喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.409, No.408, No.407, No.406, No.405, No.404, No.4037件]

「空気」「雰囲気」ばかりは世相や生活から知るしかない

とはいえ「史料がない」わけではないので、コツコツやる

こうの史代先生?いや森崎和江先生?いや両方か?が当時の新聞をひたすら読みに図書館に通った、と言っていたがそれに近い 「1491年に太平洋戦争が始まった」に収まらない行間ですよね

擬人化で歴史を描くことで、考証的な何かが決定的に違っていても「擬人化創作なので!!」で逃げることにしていて、それは最終手段であり逃げの姿勢であり、敗走のみっともない手段だが、この「逃げ道」の確保をしていることで自信を持って腹をくくって創作を世に送り出している節はある

「考証的な何か」は具体的に言えば、今は「知っている資料があまりに不足していて、当事者の感じていた空気が感じ取れない」所かな…
海運の人たちがどうしていて何を考えていたのか、軍隊と比べるといまいちわからない

お元気ですか。お手紙、丁寧に有難う。「創作の対象が背景に歴史の文脈を付帯させている時に、加害への直視と批判意識こそが重要である」とのお言葉を頂戴しました。「愛情とは直視であり瞠目でも眩しさにくらむ盲目でもない」ことを弁えるべきであり、時間という私達の特権が対象と距離を生んでいることを有難く享受するのが、いちばん誠実な方法かもしれません。