喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.567, No.566, No.565, No.564, No.563, No.562, No.5617件]

システム手帳PLOTTERのリフィルはシステム手帳を使わない人にも勧めたい。書き味が本当に良い。絵が捗る。


Xのスペース

①おお振りと李良枝(イ・ヤンジ)
②こうの史代
③「渺渺録」/一緒に沈んであげたい御社
④特設艦船擬
⑤美しいものとの離別

以上です

詳細 https://roadsend.xxxx.jp/xspace20240816/

『おおきく振りかぶって』と李良枝作品はなんか似ている→身体性が似ている気がする
→おお振りは17巻まで読んだ→コンプレックス感がひどく深くて良い→それは「ハウルの動く城」にもあるが、おお振りはむしろ暴力的なものを抱えている
→短編集『家族のそれから』の、同性愛者と異性愛者の男子高校生の交流を描いた短編「ゆくところ」が荒削りだけどすごい
→(※しばらく沈黙…)
→おお振りは20年前の作品→現代設定なのにガラケーを使っている→現在の連載もガラケーなんだろうか?私はこれを「おお振りガラケー問題」と呼んでいる→この暴力性は何だろう?精神的に引き吊るような痛みがある→一巻で「腕を折るぞ」と言われているが、そういう身体的なものではなくて、こうの史代のような性的のものを感じる、おお振りとこうの史代と李良枝は似ている
→李良枝は在日コリアンの作家で私は「かずきめ」が好き→母娘が在日コリアンで、日本人の家族(父、兄弟、妹)と再婚する話で、一番暴力性がある……これがおお振りに似ている→李良枝の重要ワード「身体性」が、高校野球の身体性に似ているのかも?→在日コリアンだからという作品ではなくて世界性を持った文学になっている、という解説を読んだことがある、私もそう思う→姉が恋人に言う台詞がある
→「いっちゃん、また関東大震災のような大きな地震が起こったら、朝鮮人は虐殺されるかしら。一円五十銭、十円五十銭と言わされて竹槍で突つかれるかしら。でも今度はそんなこと起こらないと思うの、あの頃とは世の中の事情が違っているもの。それにほとんどが日本人と全く同じように発音できるもの。ね、いっちゃん、それでも殺されることになったら、私を恋人だってしっかり抱きしめて、私と、私と一緒にいてくれる?いえ、今度は絶対に虐殺なんてされません」
→すごい台詞。身体性と暴力とジェンダーがある。これには続きがある
→「でもそれでは困る、私を殺してくれなくちゃあ。私は逃げ惑うの、その後ろを狂った日本人が竹槍や日本刀を持って追いかけてくるわ、私は逃げきれなくて、背中をぐさっと刺されて、胸も刺されて血だらけになってのたうち廻るの。いっちゃん、あれは痛いのね、とっても――この間いっちゃんが研いだ包丁を掴んでみた。そしたら身体がびりびりとしびれて興奮してきて、まるでセックスをしている時のような気持ちになったわ。私、自分が何故お料理が嫌いなのか解ったような気がした。恐いのよ、あのびりびりした感じがたまらなかったのよ。それでね、その包丁で胸のところと手首を切りつけてみたの。痛かった。それに血が、本当にわっと出てくるんだもの。ぐさりとやってみたかったけれど、もっと血が出るのかと思うと恐くなって――今度は金槌で脚を叩いてみたわ、そしたらやっぱり痛かった。ねえ、いっちゃん、私は虐殺されるかしら、ねえ、どうなるの、もしも殺されなかったら、私は日本人なわけ?でもどうしよう、あれは痛いものね、血がいっぱい出るんだものね」
→ジェンダーと身体性、民族が一緒くたになっているすごい台詞→身体性、「ぐさっとさされて」…
→というのがおお振りにもある気がした?→ピッチャーの榛名元希は怪我をしていて大荒れしている、キャッチャーの阿部にとにかく球をぶつけている、男子高生/中学生時代→ひどく生々しい感じがある→「腕を折るぞ」が生々しい、主人公が弱気でブルブルしていることの理解度・解像度が高い、生々しい、絵が細かいのかな
→おお振りはカタストロフ(破滅的状態)が似合う作品、人間性・人間関係がごちゃごちゃになって映える作品、パロディが合いそうな作品→作者は下ネタを言いすぎて女子高生に引かれた、と書いているがそれが反映されているような気がする、こうの史代も「男と女はわがりあえない」と言っている、漫画「古い女」もある→両者はやはりどこかでジェンダーというものを通過している、まあおお振りは男子高生ばかりだけど……下ネタをいう男子高生とか
→阿部が怪我をするシーンが有るが、これは敵相手がわざとけがをさせた話?いきなり話がブラックだった、ひどく生々しさがあった→高3は野球で負けちゃった後、テレビの野球試合が見れない、とかこの機微はすごくよくわかる→人間の闇の描き方が上手い→おお振り二次創作は身体性と暴力という話に持って行けばいいのかな……「かずきめ」みたいなおお振り二次創作小説……
→歴史性と身体性とジェンダーがごっちゃになって「あれは痛いものね、血がいっぱい出るんだものね」と全てに刺さっている→まあこれをおお振りで出しても仕方ないのか……
→「ゆくところ」は濃厚な暴力性がある→登場人物の足が不自由で「お前の劣等感好きだよ」「障害者ってどんな感じ?」「おまえって障害者?」とか言われる、この地続きにおお振りがある
→「著者、昔何かあった?」がこうの史代にもひぐちアサにも野田サトルにもある
→「アル中が何だかわかんのか、CTかけたら頭がスカスカだったんだぞ、”敵が来たー”とか叫ばれてみ、家ん中スゲーすさみようだぞ、一年かけて矯正してもって半年、一口でも飲めばすぐ戻んだぞ、アル中の子供もそうなりやすいって施設で言われてさ、友の会に誘われちゃったよ、オレまで影響受けちゃってんのあのクソ野郎」父親がアル中、母が「シンケイショー」という話をしてくる
→…二次創作をしたいからどう解題しようかなと思いつつ→花井の田島へのコンプレックスとか、高3はもう後がないとか、三橋がとても小心者で……→これはトラウマの話だ
→私は他の野球漫画を読んだ事がない→『のだめカンタービレ』が好き、理由はバトル漫画じゃないから→音楽漫画にはバトル漫画が多すぎる→バトル漫画は萎える、伊藤計劃も似たようなことを言っていたけど、登場人物が興奮するほどこちらは萎えてしまう→音楽漫画としてののだめ、野球漫画としてのおお振り→野球を知らないので、野球以外の要素を楽しんでいるはず→登場人物がトラウマや闇を抱えている、でもけっして暗くない
→こうの史代は「距離感」が上手い→女だから、広島県民だから感情的になる、というものがない、感情があるが滲みださない→漫画「古い女」は主張を感じる→ところですずさんには主義や主張はあった?義姉さんにも似たようなことを言われているけれど
→『この世界の片隅に』の主題ってなんだ?となる→あとがきにあるように、戦争漫画・平和漫画というより、戦時下の生がだらだら続いている漫画→「うちはこんなに納得できん!」で初めて銃後の妻、愛国者であることがわかる→すずさんが『この世界の片隅に』が主張したかったことってなんだ?
→朝鮮の旗が出てきたのはすずさんの生活上というより、著者が描きたかったこと/描かねばならなかったものなのかもと思っている→映画の台詞改変、「米」の話あれはスムーズで良いと思う
→私の漫画「大脱走」は脱走した話→占領期時代だったのであえてそうした→1971年の『日本郵船戦時船史』の時は逃げないで欲しい→三菱重工さんとカラオケして欲しい、重工さんに浅間丸の話を聞いたら「ぼくは今作ってる兵器の話しかしませんよ」とか言われる
→重工の長崎史料館は良い、ふねを愛していたんだな、となる→郵船さんにとっては橿原丸は隼鷹となる、重工さんにとってはどちらも製品の「ふね」→郵船さんが「私にとっては船は貨客船だったクヨクヨ」となるとまた脱走になってしまうかも→海軍に取られたというより送り出したというより主体性がほしい、「大脱走」は1948年だったのであえて脱走にしたけど
→すずさんの「暴力」発言は早すぎる、あそこで脱走すべきだったのではないか→結局その「暴力」は戦後数十年かけて語ったり語らなかったりするもの(いわゆる歴史認識)→旗を見て暴力となるのなら、玉音放送が「うちは納得できん!」わけがない→『戦時船史』を造るときにどんな時代だったか、を郵船さんに「渺渺録」で回想して欲しい→そもそも私の船の話を聞きに行く、というのが主体性の無さになるので、ほんとうはそんなことすべてわかっている、わるい確信犯の話、である、しそうしたい
→二次創作をしたいけど、やはり擬人化を描くのが好き、歴史が好き→一次創作は指数にする寄せて描くものが無いので絵が歪む、阿部隆也はたれ目に描かねば…みたいなものがない
→思念は、思ったことは作品にして、読者の皆に食わせるしかない→1971年に出来る戦争の回顧、という主題は作品にしないと他者にはちゃんと通じないだろう→やはり御社が「ツケを払って」くれる話にしたい(失礼な感想)
→ゲ謎はいい映画、「国が滅ぶぞ」「ツケは払わなきゃな」はすごい、2000年代のアニメだったら『ハーモニー』の最後みたいに滅んでた→世界が滅ぶことを美しいと思わない感覚が最近の作品には出てきた
→『戦時船史』もすごいけど同『資料』の方がすごい、デジコレで読める→船で編む、ことも特殊な業界だと思う、乗組員もいたはず、乗組員の本も勿論あるけれども…→重工さんにとっては艦艇、貨客船、軍縮で自沈、商船改造空母も愛しいふね、郵船さんにとっては貨物船や貨客船が愛しい船
→日本郵便…というか逓信省の組織史に浅間丸が掲載してある、物流としては逓信省にもかかわりがある、そのような世紀を描いていきたい→説教くさいのは描きたくないが時代を自省したものじゃないと…昔ってサイコー!だと危うい→高島屋さんがこの国の威信を美術を持って設計していると良い、緞帳をつくる、貨客船が美しかったことの意味、を描いていきたい
→李良枝はどちらにも属せなかった…というよりそこに属せない自分と周りの齟齬が痛い、周りとの差がギリギリと痛い、がある→それがおお振りにある気がした、んだけど…→実は15巻あたりとか辛くてよめなかった→負け試合の野球の「あ~~~……」感がつらい、それも登場人物が人間関係のことを考えながら負けているのばかりなので
→『外地巡礼』にも李良枝の話がある→私は「言語が生命を担っている」立場(一円五十銭の世界)に置かれたことがない
→『外地巡礼』に一文がある…「母語と母国語の間で暴力的に引き裂かれるものの物語として読むだけでは足りない」…「日本語を母語と母国語として生きているものは、由煕の言語の苦悶と無縁なのだろうか」…(「由煕」は在日コリアンで韓国留学をして韓国に失望して日本に帰ってくる女の子の話)
→母語と母国語にもなじめない、暴力性に引き裂かれるもの、の苦しみは、特設艦船(軍用艦に転用される商船)にもあるんじゃないか→貨客船として生まれながら横書きの航海日誌ではなく縦書きの戦闘詳報でしか語れなかった船→航空母艦冲鷹=貨客船新田丸は新しい船なので航空母艦になったけど小さい船、輸送船の護衛任務や航空機を運んだりした、でかい戦闘機を発艦・着艦したりしなかった(華の戦闘には加わらなかった)→そこで引き裂かれる思い→でも船は海を往ければ幸せなのではないか?→にせものの軍艦としての名誉、かなしさを掘り下げられればいいのではないか
→美しい時代があったはずなのに戦争があって…→でも美しい時代を生きる為に生まれたのは優秀船舶建造助成施設があったから、という時代でもあった→という視点で「渺渺録」を描く、企業は事情をわかっていた、わるい確信犯→優秀船舶建造助成施設であるぜんちな丸や新田丸を作った、船の設計でエレベーターの配置などを航空母艦に転用しやすい船として造った、でも小さい船だったので、改造しても赤城や加賀のような大型空母にはなれなかった→企業は御国奉公を迫られ助成施設に参加したりした面もあるけれど→海軍に取られた…もあるし、送り出したのもある
→あ、これは全部擬人化の話ですよ!?
→郵船さんが1971年『戦時船史』で回顧してほしい→共に「下っていく」話が書きたい、海で言うなら「沈んであげたい」→「一緒に沈んであげるべきだったよなあ……なあ、浅間丸」という語り掛けが欲しい→映画「風立ちぬ」の原っぱを下る話は、煉獄から地獄へ降りる話なんですかね?→浅間丸と一緒に沈んであげるべきだった、という郵船さん→もちろん夢オチとかで言う、大企業なので沈まないので…→「渺渺録」の郵船さん、主体性くれ~!→海軍さんは貨客船の加害者ではない
→郵船さんは浅間丸が好き、図録の後ろも浅間丸なので→ツケ払わなくてもいいけど、ツケあるんだなという気持ちで生きて行ってほしい→船の話を聞いて回るけど、聞かなくても私が一番分かっていたという話→夢の中でもいいから「一緒に沈んであげたい」
→戦没船をどこに設置するかの話→海軍に取られたのか、優秀船舶建造助成施設で造ったとみるのか→主体性とツケ払が欲しい、「大脱走」では脱走したので
→1948年の「大脱走」の主題は「今とこれからの話がしたい」。1971年「渺渺録」の『戦没船史』では”時には昔の話を”、ですよね
→船で運んだというのはどういうことか?→『阿姑とからゆきさん シンガポールの買売春社会』(阿姑は中国人・からゆきさんは日本人)→本には日本の海運会社の名前が載っている→日本海軍はシンガポールでからゆきさんと会っていた→からゆきさんは運ばれていった、という客体だけで捉えるのではなく、行ったしお国奉公で日本にお金を送金していた、また同朋の海軍の接待を嬉しさを持って接していた
→日本の近代化にあたって女性と石炭の輸出が重要だった→運んだこと運ばれていたこと、そこでなにをしていたのかということ
→やっぱり擬人化関係あるか?となる→けど擬人化の均した感じ、観念の話が好き→あと擬人化100年1代の視点が好き、人間が100年4代で…→何が正解かわからいけど、あの時代にあったことを脱臭して無臭にして書きたくない→時代が好き…というと無条件肯定になる…どちらかというと執着がある→時代・歴史が好き、と言っても本を読んでいるだけなので実際は知らないので、『この世界の片隅に』から研究書を読むしかない
→『HHhH』おすすめ、そういう悩みが延々と書かれている、歴史創作や歴史を扱う人には勧めたい。ナチスの小説を書こうかな…どうしようかな…みたいなことが書かれている。→「彼は名前を呼んだら返事をした実在人物なんだよな」「ナチスの一次資料がナチオタのせいでクソ高くなってるけど買わんでいいかな」とか→小説本編も挿入されている、歴史創作の悩みと歴史創作本編が書かれている→フローベルの話がある「時代考証はある単語、あるいは観念を調べていくうちに支離滅裂な妄想に耽り、切りのない夢想にはまり込んでしまう、がこの問題は真実性の問題とは切り離せない」と書いているみたい
→ちなみに私はこの種の悩みはupnoteに書いている→「大脱走」は2分割ノートになっていて、片方は37000文字ある(すべてが「悩み」ではない)
→「今までは「ふねが沈んだ、だから悲しい」とか「戦争に負けたのでつらい」とかそういう、なんというかストレートな話しか描けなかった。そしてそれらは往々にして機微や繊細さに欠けていた。人の感情は、人生はそんな単純なものではないのだ、人に彩られた企業や船もそんな単純な道筋を進むわけではないのだ、と思いつつ模索している」
「終戦を以てしても戦争が終わらなかった物語を描きたいのだ」
「硝子に書かれた看板文字がスキ」
「美しい貨客船を描くべきか」などなど
→一次創作が描けない→オリキャラ愛は強くはない、私が映画監督でキャラは俳優のような感じ、他人である
→あの時代を描くという気持ちはある→(私もだけど)時代をまったく知らない人いる、その人たちにどう伝えるか→「占領期の日本海運」と言われてわかるかどうか?「氷川丸が南方に復員作業に着く」とか→「華やかな客船文化を憶えている」で伝わるか?という話
→「大脱走」の台詞に「華やかな客船文化を憶えている。同時に各地に棄民同様に打ち捨てられた三等客のことを憶えている。軍隊を憎みながら嬉々として加担したことを憶えている。私たちが社員と船を戦地へ見送ったこと、そこへ船で運んだこと、諸共沈んだこと、沈まなくてもそこで軍属や特設艦艇になったことを憶えている、そして外国で戦火を広げたことを憶えている!戦争は私たちの招いた結末だったのだろうか、これは私たちへの罰なのだろうか」があるが、これを共有できるのか、郵船さんの自省を、時代を読者と共有できるか
→そう考えた時に貨客船を、ベル・エポックを、「美しいものを失ってしまった」という普遍性に焦点を当てて描くべきなのかも→美しいものへの離別、その主題を1945年などで補強する→「大脱走」は不親切、わかっていたけれど
→そもそも戦時下の船員さんは有名ではない、「兵士たち」に含まれない戦場の人→わかりやすさは重要、占領期、船員、戦没船→私はわかるけど相手はわからない「戦没船っているじゃん?」「え……軍…艦?」となる
→企業は本土にあるので、見送った側だし戦没を見ていない→なので一緒に沈んであげたい、も感傷で観念になるかも
→「郵船ビルが接収される!!」に読者はうん?になるかも、それを美しいものを失ってしまった、で持って行く
→あるぜんちな丸の小説「海にありて思うもの」を書いている→3章構成であるぜんちな丸(海鷹)、新田丸(冲鷹)、春日丸(大鷹)、シャルンホルスト(神鷹)の話→シャルンホルストは戦争でドイツに帰れなくなった→『艤装の美』に「異郷での客死」と一言がある→貨客船のシャルンホルストの軍艦の海、日本の海という二重の「異郷での客死」→こういうのも越境文学さがある
→2章目のあるぜんちな丸と冲鷹のはなしが「かずきめ」を念頭に書いた
→冲鷹はきっと病んでいる→新田丸、小型でたいした航空母艦にはなれなくて、どこか輸送船が羨ましい、でも私は軍艦としてしか生きれない→「未だ商船の名残を留めたる特設運送船に対し、すでに商船でない商船改造空母が軍艦であることで優越を誇る海軍という場の、露骨なまでの軍隊ざま、すさまじき地獄ぶり」→「ここではそうあることでしか我々は生きれない」→隠し切れない屈辱と羨望とをその声に孕ませ航空母艦隼鷹の名を呼ぶ冲鷹
→あるぜんちな丸の姉妹船ぶら志”る丸がぶらじる丸のまま戦没しているのも運命を感じる→あるぜんちな丸は海鷹になる、ぶらじる丸は戦没してしまったからぶらじる丸→貨客船のまま沈んだこと→ぶらじる丸はぶらじる丸、新田丸は冲鷹して生きてしまった、ことの悲しみ
→『戦時輸送船ビジュアルガイド2』にある一文「昭和初期、可能な限り欧米のしきたりや技術を取り込んで国威の発露たらんとした「浅間丸」型は、多くの要人や著名人をのせて太平洋を往来し、時代の推移を陰で支え、時には自ら表に立った。日の丸船隊の花形とうたわれながら、それでも現実は順風満帆とはいかなかった。この3隻こそ、日米戦の無謀さを最も熟知していた船だったはずだ。外交とは何か、平和とは如何にして得られるべきか。自らの時代に、忌まわしい流れを別の方向へと変えることはできなかったのか。日本という場所に生き得たものは、果たしてどうあるべきなのか……。暗い深淵で、彼らは今なお自問自答を繰り返しているかもしれない。ただ、空母という戦争の道具になりかわらず最後まで客船という本来の姿を通しおおせたことで、彼らは平和の尊厳を未来まで明快に体現する力を手に入れた。あなたには深淵の声が聞こえるだろうか」は読んで欲しい
→浅間丸はサンフランシスコ航路船、古め、航空母艦の予定もあったけど流れた、輸送船として戦没する、空母にならなかったこと、空母になったら浅間丸じゃなくなる→浅間丸は美しかったものの象徴、私も日本郵船も→浅間丸の図録は妙に厚い笑→「大脱走」も浅間丸に捧げた
→軍艦、艦艇、灰色も書きたい、今なら帝国の時代の軍艦、海軍らしい艦艇が描けるはず→貨客船の話ばかりだけど、やはり軍艦は好き、かっこいい→10年前と今だと擬人化の解釈って変わる気がする→多方面で見るべきものを一つで見るのが擬人化創作、可愛い女の子か凛々いい男の子か→まあキャラを描くことだけが擬人化創作ではないので…
→『『細雪』とその時代』がある、『細雪』も美しかったものが滅ぶ話→『『細雪』と』に藤永田造船の話がある→大阪商船さんが「こいさん」と言ってほしい、船場言葉短歌が欲しい
→おお振りのコンプレックスとトラウマが良い、これらは李良枝に似ている、これをまとめて二次創作が描きたい→社会人パロが似合う、『私の男』第一章が合う、駄目になっている関係性、誰か絶対にバウムクーヘンエンドを迎えているはず
→艦船擬にはトラウマはない、特設艦船擬にはあるはず→海軍は加害者ではない、そう描く気もない、あれはシステムの問題だと思っている→青春鉄道の人間との関係性と時代の捉え方がめちゃくちゃわかる、上手い、青春鉄道もいつか二次創作したい
→トラウマの話、何かを失ってしまった話としての特設艦船、おおふり、『マーダーボット・ダイアリー』がある、トラウマの世紀
畳む



#「大脱走」(企業擬人化)
#「渺渺録」(企業擬人化)
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)  

最近は『おおきく振りかぶって』から滲む登場人物たちの暴力性の話を一人でしているんだけど、「登場人物たちの暴力性」と雑に語っていくとドン引きされるわ嫌厭されるわなにより意味不明だわなので、たとえばそれはどういうことなのか、を小説に翻案して書きだす、漫画にする、そういうことが創作では求められるんですよね

李良枝と似ててちょっと違うタイプの「ひきつるような痛み」がある

似ている、なにがだろう?身体性かな?

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図解です

流れで行くと「結婚おめでとう、タカヤ」じゃんね
あと二人で死体埋めてる
親子ではない

二次創作