喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。

No.210, No.209, No.208, No.207, No.206, No.205, No.2047件]

貨客船シャルンホルストの「異郷での客死」
ドイツではなく日本(というより済州島付近の沈没地点の海)で沈没したこと、の他に商船として海を航海するように生まれたのに軍艦としての戦火での死を迎えたことについても言っている気がする

Twitter騒乱もあり、いろんなものが細分化されすぎて、閲覧者には見づらい環境になってしまっている。
とはいえサイトに集約するにはサイトの構造に欠陥がある気がして……。HTMLサイトみたいな情報量が多いサイトに回帰したくなります。無理だけど……。

データ整理は細かくせねば!とか、絵を見ると絵を描きたくなるので絵をいっぱい見ねば!とか、決心はするけど次の日には忘れているのは…なぜ……

てがろぐいいねぱちぱちも見ていますが、waveboxも見てます!いつもありがとうございます

私たちは――ローマ人のように――自らの記念碑を後に残した社会も、――多くの農民のように――記念碑を残さなかった社会も、描き出す。私たちは記念碑を持つ社会をその自称する偉大さから解き放つ。私たちは彼らがどのように見られたがっているかということと、実際に彼らがどうであったかということとを混同しないように努める。そして私たちは記念碑を残していない人々を、その結果として他人から、あるいは自分自身から、押しつけられた沈黙から解放するように努める。
 したがって私たちは叙述している人々や社会を、別の時代や場所から持ち込まれた判断の専制から解放しなければならないということになる。

それではもし歴史の重みが現在と未来にこれほど重くのしかかることがあるとすれば、歴史家の仕事の一部がその重みを解除しようとすることにあることはたしかである。すなわち、たいていの抑圧の形態は構築されたものであるから脱構築されることが可能であるということを示すこと、現在あるものが必ずしも過去にあったとは限らず、したがって未来にあるとも限らないということを示すこと、である。この意味で歴史家は社会批判者でなければならない。
/『歴史の風景』

引用