喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.339, No.338, No.336, No.335, No.334, No.333, No.3327件]

わたしは本書において、個々の人や集合的な群像について、またかの女らの人生がいかに紡がれたかについて、できるだけ自然にまた愛情をもって語った。まるで、オヨシ、オイチ、ドゥヤ・ハダチやその他大勢の人びとが、一歴史研究者の「屋根裏部屋の友だち」であるかのように。いろいろな意味で、本書に登場する多くの人物には弱点があり、その希望と絶望が固くもつれており、幸せを求めていたにもかかわらず、夢は破れてしまった。逆説的ではあるが、女性たちが跡形もなく記録から抜け落ちたようなとき、かの女らが歴史研究者たちを悩ませる致命的な選択をしたことに、わたしは気づかされた。

/『阿姑とからゆきさん』 「日本人読者への「序文」」

引用

 これも哀れなふねなのだ、とあるぜんちな丸は思った。あるぜんちな丸の妹同様、かつて受けた愛を忘れられないでいる。再びあの愛情を得られないからこそ積極的に捨て去ろうとしている。自ら進んで捨てることで主体性を確保しようとしている。足掻き、苦しみ、悶えている。今持ちえている(ので、あろう)軍艦の威容を誇ろうとする。わが妹とは違い、貨客船新田丸の姿を留めたまま沈没するという栄誉を得ることはなかった航空母艦、冲鷹。
#「海にありて思うもの」(艦船擬人化)

小説,艦船擬人化

メモの切れ端

からゆきさんが海を越え出したころ、九州を中心に志士と自称した西南の役の敗者の流れを汲んだ人びと(大陸浪人とも呼ばれる)がいて、彼らは「西欧に追従している」政府の人間ではなく新しい君主を求めて清国や朝鮮、露西亜を行き交った。日清戦争から三国干渉にかけてはことに多くの志士が大陸の奥地へ入り込んでいった。こうしてかつて特権階級にあった士族と貧しく村を出るしかなかった娘たちは海外で相見まえる時があった。(「天草灘」『森崎和江コレクション3』)

真偽はどこまで信ずればいいかわからないが、からゆきさんが暗号簿を盗んだり情報を入手したりしていた記録はある。(「天草灘」『森崎和江コレクション3』)

「後発組」の原文はあくまで"..., he came later."とのことでした。原文の確認という基礎を忘れていたわね…