喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

どのカテゴリにも属していない投稿378件]

コミティア150で解説ペーパーを作ろうと情報のスプレッドシートを見てたけど、「太平洋戦争中に撃沈された輸送船は小型船まで含めると七二〇〇隻以上、出征した船員の二人に一人が戦死するという甚大な犠牲を招いた。」(『暁の宇品』)あらためてヤバい

大阪商船の貨客船として竣工直後、貨客船の商業航路に就航することなく海軍に徴用されて特設巡洋艦へ改装されて特設運送船になってトラックで戦没する愛国丸……と考えていたらなんか色々ムカついてきたな 今更だけどいろんな人、いろんなものが踏みにじられている……

wavebox&ログ倉庫(FC2ブログ)の拍手パチパチありがとうございます~確認しております。
嬉しいのでお礼を言いたいのだけれど、はたしてこのてがろぐページがどのくらい見られているのか……という悩みもあります。
サイトを細分化しすぎている。

艦船擬人化をもっと描くか、キャラをもっと、護国丸とかもっと描きたいぜ……。
背景っぽい何かばかりではなくて、キャラ絵でも魅せていきたい。
自創作、大阪商船さんと報国丸型の髪色が一緒なんだけど、よくよく描いていると顔だちも似ており、筆者なのにおや…?となる 他人事

◎石牟礼道子の語り口という話 例えば岩波新書やNF文庫の「である」「であった」とか帝国主義とか資本主義とか蘭印作戦とか、後世の、現在の名詞や単語や標準語で語るには語り切れない風景、それこそ「人と人とが、殺し殺される関係性のなかに投げこまれる戦場という殺戮の現場」「巨大なキノコ雲の下で生起している数々の出来事」「夫や息子の死を「名誉の戦死」として受け入れさせてゆく時代と社会の巨大な力」「「敵の顔」の中に「人間の顔」を見出してゆくこと」(『アジア・太平洋戦争』)の出来事と、その風景が、そのような構成の正規の文章で形容されつつも、だからこそその実際が語りえない状態、はあるんだろうか
◎『日本軍兵士』の南方の作戦の概要たとえば飢餓に侵された戦線など、と、例えば『野火』のような兵士がぼんやりフィリピンの青空を見あげて放浪している風景、というものは同じものを語っている、にもかかわらずその情景は違うじゃないですか
◎「五月一二日には、アリューシャン列島のアッツ島に米軍の一個師団が上陸を開始した。約二五〇〇名の日本軍守備隊は、激しく抵抗したが、優勢な米軍に次第に圧倒されて、二九日には最後の突撃を行ない全滅する」(『アジア・太平洋戦争』)の行間と言い得る風景のようなものは、結局フィクションや詩歌で埋めるしかないのかな…と最近は考えはじめている
◎標準語というか現代語ですよね 現在の日本語 だって彼らは「マジ」とか言わないじゃん アッツ島マジヤバイとか 「マジ」とか「ヤバい」とかの地平線にいないんですよ
◎「マジ」とか「ヤバい」とかの地平線にいる私たちがいない彼らの話をする時に、言葉を変えていく、せめて工夫すべきかというはなしですよ

『亡命文学論』を読み始めたけど、特設艦船に対するある種の「憧憬」に釘を刺される感じがあって良い

そういう言葉の意味で、現代の言葉で軽い口調でおんなコトバで海軍と歴史が語られていたらオモロイだろうなーと思って例の小説は書いた>「時代の横顔」

この種の「思念」、当たり前だけど挙げた本を全て読んでないと意味不明なので、思念を感じたらそれを自分の作品として落とし込んで周りに示していかないと意味不明のまま御託を並べている人間になってしまう 思念、毅然と示していく

『「民主」と「愛国」』も読まねば その種の言葉遣いの捻りの話でもあったので

過去に日報を書こうとしていて、1日だけ書いてあとは日報があったこと自体を忘れているの、少し笑ってしまった。
「×月のまとめ」記事は書いていきたい、と画策しています。9月も書けなかったけど……。今から書こうかな……。

小説もそろそろ横見程度にして加筆しつつ、「渺渺録」構想と同時に『日本郵船戦時船史』を読み進めたい。