No.380, No.379, No.378, No.375, No.374, No.373, No.372[7件]
感想を書かないツケが回って来ている。練習しよう……。
メモ この類の感想はどこかに長文としてまとめること
ところで(連想)『終戦のローレライ』は(著者の国家史観は別として)一つの物語としてうつくしかった 日本海軍の実直な歴史描写に挿入されるローレライ・システムという架空兵器のファンタジックさが、あるいは「馬鹿っぽさ」が危ういバランスで魅力と魔力を発揮しており、絶妙に世界はズレていて、ローレライ・システムはすなわちローレライであり少女であること、そのファンタジックさが、あるいは「馬鹿っぽさ」が…という再びの循環と混同、少女は兵器であり勝利だということ
あの時代のあの戦争中の男たちがみっともなく少女を(勝利の表象を)めぐって争っている、あまりに「馬鹿っぽい」フィクション性、が、潜水艦という人間の想像力に最も嬲られてきた船種を舞台とすることで、さらにファンタジー性が強化されるところ
表象としての少女と舞台装置としての船の提示の仕方が、鮮明でうつくしい
あの時代のあの戦争中の男たちがみっともなく少女を(勝利の表象を)めぐって争っている、あまりに「馬鹿っぽい」フィクション性、が、潜水艦という人間の想像力に最も嬲られてきた船種を舞台とすることで、さらにファンタジー性が強化されるところ
表象としての少女と舞台装置としての船の提示の仕方が、鮮明でうつくしい
『蒼穹のローレライ』(少々うろ覚えなのですが所感) 主人公の瞳が理由不明のまま青く、母親の不貞を疑られて幽閉され、父親にも邪見に扱われて、運よく外に出たとしても近所の人間は不気味がるし帰ったら母親が刃物をもって狂ったように探し回っている、そんなイエとムラで育っている彼が上手く逃れた先が日本海軍という今から見れば理不尽な組織社会にしか思えない、が当時では世界随一のテクノロジーの先端集団に行くことで相変わらず孤独でありつつも一種の救いがそこにあり(青い瞳は生物学的にいう先祖返りかもしれぬ、という同輩の明晰な回答は当時では日本海軍などでしか賜れない言葉だったろう)
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る