No.600, No.599, No.598, No.597, No.596, No.595, No.594[7件]
宇宙で爆発しその身が鉄の破片へと解けていく豪華客船の最期があまりに美しくて美しくて、本船はそれにしばし見とれた。だけどその船にいたであろうあまたの乗組員と船客たちのことを思って苦しくなった。美しくなんてない。これは現実にあった事故なのだ。
企業標準歴にして数十年前に撮られた映像は古くてすこし荒い。コピーと貼り付け、保存と再保存をくり返していた映像の質は劣化している。それでも、あるいはだからこそ映像に映し出された死が美しく見えてしまったのだ。フィードに投稿するための画像にお洒落に施す、セピアとノイズ加工のようだ。そこにあるのは人間的メロドラマと歴史へのノスタルジアだった。
今見ているこの映画は実際の船の事故映像とフィクション映像を交えて作られた人間と人間のラブストーリーで、二人の少しの愛と、宇宙へ散失する膨大な死があった。この映画を作った人間は、ラブストーリーではなく人間たちの群像が、人間たちの群像ではなく人間たちの死が撮りたかったんじゃないかしら、と本船は考えた。警備ユニットと一緒に観る物語や文学が、人間は生きることと同じくらい死を描くことが好きなのだと教えてくれていた。
だが人間と同じくこれを美しいと思ってはだめだ。いつか港でひっそりと職務を解かれること。船の墓場へと引き連れられ解体されること。そうあることこそを目的に航海すること。船、なのだ。本船は。
#『マーダーボット・ダイアリー』
「渺渺録」のために1960年代の東京が舞台の日本映画を調べているけど、映像美が凄い
▼「からゆきさんが運ばれた」が「大脱走」なら、「運ばれたからゆきさんが茶碗一杯の米を現地で現地人と奪い合っていた」が「渺渺録」かな…
▼石炭というものにもう少し聡くあらねば、船の創作だから
▼たとえば商船三井の源流の一つ、三井船舶は、三井の売却する石炭を運ぶ船舶部の流れをくんでおり、そこには運ばれる石炭とともにからゆきさんが多く乗っていた、彼女らは無視できないほどの資金を外国から祖国へ送り、その金は帝国を潤し軍拡へと結びつけられた、また彼女らは大陸浪人やアジアで活動する男たちのよき共犯であったし、彼女らの同胞への無邪気な「優しさ」、親しみこそが侵略行為であった、石炭を取る炭鉱では強制的な労働が強いられてチョーセンに舐められるなと朝鮮人に互いにビンタをはらさせ、彼は炭鉱から逃走し大阪へと逃げるであろう、そんな悲惨な彼はかつて半島のタコ部屋にあった売春屋でからゆきさんに苛烈に当たっていた、彼女は「日の丸」だったから
▼またその制度の果てにあったのがアジア・太平洋戦争であり、そこでは三井船舶の船が徴用された
▼そこにいたった時の感慨として「華やかな客船文化を覚えている」のだが、しかし…となる。まあそれは郵船さんのセリフだけど。
#「大脱走」(企業擬人化) #「渺渺録」(企業擬人化)