喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。絵ログ、お知らせ、日常など。

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私たちは――ローマ人のように――自らの記念碑を後に残した社会も、――多くの農民のように――記念碑を残さなかった社会も、描き出す。私たちは記念碑を持つ社会をその自称する偉大さから解き放つ。私たちは彼らがどのように見られたがっているかということと、実際に彼らがどうであったかということとを混同しないように努める。そして私たちは記念碑を残していない人々を、その結果として他人から、あるいは自分自身から、押しつけられた沈黙から解放するように努める。
 したがって私たちは叙述している人々や社会を、別の時代や場所から持ち込まれた判断の専制から解放しなければならないということになる。

それではもし歴史の重みが現在と未来にこれほど重くのしかかることがあるとすれば、歴史家の仕事の一部がその重みを解除しようとすることにあることはたしかである。すなわち、たいていの抑圧の形態は構築されたものであるから脱構築されることが可能であるということを示すこと、現在あるものが必ずしも過去にあったとは限らず、したがって未来にあるとも限らないということを示すこと、である。この意味で歴史家は社会批判者でなければならない。
/『歴史の風景』

引用

実は昨日上げてました 2023年9月の反省会

もう少し長文を書く練習をせねばと思いました。長い文章を構成するのが苦手です。短文の連投に慣れてしまった。

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原田武『インセスト幻想―人類最後のタブー』読了

★アナイス・ニン『インセスト』関連で手に取った記憶ある。「タブー」なわりに文学には頻出する印象あった。
★フランス文学研究者の研究書。研究書というより、知っているインセスト文学や物語全般、フィクションとノンフィクションのタイトルを羅列してちょいちょい考察を差し込んでいくスタイルだった。
★印象に残ったのはトピックのタイトル「インセストは死の匂い」。
★森崎和江が長崎の列島の先のほうにあるとある島を訪れ、その島の人びとは島原の人から差別を受けていたので遠方での結婚が出来なかった、その現状を彼女が形容して曰く「”おくに”はここで極まっていた」だったことを思い出した。あるいはトム・リドルの母方の血とか。「(略)同じ血を分けた民族や国民に対する狂信的な熱愛のうちに、ヒトラーのインセスト的性格を認める」(p186)。また『私の男』のなかの台詞「身内しか愛せない人間は、結局、自分しか愛せないのと同じだ。 利己的で、反社会的なそれらは、豚みたいに生きていくしかないんだ。 食う物だって…豚の餌だ」。
→ある種のフランス文学的ともいえる個人-個人間での「幻想」だけではなく、上記方面でも掘ってみたら興味深かかったかもしれない。
★近親結婚の多かったエジプト王室に言及し、エジプト美術にある「一種空虚な永遠的な静寂感」(片岡啓治の言葉の引用)との因果関係を示していたが、「空虚」「永遠的」「静寂感」あるいは停滞、不変……的なもの、にっちもさっちも行かない「全く動かない」感じ
→それこそがいわゆる『あなたたちの天国』や『影の獄にて』で言及のある「地獄」概念では、というとりとめのない思念に捉われ、それらは散っていった
★「死とは、今の自我を更新できなくなることである。天国も地獄も、来世にあるのではない。地獄とは押しとどめられた時間。風と星の運動に加わるのを拒絶することである」『影の獄にて』
★「今日の現実は明日また選択し改善していくことのできるという可能性があってこそのもの、たとえ今日の現実がどんなに満足で幸福なものであっても、そこに明日のふたたびの選択が前提とされていないならば、その現実は誰にとっても天国ではありえないのです。選択と変化が前提とされていない生涯不変の天国など、むしろ耐えがたい地獄にすぎません」『あなたたちの天国』

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