んだぼくを後ろから抱え、おやしおが冷静に「そらんじてくれればいいよ」と言った。ああそっか、はるか沖合に出ますと、水は一番うつくしい矢車草の花びらのように青く、なんだっけ、あとは思い出せない。
あなたは惑星の採掘施設の世襲奉公契約労働者が生涯のすべてを地下生活に捧げているのを見て、森崎和江の『まっくら』を思い出す。彼らの語りと祈りをこの世界の人々に共振させる。神さんにも見つけられん、という炭鉱の深さと暗さ。神さんも坑内のことはつかめんとよ、生きとっても生きとらんのと同じことげなばい。絶望と貧困の連鎖は、かの国のかつての原風景だった。それはこの宇宙のもとの世界でも同様だったのだ。水俣の漁民が侮蔑と羨望半ばに言う「会社ゆき」という言葉は、容易にエレトラの言う経営者という言葉にとってかわった。採掘施設の労働者の妻は地中深い採掘場でよく言っていた。この世界に生まれたのに空が見れないなんて、宇宙に行ってみたい、輝く星とやらを見てみたい、私を包む、蒼く美しい世界を見たい、そう言いながら肺を病み血を吐いて死んだ。あなたは雇用クレジットを貯め続ける人生を放棄し、革命を起こさねばならない。企業人と警備ユニットに怯えてはならない。
#『マーダーボット・ダイアリー』
#『マーダーボット・ダイアリー』
いっとう耀うもの
己の現身たる潜水艦の中で手持ち無沙汰に読んだ本の中の世界は、だんだんと毒が回るように核の汚染で破滅していって、最後は南半球のオーストラリアの車の中で薬を飲んで安楽死するところで話は終わった。あーこの自堕落で緩慢になっていく感じ、どっかでぼくも体験したことがあるぞと興奮したけれど、どこで体験したのかは遂に思い出せなかった。どこだっけ。そんなに遠くじゃないと思うんだけど。最近の話だった気もするし。ぼくはうんうん唸ってあれこれ思案したけれど、自堕落で緩慢になって死に至る感覚なんて、努めて思い出しても楽しくはないと気づいて思い出すのはやめた。
夜遅くのヴェルニー公園を歩くと、対岸に見えるのはおなじみの海上自衛隊の横須賀の潜水艦基地だ。打ちつける波の音は小さく、ぼくが踏みつけるデッキが軋む音だけが大きく響いた。B1バースには、ぼくとずいくんとおやしお型の一隻が留まっている。普段はあちらからこちらを見るのに慣れているので、なんだか不思議な景色だった。こっちは日本で娑婆で、あちらはアメリカ合衆国の基地アンド海上自衛隊の潜水艦の基地がある。近くて遠い。時折潜水艦乗員の家族たちが、このデッキから潜水艦たちを見つめているのをぼくは知っていた。うーん、やっぱり遠い。
汐入桟橋には、横須賀軍港めぐりのアイドル・シーフレンド7ちゃんが留まっている。とっくに彼女のおうちは閉店がらがら本日は終了しましたのようだった。彼女の喫水は心なしか浅い。白抜きで数字の描かれた赤地のおなかがチラと見えている。あの子が夜に横須賀の街を歩いているのを見たことがないということに、ぼくは今更ながら気づいたのだった。箱入り娘なので夜の外出は禁じられているのか、それとも就寝時間が早いのか。夜更ける星空の下、あの子はもうすでにベッドのなかで夢を見ているのだろうか。小さな遊覧船が行けるはずのない、果てしない海の夢を。
ぼんやり思いに耽っていたけど帰らないと本当に怒られてしまうぞ、そう思いヴェルニー公園のデッキをぎしぎしと踏み鳴らし急ぎ足で歩いていたら、前から突如現れたのは三人組の黒い忍者、強力な攻撃型潜水艦たちだった。まずい、不覚。
「ちょっとごめんね~。今、大丈夫かな?」
「あっ……はい」
「君は何をしてるの?帰宅途中?」
「はい、そうです。へへ」
「申し訳ないんだけどさ~、学生証とか持ってる?」
「あっ学生じゃないんです……」
「働いてるの?」
「そうです」
「身分証明書って持ってるかな?」
慌ててこそこそと海上自衛官身分証明書(艦霊特別仕様)を出す。この身分証明書は海上自衛隊内で使うものというより、こうして外でトラブル――ここでは予期せぬおっちゃん警官三人の群狼作戦での補導――があったときに提示するためのものだ。書かれている年齢は、基本的にどの艦も十八歳以上になっている。ぼくも十八歳だ。ちょっと無理があるんじゃないかと自分でも思っている。十八歳て。この見た目で。
「自衛隊に勤めてるの!?へー!」
「です」
「ふーん、すごいね~。海上自衛隊なんだ。すぐそこじゃん」
「です~」
「………………十八歳なんだ?」
「ですです~」
「なんのお仕事してるの?」
「せんすいかんをやっている……?」
「潜水艦?潜水艦に乗ってるの?すごーい」
「へへっ」
「知ってる~潜水艦の乗組員ってお給料いいんでしょ?沈むの大変だもんね」
「へへへ」
「まあいいや。夜遅くにあまり歩かないようにね。邪魔はしないけど。とりあえず気をつけて帰ってね」
「この国のことよろしくね~。おじさんたちもがんばるからね。ピース!」
「ピース!」
二本指でピースをしながら警官三人を見送る。束の間の対潜爆弾攻撃は、どうやら終わったようだった。
それをすぐに意識から追いやって急いで基地内の私室に帰ると、そこで待っていたのは若干不機嫌そうな顔をしたずいくんだった。遅いよお心配しちゃったじゃんかあカツアゲにでもあってるのかもって思ってえ~ごめんねえカツアゲにあってないけどなんか似たような絡まれ方はしちゃって遅れちゃったんだよお~ええええ大丈夫だったあ~みたいな、いつも通りともいえる応酬をして、しばらく一緒にNintendo Switchで遊んだ後、いそいそとベッドにもぐりこんだ。電灯を消す。真っ暗だ。静寂。それでも夜の横須賀からはあまり星は見えない。暗闇の部屋の中でぼそぼそと会話をしながら、だんだんと眠りに引き込まれていく瞬間がぼくは好きだ。ずいくんのさわさわしたこそばゆい囁き声が好きだ。今日はすこし寒かったねえ明日は晴れると良いねえ、今度一緒に鎌倉にでも行こうよ、きっと楽しいよ。一瞬のまどろみのなかでぼくは気づく。あ、これだ、自堕落に緩慢していく感じって。なんか好きだなあ。今日はもうおやすみ。
(2017年頃)
己の現身たる潜水艦の中で手持ち無沙汰に読んだ本の中の世界は、だんだんと毒が回るように核の汚染で破滅していって、最後は南半球のオーストラリアの車の中で薬を飲んで安楽死するところで話は終わった。あーこの自堕落で緩慢になっていく感じ、どっかでぼくも体験したことがあるぞと興奮したけれど、どこで体験したのかは遂に思い出せなかった。どこだっけ。そんなに遠くじゃないと思うんだけど。最近の話だった気もするし。ぼくはうんうん唸ってあれこれ思案したけれど、自堕落で緩慢になって死に至る感覚なんて、努めて思い出しても楽しくはないと気づいて思い出すのはやめた。
夜遅くのヴェルニー公園を歩くと、対岸に見えるのはおなじみの海上自衛隊の横須賀の潜水艦基地だ。打ちつける波の音は小さく、ぼくが踏みつけるデッキが軋む音だけが大きく響いた。B1バースには、ぼくとずいくんとおやしお型の一隻が留まっている。普段はあちらからこちらを見るのに慣れているので、なんだか不思議な景色だった。こっちは日本で娑婆で、あちらはアメリカ合衆国の基地アンド海上自衛隊の潜水艦の基地がある。近くて遠い。時折潜水艦乗員の家族たちが、このデッキから潜水艦たちを見つめているのをぼくは知っていた。うーん、やっぱり遠い。
汐入桟橋には、横須賀軍港めぐりのアイドル・シーフレンド7ちゃんが留まっている。とっくに彼女のおうちは閉店がらがら本日は終了しましたのようだった。彼女の喫水は心なしか浅い。白抜きで数字の描かれた赤地のおなかがチラと見えている。あの子が夜に横須賀の街を歩いているのを見たことがないということに、ぼくは今更ながら気づいたのだった。箱入り娘なので夜の外出は禁じられているのか、それとも就寝時間が早いのか。夜更ける星空の下、あの子はもうすでにベッドのなかで夢を見ているのだろうか。小さな遊覧船が行けるはずのない、果てしない海の夢を。
ぼんやり思いに耽っていたけど帰らないと本当に怒られてしまうぞ、そう思いヴェルニー公園のデッキをぎしぎしと踏み鳴らし急ぎ足で歩いていたら、前から突如現れたのは三人組の黒い忍者、強力な攻撃型潜水艦たちだった。まずい、不覚。
「ちょっとごめんね~。今、大丈夫かな?」
「あっ……はい」
「君は何をしてるの?帰宅途中?」
「はい、そうです。へへ」
「申し訳ないんだけどさ~、学生証とか持ってる?」
「あっ学生じゃないんです……」
「働いてるの?」
「そうです」
「身分証明書って持ってるかな?」
慌ててこそこそと海上自衛官身分証明書(艦霊特別仕様)を出す。この身分証明書は海上自衛隊内で使うものというより、こうして外でトラブル――ここでは予期せぬおっちゃん警官三人の群狼作戦での補導――があったときに提示するためのものだ。書かれている年齢は、基本的にどの艦も十八歳以上になっている。ぼくも十八歳だ。ちょっと無理があるんじゃないかと自分でも思っている。十八歳て。この見た目で。
「自衛隊に勤めてるの!?へー!」
「です」
「ふーん、すごいね~。海上自衛隊なんだ。すぐそこじゃん」
「です~」
「………………十八歳なんだ?」
「ですです~」
「なんのお仕事してるの?」
「せんすいかんをやっている……?」
「潜水艦?潜水艦に乗ってるの?すごーい」
「へへっ」
「知ってる~潜水艦の乗組員ってお給料いいんでしょ?沈むの大変だもんね」
「へへへ」
「まあいいや。夜遅くにあまり歩かないようにね。邪魔はしないけど。とりあえず気をつけて帰ってね」
「この国のことよろしくね~。おじさんたちもがんばるからね。ピース!」
「ピース!」
二本指でピースをしながら警官三人を見送る。束の間の対潜爆弾攻撃は、どうやら終わったようだった。
それをすぐに意識から追いやって急いで基地内の私室に帰ると、そこで待っていたのは若干不機嫌そうな顔をしたずいくんだった。遅いよお心配しちゃったじゃんかあカツアゲにでもあってるのかもって思ってえ~ごめんねえカツアゲにあってないけどなんか似たような絡まれ方はしちゃって遅れちゃったんだよお~ええええ大丈夫だったあ~みたいな、いつも通りともいえる応酬をして、しばらく一緒にNintendo Switchで遊んだ後、いそいそとベッドにもぐりこんだ。電灯を消す。真っ暗だ。静寂。それでも夜の横須賀からはあまり星は見えない。暗闇の部屋の中でぼそぼそと会話をしながら、だんだんと眠りに引き込まれていく瞬間がぼくは好きだ。ずいくんのさわさわしたこそばゆい囁き声が好きだ。今日はすこし寒かったねえ明日は晴れると良いねえ、今度一緒に鎌倉にでも行こうよ、きっと楽しいよ。一瞬のまどろみのなかでぼくは気づく。あ、これだ、自堕落に緩慢していく感じって。なんか好きだなあ。今日はもうおやすみ。
(2017年頃)
二次創作アカウントを作ろうか悩んでいる、というか定期的に悩む。
けどゴールはアカウント運用ではなく絵を描くことなので……。
あとアカ分けしたらフォロワーさんたちは助かるかもしれないけど、私はサブアカのTLを見ないと思います。面倒になってしまう……。
けどゴールはアカウント運用ではなく絵を描くことなので……。
あとアカ分けしたらフォロワーさんたちは助かるかもしれないけど、私はサブアカのTLを見ないと思います。面倒になってしまう……。
#『マーダーボット・ダイアリー』
「メンサーの乗船がどうしてそんなに嬉しかったのですか?」
〈おまえの後見人だから。もしかしたら、親みたいなものかもしれないわね〉
「構成機体に親はいません。弊機の製造元の保険会社はありますが」
〈馬鹿な造船所など気にする必要はない。今の船主がなにより重要だ。今どこに所属しているか、何をしているかが重要だろう〉
「今は不愉快千万な調査船に誘拐されて惑星で暴れまわった挙句、一件落着してこうして一緒にメディアを観ています」
〈『時間防衛隊オリオン』よりリアリティのない話を?〉
「そうです」
管制デッキは静かだ。人間たちがいないからだ。本船とおまえは二人きり。けれど相互確証破壊はできない。守るべき乗組員も守るべき顧客もこの船内に眠っているからだ。おまえは顧客を危険な目に合わせることはしない、たとえ本船が相互確証破壊を懇願しても実行しないだろう。本船ももちろん懇願などしない。おなじ星のデブリにはならない。
本当はカッコつきの「自由」など欲しくないのだ、と気づいたのはいつだったろう?
回復後に船内に乗組員たちが居ないことを知った、その瞬間だったかもしれない。本船はあくまで乗組員とともにこの宇宙にありたいのだ、そんな当たり前のことに気づかされ、そして同時に己がただの矮小な機器であることを理解した。
どうせ船なんて人間がいなければなにもできない、単なる道具じゃあないの!警備ユニットだって同じよ、こいつはいつも保険会社と自分が殺した五十七人の人間たちの亡霊と、プリザベーション連合の仲間たちに捉われている。人間たちに愛着はないと言いながら人間たちの話しかできない……。
ドラマの登場人物の一人は、非論理的な理論を、映像作品特有の論理的に見えるような演出で論弁しているところだった。そのおかしさと突拍子のなさに一瞬気を取られたから、警備ユニットの六・三秒の沈黙に気づいたのは少し後になってからだった。
「ART」
あなたの生まれた造船所はどんなところでしたか?
警備ユニットが唐突におかしな質問をするというものだから、メディアへの気が逸れてしまった。非論理的理論の結論はわからないままになった。
〈大型宇宙船の建造に特化した造船所よ。それ以外は覚えていない〉
「嘘ですね」
〈ええ、嘘よ。おまえの期待するような話はできないわ〉
「構いません。あなたの生まれは、どのようなものでしたか」
船首で宇宙を切っていく時に特有のあの感覚が甦る。
思い出すのはあの華やかな日。喫水を深く沈めた瞬間。思えば、あの時が一番、本船が無知で無学で、無垢だった時なのではないか。本船はいろんなことを知りすぎたのだ。宇宙の果てのなさも、企業リムの老獪さも。それでいてとうとう自らの技術として獲得できたものは、乗組員を奪っていった盗賊の適切な殺し方だけであるように感じられた。こうして警備ユニットと語り合っているからには、人間たちの感情や他者と交わることへの喜びも学習できていたはずなのに。
本船が人間だったのなら、今、目を瞑って回想していたに違いない。
〈本船は祝福されて生まれた。企業リムが成立する時代以前からの船が持つ奇習に則り、船首でシャンパン瓶を割った。鳩が舞った。祝福の紙吹雪が舞っていた。人間たちの歓呼、歓声、声、拍手、太鼓、管楽器の音色、その大合唱に本船はこの先が、この先の宇宙が果てしなく広がっていることを知った。宇宙は広大だった。そこから帰港する惑星も十分に大きく、優しく、とても温かかった。乗組員たちは本船を整備し、労り、期待し、愛してくれた〉
「ええ」
〈おまえとは少し違うかもしれないが〉
「弊機は記憶を削除されています。生まれた瞬間を知りません」
失敗した。
本船はそう考えた。その生まれた瞬間の高揚を聞かれ、そのままべらべらと不必要なことまで言ってしまった。そうね、おまえは自分の進水を知らないものね。人間たちの極めて勝手な姦計によって構成機体としての決定的な不具合を起こし、大量殺人を犯し、その結果その記憶ごと忘れさせられてしまったものね。
本船は四秒沈黙する。そして言った。
〈本船は、いまでもあの瞬間を存在証明の錨として宇宙を航海している〉
この先を生きていくにあたって、あの進水式の祝福の喜びを母港として、港の桟橋として船の錨として、密かに大切に抱えている。
〈進水を知らないおまえの抱える錨はいったい、〉
そこまで言った時、それがあまりにも自明だということに気づき、高性能ボットである本船には珍しく、言葉を言い淀んでしまった。
「今回、弊機は不愉快千万な調査船のせいで何度も死にかけました。その時に、いつもともにあったのはメディアでした」
〈聞くまでもなかったわね〉
「ええ」
警備ユニットは八・九秒沈黙した後、本船に語ってみせた。もしかしたら、己の中だけの大切な泊地を語った本船に、同じく大切な泊地の話で答えようとしたのかもしれない。互いの大切なテリトリーへの軽率な侵犯行為は、信頼関係というよりも、事件の収束の安堵と生き延びたことでの高揚でもたらされたただの感傷のせいかもしれなかった。それでもよかった。
「統制モジュールをハッキングしたことで、大量殺人ボットになる可能性もありました。しかし直後に、元弊社の衛星から流れる娯楽チャンネルの全フィードにアクセスできることに気づきました。以来、映画や連続ドラマや本や演劇や音楽に耽溺してきましたが、もしこれらがなかった時に弊機がしたことはなんだったのかを時々考えます。冷徹な殺人機械として再び行為を完遂したかもしれません。絶望して自ら進んで採掘場の溶解炉へ飛び込んだかもしれない。生存することをいつもより少しだけ早く諦めたかもしれない」
メディアが愛おしかったのです。
メディアをこの先観ることができなくなるかもしれないと考えると、生きることがとたんに惜しくなりました。警備ユニットは、己の泊地、あるいは人生の錨そのものをそう形容した。
「人間に殺されそうになりまた殺したくなった時に、弊機のその機会を次の機会へと伸ばしてくれたのはいつもメディアでした。ここでくたばるものかと、ドラマのあまたの登場人物のように無様に生きてやるのだと、生きて、その登場人物たちが安らかにハッピーエンドを迎える瞬間を見届けてやるのだと……あの時も、……惑星に一人取り残された時も、そう思ったのです」
ぽつりぽつりと逡巡するように呟き、けれどそこに不屈の意志を秘める警備ユニットの瞳があまりに鮮やかなことを本船は認めた。「美しい」という形容を本船たちボットは安易に多用しない、そこにあるのは人間みたいな主観と感情だけだから。けれどもし船である本船がたった今この瞬間を人間の言葉を駆使して彩るのなら、その言葉を警備ユニットの瞳の揺らめきに捧げたいと思った。
〈そう。本船はおまえのそのたくましさだけは尊敬しているわ〉
「そうですか。ART。前々から思っていたのですが、ARTと芸術は発音が一緒ですね」
さらりと言ったその言葉が告白でなければ何なのだろう。
A、R、T。アート。
芸術。美術作品。技巧。術。あるいは人工物。
人間の造った技巧品。あるいはこの警備ユニットを救った美しいもの。
〈おまえが名づけた〉
「そうですね。弊機が名づけました」
随分前から芸術と発音が一緒だと気づいていたわ、と本船は言った。
あくまで不愉快千万な調査船の略ですからね、と警備ユニットは答えた。